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      24.木曜日午後7時


 おれは、ブレードの無くなったナイフの柄を床に捨てた。

「おもちゃにしちゃ、つかえるな」

 もちろん、指紋はつけていない。というより、おれの指に指紋はない。とっくに消している。

 つまらない遊びをしたような虚無感があった。だいたい、この殺しに料金は発生していない。あのムカツク、マリの要請に応えたものだ。

 よくよく考えてみれば、おれは世良を助けたことで、あの女にカシをつくったはずだ。なのに、またこうして、いいようにつかわれている……。

 おれとしたことが──。

 圧倒的な気配が、背後の空間をふさいでいることに気がついた。

 いまの、おれとしたことが──は、マリに対する意味と、いつのまにか背後をとられていたことの両方をさしている。

 あの鉄球男だった。

 しかし、これまでとは雰囲気がちがう。

「おれを殺しに来たわけじゃないみたいだな?」

「……」

 返事は、ないものと考えていた。

「餅は餅屋に……この国には、そんな言葉があるんだったな」

 鉄球男は、親しい人間に語りかけるような声を出した。

「難しい言葉を知ってるじゃないか。人を殺すことしか取り柄がないのかと思ってたぞ」

「くくく、それはおたがいさまだろう」

 鉄球男は、愉快そうに笑っていた。

「おまえの役割は、おれを導くことか? 二重スパイの女といい、そういうのが流行りなのか?」

「おれたちは、《黙示録》だからな」

「黙示録?」

「そうさ」

「預言者にでもなったつもりか?」

「この世を動かしているのが預言者というのなら、そうなんだろうよ」

「そうか……以前、耳にしてたな」

 おれは、思い出していた。

 一度だけ、あの男からそういう話を聞いていた。

《店員》だ。

「世界の裏側で暗躍している集団がいるんだってな」

 そのときは、《黙示録》という名前までは口にしていなかった。しかし、神の代理人のように人々を導いているという荒唐無稽な話を語っていた。

 いま思えば、あれは布石か。

 そして《店員》も、それに関係していたのだ。

「メンバーは、何人だ?」

「それを知る必要はない」

 鉄球男は、続きにはのってこなかった。

「おれを導くのは、もう終わりなのか?」

 それにも答えず、巨体が踵を返した。

「残りの人間に、始末をつける。今後の遺恨になりそうなやつには、すべていなくなってもらう」

 傭兵の残党のことだろう。その始末が、息の根を止めるということなのか、それともマリや世良がやったように、戦闘不能に追い込むだけなのか。

 もちろん、おれにとってはどちらでもいい。

 ロシア人たちは二重スパイの女におどらされた犠牲者ともいえるが、同情はしない。おれがマリの依頼を断ったとしても、いま死んだFSBの人間は、この鉄球男によって始末される運命だったのだろう。

「まて」

 おれは、呼び止めた。

「次におれの前に現れたときは、覚悟するんだな」

「くくく、なんの覚悟だというんだ? ただ逃げてただけのおまえに」

 やはりムカツクやつだった。見た目のぶん、マリよりもたちが悪い。

「おまえは悪人か?」

「これから始末する人間にとっては、悪魔なんだろうよ」

「だとすれば、どんな怪物でも、必ず殺す」

「くくく」

 鉄球男の笑みは、さらに愉快さが増していた。

「そのときまで、楽しみにしてる」

 部屋を出ていった。

 このフロアのべつの部屋にいる傭兵を屠りに行ったのだ。

 これから始末する人間にとっては──。

 つまり狙われていない人間にとっては、悪人ではない。

「おれの流儀に感謝するんだな」

 すでに自分一人しかいなくなった室内で、おれはつぶやいた。

 やつは、命拾いをしたのだ。

 え?

 あんなバケモノに勝てるのかだって?

 やつは、本物の怪物ではない。外見や怪力で、そう表現しただけだ。

 本当のバケモノは、おれや世良のような人間だ。

 宣言しよう。

 おれが本気をだせば、やつを二分で仕留めてやる。

 だったら、いまやれって?

 忘れたのか?

 おれは、悪人しか殺さない。おれを狙っていない鉄球男は、悪人ではないのだ。

 しかし、おれを次に殺そうとしたときは……。



 ホテルを出たおれは、最後に残った用件をすませることにした。

 二重スパイの女から、金を受け取らなければならない。ここからは、マリの思惑も関係ないし、世良が巻き込まれた騒動とも無縁のことだ。世界がどのような危機をむかえるのだとしても、おれの知ったことではない。

 金を請求して、それを受け取る。

 拒否したら、奪うか、殺すかすればいい。

「さて……」

 問題は、どうやって女の居場所をつきとめるか……。

 方法の一つは、中国大使館を張り込んで、あの女が現れるのを待つ。しかしこれは、とんでもなく時間のかかるおそれがある。おれを警戒して、今後、近寄らない可能性すらあるだろう。

 方法二つ目。いまホテルで暴れているであろう鉄球男のあとをつける。仲間なら、いずれ接触するかもしれない。

 しかしこれも、望みは薄い。ああいう連中は、仲間といってもつねに顔を合わせているわけではないのだ。これまでも実際には会ったこともない可能性すらある。

「ん?」

 眼の前の道路をバスが通っていった。

 例のあれだ。

 前回と同じようなデザインだった。

 おれは走って、信号で停まったバスを眺めた。

 車体の隅に、また暗号のような文字が記されている。

『START=3』

 そしてスペースをあけて、さらに『NOW=3』と書いてある。

 おれは、それを簡単に解釈した。

 物事の発端に近ければ、もっと複雑に考えただろう。しかし事態は、もう終盤に近いはずだ。むこうだって、いまさら難しいことを要求しないだろうし、こっちだって難解なのはごめんだ。

 これは、スタートにもどれって指示だ。

 いまも、スタート地点も、「3」で同じという意味になる。なぜ「3」なのかは、このさいどうでもいい。

 ならば、スタート地点に行くまでだ。

 ここで重要なのが、そのスタート地点をどこに置くか……。

 あの女と出会った(実際に会ってはいないが)アメリカか、それとも直接、今回の件にかかわってくるメキシコか……。

 おれは、後者と見立てた。

 とはいえ、あの女だって、再びメキシコの地に誘い込むような面倒はかけないだろう。それこそ物語におきかえれば、いまは終局なのだ。

 おれは、千代田区の永田町に向かった。

 そこには、メキシコの大使館がある。この推理は、まちがいなく正解しているだろう。 

 三十分ほどかけて、おれはそこにたどりついた。近くには議員会館があり、とても閑静な場所だ。街灯の光まで静かな印象がある。今日は風がないから、メキシコ国旗が退屈そうに垂れ下がっていた。

 周囲に人の姿はない。さすがに、大使館のなかで待っているということはないはずだ。

 あたりを見回した。すぐそばに、都立の高校がある。

 夜だから、教室の灯りはどこも消えている。おれは素直に侵入した。

 姿をとらえられない自信はあったが、侵入を関知するセンサーが設置されていた場合には、そういうわけにはいかない。昨今の学校は防犯にも力を入れているから、安心はできない。

 パッとみたところ、敷地内に入るだけなら大丈夫のようだ。さすがに校舎への侵入はムリだろう。

 校舎と校舎に挟まれた遊歩道のようなところに出た。常夜灯はない。さきほどまで満月が出ていたのだが、いまは雲に隠れてしまった。それでも夜目はきくから、光がなくても周囲の状況はよくわかる。

 人の気配はない。とはいえ、闇に潜んでいれば、気づくことはできないだろう。もちろん、そんじょそこらの雑魚では、おれから隠れることは不可能だ。

 しかし、むこうだっておれのことはよく知っている。それなりの手練れを用意しているかもしれない。そんな人間が、この世に何人いるのかは疑問だが。

 おれ自身も、闇に溶け込んだ。

 強烈な殺気が叩きつけられたのは、その刹那だった。

 警告だ。

 いや、宣戦布告とでもいおうか。

 おれは、動いた。とにかく、この場から離れなければならない。

〈パシュ!〉

 ふいの炸裂音が、空を裂いた。

 地面へ突っ込むように前転した。

 それまでいた路面に弾丸が当たり、跳弾となって、あさっての方向に飛んでいく。

 敵は一人ではない。

 おれは、周囲をさぐった。武器になるものはない。ならば、つくるまでだ。

 近くに木が植えられていたから、それめがけて疾走した。幹に隠れるためではない。跳ね上がって、枝を折った。葉がついていて邪魔だが、先端は鋭利に尖っている。即席の接近武器だ。

 再び、擦過音が響いた。

 おれもバカではない。すでに移動している。幹に銃弾がめりこんでいた。

 サイレンサーか?

 ちがうな。消音拳銃だ。

 思い当たることがある。以前、この音を耳にしているのだ。世良ではないが、特徴のある音ならば、おれでも聞き分けられる。

 PSS。旧ソ連製の消音拳銃だ。

 浅田光二から奪ったとき、おれも握ったことがある。もとは《店員》が、浅田光二に渡したものだ。それをつかって、浅田は父親を撃っている。

「……」

 おれは、不吉なものを予感した。

 あの銃を、おれはどうしただろうか?

 最後に世良と対峙したとき、おれはその拳銃を手放したはずだ。

 あれから、銃はどうなった?

 もとの持ち主に……。

 まさか!

「《店員》か!?」

 おれは、声をあげた。

 移動しながらだ。この暗闇で擬態をしていれば、声を出してもそう簡単には被弾しない。

 ただし、もう一人のサポートが正確ならば、危険は増すが。

 パシュ!

 すぐ近くを弾が通過した。

 もう一人の実力も、ワールドクラスだ。

 思い当たる人間がいる。

《店員》とあの男には接点がある。両名ともが、浅田光次郎に雇われていた。《店員》はその息子である浅田光二を篭絡し、浅田光次郎の意に反していったが、その人物はあくまでも父親のほうについていた。

「《かかし》だな!?」

 二人からの返事はない。

 だが、まちがなくその二人だ。

「どういうことだ!?」

 銃弾がかすめた。おれは愚痴りながら、植え込みのなかで伏せた。二人がかりでは、へたに動くよりもマシだ。

 それまでかかっていた雲が晴れたのか、月明りが闇を照らす。

 ベンチのようなものがあり、そこに座っている人物が見えた。

 女性の姿をしている。

 瞬間的に、麻衣だと思った。

《かかし》が保護していたのだから、いっしょにいても不思議ではない。

「彼女になにをした!?」

 人質のつもりか?

〈くくく、久しぶりだな〉

 ようやく声が聞こえた。

「なんのつもりだ?」

〈余興だよ〉

 まぎれもなく、《店員》の声だった。

「どうして、ここにいる!?」

〈あのとき言ったろう? 私と敵対するということは、超大国を敵にまわすことだと〉

 そんなまえに言われたことなど、覚えていない。

「おれへの復讐ってわけか?」

〈復讐?〉

 せせら笑うような響きがあった。

〈なぜ、復讐する必要がある?〉

「おれと世良への恨みがあるだろう?」

〈ふふふ〉

《店員》は、愉快そうに笑った。

〈まさか、私がおまえたちにおくれをとったと勘違いしているんじゃないだろうな?〉

 声を聞くかぎり、負け惜しみではないようだ。

 ということは、あれが正解?

「そんなわけあるか!」

 おれは、思わず吐き捨てていた。

〈私へのペナルティーは、なにかあったかな?〉

 こうして自由の身になっているのなら、そんなものはなかったことになる。

 最悪の予想が当たっていた……。

 闇から闇に葬られたと思っていたのは、希望的観測にすぎなかったということだ。

「公安に捕らえられたのも、計算ずくだとでもいうのか?」

《店員》の口ぶりは、それを匂わせている。

〈もう少し、簡単に動いてくれると信じていたのに〉

「なんだと?」

〈いや、苦労したんだ。おまえたちを──〉

 そのさきを《店員》は言わなかった。しかし、いまの続きが頭のなかで勝手に広がっていく。

 おまえたちを導くのは──。

「やっぱりな……おまえも、なんたらという集まりの一人ってわけか」

〈黙示録だ〉

「おまえがリーダーか?」

 その可能性は高いだろう。二重スパイの女の師匠であるのだから。

「以前、おれのまえで口にしたことがあったな?」

〈それもヒントだよ。できの悪い生徒をもつと、教師は苦労するものだな〉

「なんだと!?」

 いろいろと突っ込みをいれてやりたいところだが、そんな状況でもないし、気分でもない。

〈発案者は、私ではない〉

 しばし、静寂がおとずれた。

「おい?」

 しかし《店員》の声は、返ってこない。

 おれは立ち上がって、ベンチに急いだ。狙撃されることも覚悟のうえだ。

「麻衣!」

 おれは、唖然とした。

「……」

 麻衣ではなかった。

 人間ですらない……。

「!」

 背後に気配が浮かび上がった。

 おれは、手にしていた即席武器を突き刺した。

「植木屋でもはじめるつもりか?」

 冷静な声が返ってきた。

 見事によけられている。

「あんたこそ、なんの真似だ……」

「すまんな」

《かかし》だった。

「裏切ったと思ったか?」

「いや」

 おれは、そう答えた。

「あんたが、受けた依頼に反するとは思ってない。しかも、おれじゃない。世良の依頼だったからな」

 ベンチに座っているのは、マネキンだ。

「安心しろ。お嬢さんは、安全なところにいる」

「やつは?」

「さあな」

 突き放すように《かかし》は言った。

「仲間じゃないのか?」

「いや、いろいろな過去の因縁で、最後に手伝ってやったにすぎん。仲間だと思ったことはないし、信用もしていない」

「むかしの因縁? 浅田親子の件か?」

「いや、もっとむかしさ……長生きすると、面倒なしがらみが多くていかんな」

 長く闇業界にいる人間でなければわからない気苦労なのだろう。おれ程度のキャリアでは理解できないほどの。

 しかもおれは、どこかの組織に義理立てしなきゃならないような仕事はしてこなかった。

「それも、いまので切れた。もう会うこともなかろう」

「……やつは、いったいなにがしたかったんだ?」

「最後の挨拶でもしようとしたんじゃないか? パートナーだったんだろ?」

「そんな殊勝なやつじゃない」

 本心を口にした。

「ふふふ」

「あんたも、《黙示録》とやらと関係があるのか?」

「関係があるともいえるし、ないともいえる」

「なんだ、そりゃ」

「だから、しがらみだよ。おまえさんも、わしのようなロートルになればわかるさ」

 わかりたくもなかった。

「おれをここに呼んだ用事は、もうすんだと思っていいのか?」

「やつが消えたのなら、そうなんだろう」

 結局、二重スパイの女は接触してこなかったというわけだ。かわりに、疫病神に憑かれた。

「それを調べてみろ」

「それ?」

 すぐに、ベンチのマネキンだと考えがいった。

 おれは言われるままに、マネキンに手を触れた。いまさら罠ということはないだろう。

「なんだ?」

 マネキンの口の部分に、なにかが挿し込まれていた。

「鍵?」

「直接聞いたわけではないが、報酬なのではないか?」

 おれは、鍵を抜き取った。

「ん?」

 マネキンはかつらをかぶっているが、その前髪をずらすと、額に文字のようなものが書いてあった。さすがに月明りだけでは、読めない。

「ここに書いてあるのが、場所ということか?」

 報酬を払う気があるのなら、そういうことになるだろう。

「どうした? 信用していないのか?」

 二重スパイの女や《店員》を信用しろというのが無茶な話だ。だが新たなる罠だとしたら、むこうにしても時間のムダだ。いまここでどうにかすればよかったことだ。

 しかしだからといって、報酬を素直に払うというのもしっくりこない。

「たぶん、おまえさんとの関係をとっておきたいのだろう」

 独り言のように、《かかし》は続けていた。

「おれは、ごめんだね」

「望もうと望むまいと、おまえさんたちは裏社会にとって、切り札にも、脅威にもなると判断されているんだろうよ」

「……」

 おれたち──ということは、おれと世良か。

 黙示録とは、キリスト教徒への激励と警告のために書かれたものだったはずだ。

 最後の審判でも、これからはじまろうってことなのか?

 まあ、金も入りそうだし、それを手にしてから、またこの国を出るとしようか。

 面倒なことにつきあわされるのは、もうごめんだ。

 最後にもう一度、将棋に例えよう。

 これで王手だ。


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