生贄の証
放課後、紗綾が覚悟を決めて部室に行くと既に十夜と圭斗が来ていた。
ソファーに体を預けている十夜の顔色が悪く見えるのは決して気のせいではないのだろう。
歓迎会の疲労もまだあるのだろうが、別の理由が大きく関係していることが紗綾にはわかる。
だから、今は何も言うべきではないと思っていた。言ったところで何ができるわけでもない。これは彼の問題だ。
圭斗も既に向かいのソファーに座っているが、リアムの姿はなかった。座布団だけがぽつんと置かれている。
やがて、やってきた嵐も部屋を見回し、首を傾げた。
「あれ? ロビンソンは? 一応来いって言っておいたのに」
「ああ、それなら、俺がクビって言っといたっス。紗綾先輩は俺を選んだし、なんかセンセーのこと怖がってたし」
「君も勝手なことをするね」
嵐は肩を竦めるが、怒る気配はなかった。
彼にとっては好都合であるのだろう。
結局のところ、本当の生贄は圭斗であって、リアムのことは何かの手違いであったということだ。
「トラブルの種なんていらないっしょ? それに、喜んで手引いたっスよ」
彼の存在は厄介でオカ研としては監視するべきだが、抱えておくのはリスクが高すぎる。
どちらかしかオカ研には入れられず、トラブルは間違いなく十夜や嵐の心労に繋がるだろう。
既に八千草というトラブルホイホイの存在もある。彼が卒業したからと言ってその繋がりは決して切れることはない。
「八千草とは波長が合ったみたいだけどね」
確かに歓迎会の帰り、学校に戻って車から降りた時、二人が妙に意気投合していたのを紗綾も見ている。
そして、十夜がうんざりしていたのも見てしまった。
死にそうだったと形容してもいいのかもしれない。
「OBと合っても意味ないじゃないっスか。それ以上に先輩や部長が怖かったんスよ、きっと」
圭斗は笑う。自分が脅したわけではないとばかりに。
思い返せば、確かにリアムは嵐を恐れていた。躾を施されたせいもあるだろう。
それはどこか香澄が彼を恐れるのに少し似ていたのかもしれない。
「月舘はこれでいいんだね?」
嵐にじっと見られれば、紗綾も緊張感が増す。
彼は本当に選択したのかと疑っているのかもしれない。
だが、紗綾も覚悟を決めている。彼について責任を持つと。
「はい、今年の生贄は圭斗君に決めました」
宣言すれば、圭斗が微笑みかけてくる。
恥ずかしさを覚えながらも、後悔はなかった。
「って言うか、さっきから部長がぶっ倒れそうな顔してるんスけど」
ちらりと圭斗が十夜を見る。
彼の様子は正にその通りだった。いつ倒れても全く不思議ではない様子だ。
「今日が終われば、ぶっ倒れようとどうなろうといいよ」
笑いながら言う嵐は薄情とも感じられる。
何もない日だったならば十夜は間違いなく早退していただろう。けれど、今日は嵐がそうさせなかったに違いない。
だから、少し暫くここで寝ていたのかもしれないと紗綾は思う。
尤も、将也からそんなことは聞かされていないのだが、敢えて言う必要もないことなのかもしれない。彼も何もかも報告してくるわけではないし、午後のことならばどうせわかる。
「認定式、っスか」
圭斗が言えば空気が重くなる。
それはオカ研にとって重大な意味を持ちながら、実に憂鬱な行事である。
紗綾も密かに、なくなればいいのに、と思っている。もっと言ってしまえば、やる意味がよくわからないのだ。
「じゃあ、メンバー揃ってるし、さっさと済ませちゃおっか?」
そう言って、嵐は棚を開ける。
「そういうわけで、はい、月舘。よろしく」
棚から取り出した物を紗綾へと差し出してくる。
新品の黒いネクタイである。
オカ研部員の証、あるいは生贄の証である。これがあるからこそ、すぐにオカ研の区別がついてしまう。
「やっぱり、やるんですか、これ……」
紗綾も薄々わかっていたが、手渡されると気分が重くなる。
できることならやりたくない。しかしながら、やるしかないことはわかっている。
「ひょっとして、トラウマ?」
嵐が笑い、紗綾はちらりと十夜の様子を窺ってから小さく頷いた。
そのネクタイ一つにオカ研の負の部分が全て詰まっていると言えるほど全くいい思い出がないのだ。
「去年、月舘は天国に旅立ちそうになってるからね」
「天国?」
嵐が言えば、圭斗が首を傾げる。
しかし、紗綾にとって決して大袈裟な表現ではなかった。
確かに一瞬天国を見てしまったような気がするのだ。
「毎回、ある意味事故が起こるんだよ」
「事故って……」
圭斗は困惑しているようだったが、それ以上聞かれると紗綾としてはやりにくくなってしまうものだ。
「ほら、月舘。これをやらないと始まらないのわかってるでしょ?」
嵐の言う通りだった。一年前の繰り返しをするわけにはいかない。
紗綾は覚悟を決めて、ネクタイを手に圭斗の前に立った。
その意味を理解して、圭斗がネクタイを外し、無造作にポケットに入れる。
新入部員のネクタイを締めるのは二年生だという習わしなのだから仕方ない。
自分が捕まえた生贄に自ら首輪を付け、責任を持つという意味があるとも言われている。
「圭斗君、じっとしててね……?」
他人のネクタイを締めることなど、まずなかった。
紗綾も予習はしたが、香澄に練習台になってもらうべきだったかと今になって思う。
去年はこうして自分の首が絞められたのだから。
十夜も散々渋ったあげくに、思い切り絞めてきた。あれは殺人未遂だったと当事者は振り返る。
更にその前は十夜も酷い目に遭ったらしいが、詳しく語られることはない。何せ、相手は光だ。彼が何をやらかしても全く不思議ではない。
「だ、大丈夫……?」
あまり綺麗ではないが、何とか締めることができた。
苦しくはないかと紗綾は圭斗を見上げる。
「いやあ、いいっスね。新婚みたいで。毎日こうだと嬉しいんスけど」
なんてことを言い出すのだろうか。
圭斗との話を思い出して、紗綾は困惑した。
決して笑える状況ではないのだ。
これから先、この黒ネクタイを締めて、明日から正式な生贄として晒し者にならなければならないのだから。
「なんか、背中刺されそうな気分っスけど」
「まあ、君の周りには敵しかいないからね。夜道には気を付けた方がいいかもしれないよ」
紗綾にはどういうことなのかわからなかったが、嵐は笑っている。
「これ、緩めちゃダメなんスか? 苦しいって言うか、俺のキャラ的に」
はっきり言ってしまえば、きっちりと締められたネクタイは彼には似合わない。
初めて会った時は、そうしていたが、あの時は髪も黒かったし、アクセサリーの類もしていなかった。今とは違うのだ。
「ダメ。これから行くところ的にNG」
それでもまだダメなのではないかと紗綾は思う。
「どっか行くんスか?」
「本当はその頭もあんまりよろしくないんだけど、今更取り繕っても仕方がないし、どうせ知られてるし」
髪を染めてくるように言わなかったのは嵐だ。アクセサリーの類を外させるわけでもない。
いくら自由な校風だと言っても、抵抗を持つような場所に行かなければならない。
あの場所に着いてしまったら、彼はどう思うのだろうかと紗綾は何となく考えてみた。しかし、考えてみても仕方のないことだった。
「ささっ、十夜君、重い腰をあげるんだ! どうせ、やる意味があるのか怪しいほどあっさり終わるんだし」
圭斗の準備ができたら次は十夜だ。だが、彼は体を起こそうとはしなかった。
「……俺はあの爺には会いたくない」
一年前から十夜は変わっていない、と紗綾は思う。
言っていることが全く同じなのだ。十夜らしからぬセリフだが、確かに一年前にも聞いている。
「何か、微妙に弱気っスね。部長なら相手が誰でもふんぞり返って会いそうなのに」
圭斗はニヤニヤと笑っているが、爺が誰なのかはわかっていないだろう。
「そんなこと言ってちゃダメだって!」
「俺はあの男が大嫌いだ」
「部長でも子供みたいなこと言うんスね」
まるで十夜は駄々をこねているようでもある。それだけ嫌いということなのだろう。
一年間紗綾が見てきた限りでは、そこまで十夜に嫌われている人物はその一人だけだった。魔女とはまた別なのである。
十夜の口から大嫌いなどという言葉が出るのも非常に珍しい。
「まあ、ある意味、諸悪の根源だからねぇ」
嵐も立場上黙ってはいるが、苦手としていることは明らかだった。
彼の場合、十夜よりも厄介な立ち位置であるのは間違いない。
「ただの偽善家の狸だ」
あの人物について、ここまで言うのはおそらく十夜だけだと紗綾は思っていた。
紗綾は口が裂けても言えない。何でもない紗綾に言う資格もない。




