悪魔な生贄の憂鬱
入学から数日も経てば校内の噂というものも随分と耳に入ってくる。
昼休み、早々と昼食を終えた圭斗は漫画を読みながら、何となくそれらの噂を聞いていた。
聞き耳を立てるのが趣味なのではない。自分がうまく立ち回るために時には情報収集も必要だと思うだけだ。
部活に入る者が増え、先輩から聞いたなどと言っては話のネタにし始めている。
繋がりを作り、関係を深める段階にある今、それは最適な話題なのかもしれない。
しかし、噂などくだらないものでしかないと圭斗は思っている。
そもそも、圭斗は交友関係を作ることすら放棄している。漫画をネタに話しかけてきた輩もいたが、すぐに離れていった。
元々、そういうのが好きでないのもあるし、これから先、意味がなくなるからというのもある。
そもそも、噂など真実を見ようとしない人間の心ない話の連鎖に過ぎず、精神的に他人を貶めて優越感に浸って笑っているのだ。
あるいは、それは自分を守るための鎧なのかもしれないが、その脆さを同じ攻撃によって崩されるまで知ることはない。
特にその噂はネタとしては興味深いものなのかもしれないが、圭斗にとっては不快感を覚えずにはいられないものだった。
つまり、オカ研の噂である。
信憑性の高いものからいい加減なものまで様々、言い方もルートによって異なるようだが、大体は同じようなものだ。
この学園において異質な存在であるからこそ、噂も多いのかもしれない。
アンタッチャブルな存在であるからこそ、怖い者見たさという心理が働くのかもしれない。
オカ研には悪魔がいる。
オカ研には生贄がいる。
現部長の黒羽に逆らった者は呪われる。
黒羽は人を殺したことがある。
顧問の九鬼は黒羽に脅されている。
生贄の月舘は黒羽の愛玩である。
月舘に関わった者は皆不幸になる。
オカ研の部室に入ったら生きて帰れない。
部室では日夜怪しい儀式が行われている。
オカ研に喧嘩を売った部は廃部にされ、皆廃人になる。
オカ研のバックには魔女がいる。
オカ研の今年の生贄はオレンジ色の髪の不良である。
圭斗の耳に入った噂を纏めれば、そんなものだ。
この中にどれほど真実が含まれているというのか。
自分のことまで含まれていることを考えれば、既に生徒の敵と見なされていると考えてもいいだろうと圭斗は判断する。
紗綾に聞こえるようにわざと大きな声で陰口を叩いたいかにも口が軽そうな女子集団にも見られている。
だが、いくつか大嘘があるのは圭斗にもわかる。
嵐が十夜に脅されていることなどありえない。
そういった様子は一切ないどころか紗綾は嵐を策士などと表現する。
実際、その通りなのだろう。
紗綾が十夜の愛玩であるというのも大きな間違いだ。
そんなことができるような男ではない。嵐が言うようにヘタレなのだから。
また部室で怪しい儀式が行われている形跡はない。オカルト関係の書籍はあるが、オカルトグッズよりも嵐の私物であるらしいヘヴィメタグッズの方が多いくらいだ。
ふと、適当にめくっていた漫画の上に影が落ち、圭斗は顔を上げる。
良からぬことだろうと内心溜息を吐きながら。
前に立っているのは二人の女子、顔は何となく覚えてしまったが名前は未だに覚えていない。
尤も、覚える気はない。
「ねぇ、榊君」
二人の内の一人が呼びかけてくる。積極的な方と圭斗は記憶していた。
入学式の日から何度か声をかけられているが、興味がなかった。
面倒臭くて仕方がないのだ。見え透いた好意を喜べるほど社交的ではない。
「オカ研の生贄にされちゃったって本当?」
なんて嫌な聞き方だと圭斗は思う。
「されたんじゃなくて、自分からなったんだけど」
彼女たちの表情に戸惑いが混じったのがわかったが、生贄になることを望んだのが圭斗自身であることは言わされているわけでもなく、事実なのだ。
圭斗が紗綾を見付け、少しばかり強引に入り込んだとも言えるかも知れない。
「じゃあ、本当ってことだよね……?」
「それが何?」
そんなことは他人には関係ないと言ってしまいたかったが、圭斗は不快感に耐えていた。
「お前っ、大丈夫なのかよ?」
ずっと聞きたかったとばかりに中学からの腐れ縁である飯田元気が話に入ってきて、また圭斗の不快感が増す。
また離れたところでも話し声が止み、好機の眼差しが向けられていることに気付く。
先ほど自分が聞き耳を立てていたように、今度は自分がそうされている。それも、一人ではなく、多数に。
きっと、紗綾はこういうことに耐え続けてきたのだろう。
「大丈夫って何が?」
問いかけるも、本当はわかっていた。
自分ならば大丈夫だが、繊細な彼女には辛いだろうと心の中では思っている。
「だって……ねぇ?」
「う、うん……」
「だよなぁ? あのオカ研だもんなぁ……」
元気も女子二人も顔を見合せる。
はっきりと本当に言いたいことを言えよ、とさえ圭斗が思うほど、その空気は貼り付くようで気持ちが悪い。
このまま、教室を出てしまおうかと思った時、空気の読めない男がやってきてしまった。
「オカケン、ボクも入りました!」
「リアムも?」
「お情けの仮入部は黙ってろ。俺はちゃんと届け出してんだ」
ここぞとばかりに元気よく手を上げたリアムに圭斗は殺意さえ覚えた。
仮入部という事実が実に腹立たしい。場合によっては圭斗の届けがなかったことにされるからだ。
「皆さん、素晴らしいサイキックです!」
「さいきっく?」
噂から考察すれば嵐や十夜がまともなサイキックであることを知っている生徒は少ないらしい。
片方は口癖のように呪うなどと言うし、もう片方は圭斗からすればただの淫行教師だ。
そして、彼らはサイキックであるという事実を公にしたいわけではないようだ。そのためにわざと悪い噂が流れるようにしている節もある。
圭斗も紗綾には明かしているが、彼女の性格を考慮してやむを得ずという部分がある。退部を免れるために嵐達に自ら明かすつもりはない。
ましてや、サイキックでない人間に明かして、そう簡単に信じてもらえるはずがないのだ。
「ベラベラ喋ってんじゃねぇよ。呪われろ」
この変な留学生に仮入部という措置を取ったのは大いなる間違いだったに違いないと圭斗は思う。
これでは全て台無しではないだろうか。
頭の中にゴーストが湧いていそうなこの男に、どれほど言葉が通じているかも大いに謎である。
紗綾が何か言葉を間違って覚えているのではないかと思ったのも無理はないと圭斗は思う。何せ、変な言葉ばかり知っているのだから。
「サヤは僕の嫁です!」
「紗綾先輩が、いつ、お前の嫁になったんだよ?」
またとんでもないことを言い出すリアムに圭斗は思わず机を叩いた。
そこで不安そうな顔をしたのは消極的な方(と圭斗は記憶している)の女子だった。
彼女はいつもそうだ。本当は自分で聞きたいくせに、もう一人の影に隠れている。
いつだって一緒、二人で一人、圭斗にとって気に食わない一番の理由だった。
「サヤって生贄の人だよね?」
「そうだけど」
好奇に満ちた言葉に圭斗は自分の態度がきつくなるのを感じていた。
我慢しようとは思っても、限界というものが存在する。
これ以上、その話に付き合えばどうなるかはわかっている。
「悪い噂……いっぱい聞くけど大丈夫?」
「さっきから大丈夫とか、何なわけ?」
「噂……聞いてないの?」
生贄の月舘は黒羽の愛玩である。実に不愉快な噂が圭斗の脳裏をよぎる。
関わった者を不幸にするということを言っているのかもしれないが、彼女自身は他人を不幸にできる人間ではない。
「聞いたけど、だから何?」
八つ当たりかもしれない。
圭斗もわかっていても一度湧き出た怒りはそう簡単に治まらない。
「ちょっと、榊君、もっと優しい言い方できないの!?」
積極的な方がバンと机を叩く。声が頭に響く。既に関係は読めている。
「優しくする必要あんの?」
「お前、女には優しかっただろ?」
「お前と違って、誰にでもじゃねぇし。俺が今優しくしようと思うのは一人だけだから」
「この子、榊君のこと、心配して……!」
「心配? 知りもしない人間のことを平気で悪く思えるようなやつが俺を? 馬鹿じゃねぇの?」
自分が原因だとわかっていても、居心地の悪さに圭斗は悪態を吐きたくなった。
気が長い方ではない圭斗にとっては耐え難いことだ。
「そうやって、次からは俺のことも散々噂に付け加えてくんだろ?」
こうして自分も疎まれていくのだと思いながら圭斗は教室から出た。
今は一秒たりともいたくはなかった。
なぜ、誰もわからないのか。
なぜ、自分だけがわかるのか。
彼らが背負わされる苦しみを、人柱というシステムを。
だが、どこかでは自分だけはわかっていればいいという暗い気持ちがあるのかもしれなかった。