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      7.5日午後6時


 愛宕警察署で聴取をうけることになった。

 田所雅史の遺体が発見されたのは台東区らしく、本来なら愛宕署の管轄ではない。あくまでもダイニングバーの最寄り署いうことで、ここになったようだ。

 それもそのはず、バーで会った刑事は本庁捜査一課の人間だった。峰岸と離されて、取調室で話を聞かれた。

 ただし、ここは取調室なのか、とは質問していないから、声の反響からそう判断しただけだ。

「世良王海さん……田所雅史さんとの関係をお話しください」

「さきほど話したように、会ったことはありません」

 机の上に軽いものが置かれた。

「よく見てください。本当に、会ったことはないんですか?」

 どうやら、写真だったようだ。世良には意味のないものだ。

「ありません。知らないうちに顔を合わせたことぐらいあるかもしれませんが」

「どういう意味ですか?」

「声を聞かなければ、断定はできません」

 さらに意味が通じなかったようだ。

「さきほどから、あなたの言っていることがわからない……」

 そのとき、部屋にだれかが入ってきた。取調官に耳打ちをした。

 世良には一言一句、丸聞こえだった。

「あなたは、お仲間だったようですね」

 取調官の驚きは薄かった。それもそうだろう。警官をドロップアウトして探偵になるのは、それほどめずらしくもない。

「早期退職をされているそうですが、やめた理由は?」

 退職をしたことは記録されていても、その理由までの記載はないようだ。公安部の潜入捜査が絡んでいるので、データベースには載せられない。

 おおかたこの刑事は、なにかの不祥事をおこして辞表を書かされたと思っているだろう。

「怪我をしました」

「怪我? それで辞職したということですか?」

「はい」

「腰か膝でも痛めましたか?」

「まあ、そんなところです」

 報告に来た人間がもどっていった。

「もう一度、確認します。田所雅史さんとは、本当に会ったことはないんですか?」

「ありません」

「そうですか……では、あなたに依頼した方のお名前を教えていただけませんか?」

「守秘義務がありますので」

「これは、殺人事件なんですよ!」

 語気が荒くなった。

「依頼した女性は、その事件とは関係がありません」

 ストーカーという話は最初にしているから、女性ということは隠さなかった。

「どうして、そう言えるのですか?」

「アリバイがあります」

 死亡した時刻はわからないが、田所雅史が部屋に侵入しているところは確認している。すくなくとも、死亡したのはそのあとということになる。

 侵入時刻、沢口茜は音楽教室にいて、世良が国家安全部の女と話してから、彼女の部屋で会っている。それから彼女は音楽教室にもどっているから、殺害はできない。

 もしそれをこの刑事に話したとしても、音楽教室にはもどらずに、田所雅史と会っていたのではないか、と反論されるだろう。しかし、それでは時間が合わない。捜査員が職場まで聴取に来た時刻から逆算したら、田所雅史が殺害されたのは、茜の部屋に侵入したすぐあとのはずだ。

「そのアリバイを調べるためにも、依頼者のことを教えてください。令状をとって捜査してもいいんですよ? ですが、そんなことをしたら営業停止命令が出るかもしれないですね」

 刑事は脅すようなことを口にした。

 あきらかな矛盾がある。探偵業法においては、職業上知り得た秘密を漏らしてはいけない──というのがある。依頼人の素性がそれにあたるのかは微妙なところだが、この刑事は、秘密を漏らさなければ認可が取り消されるぞ、と主張している。が、探偵業法に照らし合わせれば、逆だ。ペラペラと依頼人のことをしゃべる探偵こそ廃業するべきだ。

「それは困りましたね……」

 そんなことを論議しても噛み合わないことはわかりきっていたので、世良は刑事の話に合わせてみた。

「そうでしょう。でしたら、その女性の名前を教えてください」

「たぶん、タイムリミットが過ぎたようです」

 世良は言った。

 この取調官に意味は通じない。

「は?」

「次の報告は、二つあります」

「報告?」

「またあなたに耳打ちする人がやって来るでしょう。一つは、私のかつての上司から横やりが入る。もう一つは、同期から身元を保証すると話がある」

「なに言ってんだ? さっきから、あんた、ヘンだぞ!」

 刑事の言葉づかいも変わってしまった。それぐらい、彼の理解を超えているのだ。

 すぐに入室する者があらわれた。

 耳打ち。

「な、なに? 公安部?」

 非常に困惑している。

「あ? まだあるのか? 桐野? 桐野って、あの桐野?」

 取調官は、報告を脳内で消化しようともがいている。

「あんた……ハムだったのか?」

 世良は、あえて返事をしなかった。坂本が、なにかしらの動きをするだろうと予想していた。彼らにとっては、世良がこんなところに閉じ込められているのは本意ではないはずだ。

「それと……桐野と同期って……」

 同じ捜査一課なのだから、桐野のことを知っていて当然だ。ただし、係はちがうようだ。桐野への親しさは感じない。

「失礼しますよ」

 その話題に出た当人が、取調室にやって来た。

「これはこれは、桐野さん」

 牽制するように、取調官が迎え入れた。

「世良は、元同僚です。犯罪にかかわっているはずがない」

「どうして、そう言い切れるんですか? 元警官が犯罪に手を染めることなんて、めずらしくもなんともない」

 桐野に対してライバル心があるようだ。言葉の端々に棘がある。

「この男には実績がある」

「実績?」

「六年間未解決だった誘拐事件を解決させました」

「誘拐事件……まさか、あの浅田家が関わっていたやつか?」

「そうです」

 日本政界を牛耳っていた浅田光次郎。その息子・光二が事件の背後には隠れていた。そして、それぞれの意をくむ公安が……。

「知ってるぞ……おれらのところまで詳しい話はおりてこないが、事件を解決した刑事は所轄のベテランで、いまではそれが評価されて本店の特命捜査対策室に呼ばれたって……」

 取調官の声には、どこか恐れのようなものがふくまれていた。

「それだけじゃない……そのベテランは、外部の人間に協力を求めていた。おれの聞いた話が本当だとしたら、その協力者は元警官で、いまでは探偵をしているという……」

 見えなくてもわかった。取調官に、ジッと顔を凝視されている。

「信じられないことに、その探偵は……眼が不自由だったはずだ……」

 この刑事の頭のなかで、その話の人物と眼の前の人物がつながったようだ。

「聴力だけで、糸口のまるでなかった事件を解決に導いた……それがあんただというのか!?」

「で、私への容疑は晴れましたか?」

「……そんなことより、本当に眼が見えないんですか?」

「これは、義眼です」

 そういう答え方をした。

 世良は、腰を浮かせた。

「いやいや……あなたがどういう人物なのかわかりましたが……容疑が完全に晴れたわけではないんですよ」

 刑事の口調が丁寧なものにもどっていた。

「あなたを疑っているわけではありません。その依頼者の女性からも話をうかがいたいだけなんです」

「何度も言いましたが、その女性はこの事件とは無関係です。田所雅史さんからストーカー行為をうけていたことも、さきほど知ったばかりなんです」

「しかしですね──」

 刑事がそう言いかけたとき、扉が勢いよく開けられた。

 じつは世良には、ドカドカと遠くから歩く足音が届いていた。そのときから連想してたとおりの声が、室内に響き渡った。

「世良王海さんをすぐに釈放してください!」

 騒々しい声だ。

 そもそも世良は逮捕されているわけではないから、釈放というのはまちがいだ。

「で、ですが……」

「ここの署長だ」

 小声で桐野が教えてくれた。

 取り調べをしていた刑事は桐野と同じ捜査一課なので、指揮系統はべつになる。とはいえ階級が上なので、命令をむげにもできない。刑事たちの困っている顔が、見えなくてもわかる。

「公安部長から、口添えがあったんです! 世良さんは、元公安部の優秀な捜査員だったというじゃないですか! そんな人物を疑うんじゃありません!」

「べ、べつに疑ってるわけでは……」

 坂本自らが姿をあらわすとは思っていなかったが、公安部長を動かしたということは、裏で大きなことが絡んでいる。

 中国国家安全部。

 公安。

 沢口茜の兄。

 ──それらが、すべて一つのものに収束されるのかは謎だが、想像だにできないなにかが背後に隠されている。

 では、ストーカーである田所雅史が殺害されたことは、偶然なのだろうか?

(いや)

 ちがうとみるべきだろう。公安や諜報組織が関係している以上、すべてのことがつながっていると想定しておいたほうがいい。

「世良?」

 桐野に声をかけられて、思考を中断させた。

「それで……私は、どうすればいいんですか?」

 世良はかぶりを振ってから、そう問いかけた。取調官、警察署長、どちらでもよかった。

「帰っていただいて結構です」

 最終的には、署長の判断が勝ったようだ。

 世良は、桐野とともに取調室を出た。

「手間をかけたな」

「気にするな」

「ところで、どこからおれが参考人になったことを知った?」

 可能性としては、峰岸が桐野の名前を出したか、坂本がそちらのほうにも手を回していたか……。

「いや、たまたまだ。一課長への報告を耳にした。課長が、おれとおまえのことを知っていたから教えてくれたんだ」

「いまは、在庁番か?」

「ああ、そんなものだ」

 桐野は、一課のなかでも特殊なポジションにいる。優秀なのは、だれの眼から見ても疑いようがないから、所属する係や班以外からも応援を求められる。

 最強の遊軍、と称されることもある。本人はそれを皮肉だと思っているようだが。

「かかえてる事件はないのか?」

「事件とはいえないが、長山さんからお願いされていることがある」

「長山さん?」

 懐かしい名前が出た。いや、あの事件からそう月日が経っているわけではない。それでも、あれ以来だから、だいぶむかしの出来事のように感じてしまうのだ。

「ハムがらみだ」

「公安?」

「そうだ、《おおやけ》だ」

 その呼び方は、あの男を思い出す。桐野もわざと口にしたようだ。

「世良、おまえのほうにも、そっちが裏にいるようだな。まさか、つながってるわけじゃあるまい?」

「さすがにそれはないだろう」

 長山は、特命捜査対策室にいる。つまり、過去にあった事件について捜査しているはずだ。

「王海さん!」

 峰岸の声がした。彼も解放されたようだ。

「で、これからどうする? おまえは、どんな難事件に巻き込まれてるんだ?」

「それを知ったら、おまえのほうも、また厄介事に巻き込まれるんだぞ」

「おもしれえじゃねえか」

 桐野は出世に興味がないから、面倒な事件であっても物怖じすることはない。

 世良にとっても、心強い協力者が必要だ。

「国家安全部が関係してる」

「なんだそれ? 中国の?」

「ああ」

 刑事部の人間が、普段かかわることのない人種だ。

「たしか、公安のようなものなんだよな?」

「そうだ」

 わかりづらいのが、中国にも公安部という機関があるのだが、中国ではそちらのほうが一般警察の役割をになう。

「その中国の公安が、この国でなにをしてるんだ?」

 その質問は、そもそもの前提がまちがっている。安全部は、普段からこの日本で動いている。中国の大使館員の何割かは、安全部の人間だ。もっとも、それは中国にかぎったことではない。アメリカもロシアも、自由主義陣営でも社会主義陣営でも、それはかわらない。とくに日本にはスパイ防止法がないぶん、気軽に活動することができる。

 極論をいえば、日本だってやっている。海外の情報を知りたければ、その国に常駐している人間に集めさせるのが基本だ。外交官こそが、最も身近な諜報員なのだ。実際に外務省には、国際情報統括官組織という部署があり、情報の収集を専門にあつかっている。

 ただし、そこにしろ、公安にしろ、内閣情報調査室にしろ、原則として日本の諜報組織は工作機能をもたない。あくまでも情報を集めるだけの機関だ。そこがCIAや国家安全部とはちがう。

「それはまだわからない。だが、おれの依頼人が関係しているらしい」

 正確には、その兄だが。

 世良は、いま知り得ていることを桐野に伝えた。矛盾しているようだが、これは情報漏洩にはあたらない。桐野は、一般的な警察官ではないからだ。こういう表現を本人が耳にすれば顔をしかめられるだろうが、桐野は刑事部というよりは、公安の人間に近い。

 刑事部は、犯罪をなにがなんでも摘発しようとするし、悪い言い方をすれば、融通がきかない。捜査のためなら、捜査対象者に対する配慮を二の次にする。

 それにくらべて、公安の人間は、融通という意味では、とてもおおらかだ。知り得たどの情報を上に報告するか、それとも黙殺するかは大部分、本人の裁量にまかされている。

 権力者に忖度するもよし、逆に失墜させるために謀略をはかるもよし。

 とはいえ、世良がそこまでの地位になることはなかった。そのまえに、眼を潰された。それこそ、あの坂本のような人間が、情報をもてあそぶことができる。

「その女性が危なくないか?」

「監視はされているだろうが、いまのところ危険はないはずだ」

「言い切れるか?」

 断言はできなかった。田所雅史が殺害されたからだ。もし田所がただのストーカーでなかった場合、その死には意味が出てくる。

 はたしてそれが、不確定要素となりえるのか……。

 予定外のハプニングだったとしたら、このさきは、どう転ぶかわからない。

「まずは作戦会議だな」

 桐野がもっと詳しい状況説明を求めたので、とりあえず事務所にもどることになった。

「監視はなさそうだ」

 事務所の前に到着後、桐野が周囲を見回ってくれた。

 桐野と峰岸が階段を上がっていく。

「まて!」

 世良は、警告の声を放った。

「どうした!?」

「音がする!」

 事務所のなか……不自然な音。

「どういうことだ?」

「だれかがいる……」

「国家安全部の人間か?」

 わからないが、とてもいやな感覚だ。

 世良が先頭になって、事務所へ向かった。

「大丈夫か?」

 相手は、わざと音を出している。罠だとすれば、眼の見える桐野が踏み込んだほうが安全だ。

 だが、これが罠ではなく、真っ向勝負を挑んでいるのだとすれば、耳のきく自分でなければ……。

 そこで、ハッとさせられた。

 真っ向勝負?

 そんなものを挑んでくるような人間を、世良は一人しか知らない。

「U……」

「なに!? Uだと!?」

 世良のつぶやきを耳にした桐野が鋭い声を放つが、かまわずに事務所へ突入した。

 トントン、という硬質な音がしている。金属ではない。ガラス。小さなもの。

 ビー玉のような……。

 シュッと、空気を裂いた。

 世良は、頭を沈めた。

 スレスレを、なにかが──ビー玉のようなものが通過する。指で弾いて飛ばしたのだ。指弾というやつだ。

「よくかわした」

 まぎれもない、あの男の声だった。

「おれを殺しに来たか?」

「まあ、そんなところだ」

 そう言うわりには、この男はビー玉のようなもので壁か机をトントンと叩いて、わざと音をたてていた。

 シュッ!

 右に避けた。

「世良、無事か!?」

 遅れて室内に入り込んだ桐野の声が響いた。

 拳銃は所持していないだろうから、おそらく警棒をかまえているだろう。

「おっと、おれの顔は見るなよ」

 愉快そうに、《U》は言った。

「あんたとは、会っているな」

「いつかは、手柄をありがとうよ」

 殺し屋と敏腕刑事の会話とは思えないほど軽やかだった。

 以前、桐野は《U》からの情報提供と思われる証拠をもとに、浅田光二を逮捕したのだ。

「殺し屋が、なにをするつもりだ?」

「今日は、挨拶だけだ。また、この国にもどってきらからな」

「宣戦布告ってことか?」

「ああ。おれのやり残したことを果たすために」

 指弾が飛んだ。

 キン、と警棒で弾く音がした。桐野がうまくかわしたのか。それとも《U》が本気ではないのか……。

「だから挨拶だけだ」

「ん?」

 紙の舞う音。

 その直後に、やつが飛び上がった。

「……」

 窓から飛び降りたのだ。ここは二階だから、あの男なら簡単に着地できる。

「逃げやがった……」

 桐野の声には、拍子抜け感があふれていた。

「なにしに来たんだ?」

「さあな……なにか紙を置いていったようだが」

「これか?」

 桐野が手に取ったようだ。

「王海さん?」

 そこへ、峰岸も入ってきた。

「大丈夫ですか?」

 心配げだが、無事であることを確信している感情も声から読み取れる。《U》との戦いを彼も近くで見ていた経験があるから、世良が簡単にやられないという信頼のようなものがあるのだろう。

「なんですか、それ?」

 峰岸も、桐野が拾い上げた紙を眼に留めたようだ。

「なんて書いてある?」

「知りたいか?」

 当然のことを桐野が聞き返した。

「殺し屋参上」

 さすがに、想像もつかないような文面だった。

「しかも、この字……」

 峰岸が書いてある文字にひっかかっりをおぼえたようだ。

「どうした?」

「なんだか、女の子が書いたような……」


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