生贄取りが生贄
自分の運の悪さを何度恨めしく思ったかはわからない。
運命を呪うほどの不運が降りかかるわけではないにしても続けば嫌にもなるものだ。
誰だってこんなものだと思っていたこともある。けれど、笑われるばかりだった。
そして、いつだって勝るのは諦めだった。
見渡せばどこも楽しげで、通る者を捕まえては自分達をアピールしている。
四月、ここ神前高校でも新入生を迎え、昇降口から校門にかけて盛大な部活動の勧誘が行われている。
歓声、落胆、入り交じる中で紗綾は隅というよりも外れにぽつんと立っていた。
人混みが苦手なのもある。やれ、と言われて断れなかったのもある。紗綾もまた部のため、新入生を待ち構えていた。
「あんた、何、その格好? ついに毒が回ったの!?」
クラスメイトであり、親友の田端香澄にそう言われたのはほんの数分前。
「これで人が来るわけないじゃない!」
香澄がビシィッと指さして憤慨するのも無理はなかった。
紗綾が手に持った黒いボードには『生贄募集中(定員一名) オカルト研究部』と血文字のように赤いインクで書かれ、シールのドクロが笑っている。
オカルト研究部――通称オカ研らしいと言えばそうなのかもしれないが、あまりにもおどろおどろしい。
「まさか、あの性悪男に罰ゲームでもさせられてるの? また私の紗綾にひどい仕打ちを……! 今度、会ったら絶対ぶっ飛ばしてやるわ!」
そんなことしたら絶対呪われる。
彼女が言う性悪男が誰か、本当にやりかねないことをわかった上で、紗綾は首を横に振る。
「これは先生が……」
「え、なに、クッキー命令なの?」
ピタリと動きを止めた香澄は眉を顰め、紗綾はコクリと頷く。
「黙って立ってれば絶対大丈夫だって……」
本当に大丈夫なのかなぁ、と呟いて紗綾は俯く。
オカ研におけるツートップの黒いオーラに圧されて渋々出てきたものの、不安が大きくなる。
「ま、まあ、幸運を祈るわ」
顔を上げればいつも明るい笑顔がチャームポイントの親友の顔は、明らかに引き攣っていた。
「助けて、香澄」
いつも頼りになる親友に縋り付けば、彼女はひどく慌て始める。
いつもなら胸を叩くところなのにらしくない。
「む、無理よ! クッキーに逆らったらどうなると思ってるのよ!?」
先生は怖くないのに、と紗綾は思う。
香澄はなぜかいつもクッキーことオカルト研究部顧問でありクラス担任の九鬼嵐を恐れている。
「わ、わたしも部員勧誘しなきゃ! あんまり油売ってると、うちの部長も怖いし、引き留めなきゃいけないから……じゃあね!」
紗綾も待ってとは言えなかった。自分のせいで彼女が先輩などに怒られるのは嫌だった。
香澄に言わせれば、罰ゲーム。拷問のような時間は続いている。
彼女がそう言ったのは何も不気味な勧誘用ボードだけではない。
深くは触れられこそしなかったものの真っ黒なワンピース、所謂ゴスロリ服が大きな要因だろう。紗綾もこれがなければまだ羞恥を感じずに済んだのだ。
ちらちらと好奇の視線を感じて、逃げ出したくもなる。
少し離れたところでは、変人揃いで有名な演劇部のロミオとジュリエットがなぜか踊っていて、その側ならば大丈夫だと思ったのが間違いなのかもしれない。
一年前、自分が生贄にされたように、今度は紗綾が生贄を見繕わなければならなかった。
生贄とは言葉が悪いが、単にオカ研だからそう言っているというよりは、実際に生贄なのだと言わざるを得ない。
だから、紗綾としても本当はそんなことはしたくないのだが、拒否できるほど気が強くない。
立っているだけでいいと言われても、そもそも、こんな格好で新入生が寄ってくるはずもないのだ。
はぁ、と本日何度目かもわからない溜め息が零れた。
「溜め息なんて吐いてると、幸せ、逃げるっスよ?」
香澄でさえ、もう随分と前に言わなくなった言葉だった。
顔を上げれば男子生徒が一人立っている。
ネクタイの色で新入生だとわかるのだが、先輩ではないかと思うほど存在感がある。
背が高く、紗綾は必然的に彼を見上げることになる。
少し長めの漆黒の髪がどこかミステリアスな雰囲気の少年だった。
香澄ならばイケメンと言うのだろうと紗綾はぼんやり考える。整った顔をしているが、やはり新入生らしい幼さが残っている。
「もう逃げるほど残ってないと思うから」
自分より不幸な人間は山ほどいるだろうが、自分より幸福な人間も山ほどいる。
だが、この仕打ちを不幸とするならば、もうどうにもならないのだと紗綾は思う。
「俺が幸せにしてあげよっか?」
明るいブラウンの瞳が悪戯っぽく輝き、紗綾はドキッとして、思考が一時停止した。
「へぇ、オカ研なんてあったんスね?」
身を屈めてボードを見た彼は興味深げに笑う。
急に気恥ずかしくなって紗綾は俯く。元々、人見知りがひどいのだ。同性でさえ香澄以外とはあまりに上手に話せないのに、異性となればより難しいものである。
彼の纏う空気に完全に圧倒されているとも言える。
「部活紹介には出ないから……」
各部活に与えられるアピールの場はこの時間だけではない。新入生が集まる体育館で各部活の代表がアピールする時間がある。
しかし、紗綾がオカ研は毎年それを拒否しているらしかった。あるいは、拒否されているのかもしれない。その扱いは完全に腫れ物である。
「いいっスよ、生贄になってあげても」
「え?」
極めて軽い調子で彼は言う。
一瞬紗綾は言われたことが理解できなかった。
「俺が生贄になってあげるっス」
もう一度、彼は言う。
からかわれているのかもしれない、紗綾は思うが、彼はニコッと笑む。
「なんか、面白そうだから」
面白くないのに、そうは思っても紗綾には言えるはずがなかった。
何とか理由を考えなければと思うものの、すぐに気の利いた理由を考え付くのなら、これほど苦労はしていないはずだった。
「ねぇ、先輩、名前は? 何年?」
「月舘紗綾。二年だよ」
最早、ペースは彼のものだった。
「ふーん、紗綾先輩ね。俺は榊圭斗、圭斗って呼んでください」
「圭斗君?」
馴れ馴れしい圭斗に特に嫌悪感もなかった。
本人がいいなら……、とさえ思ってしまう。
生贄は確保しなければならないが、そうしてはいけないように思う矛盾が紗綾の中に存在するのだ。
「んじゃ、部室に案内してください、紗綾先輩」
圭斗はすっかりその気になっているようだった。
どうせ、部室に行けば二人の悪魔がいる。
結局のところ、判断するのは紗綾ではない。本人も生贄になると言っているのだから、連れて行くしかないだろう。
本当にこれでいいのか。
部室を目指しながら、紗綾は考える。
彼の身長ならバレー部やバスケ部が欲しがるかもしれない。
それをあの墓場に連れて行って未来を奪っていいものか。
結論が出たはずのことを蒸し返すのは、そもそもあの二人に会わせるべきではないのかもしれないと思うからだ。
生贄になることで、あるいは、二人と知り合うことで被る被害は紗綾が一番よく知っているのだから。
「ねぇ、圭斗君」
「何スか?」
紗綾は勇気を出して呼びかけた。
何とかこの善良な男子生徒が道を踏み外すのを止めなければならないかもしれない。そんな妙な使命を感じてしまっていた。
そもそも、生贄などあってはいけないのだ。
「えっと……運動部とか、興味ないの?」
「何でっスか?」
どうにか誘導しようと切り出してみれば、圭斗が眉を顰めたのがわかった。
「だって、背、高いから」
適当な理由だったが、圭斗はと納得したようだった。
既に数々の部から勧誘を受けた後なのかもしれない。
「俺、嫌いなんスよ、ああいうの。暑苦しいっつーか、汗臭いっつーか、協調性ないんで集団競技とかマジ無理」
冷めてる子だな、と紗綾は思う。
だからと言って、やはりこのままあの悪魔達に差し出すのも気が引けてしまう。
敢えて言うならば、どう見ても生贄になるようなタイプではない。
黙って立っていれば大丈夫だと言われて、やってきたのがこの圭斗だからといってそうであるとも限らない。
「でも、陸上部とかは?」
「自分の限界越えることに喜びとか感じないんで。あ、運動はできるんスよ?」
香澄の属する陸上部もなかなかに変わった人間が多いが、怪しげな部に引き込むよりはいいはずだった。
「先輩さ、もしかして、俺が入るの嫌?」
横からじっと見詰められ、紗綾は慌てて首を横に振った。
そうではない、生贄が確保できれば少しはほっとするが、やはり良心が痛むのだ。
「その……凄くひどいところだから」
この際、素直に内情を白状してしまうしかないと紗綾は思った。
だが、圭斗はそれでも笑う。
やはり実際に連れて行かなければ伝わらないのだろうか。
「でも、先輩はそのひどいところにいるんでしょ?」
「陰謀っていうか、策略っていうか、呪いっていうか、もしかしたら超常現象かも……」
紗綾も決して好きで入ったわけではない。
それに、去年はもっと理不尽な回避不可能な方法で生贄が確保されたのだ。
「へぇ、尚更面白そうじゃん」
必死に恐ろしさを伝えようとしたものの、それが逆に彼の興味を引き付けてしまったらしい。
「魔王と策士がいるの。本当に一度行ったら戻れないんだよ?」
全校生徒どころか教師までも恐れる二人が揃っているのだから、当然入部後の退部も受け付けられない。
一度入ったら最後、三年間の隷属が約束されている。その上、厄介なものがバックについている。
「いいよ、先輩と一緒なら本望。地獄に堕ちたっていいんスよ?」
その笑みは美しかった。誘惑的な笑みに紗綾は背筋が冷たくなるのを感じる。
ここにも悪魔がいる。そう直感したのだ。
もしかしたら、捕まってしまったのは彼の方ではなく、自分の方なのかもしれないと。