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魔窟に飛び入る異邦人

 廊下は走ってはいけない。そんなことはわかっている。

 けれど、走らなければならなかった。どうすればいいのかわからないまま。


 紗綾は息を切らせながら頭の中で次々に湧いてくる疑問を必死に振り払おうとした。

 時には逃げることも必要だが、逃げてはいけない場面もある。今はそのどちらなのか。

 香澄さえいれば、と思っても今は放課後、彼女はグラウンドを走り回っていることだろう。


 こうなれば逃げ込む場所は一つしかない。

 校内であって、校内でないような錯覚を覚えるような場所、魔窟とも言うべきオカ研の部室だ。

 この学校において、その名前はタブーである。困った時はオカ研の名前を出せというのは前部長八千草光の談である。

 しかし、今回は相手が悪かった。時にはオカ研の名前が全く通用しないこともある。


 部室は隅にある。奥に行けば行くほど嫌なオーラが出ていると香澄は言う。

 大抵の人間は近付きたがらず、興味本位で踏みこもうとする人間も何故か即座に引き返すと言う。

 ここまでくれば安心と紗綾はようやく振り返った。そして、固まる。

 体力もなければ、足も遅い自覚はある。

 それほど引き離せるとは思っていなかったが、驚いたのは彼が決して走っていないということだ。歩きながら、けれど、確実に近付いてくる。

 紗綾は追われていたのだ。わけもわからないまま。

 そして、ここで止まるべきではなかったのだ。



 後ろには扉、魔窟への門があると言うのに駆け込まなかったことを紗綾は後悔した。


「さあ、追い付きましたよ、サヤ。これで、ゆっくりお話できますね!」


 まるで日溜まり、眩しいほどの満面の笑みで言われて、紗綾は自分の顔が引き攣るのを感じた。

 思わず後退り、その背が扉にぶつかる。

 圭斗も嵐も長身だが、彼もまた背が高く、威圧感を感じる。なのに、その顔は幼いと紗綾は思う。

 ふわふわの金髪にブルーグレーの瞳、地獄に天使が現れたようでもある。

 悪魔の生贄はなぜか天使に追いかけられていた。


「サヤ、ボクをムコヨーシにして下さい!」

「あ、えっと、その……」


 穏やかながら何かズレたことを言っているような気がする彼に紗綾はひどく困惑する。

 彼と出会ったのはほんの数分前、わかっているのは新入生であることと日本語が堪能である外国人らしいということに加えてはリアム・ロビンソンという名前だけだ。



 そもそも、この追いかけっこは紗綾が部室に向かっている途中で始まった。

 オカ研は本来呼び出しがある日以外は自由であるが、毎日部室にいる嵐と十夜の無言の圧力により、紗綾も毎日足を運んでいる。

 活動内容と言えば、嵐の話に付き合わされるか十夜にオカルト関係の勉強をさせられるかだ。


 今日は今年も無事に生贄を確保し、歓迎会の打ち合わせをすると言われていたが、気乗りはしなかった。

 あれは歓迎とは言わない、洗礼だと紗綾は思っている。

 けれど、阻止できるはずもなく、部室に向かう途中だった紗綾は渡り廊下に貼り出された部活のポスターを熱心に見ているリアムに声をかけられた。


「あの、すみません。クラブはここにあるだけですか?」

「あ、うん。大体、そう、かな?」


 渡り廊下は人通りも多く、紗綾が見る限りほとんどの部が並んでいるように見えた。ないとすればオカ研と非公認の集会だけだ。

 昨日彼もあの勧誘ロードを通っただろうにピンとくる部活がなかったからこうして見ているのか。


「あの、ボク、日本の文化とか伝統に触れたいです。そういうクラブ、ないですか? サドーとかショドーとか」


 言われて紗綾は動揺しかけた。

 書道部も茶道部もできれば聞きたくない名前だ。それどころか日本の文化というものがトラウマになってもいる。

 その理由を思い出せば、この純粋な少年に申し訳なくなる。


「えっと、なくなっちゃった、かな……? 将棋とか囲碁とか折り紙とかカルタとか同好会があったけど、合併して、結局消滅しちゃったみたいで……」

「ショーメツですか……残念です」


 確かにあったのだ。それこそ彼が望むような日本文化を愛する者達の集まりが。

 それぞれの部員がいなかったわけではない。関係者から見れば紗綾は廃部の理由に大きく関わっていることになる。

 つまりは、オカ研が悪いのだ。紗綾はもちろん、嵐や十夜も八千草もおそらく直接的には何もしていないのだが、オカ研の部室がある並びに名を連ねていた彼らは皆オカ研を恐れていた。

 呪いだ何だと言って寄り付かなくなり、そのままノイローゼ状態で自然消滅したということになっている。


「何か面白いクラブ、ないですか?」

「アニ研……アニメーション研究同好会とかどうかな? アニメとか漫画とか」


 面白いクラブと言われて思い付くのは奇人変人が多い陸上部だが、おそらくそういうことじゃないと紗綾は思った。

 だからこそ、同じく奇人変人が多いが、まだ彼が興味を持ってくれそうなものを選んだつもりだった。

 すると、彼はパッと表情を明るくした。


「アニメ、マンガ好きです! 日本はクールです!」


 やっぱり、海外でも人気なんだなぁと紗綾はのんびり考えていたが、問題はここからだった。


「どこ行けばいいですか?」

「大体、コンピューター室にいるよ」

「コンピューター室?」

「案内しようか?」


 相手は新入生でまだ教室の場所を把握してはいない。自分が勧めた以上、放っておくことは紗綾にはできなかった。

 だから、そう言ったのも当然のことだったのだが、彼はぴたりと動きを止めて紗綾を見た。

 これに困ったのは紗綾である。変なことを言ったか、それとも通じなかったのか。

 彼がどこまで日本語が大丈夫なのかわからない上に、紗綾は全く英語に自信がない。


「ど、どうしたの……?」

「あなたのお名前、教えて下さい」

「月舘紗綾だよ」

「ツキダテサヤ?」

「月舘がファミリーネームで、紗綾がファーストネーム、かな?」


 ようやく口を開いた彼はひどく真剣な表情をしていた。その理由がわからないまま、紗綾は答えるしかなかった。

 すると、彼はおそらく英語で何事かを呟いたようだったが、紗綾にはまるで聞き取れなかった。


「サヤ……素敵な名前です! それに、こんなに優しい人初めてです! ヤマトナデシコです!」

「え?」


 また明るい表情に戻り彼は言った。

今まで言われたことのなかったセリフに紗綾はどういえば言いのかわからなくなる。

 香澄に散々言われるのだからお人好しではあるのかもしれないが、しとやかでもなければ、特に美しいわけでもない。


「僕はリアム・ロビンソンです」

「ロビンソン君?」


 突然の自己紹介、紗綾にも面倒なことになっているということでだけはわかった。

 この異国から来たらしい学生は間違いなく何かを勘違いしている。


「決めました! 僕、あなたと同じクラブ入りたいです!」

「えっと、うちの部、満員だから……募集してないの」


 一体、何を言い出すのか。

 紗綾は思ったが、幸いというべきかオカ研は一年に一人以上の生贄は取らないのがルールであり、彼を連れて行くことはできない。

 あからさまにガッカリする彼を見れば申し訳なくもなるが、仕方のないことなのだ。


「あの、アニ研はいいの? 私も部活行かなきゃいけないし……」


 案内しようかと言ったところから始まったこの状況は何なのか。

 紗綾もいつまでもこうしていられるわけではない。

 遅くなれば良からぬことが起きるのは間違いない。

 すると、リアムは紗綾の手をひしっと掴んだ。


「サヤ、ケッコンをゼンテーにお付き合いしましょう!」

「そ、それは、いきなり言われても困るよ……」


 あまりに突然の求婚、からかわれているのかとすら紗綾は思ってしまう。ちゃんと意味はわかっているのだろうか、違う言葉と間違えているのではないか。

 紗綾にとって十六年生きてきてこんな経験は初めてであり、オカルト的な理由で無理矢理入部させられた時と同じくらい衝撃的かもしれなかった。


「じゃあ、これからお互いのことを知りましょう! 僕はあなたにフォーリンラブしました!」


 英語で言われてしまえば、本気なのかなと紗綾は思ってしまう。

 そして、香澄なら上手くあしらっただろうが、紗綾にはそんな芸当は不可能だった。


「あのね、止めた方がいい、かな? 多分、オカ研の月舘って言ったらみんな全力で反対すると思うから」

「オカケン?」


 このままだと大変なことになる。そう感じた紗綾はリアムが聞き慣れない単語に首を傾げた隙にその手から逃れた。


「えっと、ごめんね? 私、部活行かないと怒られちゃうから、本当にごめんね!」


 自分がひどく悪いことをしているような気になりながらも、これ以上彼に関わるのは恐ろしかった。

 あまりに突然で、些か強引な彼も、遅れたことで引き起こる部の問題も。



 そうして、紗綾は逃亡を選んだのだが、させてもらえなかったというのが現状なのかもしれない。

 余計に状況が悪くなったように思うのは気のせいではないだろう。

 目の前には多くの生徒が少し近付いただけで怪しいと身の危険を感じ、遠ざかるオカ研の部室があるというのに彼は全く気にした様子がない。

 逃げ出したという後ろめたさがそうさせるのか、彼の天使のような笑みが今はひどく恐ろしく感じた。

 どこまで自分は運が悪いのか、何故、悉くタイミングが悪いに遭遇するのか。

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