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策士の憂鬱

 放課後、紗綾はひどく重い気分で部室の前に立っていた。一歩一歩を踏み出すのさえ苦痛に感じられたほどだ。

 緊張か不安か、息苦しい気持ちもある。


 昨日の彼の面接がどうなったのかが気がかりで仕方なかった。

 もし、合格となってしまった場合、圭斗はどうなってしまうのだろうか。いや、そんなことはわかりきっている。

 立っているだけで捕まえられる生贄は実は圭斗ではなく、彼の方だったのか。

 今、この中に彼はいるのか。それが問題だった。


 香澄は心配だからついていくと言い出し、必死に説得して止める内に随分時間がかかってしまった。

 心配とは言っても、彼女はそれを理由に殴り込むつもりだったのだ。ついに『ぶっ飛ばしてやる』宣言を現実のものにしようとしていた。

 昼休み、将也が去った後、憤慨し続ける香澄を宥めることは紗綾には不可能だった。彼女の怒りを収められる人物などいない。


 そして、十夜に昨日のことを言ったところで無駄なのだ。俺には関係ないと一蹴されるに決まっている。

 紗綾はできることならば、これ以上自分のことで十夜を煩わせたくなかった。

 勢いで彼のせいなどと言ってしまったことを後悔してもいる。



 深呼吸をして、恐る恐るドアを開ければ、その瞬間に目が合ってしまった。

 ぱっと表情を明るくして、駆け寄って来ようとする様は犬にも見える。

 決して好ましいものではないのだが、紗綾は硬直するしかなかった。

 そうしている間に距離は詰まり、紗綾は困惑する。いっそ逃げてしまいたかった。

 しかし、その瞬間に鋭い声が響く。


「ハウス!」


 嵐がビシッと部屋の隅に置かれた座布団を指さす。

 すると、リアムはハッとしたように、さっとそこへ戻り、ピシッと正座をする。

 そして、ソファーから立ち上がった嵐が紗綾を扉の外へと誘導した。



「あの、さっきの座布団って、まさか……」


 嵐に導かれて辿り着いた非常階段で紗綾は先に切り出す。

 聞きたいことは色々とあったが、何から問えばいいかわからなかった。

 昨日まであんな座布団はなかったはずであり、一瞬だが、何か見覚えがある気がしていたのだ。


「うん、遺品だよ。日本文化研究同好会と称した抵抗勢力御一行様のね」


 笑みを浮かべて言う嵐に紗綾は背筋に冷たいものを感じた。

 リアムが入りたがっていた日本文化研究同好会を葬り去った張本人こそ、この九鬼嵐という男なのだ。

 直接手を下したわけではないが、彼らがノイローゼになる原因を作り出せたのはこの男しかいない。なぜならば、彼が策士だからだ。


「そ、それ、彼には言ってないですよね?」

「もちろん、言ってないよ」


 なぜ、犬の躾をしたかはわからないし、聞いてはいけない気がした。

 だが、彼は嬉々としてあの座布団に座っていたようにも思う。

 だから、真実を知られるのはまずいと紗綾は思った。


「絶対に言わないで下さいね。本当はそっちに入りたかったみたいですから」

「どうしようかな? 正直うざいところあるし、ついポロポロッと本音が出ちゃうかも」

「先生!」


 思わず紗綾は声を上げた。

 教師のくせに何て言うことを言うのか。

 今日に始まったことではないと言っても、前より毒の量が増えているように感じられる。


「冗談冗談。滅茶苦茶うざいのは紛れもない事実だけど、先生は月舘が嫌がることはしないからね」


 嵐は笑うが、説得力はまるでなかった。

 教師らしからぬ発言をさらりとするところがいけない。

 婚姻届のこともそうだが、その話題を持ち出してしまえば、また懐から取り出して、はぐらかされるのだろう。


「まあさ、どうやら、サイキックらしいんだよね……話聞いた限りじゃ嘘とは思えないんだけど、一応、様子見ってことで、仮入部」


 嵐はひどく残念そうに言う。

 本来、サイキックが来れば喜ぶはずなのだが、歓迎できないタイプもいると紗綾は以前に聞いたことを思い出した。


「そうですか……」


 安心することはできない。

 彼が部に見合う人材ならば、すぐに仮がとれることだろう。


「月舘には悪いけど、もしかしたら、榊にバイバイしてもらうことになるかもね」

「……わかってます」


 生贄は一年に一人でいい。そのルールは絶対だ。

 人数が多ければそれだけ面倒なことが増えるからだ。

 そして、一年後のことを考えればサイキックは必要になる。十夜が卒業してしまえば、嵐だけでは自由が利かないからだ。


「その辺は魔女の判断にもよるけど」


 魔女――その名は重く響く。

 嵐にとって呪縛なのかもしれないと紗綾は思うことがある。

 八千草の前、オカルト研究部の初代部長であり、既に卒業している。

 しかしながら、彼女は今でも支配者なのだと紗綾は去年思い知らされている。

 悪魔と扱われている十夜や嵐でさえも逆らえないのだ。

 魔王などと言われている十夜が可愛らしく思えるほど魔女は本物であった。


「やっぱり今年の歓迎会もあの人の主催なんですね」

「うん、今年はお迎えもお願いした。俺の車に四人も乗せたくないし」


 紗綾が初めて魔女と会ったのも歓迎会だった。そこで洗礼を受けたのだ。

 そして、世界が違うと彼女は知らしめた。

 それから、彼女は度々現れた。今年もきっとそうなのだろうと紗綾は憂鬱になっていた。


「八千草先輩は来ないですよね?」

「うん、もしかして、来て欲しかった?」


 何となく問いかけてみたものの、問い返されて紗綾は首を横に振る。

 決してそういうわけではない。彼が来てしまったら大変なことになるのは目に見えている。


「物凄く荒みそうなので、安心しました」


 八千草は人間としては非常に面白い。

 だが、心霊的な問題が絡むところにわざわざ彼を引き込むのは彼らにとって自殺行為だ。

 八千草は彼らにとって非常に迷惑なトラブルメーカーであるのだ。司馬将仁もそういう人物であるが、八千草は彼の比ではない。


「確かに荒むねぇ……俺と黒羽が」

「生きた心地がしないのは嫌です」


 十夜は常に不機嫌だが、嵐までそうなると紗綾にはどうにもできなくなる。

 さすがにそれには慣れることができない。


「俺は魔女の方が怖いけどね」


 嵐はぽつりと吐き出す。本音なのだろうが、紗綾には意外だった。


「そうですか?」

「俺にだって怖いものはあるよ? 他には月舘に嫌われることとか」


 ごまかされた。

 肩を竦める嵐に紗綾は直感した。

 こういう時、いつも少しだけ嵐がずるいと思う。やはり彼は策士、オカ研の悪魔は十夜だけではないのだと。


「まあ、月舘は魔女に溺愛されてるし、気楽に社会見学だと思ってればいいよ。今年も楽しくないと思うけど」


 嵐にとっても歓迎会は歓迎できることではないということは去年既に聞かされている。

 何も変わらないまま一年が経ってしまったことを申し訳なく思う。

 けれど、彼の言うことは一つ間違っている。自分が魔女に溺愛されているということはあり得ないと紗綾は断言できる。


「私は……何もできないですから」

「本当に何もできないなら、今頃、ここにはいないよ。すぐにさよならさせられてた。彼女はそういう人間だよ」

「でも……」


 初めて魔女に会った時、彼女が十夜を散々罵倒したことは今でも忘れられない。

 自分に何の力もないことで、十夜が責任を問われたのが苦しかった。

 それなのに、歓迎会が終わった後の魔女はひどく優しかった。

 これからもよろしく、と笑ったのが印象的だった。


「大丈夫、自分に自信を持って。月舘は俺達にとって安全な存在だから」


 安全、それは彼らにとって害のない存在であるということ。

 けれど、彼らの苦しみを見ていながら何もできない存在でもある。


「そろそろ、戻らないと榊にあらぬことを言われそうだ」


 淫行教師とかね、と嵐は笑い、どうにも寂しそうに見えてしまう。

 だが、こういう時、どうすればいいのか紗綾にはわからなかった。



 嵐と共に部室に戻れば、リアムは座布団に正座し、圭斗は雑誌を読んでいた。

 だが、一人、いつもいるはずの人間がいない。


「黒羽部長はまだ来てないんですか?」

 いつも十夜は誰よりも早く部室にいる。

 欠席や用事、単に遅れることもあるが、そんなことは稀だった。


「早退したよ」

「そう、ですか……」


 そうでないことを心のどこかでは願っていても、やっぱりと思う気持ちの方が強い。

 十夜が部室にいない場合のほとんどの理由はそれだ。


「ま、いつものアレって言うには、大したものじゃないけど、歓迎会に不参加は困るから大事をとってみたいな」


 いつものアレ、紗綾はそれだけでわかるようになってしまった。

 しかしながら、十夜が抱えているものの全てをわかっているわけではない。


「まあ、心配しなくていいよ。黒羽がヘタレなだけだから」


 嵐は笑っていたが、紗綾に笑えるはずもなかった。

 原因が自分かもしれないとも言わない。言ってしまえば、全てが壊れるような気がしていた。

 そして、この時、一番何かを言いそうな圭斗は黙っていた。

 単に雑誌に夢中だったのかもしれなかったが。

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