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16.木曜日午前12時
「で、むこうはどう出ると思ってるの?」
ラブホテルの一室で、ユメが問いかけた。
もちろん、ベッドのなかではない。こんな女と寝たら、それこそ寝首をかかれるだろう。伝説とまでいわれるおれがそんな最期をむかえから、シャレにもならない。
「あのセーフハウスのまわりは厳戒態勢だろうな」
「それでも、行くつもり?」
「当然だ」
そうでなければ、餌をまいたことがムダになる。
「稀代の殺し屋も、ただの無鉄砲な男だったってわけね」
えらい言われようだ。
「わたしに、なにか手伝えることはある?」
「ない。足手まといになるから、ついてくるな」
この発言は、ただの意地だ。
あれから一時間ほど経過している。監視カメラで見ていた連中が、対策をたてたころだろう。
とはいえ見ていただけの連中が、あえて姿をあらわすことはない。最初から最後まで安全な場所にいつづけるだろう。これからも、あの「と金」が連絡係としてつかわれる。おれとしても、なんの能力のない、ボンクラのほうがあつかいやすいというものだ。
マリを残して、おれはホテルを出た。
あのセーフハウスまでは十分ほどでつく。
周囲に不審なところはなかった。おれは気配を消しているから、いまの距離では存在を察知されることはない。
家に近づいていく。なかで待ち伏せされていたら、気づかれてしまうだろう。さすがに来るとわかっているのなら、おれの能力も役に立たない。
「ん?」
おれの眼にあるものが映りこんでいた。
玄関の斜め上方に設置されている監視カメラだ。さっきはなかったので、急場で用意したものだろう。
が、おれが注目したのはそんなものではない。そのカメラにあるものがテープで貼り付けてあったのだ。
「携帯か……」
なるほど、おれが必ず最初にチェックするであろう箇所に置いたということは、それだけおれと話がしたいということだ。
同時に、これまでのカラクリが見えたような気がした。今回の一連の騒動について──。
おれは、シャンプしてその携帯をむしり取った。来た道をもどって、セーフハウスから離れた。
携帯には一つだけ番号が登録されていた。
そこにかけたみた。
『ごきげんよう』
知っている声が出た。あの仲介役をかってでた女だ。
「やはりおまえか……」
『あなたなら、ここまで来てくれると信じていたわ』
「姿を現せ」
『殺し屋の前に出るなんて無謀なことはしないわ』
「おまえの正体はわかってる。CIAだ。いや、べつの組織かもしれないが、アメリカの諜報機関だろ?」
『それはどうかしら』
「もちろん、それだけじゃない。おまえが一方だけの側に立っているのなら、こんなまわりくどいことをする必要がない」
『では、なんだというの?』
「もう一方の側にも立っている」
つまり、二重スパイだということだ。
『ふふふ』
女は、愉快そうに笑った。
『それがわかったとして、あなたはどうするというの?』
否定することもなく、女は続けた。
「……」
『たぶん彼のほうが、あなたよりも早く気づいたと思うわ』
彼──おそらく、世良だ。やはりこの女は、おれと世良を天秤にかけている。かつて権力者の浅田親子を天秤にかけた《店員》のように……。
いや、そういう行動をとるのが、こいつらの種族特性なのだ。
「おまえの目的は、なんだ? 結局、どうしたいんだ?」
『あなたたちは、そのまま進んでくれればいいのよ』
「ふざけるな」
『あら、わたしは悪いことに利用しようとしてるんじゃない』
「それがどうした」
殺し屋に善悪の問題を説こうとするとは、的外れもいいところだ。
『あなただって、未知のウイルスで死にたくないでしょう?』
「……」
自分の身を守るためだと言われれば、反論は難しくなる。痛いところをついてきた。
「おれを動かしたいなら、最初から真実を口にすればよかった」
『そんなことで稀代の殺し屋からの協力がえられるかしら?』
そのとおりだ。おれは、こんな面倒なことに首を突っ込みはしない。こうでもされないかぎりは……。
いまからでも手を引くことはできる。
だが、それはそれで癪にさわる。
「で、おれは次になにをすればいいんだ?」
『あなたは、これからもワクチンのデータを手にしたと思わせてくれればいいわ』
その口ぶりだと、おれの嘘はわかっているようだ。
「だれをあざむく? 赤か青か?」
それはつまり、女がどちらの側にとっての二重スパイなのかにかかってくる。もとは、どちらなのか……。
「資本主義か、共産主義か?」
『それらを超越したシステムよ』
「どういうことだ?」
『世界の、ある一定の領域では、主義の色なんて意味がないということよ』
ここでどんなに考えても、答えまではたどりつけない。この女は、そういうふうにヒントを出している。これも、こいつらの種族特性だ。
「わかった……おれは、予定どおりの行動をとればいいんだな?」
おれはあきらめて、不毛な問答をやめた。
『そうしてちょうだい』
「一つ確認したいんだが」
『なに?』
「あんたがどこの国、勢力に所属しているのかはどうでもいい。だが、おれはどこにも属していない。わかるか?」
『もちろんよ。報酬のことを心配してるのでしょう?』
女がそのことを察してくれたので、おれは安心した。もとより善人ではないし、金を稼ぐために人をあやめる外道がおれだ。
『それなりの見返りは期待していてもいいわ』
まったく信用できなかったが、そのことを追求したとしても時間のムダだ。具体的な金額を提示されたからといって、こいつへの信頼度が上がるわけではない。
かといって、なにも報酬を渡さないのなら、おれは確実に敵となる。むこうだって、むやみに敵をつくりたくはないだろう。自分で言うのもなんだが、おれは無視できるようなただの敵ではない。
そのことさえ確認しておけば、もう女と話すことはない。おれは、この近くに小さな川が流れていることを思い出した。そこまで足をのばして携帯をよどんだ水面に投げ入れると、もう一度、例のセーフハウスに向かった。
当初の予定どおりに侵入すると、二階へ向かった。家のなかの様子は、午前と変わっていない。だれかが待ち伏せているということもなかった。
「と金」も同じようにイスに縛られていた。ずっと監禁が続いているのか、それとも一旦は解放されているのか……。
どちらにしろ哀れで気の毒だが、おれに殺されないだけマシだと思ってもらおう。
さきほどのように背後へまわってから、気配を解放した。
「答えを聞かせてもらおう」
「わ、わかった……」
目隠しはされていたが、猿轡はされていなかった。
「取引に応じる……」
「では、十億円分をドル紙幣で用意しろ」
現在のレートなんて知らないが、ドルだと一千万ぐらいだろう。
「そ、そんなに……」
「それだけの価値はあるはずだ」
というより、取引に応じやすいようにわざと安く言ったつもりだ。ワクチンのもたらす財は、天文学的な額になるはずだ。
「わ、わかった……そう伝える」
盗撮や盗聴器のたぐいが部屋からなくなっている。もっと巧妙なところに移動したのかもしれないが、そうでないなら、この取り引きをなんとしても成功させたいというむこうの思惑があるのかもしれない。
二重スパイの女は当然のことながら両者の利益を天秤にかけているから、このおれと取り引きするべきだと上司に進言しているだろう。それとも、その上司の立場なのか。
「午後五時、芝公園に金をもってこい」
「そ、それでは急すぎる……」
「だったら、べつのところに持ち込むまでだ」
おれは気配を消した。眼をふさがれているこの男は、一瞬で姿が消えたと思ったことだろう。
「お、おい!?」
盗聴も盗撮もされていないとすると、おれの来訪を仲間にしらせる方法があるはずだ。
おれがいなくなったと信じた「と金」は、縄を自力で解きはじめた。なるほど、ゆるく結んでいたというわけか。簡単なトリックだ。
なんとか自由になった手で目隠しを取ったところで、「と金」の後頭部に掌底を当てて、意識を飛ばした。かわいそうだが、おれが遠くに離れるまで、しばらく眠ってもらう。
セーフハウスを出た。
「ん?」
おれは、不穏な空気を感じとっていた。
強烈な殺意のようなものが近づいている。
覚えのあるものだ。
おれは駆けた。予感にまちがえがなければ、あの厄介な人間凶器だ。
北米大陸から、はるばるやって来たようだ。
あの女が、CIA(もしくは、それに準ずる諜報組織)のエージェントとして派遣したのだろう。
鉄球男の姿は、まだ見えない。いまの場所が襲撃にはふさわしくないからだ。おれが細い路地に入り込んだすきに距離を詰めてくる。
周囲を見回した。
あの女は、おれにここで死んでほしくはないはずだ。だから逃げられるように、なにかを用意している。
あった。
倉庫のような建物が並んでいる一画なのに、不自然に一台だけ路駐している車がある。赤いクーペだ。おれは、その車に近づいてドアを開けようとした。
おれもバカではない。カフェの爆破を思い浮かべた。車の下に爆弾とおぼしきものが置かれていた。コントで使うような、あからさまな形のやつだ。
車に乗り込んだらドカンといく手筈だったようだ。
車で逃走しようとしていると悟ったのか、鉄球男がようやく姿をあらわした。いままであの巨体をどこに隠していたのか……おれは感心した。
いや、そんな場合ではない。手をのばして爆弾を取ると、鉄球男に投げつけた。
しかし、爆発しない。あれはフェイクだったようだ。だとすると……。
おれは車のドアを開けた。やはりロックはかかっていなかった。キーも刺さったままだ。
エンジンをかけた。
鉄球男が駆け足で向かってくる。あいかわらず巨体のわりに素早い動きだ。だが、アクセルは踏まない。
「1、2」
おれは数えた。
秒数は勘でしかないが、おそらくエンジンをかけて五秒だ。
「4、5」
いままさに、鉄球男が車に飛びかかろうとしていた。
おれは助手席側のドアから外に出た。
そこには細い路地に通じる曲がり角がある。全力でそこに飛び込んだ。
その直後、けたたましい爆発音が轟いた。
爆弾がダミーだったとしたら、本物はわからないように仕掛けられているにきまっていた。ダミーを排除してから安心してエンジンをかけたら、ドカン、という寸法だ
想像していたよりも大きなものではなかったが、直撃をうければ、いくらあのバケモノでも五体満足ではいられまい。
おれは入り込んだ路地から、様子をうかがった。
さすがのおれでも唖然とした。
車は煙を吐き出しながら損傷していたが、やつは何事もないようにピンピンしていた。
ただし、おれのことは見失っているようだ。
こんなやつと、まともにやりあうほど愚かではない。
プロは、よけいな殺しはしないし、ムダな戦いはしない。
簡単に殺さないのがプロだ──に続く新しい名言を教えてやろう。
迷わず逃げるのがプロだ。




