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(仮)それって何?

「いい」って、なんだろう?

作者: 田中葵
掲載日:2025/10/14

第1話「『欲しい人材』という幻想」


 「うちはね、“欲しい人材”を明確にしています」


 そう言って、スーツの男は笑った。

 その笑顔には、何ひとつ悪意がなかった。むしろ親切だった。

 ただ、その笑顔の裏側にある「型」のようなものが、どうしても気になってしまった。


 ――“欲しい人材”とは、どんな人だろう。


 就活サイトの特集を開くと、同じような言葉が並んでいる。

 「主体的」「協調性」「柔軟性」「成長意欲」……

 どれも“いいこと”のようで、どれも“便利そう”だった。


 夏希は、カフェの窓際でその画面を見つめた。

 スマホの明かりに照らされて、コーヒーの表面がうすく揺れる。

 向かいに座る友人の奏が、ストローをくるくる回しながら言った。


 「“柔軟性”って、結局“相手に合わせられる人”って意味じゃない?」

 「まぁ、そうだよね」

 「“主体性”って、“こっちの望む方向で動ける人”ってことじゃない?」

 「……」


 二人は笑った。冗談のつもりだった。

 でも、その笑いが思いのほか、喉に引っかかった。


 会社説明会のスライドには、

 「私たちは人を大切にします」

 「若手にもチャンスがあります」

 「失敗を恐れずチャレンジを」

 と、やわらかいフォントで書かれていた。

 言葉のどれもが“いい”ように見えた。

 けれど、そこには「異論」「拒絶」「停滞」が一切存在しない世界が描かれていた。


 ――都合に合わせてくれる“いい人”しか、受け入れない世界。


 夏希は面接で、自分でも驚くほど“いい人”を演じていた。

 質問に対して即座にうなずき、求められた価値観を、自然な笑顔で返す。

 「御社の理念に深く共感しました」

 「どんな環境でも柔軟に吸収し、成長していきたいです」

 言葉が出るたび、何かが削れていく感覚があった。

 だが、面接官たちは満足そうに頷いた。


 「君みたいな人材を探してたんだよ」


 ――“欲しい人材”になれた瞬間だった。


 帰りの電車で、吊り革を握りながら、夏希は車窓に映る自分の顔を見た。

 「君みたいな人材」

 その言葉の響きが、どうにも心の奥で鈍く響く。

 “君みたいな”って、どんな?

 “人材”って、誰?


 反対側のシートに座る誰かが、小さな声で呟いた。

 「“人”じゃなくて、“材”なんだよな」


 たぶん、それは自分の心の声だった。

 夏希は目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。

 ほんの少しだけ、笑みが漏れた。

 「“欲しい人材”って、つまり“扱いやすい人”のことじゃない?」


 声に出してみた瞬間、

 不思議と、胸の奥に風が通った。




第二話:「『いい調子』だけモテてる(汗)」


 「やっほ〜! 今日もテンションいいね!」

 カメラの向こうで、コメントが光る。

 “いいね”の波が、スマホの画面いっぱいに広がっていく。


 莉央は、笑顔を崩さない。

 口角、声のトーン、瞬きのリズム。

 全部、練習して身につけた。


 “明るく”“ポジティブ”“元気をもらえる”

 ――それが彼女の「キャラ」だった。


 けれど、画面の外側では、コーヒーの湯気が静かに消えていく。

 朝から胃が重かった。

 昨夜、友人の配信仲間が急に活動をやめたのだ。

 「疲れた」

 その一言を最後に、SNSのアカウントも消えた。


 コメント欄には、誰も“それ”に触れなかった。

 「また復帰してくれるといいね!」

 「休むのも大事〜♪」

 ――“いい調子”を保つことが、最大の礼儀になっていた。


 配信が終わると、莉央は笑顔のまま、カメラをオフにした。

 モニターに映る自分の顔が、ふっと静まる。

 唇の端が下がるのを見て、思わずため息が出た。


 そのとき、スマホが震えた。

 「今日の配信もサイコー!」という通知。

 「莉央ちゃん、テンション落とさないでね!」

 ――優しい言葉。だけど、妙に重かった。


 “テンションを落とさないでね”

 つまり、“気分を乱さないでね”

 つまり、“私たちの『いい空気』を壊さないでね”


 そう読み取ってしまうのは、被害妄想だろうか。

 でも、誰も“暗い話”を望んでいないのは知っていた。


 画面の中では、“共感”よりも“共鳴”がモテる。

 “わかる”より“楽しい”が優先される。

 「ノリ」を外した瞬間、フォロワーは音もなく離れていく。

 キャンセルでも炎上でもなく――ただ、静かに。


 夜。

 ベッドの上で、莉央はスマホを伏せた。

 画面の明かりが消えると、部屋が少しだけ広くなった気がした。


 “いい調子”の自分を、いったん降ろす。

 深呼吸をして、ゆっくり目を閉じる。


 ――“いいね”が付くのは、“いい調子”だけ。


 私がわかってれば、いいんだ。

 この先“おかしなこと”に、させないから。




第三話:「『いい』よ。キミは“そのまま”で♪」


 春の光が、カーテン越しに差し込んでいた。

 ベッドの上で、美月はスマホを横に置いたまま、ぼんやりと天井を見ていた。

 昨日、恋人の陽介から届いたメッセージが、まだ画面に残っている。


 > 「ほんと、美月はそのままでいいよ(ニコッ)」


 やさしい言葉だった。

 いや、やさしすぎて、少し怖かった。


 “そのままでいい”という言葉には、

 「今のあなたが好き」という肯定と、

 「これ以上、変わらないで」という命令が、

 いつも、紙一重で並んでいる。


 陽介は悪気がない。

 いつも笑って、何でも受け入れてくれる。

 だけど、美月が何か新しいことを話そうとすると、

 ほんの一瞬だけ、空気が凍る。


 「え、それって前の美月っぽくないね」

 「なんか最近、変わった?」


 その一瞬の寂しそうな表情が、

 「戻ってきて」と言っているように見えた。


 美月は自分の髪の毛を指でいじりながら、

 鏡の中に映る自分を見つめる。

 柔らかいピンクのカーディガン。

 ふわふわの前髪。

 「ほんわり」「ゆるかわ」

 そう言われると、褒められたような気がした。


 でも最近、その言葉を聞くたびに、胸の奥がざわつく。


 ――“かわいい”って、誰にとって?

 ――“そのままでいい”って、いつまで?


 夜、カフェでひとりノートを広げた。

 書きかけの詩の断片が並ぶ。

 そこに、小さく書き足す。


 > 「変わることを、やさしく許せる世界でありたい」


 書いた瞬間、胸の奥で何かがほどけた。

 まるで、長いあいだ着ていた服を脱いだように。


 翌朝、美月は髪を少し切って出かけた。

 街の風が、首すじにあたる。

 いつもと同じ道なのに、光の見え方が違った。


 駅前で、陽介に会った。

 驚いた顔をした彼に、美月は笑って言った。


 「ねえ、“そのままでいい”って言葉、

  あれ、ちょっと返すね」


 「え?」


 「“そのまま”じゃなくても、いいよ」


 そう言って、彼の横をすり抜けた。

 春の風が、やわらかく吹いた。


 “いい”という言葉は、

 誰かを縛るものにも、誰かを解き放つものにもなる。


 そして今、美月はようやく知った。

 ――“いい”は、他人の評価じゃなく、自分の温度で決めていいのだ。






> 『いい』って、なんだろう?


それは、誰かの都合に合わせるためじゃなく、

自分の輪郭を静かに取り戻すための、

もうひとつの問いだった。

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