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      6.月曜日午後7時


 こうして再び日本の地を踏んでみると、前回からもう何年も経っているのではないかと錯覚してしまいそうだ。

 どうやって入国したかという話は、割愛させてもらう。重要なのはそこではなく、これからのことだ。

 日本を出るときに、それまでの人間関係はすべて捨てた。だから、だれも頼れる人間はいない。同じ人間と再びつながればいいじゃないか、と考えるかもしれない。だがこの世界は、そんなに甘くはないのだ。 

 昨日の敵は今日の友。今日の友は明日の敵──よくいわれる例えだが、実際には「いまの友は、一時間後の敵」ぐらいシビアなものだ。むかしの知り合いを頼るにも、それなりに時間をかけて信用度をはかっていくしかない。

 なにが言いたいのかというと、現時点でこの国で信用できる人物はだれもいないということだ。

 裏社会の住人でなければ、一人いる。

 だから、おれはそのたった一人を頼ることにきめた。

 頼られるほうは、迷惑だろう。なにかの見返りをあたえなければならない。だが、それがなにになるのか、おれにはわからなかった。彼女から直接、聞くほかはなさそうだ。

「ご注文はおきまりですか?」

 全国にチェーン展開する有名な居酒屋だった。店内も広く、働いているスタッフの数も多い。おれは、顔を極力見せないようにして、店にいた。なんの注文もしていなかったから、女性店員の一人が聞きにきたのだ。

 適当なものを注文した。

 この女性店員の顔は見たことがある。が、目的の人物ではない。

 しばらく、運ばれてきた酒も料理もそのままに、時間を潰した。広めの店内であることが災いして、なかなか目的の女性が近づいてくれない。

 そのとき、ガシャン、という音が響き渡った。

「おい! どうしてくれんだよ!」

 怒鳴り声が刺々しく空気を不快なものにする。どうやら、酔って気の大きくなった客が暴れているようだ。

 おれは、ちゃんと見ていた。問題の客が店員に足をかけて転ばせたのだ。運んでいた酒を落として、その客自身にかかってしまった。それで激怒している。

「すみません!」

 客の自業自得のはずなのに、店員はまじめに頭をさげていた。

「すみませんですむか、この野郎!」

 客は凄味をきかせて恫喝している。

 酒をあつかう店ならば、こういう迷惑な客もたまにはいるだろう。もしかしたら常習的なクレーマーで、ストレス発散とお詫び金をせしめる目的があるのかもしれない。

「ちょっと、いい加減にしてください! あなたが足をかけたんでしょう!?」

 みかねた同僚が、失礼な客に食ってかかった。おれのオーダーを取りにきた女性だ。この女性店員も、足をかけた瞬間を眼にしていたようだ。

「なんだと!?」

 ますます客は怒りを沸騰させた。

「先輩!」

 足をかけられた店員が、すかさずあいだに割って入った。

 おれは、ゆっくりと立ち上がった。店のなかでは、擬態するにも限界がある。ごく普通の客になりきることぐらいしかできない。

 すべての客と店員が騒動に注目していた。

 おれは、ある席のカラになったグラスを手に取った。問題の客に近づきながら、みんなにバレないようにそのグラスをあらぬ方向に投げた。

 パリンッ!

 思いもしなかったところからの破裂音で、一瞬、みなの視線がそちらに向いた。

 おれは、その一瞬の隙をつかって、問題の客を眠らせた。首筋に打撃をあてえたのだ。

 みなが気づいたときには、客は床に倒れていた。おれも自分の席にもどっている。

 グーグー、と失礼な客はいびきをかいていた。その姿を見て、店員やほかの客たちは、どうしたものかと困惑している。だれも強制的にああなったとは考えていない。酔って倒れて眠ってしまったのだろうと。

 因縁をつけられた店員は、男性スタッフたちと協力して、眠ってしまった客を席に座らせた。

 周囲の客たちに頭をさげて事態を収拾した。そのときに、おれはその店員と眼が合った。

 むこうは、あ! という顔をしていた。

 その店員には──彼女には顔を覚えられてもかまわない。

 おれの顔を知る数少ない一人だ。

 彼女が、おれの席にやって来た。この店のユニホームである法被姿だ。

「ユウさん……」

 声はひそめている。おれが、人には言えない薄汚い仕事をやっていることは、彼女もよく知っている。

「……どうしたんですか?」

「協力してもらいたい」

「なんのですか? あの、言っときますけど……人殺しなら、いやですよ」

 さらに声を小さくして、彼女は念を押した。

「とにかく、バイトが終わるまで外で待ってる」

 おれは立ち上がって会計へ向かった。

「いまの……ユウさんが?」

 迷惑な客が眠りについたことだろう。

 おれは答えずに、そのまま歩を進めた。



 彼女の名前は、利根麻衣。女子大生で、ある事件で協力してもらった過去がある。じつは彼女が小さいころから知っていて、ずっと動向をうかがっていた。

 おれにとっては、素顔をさらしても警戒感をもつ必要のない存在だ。

 居酒屋の閉店時間が過ぎて、店から麻衣とべつの女性が出てきた。あの失礼な客にくってかかった女性店員だ。その彼女も、前回の事件のときに知っている。

 麻衣とその彼女が青山のブランドショップで並んでいた近くで、おれは仕事をした。おれの仕事とは、当然だれかの命を消したということだ。

 もちろん、麻衣のように深い関係になったわけではなく、そのときにただみかけただけだ。バイトの先輩と後輩──そのときからの関係性は崩れていないようだ。

 麻衣は店の前でその先輩と別れると、おれがいるほうにやって来た。普段なら気配を消して擬態するところだが、いまは存在を知らせるように立っていた。

「ユウさん……」

 麻衣の表情は、少し複雑だ。

 不安を感じてもいるだろうし、久しぶりに会えた喜びもある……。もっとも、喜びのほうは、おれの思い込みかもしれないが。

「あのお客さん、あれからずっと寝てましたよ」

「だろうな」

 閉店間際に帰っていったのを、おれもここから目撃していた。そのときには、すっかりおとなしくなっていた。

「で、わたしはなにをすればいいんですか?」

「きみの部屋は?」

「新しいところに引っ越しましたよ」

「では、そこへ行こう」

 彼女の部屋は、以前住んでいたボロアパートから、それほど離れていなかった。

 築五年ほどのまだ新しい単身者用のアパートだった。ちなみに、彼女が上京してきたときは、おれが裏から手をまわして、そのボロアパートしか借りられないように細工をしていたのだ。

「いいところじゃないか」

「あそこよりはね」

 麻衣は嫌味を言った。

 おれは、彼女のことで一つ心配なことがあった。この利根麻衣は、おれの顔を見て、まったくの無事だった唯一の一般人だ。

 だから、おれの正体を知りたい連中の監視をうけていることも予想できた。が、その心配はいらなかったようだ。彼女のバイトさきにも、このアパートの周囲にも、不審な影はない。

 むしろ、ただの女子大生であったことが幸いしたのかもしれない。きっと彼女は、おれの顔を見なかったと警察には証言したのだろう。なにもブラックなところがない一般女性がそう言えば、捜査機関は信用せざるをえない。《おおやけ》は疑ったかもしれないが、もし顔を見ていれば、殺されるか眼を潰されていると考えたのだ。

 たしかに、おかしな状況だ。おれが普通の女に顔をさらし、なんの危害もくわえない。おまけに、いまはこうして頼っている。

「ちょっと待っててください。部屋を片づけるんで」

 そう言って麻衣は、さきに部屋へ入った。

 五分後、どうぞ、と扉が開いた。

 あのときのアパートとくらべれば雲泥の差だ。もちろん、あっちのほうが泥だ。

 同じワンルームではあるが、広さがちがう。造りや設備も最近の流行りを取り入れてあるし、一人暮らしを希望する女子学生にとっては合格点の部屋だろう。

「そこ、座ってください」

 クッションを敷いてくれたので、そこに座った。

「で、わたしはなにを?」

「いや、もうしてもらってる」

「え?」

「おれは拠点がほしかった」

「拠点?」

「そうだ。安全な居場所だ」

「ん? それって……まさか」

 麻衣は、不吉な結果に行き着いたようだ。

「その、まさかだ」

「え!? ここに住むってことですか!?」

「それが安全なんでな」

「もっとほかにあるでしょう?」

「ないんだよ。日本を出るときに、それまでの関係をすべて捨てた。信用できる人間にしか、こういうことは頼めない」

「それにしたって……」

 麻衣は室内を見回していた。あくまでも単身用の部屋だから、二人で住むとなったら、なにかと不都合もあるだろう。

「大丈夫だ。用件がすめば、すぐにまた日本を出る」

「どんな用件なんですか?」

「それがわからない」

「わからない?」

「ああ。とにかく、アメリカで知り合った女に導かれて、また日本にもどってきたんだ」

「わからないのに、来ちゃったんですか……っていうか、アメリカにいたんですか?」

「アメリカとか、メキシコとか、いろいろだ。とにかく、おれはあの女に従った。そうしなきゃ、今後もなにかと命を狙われるからな」

「……狙われてるんですか?」

「安心しろ。おれはだれに狙われても死ぬことはないし、おれといっしょにいる以上、きみにも危険がおよぶことはない」

 強がりではない。それが事実だ。

「……で、いつまでなんですか?」

「すぐにすむ」

「でも、どんな用事があるのかわからないんですよね?」

 そのとおりだ。どこにゴールがあるのかわからないのだから。

「きっと、すぐ終わる」

「……」

「なんだ?」

 ジロッとした視線が痛かった。

「なんとなくなんですけど……すっごくヤバいことになりそうなんですよね」

 彼女の勘がはたらいているようだ。いま思い返してみれば、前回の事件でも、彼女の発想で打開できたことがいくつかあった。

「まあ、なんとかなるだろ」

「ずいぶん、いい加減ですね」

「とりあえず、むこうからなにかしらのアクションをおこしてくれなきゃ、おれはなにもやることがない」

「アクション? どうやっておこさせるんですか?」

「それは簡単だ。どこかを歩けばいい」

「歩く?」

「目立つように歩いてれば、むこうから接触してくるはずだ。ああいうやつらは、そういうのを好む」

「でも……」

 麻衣は、納得できないようだ。

「どうした?」

「目立つように歩いたとしても……普通の人ならそれでいいかもしれないですけど、ユウさんの場合、だれも顔を知らないんですよね?」

「ん?」

 そう言われれば、そうだ。

「これまでは、どうやって接触してたんですか?」

 麻衣は、あきれたような表情をしていた。

「電話だ。だから、相手の声しか知らない」

「だったら、電話してみればいいんじゃないですか?」

「もう番号は通じない。おれたちの世界じゃ、一度使った番号は破棄する。その一度きりの通話で、次の番号へのヒントをおたがい教え合う」

 直接、次の番号を伝える場合もあれば、逆に非常に難解なヒントにすることもある。例の女は比較的、難しいものを好んでいた。おれ自身は、簡単に出す。

「じゃあ、むこうに歩いてもらわなきゃ」

「それについても、問題がある。むこうの顔をおれは知らない」

「じゃあ、どうしようもないじゃないですか」

「……そんなことはない。おれだということがわかるような行動をとって注意をひく。もしくは、むこうにそうしてもらう」

「たとえば?」

「おれなら、仕事をすればいい。おれでなきゃ殺せないような人間を狙えば、むこうが動く」

「やめてください! 人を殺すなら、協力はできません!」

 麻衣は、本気で憤慨していた。

「たとえ話だ」

「……」

「こういうのは、どうだ?」

「え?」

「狙うだけ」

「殺すためじゃなくて?」

「ああ、殺さない」

「だれを狙うんですか?」

「そうだなぁ……おれじゃなきゃ仕留められないような大物だ」

「大物? 総理大臣とか?」

 この会話を他人に聞かれたら、彼女まで凶悪なテロリストだと勘違いされるだろう。

「それでもいいが……どうもしっくりこない。おれは政治犯じゃないからな」

「じゃあ、芸能人?」

「うーん……」

「ほかにいます?」

「大物の定義を変えようか。べつに有名じゃなくてもいい。殺すことが困難な人間……おれですら手こずるような強敵」

「いるじゃないですか」

「ん?」

「もしかしたら、ユウさんよりも強いかも」

 心外なことを言われた。

 だが、そう言われて、おれの脳裏にも一人の顔が浮かんでいた。

「まさか……」

「そうです。世良さんです」


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