オレンジ色の悪魔の嫉妬
圭斗と共に街を歩いて、紗綾は見覚えのある姿を見付けた。
自分から声をかけるのは迷惑になってしまいそうで少し怖いのだが、先に相手が気付いた。
彼の目は背中にもついているのだろうか。
元よりそういったところはあったのだが、改めて紗綾は感心する。職業的なものなのなのかもしれない。
「あれ、紗綾ちゃん?」
スーツを着た彼はいつも少しくたびれた印象がある。
きっと仕事が大変なのだろう。その上、彼についたオプションが余計なのだろうと紗綾は何となく思っていた。
紗綾の中で彼はいつも疲れている人として認識されている。
しかし、憑かれているわけではない。
「こんにちは、将仁さん。聞き込み……ですか?」
「まあね。そっちは十夜君と一緒じゃないんだ?」
「はい、今日は先に帰っていいって言われたんです」
年は嵐とさほど変わらないはずなのだが、嵐の方が若く見えると紗綾は常々思っている。
彼とは部活を通して知り合った。
だから、彼らと一緒にいないことが不思議なのだろうと判断する。
彼にとって紗綾はセットの中の一つなのかもしれない。
思い返せば、外でも彼と遭遇する時は十夜がいた。
「じゃあ、そっちは彼氏とか?」
将也が圭斗を見る。
一年前、初めて会った時も似たようなことを言われたのを紗綾は思い出す。
その時は十夜に聞いていたのであって、紗綾はどうしていいか困っていたし、今もそうだ。
しかし、強気な新入りは全く動じた様子がない。
「になる予定っス。あとは先輩次第って感じで。あ、今もデート中なんスよ」
笑顔でさらりと言う圭斗に紗綾は慌てた。
「えっと、新入部員の榊圭斗君です」
圭斗のことはまだよくわかっていない。
だが、紗綾にとって幸いなのは、将仁ならばそれだけで通じるということだ。
「なるほど。今年の生贄、ね」
事情を知るからこそ話はスムーズに進む。
そして、改めて将也は圭斗を見て、微笑んだ。
「俺は司馬将仁、その内世話になるかもしれないからよろしく、なんて言っても、まあ、会わない方がそっちは幸せか。こっちは物凄く切実なんだけどね」
将仁はオカ研にトラブルを運んでくる存在でしかないとも言える。
被害を受けるのは主に嵐と十夜である。
嵐は全て十夜に押し付けたいようだが、そうもいかないのが世の中というものらしい。
彼が持ち込んでくる問題には常に重たい背景がついて回る。
「あ、先生は最近、お煎餅にハマってます。でも、黒羽部長はやっぱりチョコレートとかクッキーとかがいいみたいです」
「ありがとう。助かるよ。賄賂外すと後々きついからね。十夜君はまだしも、嵐さんは気まぐれだし」
紗綾の言ったことを将仁は手帳を取り出してすぐにメモしていく。
手土産という名の賄賂は彼にとって未来を左右する重大な問題ということになっている。
嵐も面白がっているのだが、手土産の値段や物によって顕著に態度が変わるのは間違いない。
「あ、あの、マリエちゃんは元気ですか?」
彼には仕事がある。今もその途中だろう。
わかっているが、どうしても気になって紗綾は切り出してみた。
「ああ、元気だよ。彼女も結構紗綾ちゃんのこと気にしてるんだけどね」
それを聞いて紗綾はほっとする。
マリエとは友達というほど親しいわけではないが、ずっと心配だったのだ。
オカ研ではセットとして考えられる神野マリエは紗綾にとって、将仁以上に心配な人間だった。
すぐにオカ研に相談しに来る将也とはまるで真逆なのだから。
「お仕事、頑張って下さい」
「ああ、そっちも頑張って」
あまり長く引き留めてはいけないだろう。
将仁とはそこで別れた。
将仁と離れてすぐに圭斗の視線が向けられる。
その目が説明して、と語っているように感じられた。
「誰? あの人。司馬って言ってたっスけど」
「将也先輩のお兄さん」
司馬将仁と将也は兄弟だ。
穏やかそうであるのは似ているが、兄貴は少しだらしないというのが将也の談だ。
あの兄を見てのあの弟であるという説もある。
「何してる人なんスか?」
「刑事さんだよ」
「それで、聞き込み、っスか」
圭斗は納得したようだった。
「たまにうちに助けを求めてくるの」
「助け?」
その内世話になるかもしれないと将仁は言った。
捜査協力というものになるのだろうかと紗綾はぼんやり思う。彼の体質という問題であって、嵐などは泣き付いてくるといった表現を好み、ギリギリまで苛めるのを楽しむのだが。
「先生も部長もサイキックだし、将仁さんもそう……視えちゃう人だから」
オカルト研究部の実態、それを圭斗に話すのは初めてだった。
一から十まで話すよりは自分の目で見せた方がいいだろうと紗綾は思っていた。
紗綾はただの生贄でしかなく、サイキックではないのだから。
「へぇ、霊能者ってことっスか。ただのオカルトマニアかと思えば、ちゃんと活動してるんスね」
圭斗は意外にもそういうことに知識があるようだった。
尤も、理解がなければ生贄になるなどとは思わないのかもしれない。
「うん、多分、歓迎会でわかると思うけどね……」
歓迎会は決して楽しいものではない。
部の在り方を示し、同時に生贄を試す行事でもある。
だから、紗綾はそれを洗礼だと考えている。会自体に歓迎の意図などないのだから。
「紗綾先輩は……あいつの態度見る限り何もなさそうっスね」
「うん、全然。最初の内は黒羽部長も霊感的な選び方だったから、何か力が隠れてるんじゃないかって思ったみたいで、色々試されたけど、全然駄目だった。占いとかも少しも当たらないし。ちょっと不運なだけ」
圭との言う通りだった。
紗綾は完全に役立たず認定され、人数合わせのための生贄と化している。
「まあ、その方が幸せじゃないっスかね。視えたっていいことあるわけじゃないっ
しょ」
「うん。先生もそう言うよ。でも、黒羽部長を見てるとね、私じゃなかったらもっと力になれたんじゃないかって思うの」
力がない方がいいこともあると嵐も言う。
それでも、、やはりサイキックの方が嬉しいのではないかと思ってしまうことがある。
たとえ、散々迷惑がられていた八千草のようなタイプでも共有できるものがあったのだから。
「お人好しっスね。結構きつい扱いじゃないっスか。先生と合わせて飴と鞭なのかもしれないっスけど」
「でも、黒羽部長だって優しい時もあるんだよ?」
ただ虐げられているだけだったならば何を言われても部活に出なかったかもしれない。
前部長八千草がいた時は楽しかったのだ。
だからと言って、十夜に引き継がれてからも居心地が悪くなったわけでもない。八千草が特別なムードメーカーだったというだけだ。
「まさかとは思うっスけど、部長のこと、好きってことないっスよね……?」
『まさか、あの性悪男のこと好きになったとか言わないわよね?』
圭斗の問いに不意に記憶の中の香澄の問いが重なって、紗綾は慌てて首を横に振った。
彼女は紗綾がオカ研にいることに賛成ではない。
八千草がいた頃は良かったが、いなくなってからも顔を出すと言った紗綾に香澄はそう言ったのだ。
「じゃあ、先生とか? 婚姻届持ち歩いてるくらいだし」
『まさか、クッキーが好きなの? ダメよ? 絶対、ダメ!』
またも香澄の言葉が重なって、紗綾は再度首を横に振る。
「あれは、先生なりの冗談なんだと思う。女子には優しいし」
「それって、贔屓っスよね。それに、俺が見る限り、紗綾先輩は特別って気がするんスけどね。本気っぽくて」
特別だと言うのなら、それは自分のクラスの生徒であり、部員であるからであって、それ以上のことなどあるはずもないと紗綾は考えていた。
「そういうの、よくわからないの。何か、一日を乗り切るのに必死で」
入学して一年も経てば誰かを好きになっても不思議ではないのかもしれない。
紗綾のクラス内にもカップルが誕生しているし、陸上部の恋愛事情もなぜか香澄から流れてくる。
その香澄自体にはそういう話がない。何度か将也と噂になったことはあるが、香澄が照れ隠しでも何でもなく本気で嫌がるので、以来タブーになっている。
けれども、紗綾はそういったことを考えたことがなかった。
嵐はよく婚姻届だとか将来の話をするが、現実味がなく、彼なりの冗談だと紗綾は思っていた。
八千草は恋多き人間だったが、振られてばかりだったという印象しかない。
そして、十夜は大体あの調子であり、時折優しさを見せられても、彼の瞳の奥にあるものを見る度にそれが好意から来るものではないと思い知らされた。
「でもね、もし、選ばれたことがね、神様のお告げなら、私の役目って何だろうって思ったの。私でも少しは誰かの役に立てるのかなって」
全てのことをただのことを不運で片付けるのは辛い。
もし、運命ならばと幻想を抱いている方が幸せだった。
「俺は不安にさせないっスよ。悲しくさせない。後悔もさせない。置き去りにもしないから」
圭斗の言葉は何か強さを持っている。
けれど、その瞳の奥に何かが揺れている気がした。
そして、それはどこか十夜と重なって見えた。