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      4.水曜日午前11時


 メキシコを脱出し、アメリカにもどったおれは、仲介役の女に連絡をとった。

 女の声に驚いた様子はなく、ある街を指定された。そこで会おうと。

 サンディエゴ。メキシコとの国境の街だ。ティフアナという街とつながっているらしいが、メキシコの地理にはくわしくないので、それがどういうところなのかは知らない。せっかく出たのに、またその国境に立つとは思いもしなかった。

 とにかくおれは、サンディエゴ市街にある『デンジャラス』というカフェバーにいた。それも女の指定だ。

 女はおれの顔を知らないが、じつはおれのほうも女の顔を知らない。ここで会えば、どんな顔なのかハッキリするだろう。おれのほうは見られてもかまわなかった。なぜなら、女を殺すつもりだからだ。

 おれをはめたのだから、それなりの代償ははらってもらう。

 約束の時間を過ぎても、女は姿を現さなかった。いやな予感がした。

 おれはテラス席にいたのだが、チラッと店の看板が眼に入った。だいたい、店名としてはおかしすぎる。それに看板はもとより、店のすべて──外壁、テーブル、内装、その他もろもろが新しかった。

 これはすべて、数日以内につくりあげたのだ。

 罠だと悟った次の刹那、おれは走った。

 店内に眼をやったが、あれだけいた店員も客もだれもいなかった。

 前方に飛んだ。爆風があとからやってくる!

 圧倒的な熱。

 禍々しいオレンジ色が視界を埋める。

 ただの爆発ではない。焼夷剤かなにかで火力を増した爆弾だ。

 熱風に押し出されるかたちで、おれは吹き飛ばされた。

 服の焦げる匂いがする。

 だが、身体は無事だ。軽い火傷ぐらいはあるかもしれないが、戦闘力を削がれるほどではない。

 なんとか爆心地から離れて、路地のなかに入り込んだ。追手は、いまのところいない。路地に逃げたのは、それを確かめるためと、もし追跡者がいた場合、始末しやすいからだ。

 あの女は、なにがなんでもおれを排除したいようだ。こんなに手の込んだことまでするとは……。

 だがこれで女の素性が、ほぼまちがいなく確定した。いまの作戦にはかなりの金がかかっている。店を新しく造り、なおかつそれをためらいもなく木っ端みじんにした。潤沢な活動資金と行動力。

 CIAだ。

 この国には、たくさんの諜報機関が存在し、在籍している人間の数も他国とは桁違いだ。末端の下請けまでふくめると、数万ではきかないかもしれない。

 NSA、DIA、NRO、NGA。

 が、これらのほとんどが、ヒューミントではなく、シギントが中心だ。

 人による情報収集が、ヒューミント。

 通信機器などによる収集が、シギントという。

 これまで仲介役の女とは、電話でしか話したことはない。だからいずれの組織も可能性があった。しかし、いまの爆破で一つにしぼられたことになる。

 とはいえ、CIAも暇ではないはずだ。メキシコでのことで口を封じたいと考えるのはわかるのだが、おれが逃げた時点であきらめるはずだ。秘密を知ったとしても、殺し屋のおれがどこかに暴露するわけがないからだ。それに自分で言うのもなんだが、おれのような人間では信憑性がなくなる。

 それでもこんな仕掛けまでするとは、なにかがある……。

 過去に、アメリカ政府の機嫌をそこねるような依頼をうけただろうか? いや、そんな記憶はない。CIAとの接点は、これまでに一度しかない。

《店員》。かつての相棒が、公安からCIAに寝返った諜報員だった。それがらみで、恨みをかったのだろうか? まさか天下のCIAが、暴力団のように面子を気にするとは思えないが……。

 おれは、そこで思考を中断した。

 路地のさきに、なにかの影があらわれたからだ。

 おれは、そのシルエットを知っていた。

 どうして、この国境の街を指定したのか、その答えを理解した。

 あの鉄球のような黒人だ。

 おれは、あのときと同じようにバンダナをマスクのようにして顔に巻いた。

「グヘヘ」

 気味の悪い笑い声が、路地に響いた。

 鉄球が突進をはじめた。

「しつこいやつだ!」

 おれは愚痴りながら、後方へ走った。凄い速度で鉄球が追ってくる。

 路地を曲がった。ほぼ九十度の直角だったから、鉄球のような身体では、うまく曲がれないだろう。しかも、これまでよりも狭い。これで距離をかせげるはずだ。

「!」

 予想がはずれた。

 鉄球ではなく、ゴムボールだったようだ。

 減速もなく、むしろ距離を詰められた。

「最悪だ……」

 さらに、絶望を誘う事態がおとずれた。

 前は行き止まりになっている。

 おれは立ち止まるしかなくなった。

 迫る鉄球──いや、ゴムボール。

「……!」

 路地の壁から壁までの長さを眼で測った。

 おれは、上へ飛んだ。

 カンフー映画で、こういうのを観たことがあった。足を広げて、壁と壁とのあいだにつっかえ棒のようにして空中にとどまった。

 股の下を鉄球が通過して、行き止まりの壁に激突した。しかしこいつはゴムボールでもあるから、そんなことではダメージにならないだろう。

 おれは着地すると、後ろを見ずに全速力で走った。こいつに対しては、逃げるが勝ちなことを学習している。

 路地を抜け、もといた通りに出た。あれだけの大爆発がおきたから、消防と警察があたりを封鎖していた。野次馬も多い。

 おれは、そこに溶け込んだ。擬態できれば、おれをさがしだすことは不可能だ。

 さて、これからどうするか……。

 また女に連絡をとっても、同じことの繰り返しにだなるだろう。おれを消すために、罠をはろうとする。

 では、どうするか?

 ここで一番の悪手は、深みにはまっていくことだ。そして最善の一手とは、もう関わり合いにならないことだ。

 こんな表現をつかうと、将棋に精通していると思われるだろうが、ルールもよく知らない。ただ、桂馬という駒がトリッキーな動きをするということしか。

 おれが、いわば桂馬だからな。

 話しをもどそう。

 あの女の存在は、忘れるのが得策だ。

 だが、それができない。面子の問題だ。

 CIAにしろ、おれにしろ、結局はそういうものに縛られているのかもしれない。人間とは難儀な生き物だ。

 きっとあの女も、それを計算している。

「……」

 おれは、ふと考えてしまった。

 おれを消すことが目的ではないのかもしれない……。

 おれをどこかに導こうとしている?

 こういう感覚は、日本で経験していた。

 もしおれの勘が当たっているとしたら、このやりかたは《おおやけ》だ。

 CIAと公安がいろいろと関係していることは、《店員》でわかっている。店員は、公安の立場に不満を抱き、CIAからヘッドハンティングされている。

《おおやけ》には……いや、調査庁にしろ、内閣情報調査室にしろ、おもに国内の情報を集めることしかしない。名目上は、工作機能をもたない。もちろん《おおやけ》には、それこそ公にできない裏工作部隊が存在していることは想像に難くないが……。

 海外での情報収集は、外務省の国際情報統括官組織があたっているが、ここも当然、情報の収集のみしかおこなわない。

 国の未来を左右する情報を手に入れたとしよう。愛国心の強い人間は、それを自国のためにつかおうとする。だが、愛国心よりも自己愛が勝っている人間は、その情報を自分のためにつかおうとする。

 ある者は、神になったつもりで情報を出し入れし、それこそシミュレーションゲーム感覚で、世界をもてあそぶ。

 ある者は、金のため。

 ある者は、自らを守る保険として、ずっと頭のなかにもちつづける。

 愛国心よりも、自分のほうが大切だと考えるほうが多いだろう。だからそっち側は、つねに危うい。

 金で殺しを請け負う「こっち側」のほうが、むしろ健全だ。

 また話が脱線した。もどそう。

 女が《おおけや》に関係しているかどうかは置いておいて、とにかくおれをどこかに進ませたいようだ。

 ならば、その流れに身をまかせるか……。

 おれは、爆破現場の周囲を観察した。読みどおりなら、なにかしらのメッセージを残しているはずだ。

「これか」

 爆破現場から少し離れた路上だ。野次馬もここにはいない。道路の端にチョークで番号が記してあった。この番号に連絡しろ、ということのようだ。

 おれはサンディエゴを出て、片田舎の小さな街に移った。爆破騒動から二日が経過した。新たに携帯を用意して、残されていた番号にかけた。

『生き残ったようね』

 女の声が喜々として言った。

「まどろっこしい話はなしだ。おれに、なにをさせたい?」

『死んでもらいたいのよ』

 女は、ストレートに答えた。

「それがまどろっこしいんだ。あんなことでおれを殺せるはずがない」

『自信たっぷりなのね』

「で、次はどこに行けばいいんだ?」

『そうね……日本なんて、どうかしら?』

「日本?」

『あなたのホームグラウンドでしょう?』

 どうやら、おれのことを知ったうえで近づいてきたようだ。だが、仲介役に最適の人間がいるという噂をたどって、おれのほうからコンタクトをとったはずだ。

 ということは、そう仕向けるところからはじまっていたのだ。噂を流したのは、この女自身だ。かなりの大仕掛けをはりめぐらせていたというわけだ。

「日本で、なにをさせるつもりだ?」

『行ってみたら、わかるんじゃないかしら?』

「もっと具体的に言え。おい、おい!」

 切れていた。

 おれは、近くにあったゴミ箱に携帯を捨てた。一度使用したものは、もう使えない。

 これからの行動は、用心に用心を重ねなければならない。

「日本か……」


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