本当の救い手
扉の外、佇んでいたのは十夜だった。
周りに誰もいないからか、いつもより近付き難い雰囲気は半減しているように感じられる
「大丈夫か?」
皆が寝静まった廊下でいつもよりも控え目に十夜は問う。
多くの人間が彼を誤解しているが、本当は気遣いのできる人間である。
おそらく、圭斗が言ったのはこの男のことなのだろう。彼にも眷属がいるのし、他に思い当たることもない。
「善美ちゃんなら、すっかり安心しちゃったみたいで眠ってます」
彼がいるなら安心できると紗綾は信じきっていた。
だが、十夜は首を横に振る。
「違う」
「えっと……部長が、善美ちゃんを救ってくれたんですよね?」
ヘタレだと言われている十夜だが、善美に何があるのかわかっているからこそ、ここにいるのだと紗綾は思っていた。そして、もう終わったのだと。
「あれは大丈夫だろうが、貴様はどうだ?」
「何もあるわけないじゃないですか。私は役立たずなんですから」
なぜ、そんなことを問うのだろうか。紗綾には理解できなかった。
「……貴様は全く役に立たないわけでもない」
少々の沈黙の後、小さく溜息を吐いて十夜は言い、紗綾は思わず彼をじっと見てしまった。
「本当ですか?」
「極稀に、だが」
「それって、大抵は役に立たないってことですよね?」
十夜がそんなことを言うのは珍しいが、遠回しになっただけだと紗綾は思った。
「……そうだな」
沈黙の後、十夜が頷き、今度は紗綾が溜息を吐きたい気分だった。
「そんなの、オカ研にとっては全然意味がないじゃないですか」
「それを決めるのは貴様でも、俺でもない」
全ては魔女のためにある。
オカ研の生贄は彼女に捧げられるものであり、生贄には選択権も拒否権もありはしないのだ。
そんなことは紗綾もわかっている。だが、そもそも、 生贄としての条件を何一つ満たしてはいないはずなのだ。
「意味があるなら知りたいと思うのはいけないことですか?」
「あの女が答えると思うのか?」
十夜の言う通りだった。
彼女が教えてくれたことなどない。いつだって何もわからないまま押し付けられてきた。
「力になりたいと思うことは……?」
この一年、彼らの苦悩を見てきた。ただ、見てきただけだった。
「必要ない。いればいい。それだけだ」
「でも、枷にはなりたくないんです」
「何も考えるな」
「考えずにはいられないんです」
考えずにどうしろと言うのか。
目で見えないものを、手で触れられないものを本当の意味で理解することなどできないと言うのに。
一瞬、十夜が困ったような表情をした気がした。けれど、薄暗い廊下でのことだ。気のせいなのかもしれない。
「救ったのは俺ではない」
「なら、先生が?」
紗綾は問いかけながらも、それはないはずだと思っていた。
たとえ、魔女が帰っても、帰宅するまでが洗礼だ。よほどのことがない限り、嵐は手を出さない。
「ロビンソン君はないですよね……?」
「あれは使えない」
残る一人リアム・ロビンソンは暴走した。その償いでもないだろう。
「だったら、誰が……」
「もう一人いるだろう」
「圭斗君、ですか……?」
圭斗が白を切り通すつもりなら、紗綾も迂闊には言えない。
たとえ、相手が十夜でも口を滑らせるわけにはいかなかった。
「だが、奴にそうする力はない」
やはり、十夜はわかっているのだろう。
圭斗は自分にできるだけのことをして、手を引いた。
「じゃあ、誰が……」
「貴様だ」
「そんなわけありません」
今度は十夜が自分をじっと見ている気がした。紗綾は困惑する。
まさか、寝惚けているわけではないだろうが、信じることはできない。
「わからないのか」
「わかるはずがないです」
一体、何をわかれと言うのだろうか。
十夜はどうしてしまったのだろうか。
「だが、貴様は正体を知っていたはずだ。あいつのことも、怨霊のことも」
「知りません」
圭斗のことは本人から聞いて知っていた。
生霊のことも全く心当たりがないと言うわけではないが、気のせいだと、考えすぎだと、自分の心にしまい込んで忘れてしまいたかった。
「それは、あれと同じ言いようだと思わないのか」
もしかしたら、十夜はずっと聞いていたのかもしれない。
善美の言葉を紗綾も忘れたわけではない。
「私には何もわからないから、何もできないんです。ただ、それだけです」
紗綾はそれを貫きたかった。
見透かされるとわかっていながら、吐き出してしまうことはできなかった。
辛いのは自分ではないのだから。
また、十夜は黙って、それからぼそりと言う。
「……あの男だって昔は他人を寄せ付けなかった」
十夜が言うあの男はただ一人しかいない。
「九鬼先生、ですか?」
「どこかで他人を拒絶する男だった」
今の嵐からは想像できないが、嵐が十夜の過去を知るように、十夜もまた嵐の過去を知る。
そして、どこかでは二人が似ていると紗綾は思っている。
「だが……いや、どうでもいいことだ」
言いかけて、十夜は頭を振った。
「そこまで言われたら気になります」
自分から言い出して黙るのは卑怯だと紗綾は思う。
「もう寝ろ」
「気になって眠れません」
「命令だ」
ずるい。そう思うものの逆らえない。
生贄とは言っても同列ではない。
現時点で紗綾の序列は最も低い。それこそ、奴隷のようなものだ。
「……おやすみなさい」
「ああ……」
渋々、紗綾は釈然としないものを抱えながらも踵を返した。
きっと、明日にはこんなやりとりもなかったことになっているのだろうと思いながら。
翌朝、先に起きたのは善美の方だった。
「おはよ、紗綾」
「あ、うん……おはよう……」
眠りに就く前はどう接するべきか迷っていたが、杞憂だった。
善美は無理するわけでもなく自然に笑い、紗綾はいつも通りの寝起きだった。
「しっかりしてよ、紗綾。朝から暗い! 苦手なの? 普段から?」
「うん……いつも」
あまり調子が良くない。
それは夜のことがあったわけでもなく、いつも通りだった。
「あたしはね、なーんか、すんごく悪い夢見てた気がするんだけど、妙にすっきりしちゃってさ、何だろうね。紗綾も出てきた気がしたけど」
「そうなんだ……」
彼女が忘れているなら、夢だと思っているのなら、自分は何も言うまいと紗綾は思う。
忘れてしまった方が良いこともある。特に残酷なことを忘れられるなら幸せなことだ。
だけど、それは本当の終わりではない。
その午前中、紗綾たちが荷物を纏めていた頃、彼女がやってきた。
善美の友人、文学少女と紹介された内気な少女だ。その理由はリアムを除くオカ研メンバー全員がわかっていた。
そして、話をしたいと指名された紗綾は彼女と向き合っていた。
「ありがとうございました」
ぺこりと彼女は頭を下げる。
何を、とは言わないのは、言い辛いからか、紗綾にならわかると思っているからか。
どちらにしても、紗綾も予感はしていた。
本当に小さな引っかかりであったが、グループの中であまり喋らなかった彼女が時折善美を羨ましそうに、あるいは、一瞬恨めしそうに見ていたことには気付いていた。
気付いていながら、気のせいだと思っていたかった。他人のことに口出しするほど立派な人間ではない。霊障についてもよくわかっていない。
「私は何もしてないよ」
何かができるはずもない。何かをしたとしたら十夜だ。
昨夜は否定されたが、きっと、そうなのだと紗綾は思う。彼が直接手を下さなくとも、その眷属ならばできる。
「ずっと苦しかったんです。でも、今朝になったら凄く楽になって、あなたの顔が浮かんだんです」
「私は……」
何を言えばいいのか。傷付けない言葉を探しても見付からず、彼女が言葉を続けた。
「私、いつも自分からは何もしてなくて、こんなんじゃいけないって思っても、前に進めなくて、段々諦めてたんです」
「私だってそうだよ」
初めて見た時から、自分と似ていると思っていた。同じように感じて、同じように考えていると思った。
自分自身が流されるばかりで、一年前から何も進歩していていないことは痛いほど感じている。
「でも、あなたは一生懸命誰かを理解しようとしてます。私は理解されたいと思うだけで理解しようとはしなかったから……」
難しいことを考える子だと紗綾は思った。
文学的な影響なのか、自分では到達できないところにいるような気がする。
だけど、無理に辿り着こうとは思わない。それが逃げだとしても、その資格があるならば自然に道は見えてくると思うのだ。
「私はただちょっと運が悪いだけで、何もできないことはよくわかってる」
「何があっても、あなただけは側にいてあげて下さい。それだけできっと十分です」
それは十夜の言葉とも重なる。
それは必要だということなのか。
答えははっきりとは出なかったが、昨日は見ることのなかった本物の笑みに何故か自分が救われたような気がした。




