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狙われるネギ鴨とシラサギ(詐欺)

掲載日:2026/04/07

狙われるネギ鴨とシラサギ(詐欺)


――春の河川敷、或いは欺瞞の代償


第一章:泥を啜る「白き死神」


春の陽光は、残酷なまでに無防備だった。


小川のせせらぎが銀色の鱗のように跳ね、

土手には菜の花が爆ぜたような黄色を撒き散らしている。


だが、その平和を一枚剥げば、

そこには「捕食」という名の血生臭い歯車が回っていた。


川辺の密集したあしの茂みに、その「異形」は潜んでいた。


本来ならば、雪の結晶を繋ぎ合わせたような

純白の毛並みを持つはずの猫、シロ。


しかし今の彼に、高貴な面影はない。


その顔面にはドブ川の黒泥と、

すり潰したヨモギの緑汁が幾何学模様に塗りたくられていた。


軍隊で言うところの「フェイスペイント」。

即ち、隠密行動用の迷彩である。


【猫の挙動:無音の匍匐ほふく


シロは前足を一歩出すごとに、

肉球にかかる荷重をミリ単位で調整していた。


まず外側の端を接地させ、ゆっくりと重心を移す。

枯れ葉一枚、小石一つ鳴らすことは許されない。


肘を外側に張り出し、

腹毛を地面に擦りつけるようにして移動するその姿は、

猫というよりは、獲物の息の根を止めるためだけに最適化された蛇に近い。


「(……クシュッ、……クシュンッ!)」


その時、春の悪戯か。

タンポポの綿毛が一本、シロの鼻先を掠めた。


鼻腔の奥に走る、強烈な電気信号。

くしゃみの予兆。

ハンターにとって、音は死を意味する。


【猫の挙動:くしゃみの封印】


シロは咄嗟に前足の甲を鼻腔に押し当てた。

顔面を獅子舞のように歪め、全身の筋肉を石のように硬直させる。


肺から漏れ出そうとする呼気を、

逆流させるようにして喉の奥で飲み込んだ。


涙目で痙攣しながら、彼はそのまま三十秒間、石像と化した。


「(……まだだ。まだ、ホシの『交付』が完了していない……)」


その眼光は、空腹に喘ぐ野良猫のそれとは決定的に異なっていた。

そこにあるのは、冷徹な法への執着――。


第二章:ネギと詐欺師の円舞曲ワルツ

シロが狙う「獲物」たちは、あまりに無知で、あまりに滑稽だった。


ターゲットの一羽、マガモの「カモ公」は、

今日も今日とて立派な泥付きの深谷ネギを背負っていた。


それも、高級な組紐で「背負い袋」のように固定されている。

文字通り、歩く鍋セット。


日本全土の食いしん坊が泣いて喜ぶ

「カモネギ」の完成形がそこにあった。


「いやあ、旦那。そのネギ、実に『立って』ますなあ。

 角度にして八十五度。まさにネギ界のエベレストだ」


カモに擦り寄るのは、全身の羽を白く膨らませたシラサギだった。


特筆すべきは、その胸元だ。

白い羽毛を無理やり染め抜いたのか、

おどろおどろしいフォントで**「詐欺」**という二文字が刻まれている。


自らの職業をこれほど誠実に、

かつ威圧的に宣伝する悪党が他にいるだろうか。


「まあねぇ。これがないと、どうも背中が寒くて。

 でも、最近は首筋がバキバキなんだよ。

 飛ぶ時も風の抵抗がすごくて、右に曲がっちゃうんだ」


カモは溜息をつき、自慢のネギを揺らした。


「でしょう! そこで旦那、ご提案があるんです。

 この最新式の『全宇宙共通・無限決済・徳積みゴールドカード』。

 これを見てください」


白鷺は翼の隙間から、プラスチックの破片を取り出した。

それはどこからどう見ても、

十数年前に有効期限が切れたスーパーのポイントカードであった。


「……これ、ただの板じゃないのかい?」


「おっと、旦那、見かけに騙されちゃいけない。

 これは『ナノ・テクノロジー』の結晶です。

 このカードを水面にピッとかざすだけで、

 上流から流れてくる魚がすべて旦那の胃袋に直行する」


「……」


「しかも暗証番号は不要。

 旦那の『人徳』で引き落とされる仕組みですから」


「人徳? 僕、そんなに貯まってるかな……」


「貯まってますとも!

 その立派なネギを背負い続ける忍耐力、それこそが徳の源泉だ。

 さあ、その重くて時代遅れのネギと、この未来の鍵を交換しましょう!」


第三章:捕食の瞬間、或いは法の行使

二羽のやり取りが最高潮に達し、

カモが「それもそうだなあ」と背中の組紐に嘴をかけたその瞬間。


草むらの中、シロの意識が沸騰した。


【猫の挙動:予備動作ウィグル


シロの後ろ足が、交互に細かく地面を蹴り始めた。

腰を左右に振り、

飛び出しの瞬間に地面を完璧にグリップするための最終調整。


瞳孔は限界まで見開き、世界から色が消え、

白鷺の細い首筋だけが赤く強調されて浮かび上がる。


「(――取引成立。即ち、既遂の瞬間だ!)」


【猫の挙動:爆発的跳躍】


シロの身体が、圧縮されたバネのように弾けた。

蘆の茂みを暴力的に掻き分け、迷彩色の影が春の空を切り裂く。


「ギ、ギャッ!? 殺されるっ!!」


白鷺が絶叫し、カードを放り出して飛び上がろうとする。

しかし、シロの運動神経は物理法則を嘲笑っていた。


空中で身体を捻り、白鷺の逃げ道を塞ぐ。

そして――。


「そこまでだッ! 泥棒鷺め!」


シロの鋭い前足が、白鷺の首を完璧なホールドで捉えた。

誰もが、鋭い牙がその喉笛を食い破るのを予感した。


だが、シロが動かしたのは牙ではなかった。


カチリ。


静寂を貫く、無機質な金属音。


白鷺の首に嵌まっていたのは、死の刻印ではなく、

警察官が所持する「特注小型手錠」であった。


エピローグ:汚名をそそいだ英雄

翌日の警察署グランド。


泥にまみれた「悪魔」の姿はどこにもなかった。


そこには、入念なグルーミングによって

真珠のような輝きを取り戻した、一匹の白猫が立っていた。


特注の紺色の制服に身を包み、階級章を誇らしげに掲げた彼は、

今やこの街の「正義」そのものだった。


「シロ巡査長! 君の変装捜査は、全国の警察動物の鑑である!」


署長の声が響き、シロの首に金色のメダルがかけられる。


【猫の挙動:警察官の矜持】


シロは一瞬、公衆の面前で

ペロリと前足を舐め、耳の後ろを二、三回こすった。


本能的な癖が出かけたが、すぐにハッと気づいたように姿勢を正し、

ビシッと敬礼を繰り出す。


そのギャップに、参列した観衆たちからは

「可愛い……」という悲鳴にも似た溜息が漏れた。


壇下の端には、縄で亀甲縛りにされた白鷺が、

己の胸に刻まれた「詐欺」の文字を呪うように地面を突いていた。


そして署内の池では、

相変わらずネギを背負ったカモが、のんきに泳いでいた。


「やっぱりネギは、重いけど美味いんだよね。ははは」


カモののんきな独り言を背に、シロは春の空を見上げた。


迷彩を落としたその視界には、

ただ一点の曇りもない青空が広がっていた。


(完)

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