救われた者、救われない者
翌日の教室で野島は何事もなかったかのようだった。
今まで通り彼は友達と話し、目が合うこともない。
だが、それでいいのだが、どこか寂しい気持ちもある。
友達になることが無理なことぐらいわかっているが、諦められたら十夜のようになっていたかもしれない。
どう足掻いても彼のようにはなれない。
放課後、部室に向かう前、紗綾は香澄から屋上に行くように言われた。
そこに待っていたのは野島だった。
「いや、ほんと助かったよ! マジで! 何があったか、全然わかんねぇけど、兄貴はすっかり落ち着いてさ」
「良かった……」
解決したとわかっていても、やはり本人の口から聞くと、ほっとするものである。
野島には十夜が何かしたようには見えなかっただろう。
けれど、彼は確かに何かをしたのだと紗綾は思っていた。正確には、眷属にさせたのかもしれない。
尤も、全ては推測に過ぎないのだが。
「昨日なんか月舘たちが帰った後、いきなり『腹減った』だぜ? 母さんもビックリしてたよ。慌ててご馳走作り始めたりしてさ」
何となくその光景が目に浮かぶ気がした。
ほんの少し会って話をしただけだが、彼の母親はとてもユニークだった。
「ニュース見てさ、もっとビックリした」
「悪さをしたいわけじゃなかったんだよ」
「そうだったみたいだな……兄貴は後で花を供えに行くって言ってたよ」
帰り道ですら十夜は事情を説明してはくれなかったが、おおよそのことはわかる。
悲しいことでもあるが、推測は当たっていたのだ。
「犯人、捕まるといいな」
黒髪で白い服の女性は心霊スポットの近くで殺されていた。
彼女は肝試しで偶然近くを通りかかった野島の兄に自分の存在を訴えていた。
だが、野島の兄はその姿に恐怖し、自らを殺そうとしているのだと思い込んだ。けれど、女性は自分を見付けて欲しかっただけだった。
それを十夜が導き、将仁に託した。
そして、昨日、彼女の遺体が見つかったのだ。
「サイキックの刑事さんが、きっと、捕まえるよ」
司馬将仁、彼は必ず犯人を見つけ出すだろう。
揺るぎなき信念を持ち、彼女の姿を追って。たとえ、その声が届かずとも。
「そっか……なんか凄い世界だよな」
「うん、そうだね」
頷きながら、また紗綾は思い知る。
自分はその世界の内側にいるようで、本当は外側にいるだけに過ぎないだと。
二つの世界が重なるところでどちらにも行けずに彷徨っている。
「黒羽先輩ってさ……いい人だったんだな」
「うん、優しい人なんだよ」
野島が十夜を理解してくれたことは素直に嬉しいと思えることだった。
彼の中で十夜はちゃんと救ったことになっているのだろう。
「本当は、先輩にもお礼を言いたいんだけどよ……ダメなんだよな?」
「うん……ごめんね」
昨日、紗綾が野島に渡した手紙には『全てを忘れるように』と書かれているのだ。
オカ研が関与したことを決して他言してはならない。見たこと聞いたこと、その全てを夢だと思い、霊障相談以外では、今後部室には来るな、などと書かれている。
礼は一切必要なく、嵐と十夜に、そういう目的で話しかけてはいけないことになっている。勿論、話しかけられたら、嵐も十夜も知らないフリをする。
ただ何もかもを忘れて、今まで通り恐れることを強要する文書になっているのだ。
だから、何度誰かを救っても、オカ研は遠ざけられ続けてしまう。
評判になったところで意味はないのだ。本当に助けを求める人を救うには。
それでも、心からの感謝が少しでも十夜に届けば……と紗綾は願わずにはいられない。感謝されたくてやっているわけではないが、いつだって彼の心は救われないままなのだ。
「これ……兄貴と母さんがどうしても持って行けって言うから、部のみんなで食べてくれよな。ほら、月舘からの差し入れってことでさ。それなら、いいだろ?」
グイッと野島から押し付けられた紙袋には二つの包装紙に包まれた箱が入っていた。
「うん、喜ぶよ」
実は、差し入れについては直接渡すのでなければ、許可されているのである。だから、紗綾もこういうことは初めてではない。
「母さんは、黒羽先輩を食事に招待したいって言ってたんだけどな……」
十夜にはそういう触れ合いが必要だと紗綾は思が、できないのだ。オカ研の掟には従わなければならない。
ただ厳しいわけではない。それは彼らを守るためにあるのだから。
「月舘はさ、黒羽先輩と仲良くな」
「え……?」
なぜ、急にそんなことを言い出すのか。
「黒羽先輩と付き合ってるんだろ?」
「つ、付き合ってないから!」
そういう噂があることは嫌でも耳に入ってきていたが、事実はない。
「絶対そうだと思ったんだけどな……いやいや、絶対上手くいくって」
「そんなことないよ」
自分の気持ちもわからないというのに。
「だって、何か凄く信頼してる感じがあったぜ?」
「部長は凄い人だと思うから」
信頼はしている。見えなくとも、聞こえなくとも、彼が救った人を知っている。
「まあ、いいや。じゃあな」
野島は変な顔をして、何か言いたげだったが、結局、何も言わなかった。
+++++
部室に向かうと既に嵐もいた。
いつも通りコーヒーを飲む彼の隣にはぐったりした圭斗の姿があった。まるで、いつかの十夜だ。
「圭斗君、大丈夫……?」
いつも元気だなのに具合でも悪いのか。
差し入れらしいマドレーヌを手にしたまま食べる気力すらないようだった。
「紗綾先輩に癒されたいっス」
圭斗が言った瞬間、嵐が口を挟んだ。
「昨日は癒し系美人と一緒だったでしょ?」
「……確かに美人っスけど、あれは反則……絶対、癒し系じゃないっス」
「久遠さん、ですよね?」
「そうそう、黒羽兄」
嵐は笑っているが、十夜は嫌そうな顔をしている。彼は兄の話をされたくないのだ。
黒羽久遠は男だが、見た目は美女とも言える。十夜は軽蔑こそしていないものの、遠ざけたがっている。
外見の問題ではなく、サイキックとしてのことについて意見されたくないようだった。
「俺、あの人はちょっと合わないっスね」
「おんなじタイプだと思うけど。同族嫌悪じゃないの?」
「どこが、っスか?」
今度は圭斗が十夜と同じように嫌そうな顔をしていた。
「派手好きなところが」
確かに圭斗も久遠も派手だが、タイプは全く違うと紗綾は思う。
「俺はオルタナティヴにされるのが嫌なだけっスよ」
どういう意味なのだろうか。圭斗のことは気になっても、紗綾には何も聞くことができない。
「って言うか、俺とあの人一緒にするとか当て付けっスよね?」
圭斗が嵐を睨む。久遠と何かあったのだろう。
ただ、紗綾が知る限り彼は魔女のような攻撃的な物言いはしない。穏やかな性格をしているのだが、彼も圭斗と何か繋がりがあるのか。
「さあ、何のことかな? 何があったか言ってくれないとわからないなぁ」
嵐はとぼけるが、初めからわかっていたはずだった。
「大体、悲惨なの、二人もついてて癒されるわけないっしょ?」
圭斗はうんざりしたように言った。
「あー、空気が読めなすぎる、あの二人ね」
「最悪のカップルっスよ。うざすぎ」
圭斗は散々振り回されたのだろう。紗綾もあの二人についていける自信はなかった。
「いいじゃん、別に。あそこに魔女がいたら修羅場だよ? 八千草って昔はあれ一筋だったんだから」
「趣味悪いっスよ、ほんと」
紗綾は去年のことを思い出す。魔女が来る度に、光だけはいつも喜んでいた。
そこで、嵐は表情を引き締めた。
「まあ、月舘は将仁から聞いたと思うし、ニュースも見たよね?」
「はい」
あの後、将仁が連絡をくれたのだ。十夜が言ったお化けトンネルの近くから白い服を着た長い黒髪の女性の遺体が発見されたと。
そして、彼はその理由を聞きたがった。なぜ、十夜がその情報を知ったのかを。
尤も、彼は十夜がサイキックであることを知っているのだが、なぜ、そういう話になったのかは紗綾も説明していなかった。
「野島の兄貴の方は、殺された女の人が、たまたま通りかかった彼に、自分を見付けてくれって言ってついてきちゃってたみたいなんだよね」
現場に行った将仁は彼女に会ったと言う。ただその様子は落ち着いていたらしい。十夜の眷属が宥めたのだろうか。
将仁は犯人が直に捕まりそうだとも言っていた。
「榊と久遠が行った方は、幽霊トンネルの霊が二人を連れて行こうとしてたみたいだね」
そちらはもっと質が悪いものだったらしい。
「まあ、霊より質が悪いのが三人もいたわけっスけど。いや、被害者の方も正直ああいうのは俺も本当に助けたくないっスよ」
一体何があったのか。紗綾も気になるが、過ぎたことでしかない。
「珍しく久遠もキレたみたいで、お詫びの品がたくさん貰えたんだよね。昼休みに八千草が代表して運んできた」
よく見れば棚にはコーヒーなどが置かれている。テーブルの上の菓子も全て貢ぎ物のようだ。
「八千草の彼女は、魔女が根性叩き直すって言ってたけど」
「無理っスよ」
嵐の言葉を圭斗が即座に反応した。
魔女に根性を叩き直される様を想像すればぞっとする。それで直らないことなどあるのだろうかと紗綾は思う。
だが、嵐は頷く。
「多分、あの二人は物凄く依存する関係なんだよ」
「破滅的なくらいに、っスね」
嵐と圭斗が言うことを紗綾は理解できなかった。破滅的な関係とは悲しすぎる。あれでも、二人は幸せだったのだろうと紗綾は思っていた。
「八千草は危うすぎるし、色々大袈裟だからね。彼女はそんな八千草を助けることで、優越感に浸っちゃうんじゃないかな。溺愛してたのは自分を否定しないから」
光はかつて魔女を女神と、嵐と十夜を神様仏様と崇めていた。あれほど感謝されれば依存もするだろうか。
「俺はそういうの冗談じゃないっスね」
「君は平気で見捨てそうだけどね」
嵐は当て付けがましく言うが、圭斗は決して動じない。彼は見た目に反して落ち着いているところがある。
「できないことをできるなんて言わないっスよ、初めから」
「最初っから見て見ぬフリをする?」
仕方ないことじゃないっスか、と圭斗は肩を竦める。
「肝心なところで助けられないのに、助けるフリをするのは見ないフリよりもひどいっスよ」
「でも、君と俺達が知ってる誰かはそのひどいことをしたんじゃないの?」
探りを入れてくる嵐に圭斗は溜息を吐く。
「あいつは助けられるのに平気で捨てるような奴っスよ」
圭斗の言葉は冷たく、その眼差しは空気を凍てつかせるほどだった。明らかな憎悪がそこに込められていた。
それでも、二人にしかわからない世界に紗綾は一歩も踏み込むことができなかった。




