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22.木曜日午後6時半
まずことわっておくが、世良に伝えたことは、だいぶ内容を端折っている。
べつに世良とマリの関係に気をつかう義理はないのだが、おれはお人よしだから、あいつらの恋愛ごっこにつきあってやってるのだ。
ロシア人傭兵の滞在しているホテルを知っていたのは、もちろん彼女だ。ロシアが工作員を本国から呼び寄せるときは、そのホテルをつかうという。
どこの街にもある全国展開している有名ホテルの新宿店だった。ホテルから出てきたのは五人。マリの話によれば、まだ数人いるらしい。
この女がやつらの仲間を戦闘不能にしているから、周囲をかなり警戒していた。彼ら自身が用意したと思われるワゴンとセダンタイプに分かれて乗車した。
あとは、やつらを尾行しただけだ。
不可解だったのは、やつら以外に協力者がいたということだ。だいぶ大掛かりな人員がさかれていた。どうやら一台の車を、ある場所に誘導しているようだった。その車をロシア人たちが追跡している。
ロシア大使館だけではないだろう。というより仕掛け人はみな東洋人に見えたから、中国とみるべきだ。おれが原因で人員を配置できないと語っていたマリの言葉には、やはり矛盾があった。
とはいえ、さすがに大掛かりすぎる……。
「まさかとは思うが、あんたらも協力してるのか?」
おれはマリに確かめた。
彼女からの返事はなかったが、雰囲気でわかる。
《おおやけ》も動いている。
ここからは、おれの想像でしかないが、かつての浅田親子のときのように、《おおやけ》は分裂している。あのときからの流れでそうなったのか、今回新たにそうなったのか……。
左右で別々の思惑が作用しているのは、まちがいないだろう。
マリと、あの上司は右側で、中国とロシアについているのが左側。
いや、逆の可能性もある。
この女のセクションが、ロシアにお膳立てをしているのかもしれない。だからこそ、世良を救うためにおれをけしかけた。
……わからない。それすら、逆なのかもしれない。
「おい! おまえは、どっち側なんだ?」
答えないだろうと思いながらも、おれは問いただした。
「ついたようね」
ロシア人を乗せた車両が、建設現場に入り込んだ。彼女がブレーキを踏んだ。
「わたしは、ここまでよ」
ということは、誘導されていた車のなかには、世良が乗っていたのだ。
「好きにやっていいんだな?」
「どうせあなたは、好き勝手にやるでしょ?」
あたりまえだ。そうでなければ、もっと真っ当な職業についている。
そこでマリとは別れた。これで背後を注意する必要がなくなった。せいせいすると言ってやりたいところだが、どんな思惑があったにしろ、おれの道標になっていたのも事実だ。
感謝はしないが、それなりに役立ったと評してやろう。
建設現場は、最終的な高さまでは想像することもできないが、すくなくとも三階までは原型ができている。建築物の前に三台の車が停まっていた。
ロシア人を乗せた二台と、ここに追い込まれた一台だ。
見張り役と思われる白人が、退屈そうに建築中の箱物を眺めていた。身長は170ぐらいだから、ロシア人としては小柄だろう。
当然、邪魔だから排除する。
二秒もいらない。
ふいの打撃をうけた見張りは、白目をむいて、暗くなってきた空を眺めている。いや、白目だから見えないか。
あと三秒追加すれば息の根をとめられるが、いまはやめておく。なかの様子が気にかかる。
おれは、建築中の巨大な箱に足を踏み入れた。
入ってすぐに、あることを悟った。
罠にはまって、ここに追いつめられたわけではない。世良のほうが、ロシア人たちを罠にはめたのだ。
なかは、暗い。まだうっすらと外の光も漏れてくるが、外から入ってきたばかりなら、真っ暗闇と同じだ。
完全な夜になっていれば、それなりの装備を用意していただろう。もしくは、世良の恐ろしさを知っていれば、そこまでの準備をしていたはずだ。
まちがいなく、ロシア人は世良をナメている。
もしかしたら、べつの機関が警告をしていたかもしれないが、やつらは真に受けなかった。
その感情はわかる。あんなバケモノがこの世にいるとは、巨熊たちも信じないだろう。同じようにバケモノあつかいされるおれが言うんだから、世良の能力が破格なのだ。
おれは闇に同化した。
ロシア人はおろか、戦闘に集中している世良にすら察知できないだろう。
想像したとおり、世良は本気を出していた。
一人、二人──次々に倒されていく。
三人目も意識をなくし、残り一人だけになった。
最後の一人は、ほかとはちがい重火器をたずさえていた。
おもしろい場面だった。
相手は、世良の居場所をつかんでいた。ようやく眼が慣れたのだ。
世良も拳銃を抜いた。隠れている仲間(おそらく桐野とかいう捜一だろう)が援護射撃をおこなっていたが、世良自身は撃っていなかった。
コンマ何秒かの世界で、両者がみつめあう。
どちらがさきに撃つか。
このまま世良が撃たれて死ぬもよし、相手を殺して人殺しになるもよし。
一瞬だが、マリの怒った顔が脳裏に浮かんだ。
いっておくが、おれは悠長にただ眺めていただけではない。両者が対面したときにはもう、重火器の兵士の背後に忍び寄っていた。
おれは、ここでカシをつくっておくことにした。
世良へのカシではない。
あの女へのカシだ。
……と、ここまでが建設現場までの顛末だ。なぜ世良のことを助けたのか、その流れを説明してやった。
世良たちのもとを去ったおれは、ロシア人たちが滞在しているホテルにもどった。
「すんだのね?」
ホテルを見渡せる通りで、マリが待っていた。
「おれは必要なかった」
世良が生死の境に立たされたことは言わなかった。おれが助けなくても、あの男はきっと死ななかった。時間が経つにつれ、そう思えるようになっている。
おれとはちがい、神とか天使に好かれているのだろう。死神とか悪魔に好かれたおれは、よけいなことをしたにすぎないのだ。
「やつは、自分を試したかったのだと思う」
「試す?」
「問答無用の虐殺者と戦っても、生き残れるのかどうかを」
「……」
「不満か?」
おれには、女の表情がそのように見えた。
「愛する男が、本物の怪物になろうとしているのが」
「……」
「おまえの言う『愛』とらやが真実だとしたらだが………ちがうのなら、むしろ好都合だろう?」
「ふざけたこと言わないで」
マリは、吐き捨てるように言った。心の底から腹が立ったらしい。
はたしていまの発言のどこに、怒りを感じたというのだろう。
この女の任務が、ただの監視なのか、それとも世良の力を引き出す手助けをすることなのか……。
おれは、後者だと考えている。
現に、世良はおれに匹敵するようなモンスターに成長している。それが、この女の導きによるものなら、おれはいま図星をついたことになる。
「無駄話は、もういいわ」
マリのほうから、この話題を打ち切った。
「連中は、七階のワンフロアを貸し切ってる」
女スパイの眼光と口調で、マリは伝えた。
「残っているのは、三人だけだと思う」
「あんたが始末したやつらは、ここに運ばれたんじゃないのか?」
始末、というワードに、一瞬眉をしかめたが、もうそれには無視をするようだ。
「普通のホテルに連れ込むわけないでしょ。かといって、病院をつかうわけにもいかないから、セーフハウスの一つにつれてったんじゃないかしら」
そこまではポイントしていないのか、たんにこの女の耳には入っていないのか……。
おれにはどちらでもいいことなので、それ以上は考えることもしなかった。
「あなたたちが倒した人員も、同じように運ばれるんでしょうね」
やったのは、ほとんど世良のほうだ。
「さあ、ここからわたしは関知しない。あなたの好きにすればいい」
「殺してもいいんだな?」
自分で言うのもなんだが、おれは怖い眼になっていた。
「だから関知しない。殺し屋が、ただ仕事をしただけのこと」
ふん、とおれは漫画のキャラクターのように鼻を鳴らした。
「あ、そうそう。さっき一人が、七階に上がっていたっけ」
残っている三人に、一人をつけたすと四人いるということになる。もったいつけた言い方をしたのだから、その人物はいわくがあるのだろう。
「だれだ?」
「FSB。殲滅部隊と大統領をつなぐ人間の一人よ」
どうやら、そいつを始末してもらいたいようだ。
「このあとおこる戦争のキーマンになる人物……いなくなってもらうと──」
「どうなる?」
「あの国の戦力は、三分の一……いいえ、半分になるかもしれない」
オーバーな話だ。声には出さなかった。
「たまには、平和のために仕事をするのもいいでしょう?」
「平和? どっちみち、戦争はおきるんだろ?」
「きっと、地獄絵図になるでしょう。でも、同じ地獄でも……」
そのさきを、マリは言わなかった。
同じ地獄でも、その人物を殺すと殺さないとでは、雲泥の差があると表現したかったのだろう。
「七階だな」
「ええ」
マリとは、そこで別れた。今度は本当に。
すくなくとも今回の件で会うことは、もうないはずだ。
ここからは、いつもどおり──。
* * *
その男の名は、セルゲイ。本名ではなかった。自らが、そう名乗ったこともない。どうして、そのように呼ばれ出したのかも、じつはわからない。
セルゲイは、もとはシリア軍にいた。ロシア人でもない。見た目も、典型的なシリア系アラブ人だ。
セルゲイと呼ばれることで、男は大統領との溝を埋めていた。その名があるかぎり、男は大統領に忠誠を誓えるのだ。
今回の作戦は、簡単なものだった。西の同士に協力するかたちをとっているが、これから大統領がおこすことなる聖戦のために……いや、ちがうな。
セルゲイは、考えをあらためた。大統領は、ムスリム嫌いで有名だ。聖戦とは、表現が悪い。ロシアの領土を取り戻す、正当なる戦争なのだ。シリア人であるセルゲイにとっては、どうでもいいことなのだが。
「悪いが、こっちは手間取ってる……」
セルゲイは、電話をしていた。相手は、大統領の料理番をしている男だ。大統領の口にするものは、すべてその男が手配し、時には自らが調理したものということになる。
つかんでいるのは胃袋だけではなかった。周囲の警護、特殊作戦の人員手配まで幅広い。大統領を陰で支える重要人物だ。
そして料理番は、民間軍事会社の経営もおこなっていた。民間とついているが、実際には大統領直轄の専門部隊だ。過去には、シリアの反政府部隊を民間人ともども化学兵器で村ごと殲滅したこともある。クルド人には、もっとむごたらしいことをしたっけ……。
ただしセルゲイは、その会社の正式な社員というわけではない。シリア軍で拷問を担当していたときに、ロシア対外情報庁からのスカウトをうけた。上との話はついているというので、セルゲイはロシア国籍と高報酬になかばつられて、その移籍に従った。
身分はSVRではなく、連邦保安庁に属するかたちで、この軍事会社の顧問になっている。つまりは、非道なことを日常的にやっている傭兵部隊のお目付け役と、国際的に非難されたときの生贄として用意されたというわけだ。
だからセルゲイの命は、いつどうなってもおかしくはない。不満はなかった。いままでやってきたことを考えれば、安穏とした死はおとずれないだろう。それぐらいの道徳心はある。殺しが快楽になることは、もはや止めようもないが。
「脱落者が大量に出てる。そう簡単にはいかない」
料理番は、早期の帰国をうながしていた。戦争の準備をしたいのだ。
いまでは隣国になっている領土を取り戻す戦い──ロシア人ではないセルゲイにとっては、そんな大義はどうでもよかった。戦えと命令されれば、喜んで人を殺すだけだ。
「仕方ないだろう。よくわからんが、やばいやつがいるらしい」
これまでに、数人のメンバーがやられている。死者こそ出ていないが、かなりまずい状況だ。
「何者かだって? だから、わからないんだって」
嘆くように、セルゲイは言った。こっちでおこっている事態に直面していない料理番には、手を抜いているとしか思えないのだろう。
よくわからないが、中国諜報組織が事前によこした資料では、眼の見えない男から、ある情報を奪うことだった。殺して奪ってもいいというので、そのつもりで手引きのあった場所で作戦を開始した。同じ場所には、べつの機関も人員を配置していた。そいつらともども皆殺しにしようと考えたのだが、送り込んだメンバーは、全員やられた。
しかし、べつの機関に倒されたわけではない。そいつらの戦闘力を削いだ、と連絡をうけたばかりだった。いや、その連絡の途中で、べつの何者かに襲撃されたようだ。
まさか眼の見えないターゲットにやられたわけではないだろうが、不可解な事象だった。倒されたメンバーを回収し、彼らに話を聞いても、だれもやった人間を目撃してはいなかったのだ。
謎はあきらかにならず、だがその日のうちに新たな作戦の機会を得た。今度はもっと大掛かりに、ターゲットを仕留めることになった。中国だけではなく、この国の協力者もお膳立てに加わった。どういう経緯でそうなったのかまでは、セルゲイにはわからなかった。本国にいる料理番には話が通っていたから、セルゲイとしてもそれでよかった。
「おれたちは、とんだ貧乏くじをつかまされたのかもしれない……いや、愚痴じゃない」
セルゲイは、つい弱気な言葉を吐いてしまった。
「とにかく、残りで仕事は片づける。帰国したら、すぐ準備にとりかかるから、それについては問題じゃない。大丈夫だ。人員がたりないなら、シリアから応援を頼んでやる」
心配性の料理番をなだめながら、セルゲイは頭をめぐらせていた。
ひさしぶりに、自身でナイフを握ろうと心にさだめていた。
ターゲットの心臓を貫いて、しぶいた血で祝杯をあげるのだ。いまから、胸が躍った。そのことを差し引けば、手強い標的に感謝したいぐらいだった。
「すんだら、連絡をする」
通話を終えると、携帯をテーブルの上に放り投げた。
さて、狩りに行く準備をしようか。
装備のなかから、軍用ナイフを取り出した。
ロシア国籍とともに、大統領から頂戴したブツだ。
スペツナズナイフ。
かつて旧ソ連軍の特殊部隊が所持していたとされる飛び出し式のナイフだ。強力なスプリングでとめられたブレードを、スイッチを押すことよって射出することができる。
スペツナズという名の部隊が使用していたのだと、これをもらうまで勘違いしていたのだが、『スペツナズ』とは特殊部隊の意味で、どこか特定の部隊を指す言葉ではないそうだ。
しかしそのなかでも、ソ連軍情報機関──現在の参謀本部情報総局、いわゆるGURのことをおもにそう呼んでいたらしいが、いずれにしろ名誉なことだった。
このナイフを使って、実際に敵を殺したことはなかった。潜入任務でもないかぎり、戦場でナイフを抜くことはまずない。銃のほうが簡単だからだ。
だがここ日本では、銃の使用は場所を選ばなければならない。逆に、ナイフのほうが使いやすい。
どうやって仕留めてやろうか……。
セルゲイの気持ちは、はやるばかりだった。
「ん?」
とのとき、不穏な気配を感じ取った。
ごく些細なものだ。
室内は、薄暗い。夜景を楽しむために、あえて電灯はつけていない。窓から見える都会の景色は、平和そのものだった。
きっと景色に反した物騒な想像をしてしまったから、違和感として脳がざわめいたのだ。戦場から日常へ……日常から戦場へもどったときに、よくそういう感覚に出くわすものだ。
セルゲイは、取り出したナイフをテーブル上の携帯電話と交換した。今回の失敗は認めなければならないが、すぐに取り返す。負傷したメンバーの収容は済んでいる。セルゲイ自身をふくめ、日本につれてきた残りの三名と、作戦を引き継がなくてはならない。できれば今夜中に、汚名をそそいでおきたい。
中国のエージェントから、すぐにでも連絡がなければおかしいのだが……。
セルゲイのほうから催促するつもりになった。
「!」
やはりこの室内に、自分とはべつの気配が漂っている。
しかし、ほかにはだれもいない。
……いないはずだ。
残りのメンバーにも、それぞれ部屋をとってある。ここにいるのは、セルゲイただ一人。
イヤな感覚だった。セルゲイは、市街戦や砂漠地帯、平原の戦闘しか経験したことはない。密林での戦闘に慣れた兵士から、本当の恐怖は敵が見えないことだ、と教えてもらったことがある。樹木に溶け込み、野生動物のように息を潜め、敵を待ち伏せする。そんな敵を前にしたら、生き残るのは難しい。
逆に置きかえれば、自分がそのように罠を仕掛ければ、相手は発狂するように逃げ出すだろう。
「……」
だから、逃げるわけにはいかない。ここで取り乱せば、それこそ敵の思うつぼだ。
気のせいか?
ただの錯覚か?
もし本当に狙っている人間がいるのだとしたら、返り討ちにしてやる……。
神経を研ぎ澄ます。
ゆっくりと動きながら、テーブルのナイフに手を伸ばそうとした。
信じられない現実を突きつけられた。
「どこだ……」
呆然としたつぶやきが、自身の唇からもれた。
たしかに置いたはずのスペツナズナイフが無くなっていた。
「だれだ!? 隠れてないで出てこい!」
声は虚しく部屋の壁に反響している。
セルゲイは、すべての部屋を見回った。といっても、高級ホテルというわけでもないから、部屋の数はたかが知れてる。トイレにもバスにも、だれもいない。
電気はつけなかった。光は、有利にはたらくこともあれば、逆に不利な状況に追い込まれる可能性も秘めている。このままのほうがいい。それに、真っ暗というわけでもない。テレビはつけてある。言葉がわからないので、観ているというわけではないが。
冷静になるんだ。この狭い空間にべつの人間が潜んでいれば、絶対にみつけている。
それができないのは、ここにはだれもいないからだ。気配は錯覚だ。消えたナイフも思い過ごしだ。ナイフをバッグから取り出してはいなかったのだ。
なかば自分をそう信じ込ませ、セルゲイは窓の外を眺めた。落ち着くためだ。
「!」
セルゲイは、呼吸を止めた。
窓に何者かの顔が反射している。うかつに動くわけにはいかない。すぐに殺すつもりなら、すでにやっているはずだ。
ゆっくりと、セルゲイは振り向いた。
ようやく呼気を吐き出すと、覚悟をきめた。
「何者だ?」
声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
しかし──眼の前にいるはずの人物の姿は、どこにもなかった。
『死をもたらす者に、名前はいらない』
「ど、どこだ!?」
声だけが、室内に響いている。
『おまえは、悪人か?』
「なんだと?」
言語はつたないロシア語だ。
『おまえは、悪人か?』
繰り返した言葉は、アラビア語だった。
ロシア語とアラビア語をつかったということは、自分のことをよく知ったうえで狙っているのだ。
ついに、切り捨てられるときがきたのだ──セルゲイは、呆然と思った。
だが、このままおとなしく死ぬつもりはない。
「おれが悪人かだって? 人をよろこんで殺す善人がどこにいる!」
セルゲイは、吠えた。
どのような攻撃を仕掛けられても、必ず報復してやるのだ。
侵入者の姿が現れたのは、それこそ突然だった。なにもなかったような空間に、人の形が浮かび上がった……。
いや、最初からいたのだ。
ようやくセルゲイは、正解にたどりついた。
こいつは、人としてこの部屋にいたのではなく、物として存在していた。脳が、人だと認識できなかったのだ。
擬態か。
気配を殺し、部屋に溶け込んでいた。
「ふざけたまねを……」
セルゲイは、呼吸をととのえた。
侵入者がかまえているのは、いま奪われたばかりのナイフだった。銃器を持っているわけではない。
「姿がわかれば、おまえなど怖くはない」
自身の有利を悟った。セルゲイは、もともと接近戦を得意としているのだ。共和国防衛隊に所属していたときは、素手で三人を殺したことがある。
侵入者は、ナイフを突き出すような構えをとっていた。距離が遠い。
素人が!
セルゲイは、勝利を確信した。不思議な潜入術をつかうようだが、所詮は曲芸だ。本物の接近格闘をみせてやる!
「!」
セルゲイは、肝心なことを忘却していた。
ナイフのブレードが、自分めがけてやって来る!
このナイフは、スペツナズ──。
逃げられ……。
それが、セルゲイが最期に考えたことだった。




