広瀬家の諸問題
相変わらずの『息子が彼氏を連れてきた!』シリーズです。今回は広瀬家一同のドタバタを描いてみました。おまけに実央の災難もくっついています。
同性の恋人明石実央に贈る指輪を用意した広瀬暁人だったが、渡しそびれてそのままになっていた。これまで色々あった広瀬・明石両家仕切り直しの食事会を考えた暁人は、そこで指輪を贈ろうと考えるが…。強硬に二人の交際を反対してきた母静子の軟化は本物なのか?
その1篤紀SIDE
篤紀の言い訳
「あ~つ~き~、お前ってやつは~~~!!」
あああ、この既視感。普段は穏やかな兄貴の鬼の形相再び。一昨年兄貴の彼氏明石実央君の就職先を黙秘していたのがバレた時も、こんな感じだった。広瀬篤紀・会社員になりたての22歳、社会人になって最初のピンチです?
「なんでお前が俺と同じ大室精密にちゃっかり入社してるんだよ!!!」
「ちゃ、ちゃっかりなんて人聞き悪いな〰〰〰、ちょっと知らせるタイミング外しただけじゃん」
「ちょっと!?内定式出た時点でほぼ確定してるよな!?それにしょっちゅううちに遊びに来てたじゃないか、ウザイくらいに」
「(ウザイってヒドくない?)いやー、俺兄貴みたいに優秀じゃないから取り消しとかもあり得るじゃん?」
「じゃん?何かやらかさない限りそんなこと滅多にないだろう!」
「大室精密が不景気で傾いてボツになるとか…」
「縁起でもないこと言うな!!」
あー、コレ何言ってもダメなやつかー。
「あ、暁人さん、落ち着いて…」
実央君が兄貴を横から抱えて抑えようとしている。兄貴が俺に飛び掛からんばかりの勢いだからだ。止められた兄貴は怖い顔で実央君を睨む。
「あっ…暁人…」
実央君は言い直した。ほーん、兄貴は実央君に「暁人さん」呼びをやめさせて、呼び捨てにさせようとしているワケね。でも実央君はまだ慣れてないってことか…いや、今そこはスルーでいい。
今日は4月に入って2度目の土曜日、わが広瀬家は大騒ぎになっている。本来なら俺の就職祝いの宴のハズだったのに。
「兄貴と実央君が二人だけでうちに来るのって、何気に初めてだよね」
「話を逸らすな、篤紀。2度目だし」
「…悪かったって…俺もいろいろ迷ってたし、兄貴に言いづらかったんだよ。俺が同じ会社に入るなんて言ったら反対されそうでさ…」
「反対っていうか…お前、積極的にうちの会社を志望したわけじゃないよな?」
うっ、痛いところを…
「高校進学も大学進学もそんな感じだったよな?」
ううう…言い返せない。
「高校も俺と同じ私立、大学も俺と同じK大」
…おっしゃる通りで…
「まあまあ、暁人」
今まで傍観を決め込んでいた姉貴・綾乃が口を開いた。
「篤紀もちゃんと試験を受けて入ったわけだし。まあ高校は補欠入学だったけど」
いらんこと言うな、合格は合格だ。
「暁人の気持ちもわかるわよ、高校もお兄ちゃんと一緒のところ~、大学もお兄ちゃんと一緒のところ~、まあさすがに理工学部は偏差値的に無理だったけどさ」
…いちいち角が立つ言い方してくんな。
「確かに暁人は理工学部に教わりたい教授がいて、会社も自分がやりたいことがあって選んで努力してきたから、篤紀みたいにてきとーに選んでどーにかなっちゃったーみたいなのは、本当に腹立つわよねえ」
…姉貴は俺を庇う気はゼロだな…
「でもさあ、高校はともかく大学は実央君とも同じであんたも色々助けられたじゃない?学際の時とか箱…その後の事とかさあ」
「綾乃、『あんた』呼びはおやめなさい。下品だと言ったでしょう」
ここでオフクロが参加。一応初めから俺たちの両親も同席しています。親父は今のところ静観しているらしい。
「それは…そうだけど」
兄貴が渋々認める。
「あん…暁人は知らないけれど、他にも頑張ってたのよ篤紀は、実央君を守るために」
「僕を…?そういえば前にもそんな事言ってたね、篤紀君は僕が心配で研究室に来たとか…」
「そうそう、実央君は知らないけれど魔の手が迫ってた…かもしれないのよ」
「『魔の手』ってなんだよ!?」
兄貴が追及してくる。加賀さんもちょっとかわいそうだよなあ、「魔の手」とか言われちゃったら。(※この辺の事情は『兄貴の彼氏と俺の話』をご参照下さい。加賀さんは実央に片想いしていたゲイの先輩です)
「暁人、まあ少し落ち着きなさい。私たちには事情がよくわからない部分もあるが」
そこでようやく親父が口を挟んできた。
一応説明しますと現在広瀬家に住んでいるのは両親と姉貴と俺の4人。兄貴は恋人の実央君と都内のマンションで同棲中である。二人は大学の先輩後輩で2つ違い。同性ながら愛し合う仲となり実央君の就職を機に一緒に暮らし始めたのだ。俺は実央君より一つ下で同じ経済学部だったから、大学では兄貴よりも一緒にいた時間も長いし距離的にも近かった。そのためなぜか姉貴に命じられて、実央君に関しては様々ガードというか配慮というか気遣いというか…そんなものが多々あったのである。
「確かに認めます。俺は兄貴と違って出来は良くないし、崇高な志があって大室精密を選んだわけじゃありません。正直『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』という感じで就活してました。言いにくかったのも事実です。でも兄貴が俺の入社式や研修の頃に急に海外出張になるとか、直後に熱出して寝込んだとか想定外だし。ましてオフクロと実央君が連絡とって俺の就職先が知られるとか、思わないだろう、フツウ」
俺の大室精密入社に関しては、「兄貴には自分の口から伝える」と家族に話していた。だから両親はとっくに兄貴が知っているものと思っていたらしい。俺も誰かから伝わっても仕方ないと思っていたのだが、まさかこんな事になるとは。多分姉貴だけは面白がって黙っていたんだろうな。
兄貴と実央君に関しては両家の家族はみんな応援していた、うちのオフクロを除いては。オフクロは「同性同士で付き合うなんてとんでもない」というスタンスを最初から貫き、なんならお見合いという妨害工作も仕組み、実央君にもご両親にも終始冷たい態度を取っていた。実央君への酷い嫌味でカッとなった兄貴がオフクロを殴ろうとしたこともあったくらいだ。
そのオフクロと実央君が、いくら兄貴が熱出して寝込んだからって連絡取り合うなんて思わないだろう。ちなみに実央君は今高校の教師をしていて、兄貴が寝込んだ日は入学式だったからどうしても休めなかったらしい。
「私だってまさか暁人がまだ聞いていないなんて思わなかったのよ。看病に行った時直接伝えたのに眠かったらしくて聞き取れなかったようだから、実央さんに伝えておくって…」
「「実央さん…」」
俺と姉貴がほぼ同時に言った。
「オフクロが実央君の名前呼んだの初めて聞いたかも」
「私も…」
「…初めてじゃありませんよ」
「そうだっけ?」
「初めてじゃないです」
実央君も笑顔で言う。
「実央さん」
オフクロが改めて実央君を呼んだ。
「お料理のお手伝いをしてちょうだい、綾乃は使い物にならないから。洗い物すらまともにできなくて」
「は、はい、お手伝いします」
「まったく…暁人が怒りだすから調理が中断しちゃったわ」
オフクロは実央君を従えてキッチンへと入って行った。
「え、なにこれ、オフクロ実央君を認めたってこと?」
俺が姉貴に小声で話しかけると、姉貴はちょっと考えてからぼそりと言った。
「いや…認めたっていうよりこれは…」
「これは?」
「嫁姑問題勃発!?」
茗荷の甘酢漬け
兄貴は心配そうにキッチンの方を見ている。
「心配なら見に行きなさいよ、暁人。なんなら手伝ってくれば」
姉貴も自分は何もしないくせによく言うよな。オフクロの父親・俺たちにとってはじいちゃんだが、いかにも昭和の頑固おやじみたいな人で、「男子厨房に入らず」っての?そういう方針の人だったからオフクロにもその考え方が沁みついている。おかげで俺や兄貴は食器を下げるくらいで済んでいたが、問題は姉貴だ。料理はからきし…というか、そもそもやる意志がない。食器洗いはザツだし割るしで、オフクロも匙を投げた。それなのに男の実央君を嫁ポジでキッチンに入れるのか?
一通り料理が並べられ、食事が始まった。
「じゃあ遅ればせながら篤紀の就職を祝して」
親父が音頭を取って乾杯した。…兄貴、目が笑っていませんが。
「もう許してあげなさいよ暁人、あんた…暁人みたいにしっかりした理想を持って就職する人なんて、少数派なんだから」
姉貴が一応俺を援護してくれた。
「僕も篤紀君の気持ちわかりますよ、けっこうぎりぎりまで迷って決められなかったから。教職決めたのだって遅くて、初めから目指していた人に申し訳ないくらいです。今は選んで良かったって思っていますけど」
実央君もフォローしてくれた。実央君…「良かった」って思ってない人が、隣にいるよ。よりにもよって選んだのが男子校だったからね。それにしても今日は、実央君のご両親も来てくれればよかったのに。さすがに悪いからと遠慮してしまったらしいけれど、ご祝儀は実央君に預けてくれていた。あざす。
「あ、これおいしい、茗荷よね、甘酢漬け?」
姉貴がきれいな色のお漬物?を口にして、そう言った。
「…実央さんが持って来てくれたのよ」
オフクロが言う。いやな感じではないな。
「おいしいだろ?俺酸っぱいのは苦手だけれど、これはいけるんだ」
兄貴がなぜか得意げに言う。いや兄貴は実央君が作った物なら泥団子でも食うだろう(※さすがにそれは…)。実央君は照れながら
「いつもはお徳用の切れ端を使うんですけれど、今日は皆さんに召し上がって頂くからいいのを奮発しちゃいました」
と、話す。
「手つきがいいのね、実央さんは。お母様に教わったのかしら」
オフクロが姉貴の方を見て実央君を褒めた。実央君を褒めたというより、自分の娘への当てつけか?
「僕は一人っ子だったから、小さい頃母にべったりだったみたいで。食事の支度をしている時も母に纏わりついていたらしいです。大きくなってお皿を出したり盛り付けしたりするようになって、自然と作る方の手伝いもするようになりました。でも大したことはできないから、家を出る前に改めて母に教わりました」
「まあ、羨ましいこと」
オフクロは姉貴を見ながら話している。姉貴はずっとそれに気付かないふりをしていた。
「ちょっと暁人、あんたはいつも実央君の手料理食べられるんだから今日は遠慮しなさいよ、お父さんも茗荷ばっかり食べないでよ、なくなっちゃう」
自分は作らないくせに、姉貴は文句だけは言う。
「うちでも作るわよ、教えてもらったから」
オフクロが言ったので、
「オフクロが実央君に?」
俺は思わず突っ込んでしまった。
「教えるなんて程のものじゃないです、簡単です。茗荷をさっと湯がいて大きいものは半分に切って、熱いうちに甘酢に漬けるだけです」
実央君がまた照れながら説明する。
「いやー、簡単なものも作らない人がいるけどね」
俺がつい口を滑らすと、姉貴が
「篤紀、全面的に暁人の味方をしてもいいのよ?」
とコワイ顔で睨んできた。
「スミマセンデシタ…」
食事が進むうち、気付いたことがあったので俺は実央君に聞いてみた。
「実央君、今日はいつもと違う良い匂いがするね」
「あ、これ?へへ…デパートで香水のサンプルをもらってちょっと付けてみたんだ」
実央くんの右側が兄貴、テーブルの角を挟んで反対側が俺だったので気付いたのだ。
「実央は何も付けなくても良い匂いなんだから、香水なんて必要ない。そもそもなんでデパートになんか一人で行ったんだ」
はい、「束縛系彼氏」発動~。兄貴の発言に全員ちょっと引いている。
「その『匂い』で喧嘩したくせに」
姉貴が容赦ない一言を放つ。そう、先月の終わり頃兄貴と実央君は初めて喧嘩をしたらしい。実家に泣きついてきた兄貴を姉貴が一喝したらしいが、俺はその日最後の春休みを友達と満喫していたため家にいなかった。後で姉貴から顛末を聞いたのだが、まあくだらない話で笑ってしまった。(※『息子が彼氏を連れてきた!』Short stories2 -2事件ですよ<実央SIDE>・4事件ですよ<綾乃SIDE>参照)
「喧嘩ってほどじゃ…」
兄貴はさすがにきまりが悪そうだ。まあ実央君との喧嘩に急な海外出張・その後の発熱でオフクロが看病に行ったとか色々あり過ぎて、さすがの兄貴も情緒が不安定になったのだろう。そこへきて俺が同じ会社に入ったなんて知ったものだから、感情がジェットコースターの如く乱高下しているワケだ。
「あの時、しにそうな顔してたわよ」
姉貴が追い打ちをかけるので
「でもすぐ仲直りしたんでしょう?」
俺がフォローしてあげた。ん?実央君顔が赤いけど、どうしたのかな?そんなにお酒飲んでいないよね?どういう「仲直り」をしたのかな?腐男子としては是非とも知りたいところだった。
お兄ちゃんと一緒
「別に暁人の弟だから採用されたってわけじゃないでしょ?」
姉貴が改まって聞いてきた。
「そんな力俺にあるか、篤紀が言わない限り名字だけじゃ気付かないだろう。まあ人事部では住所で気付いた人もいたかもしれないけれど」
「俺だって言わないよ、そんな事。でも仕事が始まって何人かに聞かれたわ、『ひょっとして広瀬暁人さんの兄弟か親戚?』って。俺兄貴に似てるらしいんだよねー、てへへ」
イケメンの兄貴に似ていると言われるのは悪い気がしない。
「ん、まあ似てるわよね、兄弟だもの。タイプとか印象はぜっんぜん違うんだけど」
「全然」に力を入れるな、姉貴。
「俺も聞かれる。『経理の広瀬さんて弟さんですか、似てますね』って」
兄貴が言ったところで、姉貴が吹き出した。
「ぶっ、経理~!?似合わなーい!」
なかなか笑いが止まらない。姉貴だけでなく、親父とオフクロまで笑いを嚙みころしている。え、そんなに?そんなにおかしいですか、俺が「経理」って。
「お前希望部署はどこにしてあるんだよ」
兄貴の質問には答えにくいものがあったが、仕方なく言った。
「…営業…」
「篤紀は本当に営業がやりたいのか?」
「……」
「どの部署も大変なのは同じだが、営業は体力もいるしメンタルが強くないと保たないぞ」
「……」
「まさか俺が最初に配属されたのが営業だったからとか言うんじゃないだろうな」
「……」
だって俺は理系じゃないから、兄貴みたいに研究・開発系希望とかは無理だし、製造も無理だし。
「まあまあ暁人、その辺にしておいてあげなさいよ。篤紀は昔から『お兄ちゃんと一緒~』って子だったでしょ。それに希望したところで適性がなけりゃそれまでだし」
姉貴の援護って、ホントいつも援護になっていない。
「それで周りの人とはうまくやっていけそうなのか?」
親父が違う方に話を振ってくれた。
「うん、まだ入ったばかりだけれど、わりと女性が多くて明るい感じ。この間湯浅さんていう先輩が兄貴と岩城さんは社内を二分するモテ男だって言ってた」
一応兄貴をヨイショしておく。言われたのは本当だし。岩城さんというのは兄貴と同期のイケメンだ。
「大げさだよ、俺にパートナーがいるのはみんな知ってるし、モテるなら岩城の方だろ」
「ああ、岩城さん、カッコイイですもんね」
「……」
実央君、兄貴の前で他の男を褒めるのはやめようか。
「それでその湯浅さんと海外営業部?の松本さんだったかな、二人で話してるとこ見かけたんだけど、あの人美人だな、ハーフなんだって」
「ああ、その人ならこの間一緒に海外出張でカナダに行ったよ。お父さんがカナダの人なんだけれど、日本が大好きでこちらに移住したらしい」
兄貴がそう言うと
「へえ、一緒に出張ねえ」
姉貴が意味ありげに笑う。
「なんだよ、二人きりじゃないし、他の人もいたから」
「でもあん…暁人も3年で5人振ったモテ男でしょう?何があるかわからないじゃない」
「えっ、兄貴会社でそんなに振ったの!?」
俺は思わず実央君の方を見た。女性と出張に行ったとか5人振ったとか、実央君的にはどうなんだ?と思ったら、ニコニコしておいしそうにオフクロの作った煮物を食べていた。
「…」
実央君のリアクションのなさに兄貴も少々複雑な表情をしている。実央君、そこは少し妬いてあげようか。
「今日は泊まっていくんでしょう、暁人」
オフクロが兄貴に確認した。
「うん、そうさせてもらう。俺が使ってた部屋でいいよ」
「…ゲストルームにしなさいよ」
「姉さんまたそれかよ、実家に帰って来てわざわざゲストルーム使うとか…」
「実央君もいるじゃない」
「別に二人で寝るから問題ないけど?」
兄貴がしれっとそう言ったが、
「ああ、あの部屋はダメよ」
あっ、オフクロ待って、それ以上は…
「綾乃と篤紀の私物で物置状態になっているもの、用意してあるからゲストルームを使いなさい」
「…姉さん、そういう事か…それでこの間は『泊まるな』って言ったんだな」
「『泊まるな』とは言ってません、『帰りなさい』って言ったのよ」
「同じことだろう」
「違うわよ、べそかいてうちに来たくせに」
「べそなんかかいてない」
「同然の顔してたわよ、実央君に嫌われたってこの世の終わりみたいな顔してさ。帰って良かったでしょう?仲直りできたんだから」
その顔は俺も見てみたかったな。
「あの日は…暁人さんが帰って来てくれて、嬉しかったです…」
俯いて実央君が言う。
「実央…」
あ、ヤメロ兄貴、ここでキスはやめておけ、いや、やめて下さい。
キスはしなかったが兄貴は愛しそうに実央君の頭を撫でていた。はい、ごちそうさまでした。
「お昼にこれだけ食べたら夜は軽めでいいわね、お蕎麦かお茶漬けにでもしましょうか」
オフクロが言った。
「僕お手伝いします。卵焼きとか作りましょうか」
「それは明日の朝ごはんにお願いするわ」
「はい」
本当に嫁と姑のやりとりだな。実央君は後片付けの手伝いに、オフクロとキッチンへ入って行った。その日実央君は初めて広瀬家に泊まったのだった。
経過観察
「どう思う、あれ」
2階の俺の部屋で姉貴が聞いてきた。姉貴は当然のように後片付けの皿洗いすらしない。
「どうって、オフクロのこと?」
「決まってるじゃない、態度変り過ぎじゃない?ちょっと」
「兄貴が熱出した時実央君に頼まれてマンションに行って…なにか思うところがあったんじゃないの?オフクロってさ、親戚でもキッチンに入られるの嫌なタイプじゃん。それなのに自分から実央君をキッチンに誘うなんて結構気を許してるんじゃないかな」
俺は思ったままを言ってみた。まああまりにも姉貴が使えない反動かもしれないけどな。
「あんなに反対してたのに、簡単に折れるかな?」
姉貴はまだ不信感を抱いているようだ。
「それは…簡単て言っても何年も経ってるし」
「油断させるつもりじゃないかしら」
「油断?」
「そう、二人を認めたと油断させておいて次の罠を仕掛けるつもりなのかも」
…自分の母親に対して、相変わらずヒドイ言い様だな。さっきの料理の一件を根に持っているんじゃないのか。
「罠って…例えば?」
「実央君の方に仕掛けるのよ」
「実央君に!?」
「暁人の方はもうどうやっても心変わりはしないって、諦めたんじゃないかと思うの。先月帰って来た時も酷かったけれど、さっきだって見たでしょう?あの甘々ぶり。会社でも5人も女性を振ってんのよ?あの二人に別れ話が出たとしても、泣いて縋るのは暁人の方よ」
「確かに…そうだろうね」
弟の俺もそこは庇い切れないや。
「だから実央君の方にハニー・トラップを仕掛ける気じゃないかしら」
「実央君にハニー・トラップ…」
「実央君だって男が好きで暁人とくっついたわけじゃないから、可愛い女の子が寄ってきたらぐらついちゃうかもよ?」
可愛い女の子…そこは加賀さんのような手強い男が登場した方が、BL的にはおいしい展開なんだが。
「実央君と仲良くなって好みを聞き出し、油断させたところへ実央君理想の彼女を送り込んでくるのよ」
送り込んでくるって…そんなにうまくいくのか?そりゃあ実央君の方が心変わりしたら兄貴も諦めるしかないけれど。前に姉貴は、実央君に捨てられたら兄貴は出家するとか言ってたよな…
昼休み
研修後に経理部に配属されてまだ半月…正直仕事をしているというより、慣れるのに精一杯という感じだ。学生時代とは何もかも違う。経理部に配属された新卒社員は3人だったけれど、俺以外は女性二人だった。その日もお昼になって一人で社食に行ったのだが、一緒に食べるような人もまだ見つからなかった。
(出遅れたから混んでるな…一人だけならどこか…)
大企業だけあって、ここの社食は広い。長いテーブルがずらっと並び、それとは別にグループで食べられるような円いテーブルの席もいくつか置かれている。空いた席を探していると、俺を呼ぶ声がした。
「広瀬君、こっちこっち」
呼ばれた方を向くと、湯浅さんだった。あ、松本さんもいる。もう一人知らない女性が…
「一人ならこっちにおいでよ、一緒に食べよう」
「はい、ありがとうございます」
女性に囲まれるのは恥ずかしかったが、俺は湯浅さんたちの円いテーブルに座った。
「こちらは海外営業部の松本レイナさんと広報部の城下紗弓さんよ、仲がいいの私たち」
「そうっすか、よろしくお願いします」
「よろしくね、仲良くしましょう」
「広報部って…兄貴と同じ…」
「そうよ、お兄さんにはお世話になってます」
「松本さんはこの間一緒に出張に行ったって…」
「あら、聞いてるのね。私もお世話になりました。お兄さん、英会話バッチリね」
「はあ、俺は全然ですけど」
「今日は生姜焼き定食?男子はやっぱりお肉なのね」
「はい、俺生姜焼き好きなんすよ、社食の定食おいしいですよね、でも…」
「でも?」
「実央君が作る方がおいしいかな。兄貴もそう言ってたし」
つい言ってしまった。
「実央君…」
「あっすみません、兄貴の彼氏で…皆さん兄貴のことはご存じですよね」
「…知ってるよ、彼氏さんの名前も」
「お兄さん、出張中仕事の時以外はスマホばっかりで、彼氏さんと連絡取ってるのかなーって微笑ましかったわ」
「お恥ずかしい限りです(時差があるのに何やってんだよ兄貴)…」
良かった、安心して兄貴の事話せる。そこへ見知らぬ男性社員が話しかけてきた。
「あれれー、イケメン君の弟はやっぱり違うねえ、早速女性に囲まれちゃって」
IDの名前を見ると「矢森」と書いてあった。明らかに嫌味だというのは俺にも分かった。
「なんですか、失礼ですよいきなり、モテない男の僻みならジャマなんで向こうに行ってもらえませんか」
うわあ、松本さん、顔に似合わずキッツー。
「ちっ、なんだよ」
矢森さんという人ははっきり言われて、すごすご退散した。
「気にしなくていいよ、あの人お兄さんが営業部にいた時もやっかんで色々言ってたらしいから」
湯浅さんが言う。
「はい…でもすげえっすね、松本さん、一刀両断てカンジで」
「ふふ、ありがとう」
みんなで飯を食いながら話していると、また声を掛けられた。
「おや、早速美女たちに囲まれてるのか?」
「あ、岩城さん、お久しぶりです」
兄貴と営業部で一緒だった岩城さんだ。顔見知りに会えてほっとした。岩城さんは今秘書課に所属しているが、俺が大室精密に入社したことは兄貴から聞いて知っているらしい。
「あら、岩城さん、広瀬弟君のことご存じなんですか?」
「…知ってますよ、城下さん。前に会ったことあるんで」
「岩城さんにはお世話になってるんですよ、俺」
「世話って程じゃ…」
「そうなんですかー、てっきり弟さんの方に鞍替えするのかと」
城下さんがそんなことを言った。鞍替え?どういう事?
「…また何の話だか…篤紀君、会社じゃ広瀬とは飯食わないのか?」
岩城さんに聞かれた。確かに社食で兄貴と会わないな。
「ああ、広瀬さんなら最近はオフィスで『愛妻弁当』を召し上がっていることが多いですね。麦茶の入った水筒付きで。麦茶も彼氏…実央君が作ってくれるって嬉しそうに話してましたよ」
俺ではなく、城下さんが岩城さんに答えている。兄貴と同じ部署だから、さすがに詳しいな。ていうか兄貴のやつ、会社でもそんなにノロケてんのか、まったく。
「…そうですか、また一緒に飯食おうな、篤紀君。じゃあお先」
「はい、また今度、兄貴も一緒に」
俺は岩城さんを見送った。実央君はオフクロにも教わって最近また料理の腕を上げたらしく、弁当率が高くなっているらしい。
「岩城さんも健気よねえ」
「ホントにね」
「健気…ですか?」
「ああ、こちらの話だから気にしないでね」
「はあ…」
何の事だか俺にはさっぱりだった。(※『息子が彼氏を連れてきた!』Short stories2-1参照)
「広瀬君はお兄さんに似ているけど、なんかタイプは違うよね」
「あー、よく言われます。兄貴はああいう感じだけれど、俺はなんかおちゃらけてるとか調子がいいとか…」
「元気でいいじゃない、ワンコみたいで。あ、ごめん、ワンコとか言っちゃって」
「いいっすよ、よく言われるんで。皆さんBLってご存じですか?」
俺がそう言った瞬間、場の空気が一変した…ような気がした。しまった、俺変な事言っちゃったよな、いきなり「BL」とか。
「高校の時ね、クラスの腐女子に言われたことがあって。俺は『年下ワンコ攻め』タイプだって。初めなんのことか全然わからなくて」
「へ、へぇ~、そうなんだ、『年下ワンコ攻め』ね…なるほど…」
「スミマセン、BLなんて言って。そんなに読む人いないっすよね」
「ど、どうだろうね、紗弓ちゃん…」
「どうかしらね…」
「俺もよく知らなくて」
大ウソだけどな。なにせ「腐男子」だから。
「あ、そろそろ昼休憩終わりますね、行きましょうか湯浅さん」
「そ、そうだね、じゃあお先、紗弓ちゃん・レイナさん…」
なんかギクシャクしてないか、湯浅さん。俺はオフィスに戻り、また慣れない事務作業を湯浅さんから教わるのだった。
その2暁人SIDE
暁人の言い訳
指輪を渡せていない。姉さんに指輪も買っていないのかと言われて勢い込んで買ったはいいものの、まだ実央に渡せていないのだ。指輪を購入した直後に海外出張を言い渡され(急な交代)、帰国直後に熱を出し2日間寝込んで、出社したら会社には弟の篤紀がいた。篤紀はあちこちの会社を受けまくり、内定が出た中で一番大手だったのが俺の勤める大室精密(株)だったという。さすがに言いにくかったらしく、俺は熱が下がった直後に実央からそれを聞いたのだ。
明石実央は俺・広瀬暁人の最愛の人で共に男である。それでも好きになってしまった。俺が大学3年・実央が1年の夏に付き合い始め、そろそろ6年目になろうとしている。実央への愛情は衰えることはない。衰えるどころか、ますます強く深く大きくなっている(※ちょっともう勘弁して下さい…)。指輪を渡すシチュエーションて、夜景の見えるレストランだの某テーマパークのお城の前だのか?さすがに男二人でそれをやると目立つよな?俺はいいけど(※いいんだ)、実央は恥ずかしがりやだからな。
ネットで調べると同性でも披露宴的なパーティをしてくれる所や、教会もあるらしい。さすがに大げさすぎるか?俺の職場というか会社内では、ほぼみんな俺に同性のパートナーがいる事を知っているので構わないが、実央は違う。実央は都内の私立男子高校で教鞭を執っているので、大っぴらにするのはまずいだろう(※極一部にバレてます)。そんなことを考えているとなかなか前に進めず、指輪を渡せないままなのだ。この間実家に行った時も、「指輪はまだか」と姉さんにせっつかれるし…
「今日のお弁当も美味しそうですねー」
そんな事を考えながらオフィスで実央の作ってくれた弁当を食べている時、同じ広報部の城下さんに声を掛けられた。
「ああ、お疲れ様です」
以前は社食で弁当や定食を食べる事もあった。実央も忙しいから毎日弁当を作れるわけではない。「今日は冷食で手抜きしました」なんて言われることもあるが、実央が用意してくれるものなら冷食だって出来合いの弁当だってコンビニのパンだって、なんでも美味しい(※さいですか…)。ただ弟の篤紀が入社してきて社食で顔を合わせるのはなんとなく気まずいから、最近はオフィスで食べることが多いのだ。実央がちゃんと水筒に麦茶を入れて持たせてくれるしな(※ホントにもういいです、そういうの)
「いいなあ、その卵焼き、一つもらえません?」
城下さんがそんな事を言ってきた。え、まじか?実央が作った卵焼きを一つ「も」?(※日本語がおかしいです)
「…冗談ですよ、お邪魔してすみませんでした、どうぞごゆっくり」
城下さんはオフィスを出て行った。何か顔に出ていただろうか。
姉兄弟会議
5月に入って姉さんから電話で連絡が入った。
「実央君抜きで姉兄弟3人だけで話がしたいんだけど」
「実央抜きって…改まってなんだよ、変な話なら勘弁してくれよ」
デリカシーのない姉さんは遠慮なく俺と実央のとの事をあれこれ聞いてくる。
「大事な話なのよ、なんとか時間作れないの」
姉さんに逆らっても無駄なことは俺も篤紀もよく知っている。
「…今月1年生だけ親睦を図るためのオリエンテーリングみたいな事をやるらしい、1泊で」
「実央君も行くんだ?」
「…1年C組の担任だからな…」
だから学校なんて嫌なんだ。去年の修学旅行もそうだが泊りの行事はあるし、体育祭だ文化祭だとやたらと距離が近くなりそうなイベントはあるし。
「んじゃ、その時行くわね」
「平日だから俺も篤紀も仕事だぞ、姉さんだってそうだろ」
「気にしないから大丈夫、じゃあ詳しい日程ラ〇ンで教えてね。実央君には絶対内緒よ」
姉さんはそれだけ言うと電話を切ってしまった。いや、こっちが気にするんだけど。
「おじゃましまーす」
実央が学校行事で外泊する日、姉さんと篤紀がやって来た。
「…荷物が多くないか?」
「泊まるからね」
姉さんはあっさりと言う。
「…聞いてないんだけど?」
「言ってないけど、この時間に姉弟が来るんだから当然じゃない」
「部屋がないんだけど」
「あるでしょ、あんたと実央君の部屋が。あんたと篤紀は一緒に寝なさいよ、私は実央君の部屋を借りるから」
「…嫌なんだけど」
「いやって何よ、私そういうの気にしないから大丈夫」
「こっちが大丈夫じゃないんだよ、デリカシーがなさすぎだろう」
姉さんの強引さもここまでくると許容できない。
「ああ、二人がイチャイチャしているベッドを姉弟が使うのはイヤだってこと?いつもどっちのベッド使ってんの?」
「〰〰〰〰!!」
デリカシーのなさもここまでくると、返す言葉も出てこない。
「まあまあ姉貴、さすがにそれは遠慮がなさすぎじゃない?」
篤紀が中に入るが、お前もしっかり荷物持って来てるよな。
「近くにビジホがあるから、そっちを使ってくれよ」
「いやよ、めんどくさい。時間だって無駄になるじゃない。そもそも誰のための話し合いだと思ってんのよ」
いや、俺は何も頼んでいないんだが?一方的に「来る」って言われただけだし?
宿泊の件はさておき、本題に入ることにした。
「それで、話ってなんなんだよ」
「お母さんの事よ」
「母さん?」
「あんた気にならないの、最近のお母さんの態度」
確かに、以前のような実央や明石家に対するとげとげしさは影を潜めている。先月実家に帰った時も実央の料理を褒めたり、手伝わせたりしていた。姉さんが何もしないからっていうのもあるが…いゃ「何もできない」か。
「それは…確かにだいぶソフトになったなとは思うけど」
「それ額面通りに受け取ってんの?」
「額面通りって…姉さんは何が言いたいんだよ」
回りくどい言い方に俺はちょっとイラっとした。
「ターゲットを変えたんじゃないかって言ってるのよ、実央君に」
「実央に!?なんだよターゲットって、母さんが何か実央に嫌がらせを…」
「甘いわね、暁人」
姉さんはわざとらしくため息を吐いた。
「あんたが熱出して実央君が母さんに連絡した頃から、ちょっと風向きが変わったじゃない」
先月俺が熱を出して寝込んだ時、実央はどうしても仕事を休めなかった。そして俺が止めていたにもかかわらず、母さんに連絡を取ってしまったのだ。母さんは俺たちの交際に反対する姿勢を崩さす、俺に見合い工作を仕掛けてきたこともあった。双方の家族が仲良くやっているのに、自分一人は蚊帳の外にいた。
そんな母さんに実央の方から連絡を取るとは思わなかった。どうしたらいいか聞きたかっただけなのかもしれないが、母さんは俺たちの住むマンションに初めてやってきて俺の看病をしてくれた。その辺りから「実央さん」と呼ぶようになり現在のような状況にもなったのである。
「母さんが他人をキッチンに入れるって相当よ?親戚のオバさんたちでさえ触られるのは嫌がるくせに」
「そうだな」
実の娘の姉さんもほとんど触らないけどな。
「だから実央君と仲良くなって、懐柔しようと思ってるんじゃないかと思って」
「懐柔って…」
「暁人を動かすのは諦めたのよ。あんたは実央君に夢中で実央君がいないと生きていけないっていうのが、お母さんもよくわかったんでしょう」
…まあ、そうなんだけど…
「だから実央君の方にハニトラを仕掛けるんじゃないかって」
「ハニトラ…!?」
また何を言い出すんだ姉さんはと思ったが、
「暁人同様実央君はゲイじゃない。女性に全く関心がない訳じゃないでしょう?今の職場は男性ばかりで女性はおばちゃんだけらしいから誘惑される心配はないでしょうけれど、可愛い女の子に好意を示されたらどうかしら」
「どうかしらって…」
「やっぱり女の子がいいやってなるかもよ?実央君と仲良くなって実央君の好みを探って母さんの人脈を使えば、容姿も性格も申し分ない相手を見つけてくるかもよ、あんたのお見合いの時みたいに」
「……実央は心変わりなんかしないよ」
「そう言い切れる?」
「……」
「兄貴すでに泣きそうな顔してんぞ」
篤紀がニヤニヤして俺の顔を見る。
「泣くか、こんなことで」
「泣くかって…兄貴は実央君に捨てられたら、出家しちゃうんだろ」
「出家!?」
出家…実央に捨てられたら…実央と別れたら…どうするんだ、俺!? いや、冷静になれ俺。
「それで、どうしろって言うんだ姉さんは」
「…そこまでは考えてない」
「は?わざわざ俺の不安を煽りに来ただけかよ!?」
「そこを話し合うための今日の会議じゃないの」
その時インターホンが鳴った。
「あっ、姉貴、頼んでおいたピザが来たみたい、俺出るね」
「ちょうどいいわね、お腹空いたから夕飯にしましょう。あら冷蔵庫に色々入ってるじゃない。食べていいわよね」
それは実央が留守になるからって、俺のために作ってくれた…ほんとーに何しに来たんだ、こいつら!!
指輪の行方
その後はもう話し合いと言うより普通に食事と言うか宴会になってしまった。
「実央君の唐揚げおいしーい!また腕上げたみたいだね」
「このマリネってきっとうちのお母さんに教わったのよね、良好な嫁姑関係じゃないの」
…さっきと言っていることが違うだろう。母さんは油断させて実央を取り込むみたいな話をしていなかったか?そこへ実央から電話がかかってきた。
「暁人さん、電話が遅くなってすみません、変わりないですか?」
「実央…」
実央の声を聞いて心底ほっとした。
「あれ、なんだか賑やかですね?」
後ろで姉さんと篤紀が酒を飲んでワイワイやっている。俺は二人を睨んで「静かにしろ」と目配せした。
「ああ、ゴメン。テレビの音だよ。実央はどう?大丈夫…」
その時実央の後ろの方で騒々しい声が聞こえた。
〈実央ちゃーん、誰と話してんの?〉
〈彼女?お母さん?〉
「こら、ダメだって、抱きつくんじゃない」
…抱きつく!?実央ちゃん!?
「ごめんなさい、また明日の朝かけますね。ほら、そろそろ就寝時間だから部屋に戻りなさい」
そこで電話は切れてしまった。もっと話していたかったのに…。だから嫌いなんだ、男子高校生なんて。いっぱし「ピーッ(※自主規制)」だけは強いくせに、ガキでガサツで…(※男子高校生の皆様、ごめんなさい)
「実央君なんだってー?」
酔った篤紀が聞いてきたが、それには答えなかった。
「それよりあんた、この間も聞いたけど指輪はどうしたの?買ったのよね?」
「買ったけど…」
「ゆびわー!? 聞いてないよオレ、見せて見せて」
「見せるか、まだ実央に渡していないのに。買った直後に色々あって渡しそびれてるんだよ」
「色々って?」
篤紀がのん気に聞いてくる。
「お前の入社の事も入ってんだよ」
「あー、それは申し訳ない」
何が「申し訳ない」だ、そんな事思ってないくせに。
「タイミング外すとずーっと渡せないままになっちゃうわよ、結婚式でも考えてんの?」
「結婚式―!!」
「うるさい、篤紀。考えてないよ、そこまでは」
チラッとは思ったけどな。やっぱり現実的じゃない。
「悪いけど、俺風呂入ってもう寝るわ」
なんだか、疲れた。早く実央の顔が見たい。
「私たちはどこで寝るのよ」
「…篤紀はそこのソファで寝ろ、姉さんは俺のベッドを使ってくれ」
「暁人は?」
「俺が実央の部屋で寝る」
実央の聖域だけは俺が死守する。
「えー、俺だけソファなの?」
「いきなり泊まるって言い出したんだから、それくらいガマンしろ、毛布は貸してやる」
俺はその晩実央の匂いに包まれて眠った。
(本当は一緒の寝室にしたかったんだけどな…)
別に毎晩「そういう事」をしたい訳じゃなくて、ただ実央に触れて眠りたいだけだ。きっとそれだけで癒される。
(実央はもう眠ったかな…明日は実央に会える…)
翌朝早く目が覚めた俺は、リビングの惨状に唖然とした。
(片付けくらいしてくれよ…)
姉さんと篤紀に期待してもムダな事はわかってるけど…
「ホラ、篤紀起きろ、お前も仕事だろう」
「ん~、もう少し…あ、姉貴は休暇取ったから起こすなって言ってた」
ほんとに勝手だな…と思っていたところに、実央から電話があった。
「あ、暁人さん、早くにすみません。おはようございます。起きてましたか?昨夜あまり話せなかったから…」
「起きてたよ、おはよう、実央は?眠れたか?」
「うーん、正直あまり…帰りのバスで寝ようと思ってます」
「そうか、あまり無理するなよ、あのさ、実央…」
「はい?」
「母さんに何か聞かれたか?」
「何か?」
「その…実央の好みとか…」
「僕の好みですか?ええと…はい」
聞かれたのか!?
「何が好きかってお尋ねだったので、和食が一番好きかなって。好き嫌いはあまりないから洋食も中華も好きですけどね。あと果物は柑橘系とか。ああ、あまり辛すぎるのは苦手だってお答えしました。ピリ辛くらいなら大丈夫ですけど」
「…そうか…」
「好きな野菜とかもお答えしたら、また送って下さるって。催促したみたいになっちゃったかな」
「…何か嫌な事言われてないか?」
「いやな事…別にないですよ。料理の仕方でこうした方がいいとか、これはやめた方がいいとかは教わりましたけど」
(…良好な嫁姑関係…)
「そうか、変なこと聞いて悪かったな、今日は予定通り帰れそうか」
「はい、美味しそうなものがあったらお土産に買って帰りますね、じゃあ」
電話を切った途端、姉さんの声が響いてきた。
「オハヨー、なに、朝からラブコール?」
大あくびをしながら聞いてくる。
「姉さん、今日休みなんだろ、後片付けくらいしてってくれよ」
「えー、よその台所使いにくいしー」
自分の家の台所だって滅多に立たないだろうが。冷蔵庫は勝手に漁ったくせに。
「篤紀、あんたが洗いなさいよ」
まだ眠っている篤紀を姉さんが叩き起こす。
「いてえよ、あまり乱暴だと嫁の貰い手なくなるぞ」
「結婚する気がないからいいんです。そもそも「貰い手」って何よ、失礼ね。昭和のオヤジみたいなこと言ってるんじゃないわよ」
(ああ、もう早くこの喧騒から逃れたい、実央に会いたい…)
そう思いながら、食器を洗う俺だった。母さんのことも気になったが、まずは指輪だ。指輪を贈らないと…
アドバイス
「指輪を渡したい!?」
「ああ」
俺は結局岩城に相談することにした。岩城は俺の同期で今部署は別だが、2年ちょっと営業部で一緒だった。岩城は女性とは軽めに付き合っているようだが、俺よりは場数を踏んでいるだろう。金曜日の夜時間を作って居酒屋に付き合ってもらうことにした。
「岩城は特定の女性と付き合ったことはあるのか?」
「…あるけど…」
「長続きしなかったのか?」
「…ちょっとした事で怒るから煩わしくて」
「例えば?」
「…他の女と遊びに行ったとか…」
「それは怒るだろう。指輪とか贈ったりした?」
「贈るわけないだろう、アクセサリー系は重めに捉えられるし、まして指輪なんか贈ったらプロポーズって解釈されちまう」
「そうか…俺は重めに捉えられるのは構わないけど」
「…普通に家で渡すのはダメなのか?」
「家かあ、まあそうだよなあ。ただ過去2回、実家に実央の両親が来てくれた時の雰囲気が悪くて…なんか仕切り直しできないかと思って」
「お母さんは大丈夫そうなのか?」
「最近はだいぶ柔らかくはなってるんだよ、姉さんはまだ怪しいって言うんだけどさ」
「なら外で食事会みたいなのにしたらどうだ?外の店ならお母さんもそんなに変な態度は取らないだろうし…まあ欠席って場合もあるけど」
「外で食事会か…そうだ、それなら岩城も来てくれよ」
「えっ、俺も?」
「そう、立会人になってくれよ、指輪渡す時に。お前見た目もいいし」
程よく酔いが回って気分が良くなっていた俺は、そんな事を言ってみた。
「…立会人…」
「うん、そうだ、大野さんと山下さんにも来てもらおうかな」
大野さん・山下さんは営業部でお世話になった先輩である。
「大野さんと山下さんも…」
その時岩城が何か閃いたような表情を見せた。
「俺ちょっといい店紹介できるかも、食事会するとしたらいつ頃だ?」
「まだ何も決めていないけれど…今からだと早くても実央が夏休みに入ってからだろうな。夏休みも結構出勤日はあるみたいだけれど、時間は取りやすいと思う」
「じゃあ7月か8月だな、ちょっとペンディングにしておいてくれ。お前も家族への根回し忘れるなよ」
「ああ、あまり改まらないで普通な感じでいいからな」
「わかった」
やっぱりこういう時岩城は頼りになるな。持つべきものは友達だ。(※ちょっとかわいそうだけど)
俺は両親が不在の日に一人で実家に行き、姉さんと篤紀に食事会の事を先に伝えておいた。それとなく両親の様子を窺ってもらうためだ。父さんの方は問題ないだろうが、やはり母さんの反応は気になる。
「あまり早めに伝えない方がいいんじゃないの?何かジャマしてくるかもよ?」
「まあまだ日程も場所も決まっていないから、少なくともそこが定まってからだな。もし父さんや母さんに旅行の予定が入ったりしたら、すぐに教えてくれよ。母さんは嫌なら無理に出席しなくていいし。実央のご両親には俺が事前に了解をもらっておく」
「実央君には話したのよね」
「…まだ…」
「えっ、花嫁に何も言ってないの?」
「花嫁って…ドレス着るわけじゃないんだから、俺だって普通の格好にするつもりだし」(※花嫁とかドレスとか…実央を何だと…)
「ちゃんと了解取っておきなさいよ、それこそ学校の用事が入っちゃうわよ」
「わかってるよ、あ、指輪のことは黙っててくれよな、当日のサプライズだから」
「はいはい」
「あと篤紀、会社で余計な事ベラベラ喋るなよ、お前口軽いから」
「ヒドイ言われよう…」
「当日は岩城も来るからな」
「え、ほんと?いいじゃん。俺会社では兄貴とほとんど会わないけど、岩城さんとはよく会うよ」
「へー…」
「姉貴、その『へー』って何?」
「別に」(※腐女子の「へー」です)
後日俺は実央と一緒に明石家に報告に行った。その日はお父さんもゴルフには行かず、家にいてくれた。
「僕の実家では、2回もお父さん・お母さんにご不快な思いをさせてしまいました。そのことに関しては本当に申し訳なく思っています。仕切り直しと言うのも変かもしれませんが、改めて親睦の機会を作れたらと…」
俺は言葉を選んで説明した。結婚式みたいなことをするつもりはないが、そう受け取られるとまたお父さんが消極的になってしまうかもしれない(指輪は贈るけど)。
「不快だなんて…悪いことばかりでもなかったわよ(※腐女子的に)。暁人さんが実央のことを本当に思ってくれているって、よくわかったし」
実央のお母さん・実和子さんに言そうわれると、さすがに俺も照れてしまう。
「でも…その、暁人君のお母さんはどう思われているんだ?」
珍しく実央のお父さん・匠さんが聞いてきた。
「嫌なら無理に出席させるつもりはありません。また場が荒れても困ります。今回は同僚も2,3人呼ぼうと思っているので雰囲気を悪くしたくありませんから」
「でもお母さん最近は僕とも話してくれるようになったんだよ。今日持って来たお惣菜もお母さんに教わったんだ」
「まあ、静子さんが実央に?」
静子とは母さんの事だ。実和子さんも母さんの変化には驚いたようだ。そりゃそうだろう、今までが酷すぎたからな。(※この辺は『息子が彼氏を連れてきた!』『弟の恋の話』『Short stories』等をご参照下さい)
「4月に僕が熱を出した時、実央君と母が連絡を取ってから少し風向きが変わったようなんですが…姉に言わせるとまだ油断はできないって」
「綾乃さんらしいわね」
実和子さんはおかしそうに笑った。実和子さんと姉さんは知り合ってからずっと、不思議なくらい仲がいいのだ。(※腐女子の友だからね)
「私たちは喜んで出席させてもらうよ。費用面のことは明さんと相談してくれれば、うちも応援しよう」
明とは父さんの事だ。匠さんと父さんもありがたいことに仲がいい。匠さんにそう言ってもらって心の底からほっとした。
「ありがとうございます」
「暁人さん、私たちの前でも『実央君』じゃなくて『実央』でもいいのよ。実央はまだ『暁人さん』なのね」
実和子さんが俺たちをからかうように言ってくる。
「だって…」
「言ってやって下さいよ、お母さん。いつまでたっても実央はこの調子で…」
俺は実央の頭をポンと軽く叩いた。
「暁人さん、これは老婆心なんだけど…」
お母さんがちょっと表情を改めて話し始める。
「静子さん…お母様のお気持ちも大事にしてあげてね。決して無理強いしないように。同じ母親として静子さんの気持ちもよくわかるのよ」
「…わかりました。そうします。ご心配頂いてありがとうございます」
「あ、そうだ、親戚を一人呼んでもいいかしら」
実和子さんの突然の言葉に、俺は驚いた。
「ご親戚ですか」
「北海道にいる妹を呼びたいの」
「真知おばさん!?」
実央も驚いている。確か実和子さんの実家は北海道だったな。
「そう、いい機会だわ。真知は暁人さんと実央のことも知ってるわよ、すぐに話したから」
「そうだったの?」
実央も知らなかったらしい。明石家というかお母さんの実家?は寛容な人が多いな。
「わかりました。まだ時間はありますから決まったらお知らせ下さい」
その日俺は初めて明石家に泊まり、お父さんとも夕食・朝食を共にした。
その3明・静子SIDE
明の言い訳
「静子さんは最近柔らかくなったね」
ある休日自宅のリビングでお茶を飲みながら、私は結婚して30年になる妻にそう声を掛けた。
「私、そんなに固かったかしら」
「…」
そう返されて、返答に困った。
「暁人と実央君に優しくなったじゃないか」
「ああ、そのことですか」
暁人というのは私の2番目の子供で長男である。一番上は長女の綾乃、末っ子は次男の篤紀だ。篤紀は今年大学を卒業して暁人と同じ大室精密(株)に入社し、3人全員社会人になった。実央君とは暁人のパートナーで、男性である。
「別に優しくしているわけじゃありません、普通に接しているだけよ」
妻はそう言ったが、それでも大した進歩だと思う。
二人が付き合い始めたのは暁人が大学3年、実央君が1年の夏だという。秋には双方の家族に報告したらしい。私・広瀬明は商社に勤めているが、その当時アメリカに赴任中で、家のことはすべて妻に任せきりだった。
当然のことながら我が家では大騒ぎだったようだが、私はその年冬の休暇で一時帰国するまで全く知らなかった。同年夏にも帰国していたが、その時は何も知らされていなかったのである。暁人も色々迷っていたのかもしれない。
帰国の少し前に暁人から「相談したいことがある」とは言われていた。綾乃とも話したが「就職の事では」という話だった。帰国して年が明けた正月3日、大事なお客様が来るからと言われて家にいたが、その時訪れたのが明石実央君とご両親だったというわけである。
妻はてっきり綾乃が恋人を紹介するものと思い込んでいたらしい。妻はすでに実央君とお母さんの実和子さんとは会っていたようで、暁人との交際には猛反対しているという事だった。私ももちろん驚いた。息子が同性のパートナーを選ぶとは夢にも思っていなかった。親が言うのもなんだが、暁人は女性に好かれそうなタイプである。過去にはお付き合いした人もいたはずだ。ショックでなかったと言えば、噓になった。どう対応するのが正解なのか、冷静になろうとした。
アメリカでは同性愛自体は珍しい話ではない。同性婚も合法化されている。日本よりはオープンであると言えるかもしれないが、みんなが許容しているわけではない。アメリカは「自由の国」とは言われるが、実は「不自由の国」でもあると私は思っている。アメリカで暮らして、そう思うことが少なからずあったからだ。特に差別に関しては根強いものがある。私自身不快な思いをすることもあった。
移民問題がよく取り上げられるが、今のアメリカはかつての移民が作り上げた国である。色々な国の人々・様々な人種の、言葉は悪いが「寄せ集め」だ。こうした環境に慣れるのには時間もかかったが、日本にはない気楽さやおおらかさがあるのも事実だった。自分の職場にも同性のパートナーを持つ人がいたが、私は普通に接していた。それでも
(暁人の恋人が男性…)
その事実には正直困惑した。やはり家族の事となると、また別次元の問題になる。
「俺たち二人は真剣に交際している。将来のことも考えている」
暁人は落ち着いて話す。
「男同士で驚いただろうけれど、俺は真面目だ。できれば認めてほしいけれど、それが無理でも家族にはちゃんと知っていてほしい」
一時的な感情に浮かされているという感じではなかった。
「あの…先輩の相手として僕ではご不満だと思います。でも先輩を思う気持ちは誰にも負けないつもりです。たとえご理解頂けなくても…僕先輩のことは諦めません!」
実央君も可愛い顔に似合わずはっきりと、力強く言ってのけた。
「わかった」
私は一言そう言った。
もちろんその場がそれで収まった訳ではない。途中から篤紀が乱入して混乱したし、妻は怒って食事には参加しなかった。綾乃はどうやら初めから二人を応援しているらしく、実和子さんと仲が良いようだった。私もお父さんの匠さんとは気が合い、以来交流は続いている。(※『息子が彼氏を連れてきた!』参照)
交流が続いてはいるが、妻の心の壁は厚かった。妻はわりと良家のお嬢様育ちだから、同性同士の恋愛など以ての外だったのだろう。暁人が社会人になった年、無理やりお見合いの場を設けたこともあったらしい。その時はさすがに「いくら親でも強引にやり過ぎてはいけない」と妻を窘めたが、ずっと家を空けて妻に負担を掛けているという負い目もあった。
一昨年私が赴任を終えて帰国した直後にも揉め事があった。母親の態度に怒りが爆発した暁人が妻を殴ろうとしたのだ。その時は実央君が必死に暁人を止めて事なきを得たのだが…。何かある度に私は暁人と実央君の絆の強さを感じざるを得なかった。
(静子さんもそのことに気が付いてくれるといいのだが…)
母親として複雑な妻の感情は理解できるが、それでも子供たちには自分の信じた道を生きてほしかった。
お茶を飲みながら漠然とこれまでのことを思い返していたが、ふと我に返って妻に提案してみた。
「明石さんたちと改めて会う気はないかい、静子さん」
「…なんです、いきなり」
「実央君とも仲良くなったんだし、いいんじゃないか。静子さんもその方が気持ちも落ち着くだろう。静子さんの負担にならないように、みんなで外食するのもいいじゃないか」
4月に暁人が高熱を出した時、実央君と連絡を取り合ったことをきっかけに双方の距離が少し縮まったらしい。篤紀の就職祝いの時は実央君と一緒にキッチンに入ったり、家に泊まることを許したりしてだいぶ穏やかになったような気がしたのだ。
私としても妻に甘えてばかりいたことを反省し、5年間の穴埋めというわけではないが、少しでも家族関係が改善するための力になりたかった。
「考えておきます…綾乃にでも相談して下さいな」
拒否はしないらしい。前だったら「行きません」の一言で終わっていただろう。
「綾乃にも少し言ってやって下さいよ、自分の部屋はきれいにしているけれど、それ以外はさっぱりだし。私もいつまでも嫁に行かない娘の面倒を見るのは御免です、そろそろ30になるっていうのに…」
「ああ、言っておくよ」
私は思わず苦笑した。「女だから」とか「女のくせに」になどという言い方は、今時ハラスメントになってしまう。性別は抜きにしても、もう少しキッチン関係もできた方が先々自分のためになると思うのだが…。性格的には綾乃と妻は似ていると思っている。それなら良妻賢母の部分も少し似てほしかったなと、父親としては思うのだ。ああ、こういう言い方も娘にはダメ出しされるのかもしれないな。
静子の言い訳
絶対男同士の交際なんて認められないわ。LGBTQだか何だか知らないけれど、自分の子供の話になれば別に決まっているじゃない。それなのに長男の暁人ときたら、明石実央とかいう同性の恋人に夢中になって埒が明かないったら。広瀬家存亡の危機よ(※大げさ…)
せっかく恵まれた容姿に、優秀な頭で産んであげたのに(※静子さん、その発言はちょっと…)。少しばかり可愛い顔してるからって、結局は子供も産めない男じゃないの。一生可愛いままじゃないし、そのうち熱が冷めて我に返るかと思ったのに…。暁人ときたらますますあの子に入れ込んで…。長女の綾乃や次男の篤紀まで応援し始めるし。
それになんなの、あの実和子さんていう、相手のお母さん!聞けば息子さんは一人っ子だって言うじゃないの。うちどころじゃない、孫の誕生が絶望的なのよ。それなのに綾乃とやたらに気が合って、二人を後押しするなんて。同じ母親として理解に苦しむわ。
夫も夫よ。大手の商社勤務はありがたいけれど、アメリカ赴任になって家の事は私に丸投げ。夫が冬休みに帰国した時、私を騙して両家がうちで顔を合わせた事があった。夫が少しは子供に対して建設的な意見をしてくれるかと思ったのに、「わかった」ですって?「わかった」って何よ。一人だけいい子になって、理解のある父親を演じないでほしいわね。アメリカじゃ珍しくないって?私は日本に暮らす日本人なのよ!!自分はあちらのお父様と仲良くなって、帰国の度に二人で飲み歩いているし…。お気楽なのも大概にしてほしいわ!
静観していても状況は好転しなかった。それどころか就職した暁人は恋人との同居の準備までし始めた。
(これはマズイ…)
焦った私はお茶でご一緒している兼山さんにお願いし、暁人に相応しい素敵な女性を紹介して下さるようにお願いした。そう、お見合いの場を設けたのだ。お相手は聡明で美しく、学歴も申し分ない。こんな素晴らしい女性を前にすれば、暁人の心も動くはず…私はそう思ったのだが…
暁人の心は微動だにしなかった。それどころかお相手や兼山さんに同性の恋人がいる事を話してしまった。さらに—娘の綾乃がどこで嗅ぎ付けたか、見合いの席に乱入してきてぶち壊しにかかってきた。もちろん縁談がうまくいくはずもなく、私は赤っ恥をかかされた。お見合い相手の女性まで暁人のことを応援してくるし…。兼山さんが口の堅い方だったのはありがたかったが、きまりが悪かったのは言うまでもない。
綾乃と篤紀の会話で、暁人に同性の恋人がいる事が会社に知れ渡ったらしいことがわかったけれど、暁人の様子は何も変わらなかった。平然としていた。なぜ平気でいられるの?どんなにみんなが和気藹々とやっていても、私だけは認めない、認めたくない。私の父が生きていたら、なんと言ったことか。
一昨年夫のアメリカ赴任終了が決まり、秋に日本に帰国した。夫の態度は相変わらずで、子供たちが提案した帰国祝いと暁人の相手の就職内定祝いを兼ねて明石一家を招こうと言い出した。私は何もしなかった。小鉢の一つも用意しなかった。料理のできない綾乃が色々お取り寄せをしたようだった。
その席で私は暁人の相手の内定先を知った。都内の私立男子高校だという。
(男子校?)
思わず皮肉が口に出た。
「男子校ですって」
みんなが私の方を見たが、気にしない。
「あなたって本当に男の人が好きなのねえ」
両家が揃ったその場は水を打ったようにしんとなった。いい気味だわ。おめでたい気分なんて吹き飛べばいい。その時だった。暁人が黙って私の前に近付いてきた。その顔つきのあまりの凄まじさに、私は恐怖で固まってしまった。家族も皆動けずにいる。暁人の右腕がいきなり上がった。
(息子に殴られる!!)
その時暁人を止めたのは—恋人の…実央さんだった。
「ダメです、暁人さん!!」
小柄な彼が必死に暁人に縋り付く。
「お母さんを殴っちゃダメです、暁人さん!!」
私は金縛りにあったように身動きが取れなかったが、それでもなんとか体を動かして応接間から逃げ出してしまった…。寝室に逃げ込んだ私は息子に殴られそうになったショックで、心臓が踊り狂っているようだった。着ていた着物の帯を無意識で緩めていた。
年が明けて…いつ頃だったろう。綾乃がリビングにノートパソコンを持ち込んで
「これを観て」
と言って、私の方にモニターを向けてきた。何事かと思ったら、それはあの日の—暁人が私を殴ろうとした日の一部始終らしかった。私は顔を背けて席を立とうとした。
「動かないで、ちゃんと観て、逃げるのは許さない」
有無を言わさぬ綾乃の声色だった。私が部屋を出る前までは覚えている。改めて見ると暁人はすごい形相だし、どちらの家族も凍り付いている様子がよく分かった。
(こんなもの…よく撮っていたわね…)
暁人が私を殴ろうとした時、実央さんだけがまるで何かに操られたように暁人を止めようとしていた。いや、操られたわけじゃない。ごく自然な彼自身の行動だった。その後のことは私も知らない情景だった。暁人は呆然としていた。私を殴ろうとしたことに自身がショックを受けているようだった。暁人は実央さんの名前を何度も呼んで、ぼろぼろと泣き出した。そんな暁人を実央さんが優しく支えていた。暁人の泣き顔なんていつ以来だろう。子供の頃?いや、高校の時バレーボールの県大会準決勝で敗れた時だったかしら。
〈大丈夫ですよ、暁人さん〉
篤紀も実和子さんも泣いていた。多分綾乃も泣いていたのだろう。グズグズ言っている声が入っている。暁人は実央さんを抱きしめたまま泣き続ける。ようやく口を開いた夫が私のことを詫びていた。
〈暁人君〉
実央さんのお父様匠さんが暁人の名を呼び、深く頭を下げた。
〈来春から実央のこと、どうかよろしくお願いします〉
〈お父さん…ありがとうございます。実央君のこと絶対大切にします〉
暁人は泣きながら頭を下げていた。
「どう?」
動画が終わって綾乃が聞いてきた。私は何も答えなかった。口を開くと泣いてしまいそうだったから、唇を嚙むように固く閉じていた。
「これを観てもまだ反対するんなら、お母さんにつける薬はないわね」
綾乃はそう言うとパソコンを閉じて、リビングを出て行った。
その年の春暁人は実央さんと同居するため、家を出て行った。私は何も言わず黙って暁人を見送った。
綾乃と篤紀はしょっちゅう暁人の新居に出入りしているようだし、夫も2度ほど訪れたようだ。
「静子さんも一緒に行かないか?」
夫は誘ってくれたが、私は答えなかった。夫はため息をついて子供たちと出かけて行く。
(もう少ししつこく誘ってくれても…)
そうしたら私も行ってあげないこともないのに。
そういえば暁人が引っ越して間もない頃、1度だけ綾乃に煮物を持たせてやったことがあった。
「実央君、美味しいってすごく喜んでたよ。作り方教わりたいって。お母さんも行ったらよかったのに」
煮物はたくさん作り過ぎただけだし、私は暁人のために持たせたのよ。私は綾乃に返事をしなかった。
暁人が家を出て1年程経った4月の初め、朝早く電話が鳴った。
(こんな時間に誰かしら…)
「あ、暁人さんのお母さんですか、明石実央です、ご無沙汰しています。朝早くから申し訳ありません」
電話の相手は実央さんだった。
「すみません、実は暁人さんが熱を出してしまって…」
「暁人が?」
無視しようかと思ったが、思わず声が出てしまった。
「はい、僕がお休みできれば良かったんですが、今日学校の入学式でどうしても欠席できなくて…。暁人さん、熱が高くて関節が痛むらしいんです。病院に行くのもしんどいらしくて…何か暁人さんに合うお薬とかご存じですか?こういう時どうしたらいいか、教えて頂けると…」
暁人は体が丈夫な方だが、疲れやストレスがたまると熱を出すことがある。
「私が行くわ」
咄嗟にそう答えていた。
「本当ですか?ありがとうございます。住所は…」
「一応聞いているから大丈夫ですよ、途中からタクシーを使うわ」
「すみません、交通費は後でちゃんと…」
「そんなのいいから、カギは?どうやって入れるの?」
「鍵はポストに入れておきます。エントランスとポストの暗証番号は…あと管理人さんにも伝えておきますので、何かあったら聞いてみて下さい。よろしくお願いします」(※ホントは暗証番号を人に教えるのはあまりよろしくありません。お母さんだからお許しを)
私は急いで支度し、暁人の所へ向かった。
「実央…」
私が熱を確かめようと額に触れた時、暁人は苦しそうな息の下で彼の名前を呼んだ。少し笑みを浮かべている。ちょっとムカついたわね。
「まったく…せっかく母親が来てあげたっていうのに、他の名前を呼ぶなんて」
私の声で半分夢を見ていたような暁人は目が覚めたらしい。
「母さん!?」
暁人は私がいる事に驚いて起き上がろうとしたが、体が痛いのか上半身を少し動かした程度だった。
「母さん、なんでここに…」
「なんでって…呼ばれたからよ。鍵はポストに入れておきますって、暗証番号も教えてくれて」
「誰に…」
それには答えなかった。答えるまでもない。すでに実央さんがお粥を作ってあったので、それを温めて暁人の部屋に持って行った。私が持って来たおかずと梅干、そして実央さんの作り置き。暁人は美味しそうにそれを平らげた。食欲が戻ったようで安心した。暁人に合う市販薬を買ってきたので、それも飲ませた。
キッチンで洗い物をしていると、私に言われて下着と寝間着を着替えた暁人が、冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出して勢いよく飲み始めた。昔はよく麦茶を飲んでいたのに。
「お野菜…ちゃんと使ってるのね」
私は家族でドライブなどに行くと、道の駅や直売所から暁人の所によく野菜を送っていた。はっきり言って嫌がらせだった。男二人の所帯ではどうせ料理などしないだろう、野菜を送ったところで持て余して腐らせるしかないだろうと。
綾乃はそんな私の考えなどお見通しのようで、「保存がきく瓶詰のおかずやせめて果物にしてあげればいいのに」とよく言われた。まあ綾乃は自分が何も料理しないから、そう思うのかもしれない。でも今日ここへ来て、野菜がちゃんと使われていることを知った。作り置きのお惣菜、日持ちのするものは野菜室に、足の早いものは加熱して冷凍庫に保存されている。母親がそうしていたのを見ていたのだろう。食べ物だけじゃない、部屋の中もきちんと片付いていた。
「え、ああ…いつも送ってくれてありがとう。実央は食品ロスを嫌がるからね。食費が浮くっていつも感謝してるよ」
暁人が皮肉交じりに答えたことは、私にもわかった。私は暁人も篤紀も台所に立たせることはなかったから、全部実央さんがやったのね。
「そう…」
私はそれ以上何も言えなかった。息子は多分私がここへ来たことを喜んではいないだろう。私の手を実央さんの手と間違えて名前を呼んだ時の穏やかな顔に、私はどうしようもない敗北感を感じた。正直「なぜ男同士で」という気持ちは、まだ私の中に根強く残っている。でも暁人にとってはもう、そんな私の疑念など何の意味も持たないのだろう。
私はその日暁人が眠りについた後マンションを出た。暁人が体調を崩した時のアドバイスをメモに書き残して。
折れたわけじゃないわ。ただちょっと馬鹿らしくなっただけよ。私が反対すればするほど実央さんへの愛情を深くする、息子の反応に。暁人が回復した少し後に、うちで篤紀の入社祝いをすることになった。篤紀は小さい頃から暁人の後ろを追っていたが、会社まで同じにするなんて。
暁人も実央さんと二人でやってきて、初めてうちに泊まっていった。相変わらず綾乃は何も手伝わない。手伝わせても碌なことにはならないから、私ももう諦めている。実央さんの方がよほど使えるわ。私は実央さんから茗荷の甘酢漬けを教わったり、私も自分の得意料理を教えたりした。手つきの良さで、慣れていることはわかったわ。これからみっちり仕込んであげましょう。
暫くして夫が「明石さんたちと改めて会う気はないかい、静子さん」と言い出した。
「実央君とも仲良くなったんだし、いいんじゃないか。静子さんもその方が気持ちも落ち着くだろう。静子さんの負担にならないように、みんなで外食するのもいいじゃないか」
と言う。なんか今更断るのも面倒くさいわね。
「考えておきます…綾乃にでも相談して下さいな」
そう言っておいた。今までの両家の食事会は微妙な空気だったから、一回ちゃんと済ませておけばみんなも納得するでしょう(※誰のせいで微妙に…)。ええ、認めたわけじゃありません。あくまで様子を見ているだけですからね。
その4綾乃SIDE
綾乃の言い訳?
そろそろ梅雨入りしそうな土曜日の午後、自宅でくつろぐ私にお父さんが急に話を振ってきた。
「外で明石さんと食事会!?」
広瀬・明石両家の食事会に関してはあまりいい思い出がない…あ、いや、面白い思い出や感動的な思い出もあるんだけれどね(※どういう思い出…)。広瀬・明石というのはつまり、広瀬暁人・明石実央というカップルの家族ということだ。広瀬暁人は私の上の弟で、大学時代の後輩だった実央君と付き合い始めて丸5年、そろそろ6年目に突入というところである。
二人の間は概ね良好だったし、実央君の両親・私の父に下の弟篤紀・そして当然姉であるアタクシ綾乃もみんな二人の事を応援してきた。多分私が一番頑張っている。それと同じくらい実央君のお母さん・実和子さんも頑張っている。まあここは「腐女子」繋がりがあるから、多少?不純な動機がない訳でもないんだけれど…
ただうちのお母さんだけは別だった。男同士の交際に猛反対して、説得のしようもなかった。当初はそれも「仕方ないか」と思っていた。実和子さんみたいにすぐ受け入れられる方が珍しいだろうから、お母さんの反応もある程度は理解した。二人の熱々ぶりを見ていれば、そのうち認めてくれるのではという淡い期待も持っていた。
しかしお母さんは頑なだった。昭和の厳格な父親に育てられたお嬢様は、同性カップルを簡単には認めない。認めないどころか妨害工作まで仕掛けてきた(※『弟の恋の話』参照)。外で食事会なんかしてまた揉めたら、お店の人にも迷惑をかけてしまうじゃないの(※実体験あり)。
「それって…お母さんも参加するワケ?」
私はお父さんに聞いてみた。
「一応その方向で進めているよ、静子さんも『考えておく』って言ってたから、前向きな気持ちになっているんじゃないか」
「考えておく」…怪しいわね…素直に参加すると見せかけて、また何かやらかすつもりじゃないかしら。実央君好みの超カワイイ女子を連れてくるとか(※実央の女性の好みは今のところ誰も知りません)。
「お母さん、また何か企んでない?」
「企んでるって…」
お父さんは苦笑した。
「静子さんも最近は実央君と仲良くしているだろう、そんな心配はいらないかと…」
「甘いわ、お父さんは」
私は父の考えを一蹴した。
「お父さんがアメリカに行っている間のお母さんの態度ったら、そりゃあ酷かったのよ」
「まあ、大体のところは聞いてるけど…」
「私がどれだけ苦労したか」
「力になれなくてすまなかった」
お父さんは「まあまあ」といった手振りをする。
「綾乃や篤紀が二人のために色々頑張ってくれたことは、理解しているよ。でも静子さんの事は私が一番わかっている」
お父さんは断定形で言ってきた。
「確かに静子さんの言動は母親として褒められたものではなかっただろう。勝ち気で負けず嫌いだから素直に『ごめんなさい』と言えないのも事実だな。その辺は綾乃とよく似ているよ」
「…まあ、そうかもしれないけど…」
「綾乃だってなんだかんだ静子さんの世話になっているだろう、『母親だから』という事を抜きにしても。母親が子供の面倒を見て当たり前、なんて言うのはせいぜい高校くらいまでの話じゃないか?」
お父さんは話の角度を変えてきた。
「『女だから・男だから』なんて言い方がハラスメントになることは私も承知しているよ。うちでは暁人や篤紀が家事を免除されていたことも知っている」
「…」
「でもそれは綾乃が何もしなくていいという理由にはならないと思うんだが」
痛いところを突いてきたな…
「綾乃が家事を手伝った上で、弟たちにも手伝わせろというのならまだわかる。不公平だからね。でも綾乃は弟たちがしないからと、自分も家事をしてこなかったよね」
それはそう。手伝ったのは家族総出の年末の大掃除くらいだ。それも面倒な所はみんな暁人と篤紀に押し付けた。
「人に向き・不向きがあるのはわかる。向かないからと言って、何もやらなくていいという事でもない。でも静子さんは綾乃に家事を強要はしなかっただろう?」
完全に説教モードになってきた。「強要しなかった」というか私のあまりの雑さに匙を投げたというか、自分でやった方が確実だとお母さんは思ったのだろう。
「静子さんのおかげで綾乃はだいぶ快適に過ごせてたんじゃないか」
それもそう。多少の食費は入れていたけど家賃を考えたら安いものだし、お母さんは口うるさい所はあるけど慣れればどうってことないし。おかげで私は学生時代から現在に至るまで、好き勝手に腐女子生活を楽しめているというわけだ。
「静子さんの功績を考えて、多少は広い心で見てあげてほしいんだが」
なんだかんだ言って、お父さんはお母さんに甘い。習い事も好きにさせているし、着物を買ってもうるさく言わない。
「お母さんには感謝しているけれど、それとこれとは別よ。私にだって暁人や篤紀を守る義務があるわ!」
いや、そうか?自分で言って自分で突っ込んでしまった。暁人はともかく篤紀を守るシチュエーションは今のところない。
「実は…暁人の方でも食事会みたいな話が出てて…」
私は最近暁人と会ったときの話をお父さんにした。
混乱してます
「暁人たちも?」
お父さんは息子が偶然同じような事を考えていたので、少し驚いたようだった。暁人は実央君に指輪を渡すというイベントの延長線上に、食事会を置いているわけだけど。両家の関係の仕切り直しという点では、一致しているかもしれない。
「暁人はもう明石さんには話を通してるわよ、了解ももらってる。具体的に決まったらお父さんと費用面のことで相談したいって、匠さんが言ってたって」
匠さんというのは実央君のお父さん。お父さんは話がけっこう進んでいることに、さらに驚いていた。
「そうなのか、それなら早く言ってくれれば…」
「だからー、お母さんのことがあるから、話すタイミングが難しかったのよ」
そこに外出から帰ってきた篤紀が割り込んできた。ちなみにお母さんは今日、お茶かお花で出かけている。
「何々、食事会の話?日時や場所は決まったの?」
「まだよ、お父さんも同じような事考えてたんだって」
「へえー、ちょうどよかったじゃん」
ほんとにこいつは気楽でいいな。
「暁人は会社の人を2,3人呼ぶみたい。同期の岩城さん?とか言う人にいいお店のアテがあるらしいわ。知り合いの人が経営してるとかで。あー、私もアイミを呼んじゃおうかな。暁人も実央君も篤紀も面識あるし、二人の事ではなにかと世話になってるし」
「それ、いいね。あ、じゃあ俺も三松さん呼んじゃおうかな」
「三松さん?」
「うん、同じ研究室だった実央君より1コ上の先輩。今でも時々連絡取ってんの。兄貴と実央君のことも知ってるよ。あ、でも実央君は三松さんに知られていることを知らないか…」
なんだか話がややこしくなってきた。
「なんでその三松さんは暁人たちのことを知ってるのよ」
「ほら、いつか兄貴と俺で実央君のために箱根に同行したじゃん?それで俺と加賀さんがやり合ってたのを聞いてたんだって。兄貴も三松さんの事は覚えてるんじゃないかな。さすがに加賀さんは呼べねーよな」(※『兄貴の彼氏と俺の話』参照)
「すまん…話が全く見えないんだが…」
お父さんは困惑している。篤紀が途中から乱入してくるから、説明が難しくなった。
「加賀さんていうのは実央君の先輩で、ゲイで、実央君のことを狙ってて…」
「篤紀!今その話はいいから!」
えーと、まず何を説明したらいいのかしら。
「お父さん、箱根の件は一旦忘れてくれる?機会があったらゆっくり話すから。お母さんも知らないことだから、絶対確かめたりしないでね」
「…わかった。でも家族以外も来てくれるとなるとまるで結婚式…」
「暁人はそういう感じにはしたくないらしいの(指輪を渡すんだからもう結婚式でもいいと思うけど)。服装もスーツとかじゃなくてラフな感じで。気楽な食事会にしたいんだって」
「…1回暁人と話したい。色々確認してから話を進めないと。明日行っても構わないかな」
「それは…向こうに聞いてみないと(私先週行ったばかりなんだけど)」
「俺も行くー」
「3人で行ったら…お母さんはどうするのよ、連れてく訳にはいかないでしょ。反対しなかったとしても何かしら口を出してくるわよ、絶対」
「だけど静子さんをあからさまに仲間外れにするのは…」
「これ以上話をややこしくしたくないのよ」
仕方ないので時間差で3人出かける事にした。暁人は特に予定はなかったようだが、毎週末誰かが訪ねてくることにいい加減ウンザリしているようだった。
翌日私たちはバラバラに家を出て暁人のマンションに向かった。途中からのタクシー代はお父さんが持ってくれた。
「いらっしゃい、皆さん」
実央君が笑顔で迎えてくれる。癒される…と思ったら、横に立つ暁人は苦虫を嚙み潰したよう顔をしている。すみませんねえ、週末のイチャイチャタイムをジャマしちゃってー。でもみんなあなたたちのために足を運んでるって事を、忘れないようにね。暁人には電話でざっくりとお父さんの考えは伝えておいた。
「今、お茶入れますね。冷たい方がいいですか?」
「そうね、みんな冷たいのでいいわよ、これ、ケーキ買ってきたから」
「ありがとうございます、じゃあ紅茶の方がいいかな」
「食後のデザートだから、後でいいわよ」
「…ちょっと待て、またうちで食事していくのか?実央の負担を考えろよ」
「今日はお父さんというお財布があるじゃないの。それに実央君の負担て、あんたが手伝えばいいだけの話でしょ。なんで実央君の負担だって決めつけてんのよ、亭主関白気取ってるつもり?」
「〰〰〰〰」
私の正論?に暁人は返す言葉もない。
「まあまあ、とりあえず本題に入ろうか、暁人の方は何が決まってるのかな」
お父さんが間に入ってとりなした。
「お店は”le Soleil”っていうレストラン。これは食事会に呼ぼうと思っている、大野さんていう会社の先輩のお兄さんが経営しているんだけれど…」
なんかまたややこしい説明が始まった。
「俺も最近知ったんだけれど、このお兄さんがゲイで、その恋人がシェフなんだそうだ」
(!!なんですと!? ややこしくていいから、もっと詳しく!)
本題から外れて腐女子の興味心が先行してしまった。
「これを話す事に関しては了解をもらってるから。大野さんのお兄さんはサラリーマンをしていたんだけれど、ゲイを隠し続ける事に窮屈さを感じたみたいで」
「うんうん」
「なんか俺たちの話が追い風になったのか、会社を辞めて恋人とレストランを始めることにしたらしい。岩城はたまたま大野さんと話す機会があったらしくて、お兄さんのことも知っていたそうだ。あ、父さんは知らないか。岩城っていうのは俺の同期で、営業部で一緒だったやつ。今でも親しくしているよ」
「そうか、名前は聞いたかな」
「いいからレストランの続き」
「そのレストランは普段は普通に食事ができるけれど、貸し切りでパーティなんかもできるらしくて。同性異性問わず、カップルのイベントにも積極的に対応していきたいらしい」
いい話じゃないの。これはやはり是非ともアイミも呼ばないと。
「アイミも呼んでいい?」
「アイミさん?いいけれどなんで?」
「あんたは知らないけれど、けっこう助けてもらってるのよアイミには。ね、篤紀」
「そ、そうだね、俺も何度か会ってるし」
「そうなのか?」
あんたたちの知らないところで、力を貸してくれた人がいるんですよ。
「じゃあ俺もやっぱり三松さんを呼ぼう。久しぶりに会いたいし」
「三松さんて…研究室の三松さん!?どうして…」
さすがに実央君は驚いている。
「詳しいことは後で教えるけれど、三松さんは兄貴と実央君の事知ってるんだよ」
篤紀が事情を話す。
「えっ…」
「あ、俺が言ったわけじゃないからね」
「うん…じゃあ、加賀さんとかも来てもらった方がいいのかな」
実央君、それはちょっとあちら的にも不都合が…暁人、その顔やめなさい。加賀さんという実央君の先輩が彼を狙っていたことを暁人は知らないはずだが、なんとなく嫌なものを感じていたのだろう。恋する男のカンでやつだ。
「あー、実央君、加賀さんは二人の関係は知らないから(知ってるけど)」
一応篤紀が実央君を止める。
「あ、そうだね、でも僕も三松さんに会えるのはうれしいな」
「来てもらう人には贈り物とかそういうの、一切気にしないように伝えてくれるか。会費制にするつもりもないし」
「まあ費用のことは私と匠さんも応援するから、心配するな」
お父さんが助けてくれるなら、安心ね。
「ありがとう、助かるよ、父さん」
「ありがとうございます、僕たちのために」
立ち上がった実央君が、恐縮して深々と頭を下げた。
「ところで実央君は呼びたい人誰かいないの?友達とか」
出前で頼んだお寿司を食べながら、篤紀が実央君に聞いた。
「北海道にいる叔母さんが来てくれるそうです。母の妹に当たる人ですけど、僕たちの事も知っているそうで。友達…はいるけど、僕たちの事話していないです。同窓会とかは行っているから、仲のいい子と付き合いは続いてるんだけど」
「仲のいい子…」
また暁人が変な所に引っかかり始めた。
「仲のいい子くらいいるでしょうよ、暁人にだっているでしょう?」
「いるけど、学生時代の連中は会社に入ってからは遠のいちゃったし、年賀状くらいで」
はいはい、実央君に夢中で他に振り向ける余力がないのよね。私はちょっと暁人をからかってみた。
「実央君、幼稚園の時の彼氏君は?」
「幼稚園の時の彼氏!?」
実央君より早く暁人の方が反応した。
「そうそう、実和子さんに聞いちゃったんだ、入園式の時実央君を男の子だと知って『実央ちゃんとケッコンできない〰』って、大泣きした子がいたんだって」
「ああ…そういえば、そんな事があったような…でも隣でわんわん泣いていた子がいたことくらいしか覚えていなくて、理由までは…」
「『ケッコン』って…」
「暁人、5歳児の言葉にそこまでショック受けないでくれる?」
「実央君て子供の頃から『魔性の男』だったんだー」
酔った篤紀が私の横でケラケラと笑った。
「なんだよ、『魔性の男』って!」
暁人は篤紀に詰め寄ったが、その『魔性』に一番やられてんのはあんたでしょ。
「静子さんに似たんだな」
お父さんが唐突にポツリと言った。
「え、なに?」
私が聞き返すと
「暁人のやきもち焼きや嫉妬深いところは静子さん似だなってことだよ。静子さんも若い頃はそりゃあ大変でねえ…」
お父さんは昔を懐かしむように、そう話した。
「「ぶっ」」
図らずも私と篤紀が同時に吹き出した。暁人のやきもちや嫉妬がお母さん譲りだったとはねー。
「魔性の男って…何?」
実央君は一人だけ、理解の外にいるようだった。
その他の諸問題
「と、なると後はやっぱりお母さんの問題か」
私は結局一番の難題に向き合うことにした。何かやらかすとしたらお母さんしかいない。
「静子さんの事は私に任せてくれないか」
お父さんが一同を見てそう言った。
「私が食事会の話を振った時、静子さんは『考えておきます、綾乃に相談して下さい』と言ったんだ。以前だったら即却下だっただろう。素直に『行きます』と言えないからこんな言い方になったんだと思う。実央君とも仲良くなったようだし、何かを企むなんて事はしないだろう。みんなの心配もわかるが、ここは私を信じてほしい。私が責任を持つ。もしみんなや他のお客様・お店に迷惑をかけるような事があったら、私がつまみ出す」
私たち姉兄弟は黙って聞いていた。
「お母さん、僕によくしてくれますよ、ラ〇ンやメールでお料理や家事の事を教えて下さるし」
「えっ、実央君とラ〇ン!?」
驚いた篤紀が声を上げた。
「ラ〇ンなんて、俺ともろくにしないくせに…」
「俺なんてしたことない…」
暁人が衝撃を受けている(※大げさです)。
「そうなんですか?僕、暁人さんに言ってませんでしたか?」
「聞いてなかった…」
元気出せ暁人、嫁姑関係が良好なのはいいことでしょう?一応お母さんの事はお父さんに任せるという事で落ち着いた。
「俺、何着てこうかなー、新しい服買っちゃおうかなー」
篤紀がのんきにスマホでネットショップを検索している。暁人と実央君はお茶を飲む前にキッチンでいったん後片付けをしているし、お父さんはテレビをつけたままソファで居眠りしている。
「あんたさあ、ユカちゃんはどうしたのよ」
私は篤紀が大学で付き合っていた彼女の事を聞いてみた。
「…唯ちゃんな、まあひとまず恋人関係は解消したというか…。唯ちゃん地元の宮崎で就職したし、一人娘だしさ。遠距離で交際続行ってのもお互い現実的じゃなくて」
「なんかサバサバしてるわね、たいして好きでもなかったんじゃないの」
「そんなことないけどさ…まあ俺が告られて付き合い始めたし」
「そのノリの軽さですぐ次の彼女ができるんじゃないの。それよりどう説明すんのよ実央君に」
「説明って…」
「なんで三松さんが二人の事を知っているのか、後で説明するって言ってなかった?」
「…言ったね」
「それって加賀さんがゲイでかつ実央君が好きで、実央君を守るあんたが彼とバチバチやり合ったって説明しなきゃじゃないの?」
「…そうだね…」
篤紀は一気に酔いが醒めて青くなった。バカな篤紀にもわかるだろう。私が今言ったことを、実央君にそのまま話すわけにはいかないってことは。
「三松さんに頼むしかないんじゃないの。そもそも彼女の意思確認もできていないでしょ?顔見知りの少ない家のパーティーに参加するのなんて、イヤかもしれないじゃない。タダ飯タダ酒が味わえるにしてもね。あんたが舞い上がってるだけじゃ、どうしようもないでしょうが」
「別に舞い上がってるわけじゃ…」
「まあ彼女の事は実央君も喜んでるみたいだから、まず三松さんにお伺いを立てなさい。決して無理強いはしないようにね。それで参加して下さるなら、彼女の知恵を借りなさい。あんたが知恵を絞るより、その方が確実そうだわ」
正直私も興味があった。その人は多分腐女子ではないだろう。もし腐女子だったら、暁人と実央君の事をもっとぐいぐい聞いてくるはずだ(※それは人によるのでは…)。そういう女性が二人の事を知って、どう思ったのか。篤紀が話す感じでは、彼女に拒否反応とかはなかったと想像できる。
「ケーキとお茶にしましょうか」
その時実央君がキッチンから紅茶の支度をして戻ってきた。
「お父さん、ケーキ食べるよ、いらないなら私が食べるけど?」
「ん、ああ…気持ちが良くて転寝してしまったな…食べるよ」
お父さんはソファからリビングに移動した。
「わあ、美味しそうですね。どれにしようかな」
「実央君好きなの選んでいいよ」
「なんで篤紀が仕切ってんのよ、買ったのは私よ」
ワイワイやりながらみんなでお茶を楽しんだ。
「篤紀、前も言ったけれど会社の人には絶対今回のことは漏らすなよ。呼ぶのは岩城と大野さん・山下さんだけ。俺と実央のことは社内に知られているけれど、色々聞かれるのも面倒だから。今の職場にも特に知らせるつもりもないし」
「…ダイジョウブデスヨ…」
篤紀の目が泳いで、言葉がたどたどしい。あ、こいつなんかやらかしてるわね。
「それともう一つ、うちをホテル代わりにするのは勘弁してくれ」
暁人は心底忌々しいという表情で、篤紀に言った。
「ホテル代わり?」
お父さんが暁人に確かめた。
「こいつ、うちが会社から近いからって残業や飲み会で帰りが遅くなった時、いきなり『泊めてくれ』って来るんだよ。ソファでいいから寝かせてくれって。いつの間にか着替えまで置いてあるよな」
「いやー、だってラクなんだもん…」
「ハタチ過ぎてる男が『だもん』とか言うな、気色悪い!」
暁人は相当ご立腹のようである。そりゃそうでしょう、「夜遅く」「いきなり」なんて。
「篤紀―、あんた空気読みなさいよ。『夜遅くにいきなり』訪ねたら、出るに出られない時だってあるじゃない?」
私は探るような感じで、篤紀に注意をした。
「あーそれ、実はあったんだよね。なかなか応答してくれなくて、兄貴が慌てた様子で出てきたらシャツは裏返ってるし、実央君はなかなか出てこないし…」
ほーほー、なるほど♡
暁人は怒りのあまり戦慄いてるし、実央君はフォークを口に含んだまま下を向いて真っ赤になっている。
「せめて事前連絡くらいしなさいよ、いくらお兄ちゃん夫婦の家だからって…」
私なりに場を収めようとしたが、
「事前連絡もらってもお断りだ!お前はもう2度とうちに来るな!置きっぱなしの衣類も今日持ち帰れ!」
暁人は怒り心頭に発するといった体で、手が付けられない。
「お父さん、なんか言ってやってよ」
私が仕方なく年長者に振ると
「どっちに?」
と、お父さんは聞き返してきた。
「どっちにって…」
「姉さんもだぞ!そもそもうちに来る回数が多すぎるんだ。俺たちがここに越してから何回来たのか数えてみろ!この間なんか二人してうちに泊まりこんで…」
「えっ、二人でうちに泊まったんですか?いつ?どの部屋で?」
暁人のバカがうっかり口を滑らせたので、さすがに実央君が気にして聞いてきた。
「…実央がオリエンテーリングで外泊した時に…姉さんは俺の部屋で寝たし、篤紀はソファを使わせた。俺が実央の部屋で寝かせてもらって…」
暁人は少し恥ずかしくなったのか、トーンダウンして実央君に説明した。なに二人で赤くなって、もじもじしてんのよ。どっちの部屋を使ってんのかなあ。暁人が実央君のベッドに潜り込む姿しか想像できないんだが?(※お姉様…)
「まあ、暁人、とにかく日程を先に決めなさい。そうしないと来てもらう人も困るだろうから。静子さんもあれでなかなか忙しい人だし、早めに伝えておかないと」
お父さんは強引に話を本筋に戻して、場を落ち着かせた。年長者の貫禄ってやつ?
「わかったよ…」
「人数の増減はお店にご迷惑のないよう、その都度お知らせするんだぞ」
「ああ…」
暁人はまだ何か言いたげだったが、とりあえず矛を収めたらしい。
「それにしても二人が多くの人に理解され支えられているようで、安心したしすごく嬉しい、いや誇らしいよ。きっと静子さんにも何か伝わってくれるだろう」
お父さんは満足げに暁人と実央君にそう言っていた。
その日の晩、お父さんはお母さんに食事会の事を報告した。細かい部分は決まっていないので場所と概要だけだ。レストランのオーナーカップルの話は省いておいた。また何を言い出すか、わからないからね。
暁人はラフな格好でと言っていたが、時々BLで見かけるウェディングシーン…二人で白のタキシードを着たり、何なら羽織袴でも…そんなのもいいのになと私は勝手に楽しい想像を膨らませてしまうのだった。
終わり
*おまけ 実央の諸問題
「明石先生、ご機嫌な様子ですね、何かいい事がありましたか?」
6月のある日、僕は学校の廊下で金谷先生に声を掛けられた。ここは三輪春学園という私立の男子校、僕の職場だ。
「あ、金谷先生、お疲れ様です。ええと…1-Cの中間テストの成績が良かったんです。それに体育祭に向けてみんな頑張ってくれているので」
僕は咄嗟にそう答えた。嘘じゃないけれど、「ご機嫌」と言われた理由は別にある。
「体育祭、楽しみですね」
僕はそう言って頭を下げ、金谷先生と別れた。
(まだ少しドキドキするな…)
実は今年の春休み、僕は金谷先生に告白されてしまった。もちろん僕はお断りをした。僕には広瀬暁人さんという、2つ年上の恋人がいるからだ。現在暁人さんと僕は一緒に暮らしている。今年の夏で丸5年、6年目に突入だ。
今年の夏休みには暁人さんと僕の家族広瀬・明石両家の食事会をレストランで開き、他のお客様も何人かお呼びすることになった。そのことを考えていたから「ご機嫌」が顔に出ていたのだろう。金谷先生は僕が暁人さんと付き合っていることを知っているが、さすがにこれは言えない。告白されてから暫くは、普通に振る舞うのも難しかった。
昨年度僕は2年B組の副担任で、金谷先生が担任だった。なんか初対面の時から金谷先生は僕の事を…す…好きみたいに言っていたけれど、本当だろうか。僕はゲイではないし、職場では暁人さんとのことも話していない。金谷先生は文化祭でここを訪れた暁人さんの様子で気付いたという。
暁人さんは暁人さんで…その、僕が一度だけ金谷先生に抱きしめられた時の匂いに気が付いたらしい。なんでみんなそんなに勘がいいんだろう。僕が鈍すぎるのだろうか。
次の日の放課後、職員室の僕のデスクに学園長と教頭先生がやって来た。
(なんだろう?)
「明石先生、ちょっといいですか。実は困ったことが…」
教頭先生にそう言われ、僕は事情も分からず学園長の部屋に一緒に来るよう指示された。
(困ったことって…僕何か失敗したんだろうか?)
不安な気持ちで体が硬くなった。
「待って下さい、自分も同席します」
金谷先生が僕を庇うように割って入った。
「いや、金谷先生は…」
教頭先生が言い終わる前に
「俺は今年生徒指導の担当です。同席を許して下さい」
金谷先生が学園長に向かって訴えた。
「…わかりました、では一緒に…」
学園長が許可をし、4人で部屋に入ることになった。一体何事が起ったのかわからないまま僕は一番後ろに付いて行った。
「大丈夫です、俺が絶対明石先生を守ります」
金谷先生が小声で僕にそう言った。
(「守る」って…一体何が…)
学園長室に入るとそこには遠藤先生が座っていた。部屋には学園長専用のデスクが正面にあって、手前に少人数の応接ができるようにテーブルとソファが置かれている。遠藤先生が座っていたのはソファ席で、テーブルを挟んで向かいに生徒と…お母さんかな、二人が座っていた。母親らしき人は僕の姿を見ると、明らかに怖い顔で睨んでくる。
(名前はわからないけれどネクタイの色は2年生だな。授業は受け持っていなかったと思うけれど…)
生徒の向かいに学園長と遠藤先生と僕が座った。テーブルの開いたところに椅子を置いて、教頭先生と金谷先生が座った。
「こちらが明石実央先生、こちらは生徒指導の金谷先生です」
「なんで生徒指導の先生まで…」
母親と思われる女性が言いかけたが、学園長はそれには答えなかった。
「明石先生、金谷先生、こちらは2年D組の常田君とそのお母さんです。2-Dの担任が遠藤先生です。常田さん、先程の写真をもう一度出して下さい」
(写真?この生徒は常田君ていうのか)
学園長に言われてお母さんがスマホをこちらに向けてきた。
(えっ…)
写真のアプリと思われるその画面には、僕の姿が一面に並んでいた。
「失礼します」
金谷先生がスマホを取り上げてスクロールすると、写真は次から次へと表示された。僕は背筋が寒くなるのを感じてしまった。
「これは…明らかに盗撮じゃないですか」
金谷先生がそう言うと
「盗撮ですって!?」
お母さんはすごい顔で金谷先生を睨みつける。
「盗撮でなかったら何なんです、明石先生は撮影されることを許可したんですか」
「いえ…」
写真はほとんど校内で撮られたものだったが、一部駅周辺と思われるものも見受けられた。常田君はずっと横を向いたままだった。
「これがなぜ明石先生へのクレームになるんです」
金谷先生がお母さんに向かって問いかける。
「息子がこんな写真を撮ったのは、その先生が息子を誘惑したからでしょう!?そうでなければ息子が…京一がこんな写真撮るはずないんです!」
(誘惑…!?僕が…?)
あんまりな言いがかりに、僕は咄嗟に言葉が出てこなかった。
「僕は誘惑なんかしていません」
冷静になろうと自分に言い聞かせて、はっきり否定した。
「そんなはずないわ」
「申し訳ありませんが、常田君の名前は今日初めて知りました。僕は今年1年生の担任です。2年生の授業も受け持っていますが、2年D組は担当していません」
「関係ないわ、そんな事。息子に色目でも使ったんでしょう?男のくせにいやらしい」
一体どういう理屈なんだ。
「色目なんか使ったことはありません。登下校時に挨拶されればどの生徒にも同じように答えています」
「無茶苦茶だな」
金谷先生がそう言うと
「無茶苦茶ですって、ならなぜ京一がこんなに男の先生の写真を撮るんですか!?」
そんなの、僕が知りたいよ。
「常田さん」
学園長がおもむろに口を開いた。
「わが校では生徒にスマホの持ち込みを許していますが、使用に関しては厳格なルールを定めている、それはご存じですね」
「…」
「使用できるのは朝のホームルーム前と放課後、休み時間とお昼休みのみ。授業中はもちろん厳禁です。破れば即刻退室させています」
学園長は落ち着いて言葉を続ける。
「もちろん盗撮は厳禁です。これは学校内に限らず社会一般の常識ですね。もし個人の写真を撮る場合は必ず本人の許可を取ること、校内で撮影した写真は決してSNS等にあげないことを常日頃指導しています」
「…」
「お母さんは明石先生が常田君に色目を使ったとおっしゃいましたが、常田君がそう言ったのですか?」
「それは…」お母さんは口ごもる。
「常田君、どうだね」
学園長の問いかけに常田君はビクッとなったが
「言ってません…」
小さな声でそう答えた。すると
「息子は優しいから、本当のことが言えないだけなのよ!その先生を庇っているだけだわ、そうでなかったらなんで男の先生なんかに…」
そうお母さんがまくし立てた。
「ではこれが女の先生だったら、納得なさるんですか?」
「!?」
「異性だったら思春期の憧れで、淡い恋心もあるだろうからとスルーされるんですか」
普段は穏やかで優しい雰囲気の学園長が、別人のように厳しい口調と顔つきになった。
「常田さん、私には生徒たちを守ることはもちろん、職員たちも守る義務と責任があるんですよ。異性だろうが同性だろうが、こうした行為を見逃すことはできません」
「なんですの、その言い方!まるでこちらが悪いみたいな言われようじゃないの、こうなったら訴えます、教師が未成年を誘惑したって!」
訴えるって…僕は緊張というより、頭が混乱してパニックを起こしそうになった。でも学園長は落ち着いたままだった。
「どうぞご自由になさって下さい。こちらも学校専任の弁護士に対応を相談します。明石先生が常田君を誘惑したという証拠があるなら、ご提出下さい。迷惑にならない程度に他の生徒や教師に話を聞いて頂いても結構ですよ。入学時に保護者の方にもお知らせしてありますが、本校ではトラブルがあった場合には双方のやり取りを録音・撮影させて頂くことになっています」
お母さんの顔つきが一層険しくなった。
「今日のやり取りもそうさせて頂いていますし、そのスマホの中身も証拠としてこちらにも残させて頂きます。金谷先生」
「はい」
金谷先生が常田君のスマホを確認し、スマホ自体の写真も撮り始めた。
「ちょっと、プライバシーの侵害…」
お母さんは言いかけたが
「プライバシーを侵害されているのは明石先生の方です。常田君のスマホで関係のない部分には触れません」
金谷先生は毅然とそう言った。
「夫の会社には顧問弁護士がおります!しかるべき対応をさせて頂きますからね!」
「お母さん…もうやめて…」
常田君が弱々しい声でそう言った。
「常田君、君はなんでこんな事をしたんだね」
学園長が少し優しい声色に戻して常田君に聞いた。そうだ、一番肝心なところがわかっていない。
「…去年入学して…可愛い先生がいるなって。でも去年も今年も担任や副担任になってもらえなかったし、授業も受けられなくて…はじめは1,2枚だけのつもりだったんだけど、つい…」
担当に関しては僕が決める事ではないから、どうしようもない。いやそれにしても「可愛い」ってなに?
「京一!余計なこと喋るんじゃありません!これから帰って弁護士と相談します、失礼します!」
そう言うとお母さんは常田君の腕を引っ張って、後も見ずにドアをバタンと閉めて出て行った。
「話にならないな」
金谷先生が呆れたように言う。正直僕は放心状態だった。
「明石先生、こちらもちゃんとしかるべき対応をとりますから、先生はいつも通り授業を行って下さいね」
「はい…お願いします」
学園長の言葉に、僕はそう言うしかなかった。
学園長室を後にすると
「明石先生」
今まで何も話さなかった遠藤先生が声を掛けて来た。
「今回のことは災難だったとは思いますが、明石先生も少し気を付けられた方がいいのでは?」
「気を付ける…ですか?」
「先生にそのつもりがなくても優しくされたり笑顔を向けられれば、自分だけ特別かと勘違いする生徒も出てくるでしょうから」
「あ…」
僕が何か言わなくちゃと思った時、金谷先生が僕の前に立った。
「遠藤先生、今までダンマリを決めこんで部屋を出た途端それですか、ちょっと卑怯じゃないですか」
「卑怯?」
さすがに遠藤先生もむっとした様子だ。
「ご自分のクラスの生徒を守りたかったら、なぜ話し合いの場で何もおっしゃらなかったんですか。学園長の態度を見て、常田親子の肩を持つのは分が悪いと思ったからでしょう?明石先生はどの生徒に対しても真摯に分け隔てなく接しています。去年1年同じクラスを担当して、それはよくわかっているつもりです。後出しで明石先生への責任転嫁はやめて下さい」
「責任転嫁なんてつもりは…」
「常田君のことは担任である遠藤先生の監督不行き届きともいえるでしょう?」
「か、金谷先生…」
廊下での立ち話は誰が聞いているかもわからない。僕は二人を止めようとした。
「ちなみに俺のスマホのレコーダーはまだ生きてますから、今の会話も録音されていますよ」
「…っ、失礼する」
遠藤先生はそれだけ言って、職員室の方へと向かって行った。
「あまり気にしない方がいいです」
遠藤先生を見送りながら、金谷先生が言ってくれた。
「年に2,3人はああいう保護者がいます。子供が依怙贔屓されただの、指導が厳しすぎるだの、成績が上がらないのは教え方が悪いからだのと…もちろんこちらも改めるべきところは改めますが」
「はい…」
「俺も大声で注意しただけで、息子が怒鳴られたとクレームを受けたこともありました。大丈夫ですよ、明石先生は人気者だから。みんな明石先生の良さはわかっています」
「に、人気者…!?それは金谷先生のような…」
「行きましょう、戻って早く仕事を片付けないと、帰りが遅くなって怒られちゃいますよ」
怒られちゃうって…金谷先生は暁人さんと僕の事を知っているから…
「実央、どうした、ぼんやりして」
暁人さんの声でハッと我に返った。キッチンでまな板に包丁を置いたまましばらく動かなかったみたいだ。金谷先生は気にしなくていいと言ってくれたが、やっぱり自分にも何か問題があったのではないかと考え込んでいたのだ。
「疲れているなら無理に作らなくていい、冷蔵庫に作り置きがあっただろう?レトルトもあるし」(※自分が作るという選択肢はないのか?)
「ごめんなさい…」
「何かあったのか?」
暁人さんが優しく僕を抱き寄せた。
「大した事では…」
僕の髪を撫でる暁人さんの手の感触が心地よかった。
「…今日、暁人さんのお部屋で寝てもいいですか?」
つい口を衝いて出てしまった。二人で暮らし始めて、僕の方からこんなことを言ったのは初めてだった。僕はずるい。自分がちょっと辛いからって、暁人さんの優しさに甘えようとしている。暁人さんは少し驚いたようだったが、
「いいよ、おいで」
そう言ってキスをしてくれた。
暁人さんの寝顔を見ながら、僕はまた色々な事を考えてしまった。僕に隙があったのか。思えば盗撮騒ぎは去年の文化祭の時に続いて2度目だ。あの時は生徒の写真に紛れていたから、単純に生徒に間違えられたのかと思っていた。そういえば修学旅行の時も一般の宿泊者に声を掛けられた。あれも僕に油断があったから?男子校に就職して同性に2度も告白されたことも予想外だった。(※『実央先生とある腐男子の日常』参照。まあ予想はしないよね)
僕は決してモテるタイプじゃない。暁人さんみたいなイケメンじゃないし、地味で目立たないタイプだ。背も高い方じゃない。同性同士でも暁人さんとは不釣り合いな気がする。「可愛い」と言われても、子供の時ならともかく、大人の男の誉め言葉じゃない。
僕はこの前篤紀君に言われた言葉が引っ掛かっていた。
(「魔性の男」…)
篤紀君は暁人さんの弟でずっと親しくしていたから、お酒の上での冗談だとは思う。でも…。「魔性の女」という表現は僕も知っている。僕がそれの男版だとしたら、僕から良くない「気」みたいなものが出ているのだろうか。同性と付き合っていると何かそういう雰囲気が表に出て、周囲に伝わってしまうのだろうか。
僕は眠っている暁人さんの肩に顔を寄せた。
(今回の事で三輪春学園を辞めなきゃならなくなったら、暁人さんに負担がかかってしまう…明日空いた時間に転職情報サイトを見ようかな…)
数日後僕は金谷先生・遠藤先生と一緒に学園長室に呼ばれた。
(裁判とかになったらどうしよう…)
緊張して部屋に入ると、教頭先生もそこにいた。でも、なんだか笑顔だ。
「常田君のお父さんから正式な謝罪があった。妻と息子が大変申し訳ないことをしたと」
「えっ」
僕は思わず声に出してしまった。常田君のお父さんは会社を経営していて顧問弁護士も抱えていたから、お母さんはその弁護士に相談したという。でもそんな訴訟は無理だと言われたそうだ。むしろ常田さん側が訴えられる案件だとも言われたらしい。お父さんは弁護士から今回の件を聞いて、初めて事情を知ったという事だった。
「『妻も息子が男の先生の写真を撮り溜めていたので、ショックを受けたのだと思います。明石先生には改めて直接謝罪したい。慰謝料もお支払いしたい』ということでした」
学園長からそう言われて、僕はびっくりした。
「そんな…慰謝料なんて、僕いりません。写真を消してもらえたらそれで…。直接の謝罪もして頂かなくて大丈夫です」
「もちろん、写真は責任を持ってすべて削除すると約束して頂きました。明石先生、それで手打ちにしますか?」
「はい」
「遠藤先生・金谷先生もそれでよろしいですか?何か懸念点があるようなら、おっしゃって下さい」
学園長の言葉に
「明石先生がそれでいいとおっしゃるなら私は何も…。ただ改めてスマホの使用に関しては注意喚起をした方がいいと思います。体育祭も近いことですし」
金谷先生がそう意見を述べた。
「そうですね。遠藤先生、今回は表立って常田君に処分は下しません。反省しているようですし、停学処分ともなれば学校にいづらくなりますからね。ただ本人もまだ動揺していると思いますから、十分配慮してあげて下さい」
「はい…」
金谷先生が
「よかったですね」
と声を掛けてくれた。本当に良かった。これからも僕は三輪春学園にいられるようだし、常田君も早く元気になってほしいと思った。
「実央先生!」
学園長室を出て廊下を歩いていると、生徒に声を掛けられた。3年の沢田君と上杉君だ。
「こら、廊下は走らない」
「実央先生大丈夫?」
「え」
「最近やけにニコニコしてるなーと思ったら、急に元気がなくなって…何かあったのかと思ってさ」
沢田君は去年副担任を受け持ったクラスの生徒だが、不思議と僕がピンチの時は助けてくれる事が多かった。
「ありがとう、大丈夫だよ。受験勉強は進んでる?」
「んー、僕K大の経済学部を目指してるんだけど、まだ『B判定』なんだよね。上杉君は余裕で第1志望のS大『A判定』なんだけど。僕も頑張らないと。これから上杉君に勉強見てもらうんだ」
「余裕なんてないよ」
二人は笑顔で話している。
(K大の経済学部か…受かるといいな)
「二人とも頑張ってね。でも無理はしないように」
「うん、実央先生もね。じゃあ失礼します」
二人は一礼して去って行った。生徒にも気付かれるほど感情が表に出ていたのか…食事会の事で浮かれすぎてたな。気を引き締めないと。僕は教職の厳しさがまだまだ分かっていなかったんだ。
暁人さんには今回のことは黙っていよう。食事会の前に余計な心配はかけたくないし、一応解決したし。それにまた変に気を回すかもしれない。暁人さんのやきもち焼きはお母さん譲りらしいけれど、ちょっと気にし過ぎのきらいがある。
(遺伝なら仕方ないか…)
今夜は何か暁人さんの好きな物を作ろう。何がいいかな。スーパーの特売はなんだっけ。僕は夕飯の献立を考えながら、残業を片付けるため職員室へと向かって行った。
おしまい
お楽しみ頂けましたでしょうか?今回は初めて暁人の両親の心の内に触れてみました。親心も複雑ですね。両家の食事会については改めて描きたいと思っています。ショート・ストーリーもいくつか浮かんでいるのですが、このシリーズ長すぎですみません。作中に出てきた「茗荷の甘酢漬け」は我が家の作り方なので、正解かどうかはわかりません。




