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      20.木曜日午後5時半


「本当に、ここなのか?」

 おれは、念のために確認した。

「さあ、どうでしょう」

 この女……ここまで案内しておいて、肝心なところでとぼけやがった。

 世良の居場所を知っていると考えたおれは、このマリに世良と会わせるように交渉した。で、こんなところまでやって来たというわけだ。

 ここの地名や建物の外観などはあまり重要ではないので、詳細は省くことにする。ひと言で表現すれば、廃工場のようなところだ。

 世良のような表の住人が逃げ込むような場所ではない。裏社会の人間が隠れるにはもってこいだが……。

 実際に、おれもこのような隠れ家をいくつかもっている。まちがいなく、《かかし》のアジトだろう。麻衣もいっしょにいたはずなので、おれはその痕跡をさがした。

 べつの物騒な様子が見て取れた。

「一応、聞いておく」

 マリは何事もない顔でとなりにいるが、おれほどの人間なら、この空間でなにがあったのかは、お見通しだ。

「ここで何人殺した?」

 死体はない。血痕も処理されている。しかし、それでもここが凄惨な現場あることはわかる。

「言ったでしょ、殺してない」

 嘘をついているようには見えない。だが、この女は平然と嘘をつける。現に、世良の恋人として任務を続けているのだ。

「わたしがそのつもりなら、あなたにだってわからないようにやるわ」

 恐ろしいことを平然と口にしていた。

「では、ここでなにがあった?」

 世良たちは、何者かに襲撃された。それをこの女が守ったということなのだろう。

 殺していないというのが本当のことならば、考えられるのは、世良を狙っていたのは一つの勢力ではない。二つの勢力が、かち合ってしまった。

 そして、殺し合いがはじまった。

「そうか……どこかと、どこかがやりあってるあいだに、背後からその連中を始末したのか」

「だから、殺してない」

 マリは、ことさら強調した。

 が、この女が何人殺していようが、このさいどうでもいい。問題は、肝心の世良がいないということだ。

「やつの逃走も手引きしたのか?」

「わたしは知らない」

 嘘ではないか……。

 この女は、世良に正体を隠している。姿をさらして……いや、眼の見えない世良には無意味な心配か。だが、いっしょにいた麻衣や《かかし》からは隠れなくてはならない。この女は、敵を倒しただけだ。あとの処理はべつの人間がおこなっている。

 おそらく、おれの前によく現れるあの《おおやけ》だろう。

「おまえの上司も知らないのか?」

「わたしに上司なんていない」

「わかった……上司じゃなくてもいい。とにかく、ここの事後処理をやった責任者も、世良の行方は知らないのか?」

 女は答えない。答えないが、その人物でもわからないようだ。

「連絡する手段はないのか?」

「携帯も切ってるみたい」

「だがおまえらは、どうやってここをつきとめた?」

 ちがう。この女は、世良の居場所は知らなかった。あの男や《かかし》が、いかにこの女であろうとも、悟られるような隠れ方をするわけがない。

 この女は、べつの人間──組織を見張っていた。そして、ここにたどりついた。

 もちろん、実際には大半をおれといっしょにいたわけだから、ポイントしていたのは、べつの《おおやけ》だろうが。

 この女をつかわなければならいほどの脅威がやって来たってわけか……。

 しかし、その脅威とやらは、どうやってここをつきとめたのだ?

「そうか……罠をはったな」

 世良が、かけられたのではない。

 世良のほうから、ここに連中をおびき寄せたのだ。

 たぶん、携帯の電源を入れた。

 敵が中国だろうと、べつの国の人間だろうと、どうやらそのすべてと《おおやけ》はつながっているらしい。二重スパイの女が中心にいるから、こんなことになっているのだろう。

 とにかく、《おおやけ》の協力があれば、携帯から位置を特定するのは簡単だ。

「おい、もう一度、携帯を確認してみろ」

「……」

 マリは、すぐに動こうとしなかった。いまこの状況で自身の携帯をつかって世良に連絡をとりたくないのだと考えがいった。

 この時間、この場所でかけたことが明るみになれば、世良に正体がバレるかもしれない。いや、世良が疑わなくても、身近にいる人間……たとえば、あの桐野とかいう刑事が調べるかもしれない。

 だが、この女ほどの人間ならば、そういうときのために、足のつかない予備も持っているはずだ。

 おれの思いを視線で感じたのか、しぶしぶといった感じで、マリがもう一つのブツを取り出していた。まちがないなく、非常時のためのものだ。

「はい」

 それをおれに差し出した。好きに使ってもいいという意味だろう。

「番号は?」

「……」

「大丈夫だ、覚えない」

 信じられるわけがないでしょう──そんな眼をしていた。だったら最初からおれに渡すな、と抗議したい気持ちだったが、それをどうにか堪えた。

「返して」

 てっきり、心で思ったことが伝わってしまったのだと考えたが、ちがった。マリが番号を入力していく。非常時のものだから、登録もしていないのだろう。

「画面は見ないで」

 厳しい口調で念を押してから、あらためておれに差し出した。

 見るなと言われると見たくなるのが人の習性だ。だが、眼光に殺意がこもっていたので、やめておいた。

『もしもし?』

 まちがいなく、世良の声だ。

『もしもし?』

「例のものは、どうした?」

 おれは、切り出した。

『どうしてこの番号を知っている?』

「そんなことは、どうでもいい」

 本来なら敵である男に、おれは親切にも忠告してやろうとしている。

「いいか、まともには考えるな」

『なにが言いたい?』

「謎の女が、おまえのほうにもかかわってるだろう?」

 おれのほうは、CIAをほのめかしているから、おそらく世良のほうは中国だ。

「その女のやり口は、《店員》仕込みだ。必ず、裏がある」

 この男も、《店員》には煮え湯を飲まされている。

「おまえのことだから、安易にブツを渡したりしないだろうが、気をつけろ」

『なにがあるというんだ?』

「おまえも感じてるだろ? とにかくイヤな予感だ」

 これだけ注意しておけば、この男がまちがった方向に進むことはない。

「いいな、忠告はしたぞ」

 おれは通話を切って、携帯をマリに返そうとした。

「もう使えない。あなたが始末して」

 殺し屋もスパイも、こういうところは同じだ。

 廃工場を出て携帯を処分してから、おれたちは今後の指針を相談した。おれとしては、なんとしても事態を収拾して、二重スパイの女から金を受け取らなければならない。

 このマリにとっては自身の任務もあるだろうが、なによりも世良のむかえる危機を回避したいだろう。

 正直言って、ウイルスだのワクチンだのは、おれの領分ではない。世界の平和や安定は、正義側にいる人間の役目だ。世良にまかせるべきだろう。

「もう一度、確認しておくが……世良のもってるワクチンに裏があることは、知らないんだな?」

 正確には、ある場所の情報ということになるのだろうが。

「知らないわ。でも……裏があるのかどうかは、あなたの予想なんでしょ?」

「《店員》の名前が出た以上、裏があると思っておいたほうがいい」

 それと、もう一つだけ確認しておかなければならない重要な懸念材料があった。

「《店員》は、どうなった? まさか、解放したなんてことはないだろうな?」

 責めるような口調になってしまったかもしれない。

「そういうことには関知していない」

 その言葉に嘘はないだろう。この女は、あくまでも実働部隊だ。それを決定できるだけの立場ではない。

 だが《店員》を倒したのはほかでもない、この女自身なのだ。

「話ぐらいはまわってくるだろう?」

「知らない」

 かたくなに、そう通すようだ。想像を軽々しく口にするつもりはないということだ。

「わかった……《店員》のことはいい。これからの行動をどうするかだ」

 おれは、ことさら強調して視線を合わせた。

「わたしに聞いてるの?」

 二人しかいないのだから、それしかないだろう。

「まさかとは思うが、おれと行動をともにすることが、おまえの任務なのか?」

 よくよく考えれば、世良に近寄らせないためだと言うのは口実で、本当はそういう指令をうけただけではないのか……。

 おれはそれを言葉にすることで、同時に確信していった。

「裏を読みすぎよ」

「では、いつまでおれといっしょにいる?」

「うぬぼれないで。べつに好きでいっしょにいるわけじゃない」

 そんな話がしたいわけではない。こっちだって、いつ寝首をかくかもしれない女と行動をともにしたくないのが本音だ。

「あなたは、どう出るつもり?」

「そうだな……さっきの場所で世良を襲った連中は、おまえが始末したとして」

「物騒なこと言わないで」

「まあ、聞け。そいつらが、べつの部隊をおくってくるかもしれない」

「で?」

「そのおおもとを叩く」

 世良を襲ったということは、いっしょにいる麻衣を危険にさらしたということだ。いまは《かかし》にも守られているから、彼女が安全なのはまちがいない。

 だが、麻衣に危機をもたらしたということは、おれに喧嘩を売ったということだ。そのことを相手にわからせなければならない。

「西側のどこかと、中国でいいのか?」

 その予想には腑に落ちないものがあったが、おれは訊いた。

 二重スパイの女が仕掛けたのなら、そういうことになる。しかし、二つの勢力がここで殺し合ったのだとしたら、疑問が残る。さすがに中国でも、そこまでの荒事はさけるはずだ。

「……たぶん、ちがう」

 マリは答えた。たぶん、という前置きは、真実を知っているが、立場上、曖昧にしておきたいという意味合いがこめられている。

「じゃあ、どこが襲撃した?」

「北のほうじゃないかしら」

「北?」

 これも、わざとぼかして発言している。北朝鮮が、今回のことに介入してくる可能性はない。それよりも北にある国だ。

「ロシア?」

 マリは、否定も肯定もしなかった。

 つまりそれは、まちがいなく肯定を意味している。

「なぜ、そんなのが出てくる?」

 これまでに、ロシアの影はまったくなかった。

「わたしに、わかるわけないじゃない」

「そんな謙遜はいい。知ってることを言え」

 おれは、厳しい口調で問い詰めた。

「噂なら知ってる……」

「どんな噂だ」

 あくまでも「噂」という前提を信じるふりをしてやった。

「今回のことにその国は関係してないけど、赤い旗の国家としては、自分のところの人間を使えないのよ。どうしてかわかる? あなたが関与してしまったから」

 わかる? のところで、おれの答えを待つのかと思ったが、マリはあっさりと答えまでいってしまった。

 要約すると、おれが接触してきたから、中国は人員を世良のほうにまわせなくなったということだろう。バケモノが二人も相手では、大国であろうと手を焼くのは当然だ。

「あの国とあの国は、赤という色は同じでも、けっして仲良しじゃない。それは、わかるわね?」

 マリは、おれを塾の生徒のようにあつかっていた。

「だろうな。世界で一番信用できない国と、二番目に信用できない国なんだから」

 どっちが一番か二番かは、このさいどうでもいいことなので、おれはそう答えた。

 信用できない同士、当然、どちらの国も相手のことを信用していない。

「でもね、いま水面下で二国は急接近しているようなのよ」

「理由は?」

「これは、あくまでも噂よ」

 またこのセリフだ。聞き飽きたが、おれはうなずいてやった。

「巨熊は、さる隣国と戦争をするつもりなのよ」

「戦争? たしか十年ぐらい前に、隣国の半島に侵攻してたな? そういうやつか?」

「いいえ、今度のは本格的な戦争よ。すでに首都を占領する計画もあがってるそうよ」

「まさか。いまが何世紀だと思ってるんだ? 常任理事国が戦争?」

「これも噂だけど、その国の大統領は、もうまともな判断ができないようだわ」

「どういうことだ?」

「だれだって歳をとれば、そうなってしまうということよ」

「認知症ってことか?」

「病名は、どうだっていい……その国は、ここ数十年で独裁体制を確立させてしまった。こういうことは今後、独裁国家の懸念になるでしょうね」

「ほかの大国は、どうするつもりなんだ?」

「それは、その国々に問い合わせてよ」

「噂でもいい」

 この女は、潜入工作員という道具としての才能だけではない。アナリスト並みの分析能力も有しているようだ。少しの情報だけで、すべてを見通すことできる。

「NATOは、傍観するでしょうね。アメリカの腰が引けてるから」

「止めるつもりはないのか?」

「止めるもなにも、まともな話が通じる相手じゃない」

「……ロシアの事情は、わかった。で、どうしてそれが、今回の件と?」

「日本に入ってきたのは、FSBの特別作戦部隊よ」

「SVRじゃなくて?」

 おれの記憶が正しければ、そちらのほうが国外の諜報活動をおこなっているはずだ。FSBは、国内や国境警備が任務だと。

「対外情報局ではなくて、連邦保安庁なのは、それこそ戦争の準備なのよ。ロシアが紛争にからむとき、必ず派遣される傭兵部隊があるの」

「噂では聞いたことがある」

 民間軍事会社を名乗ってはいるが、実態はロシア──もっといえば、大統領直轄の殲滅部隊だという。相手勢力だけではなく、民間人の住む集落や村も皆殺しにする部隊らしい。

「悪名高いそれを指揮しているのが、FSBってわけ」

「この国で予行演習でもしようってのか?」

「予行演習にもならないでしょう。軽いストレッチぐらいじゃないかしら」

 マリは、そこで気だるい吐息をはさんだ。

「戦争をはじめたら、西側のチームは経済制裁をすることになる。そうなると、頼れるのは赤い旗の国家だけ」

 中国に恩を売っておいて、なおかつ殲滅部隊の準備運動にもなるってわけか。

「何人が入国してるんだ? おまえが倒したのは、そのうちの何人だ?」

「精鋭かどうかわからないけど、まだ何人かは残っているでしょうね」

 具体的な人数は、あえてなのかマリは口にしなかった。

 そしてそこで、おれはこの女のたくらみに気がついた。

「そうか……おれに接触したのは、任務のためだけじゃない。おまえは、そいつらから世良を守りたかったんだ。そのために、おれを利用しようとしている」

「考えすぎよ」

 この女の表情を見れば、正解していることはあきらかだ。

「でも稀代の殺し屋が、このまま引き下がるはずなんてないわよね?」

「あの男を助ける義理はないね」

 敵でこそあれ、けっして味方ではない。それに、あの男のほうもそれを望まないだろう。

「だけど、あなたは逃げられない」

「なぜそう思う?」

「あなたは、あの女の子を見殺しにできない」

 麻衣のことを言っている……。

《かかし》がついているとはいえ、彼女が世良と行動をともにしたということは、敵側にも麻衣の情報が流れているかもしれない。

「おい、あのとき秋葉原で、麻衣がだれかにつけられていると教えたのは、嘘だな?」

 魂胆は、こうだ。

 麻衣に危機が迫っているとおれに思わせ、麻衣を安全なところへあずけるとふんだ。《かかし》の介入は世良の配慮によるものだから、この女でも計算できなかっただろうが、結果として麻衣は世良と行動をともにしている。この女の嘘があったからこそ、おれもむしろそのことを好ましく考えていた。

 だが、世良にそんな物騒な連中がかかわってきたのなら、話はべつだ。

「おまえ、正気か? 一般人の大学生を危険にさらしたんだぞ!」

「殺し屋のあなたが、そんなことで怒るなんてね」

「なんだと?」

「あなたに巻き込まれた段階で、あの子はどのみち危険だったのよ。それを棚に上げて、よくそんなことが言えるわね」

 おれは不覚にも、言い返すことができなかった。

「それに安心して、あの人が麻衣さんの命を軽んじるはずがない。すくなくても、あなたよりはね」

「……」

 これにも言い返せなかった。悔しい……。

 しかし、ただ悔しがっていたわけではない。おれは、新たなるこの女の嘘に気がついていた。

 マリがおれと接触したときには、まだ「と金」をつくっていなかった。中国がおれのせいで人員をさけなくなったというのは嘘ということになる。

 殲滅部隊は、そのまえから動いていた。おれの心情に訴えるために、この女はたくみに誘導しようとしている。

「どうしたの?」

「麻衣になにかあったら、おまえはおれの敵になる……おぼえておけ」

 嘘についてはのみこんで、おれは忠告した。

「元凶は、これからあなたが排除してくれるでしょうから、彼女は安全なのよ。ね、そうでしょ?」

 有無を言わさぬ口調で、マリは殲滅部隊の始末をおれに押しつけた。

 かつて抱いたおれの考えは、まちがっていなかった。

 この女は、危険だ。


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