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      15.7日午前11時


 車から降りると、水の臭気が漂っていた。

《かかし》の用意した車で移動したのだが、こういう特殊な人物でも車を普通に運転するのだということに軽い驚きがあった。《U》にもいえることだが、瞬間移動でもできるのではないかと非現実なことまで考えてしまう。それほどまでに超人的な男たちなのだ。

 しかしこのことを、《かかし》にしろ、やつにしろ、声に出して伝えたら、おまえもバケモノだ、と言われそうだ。

「ここは?」

 建物に入ったことが、音の反響と空気感でわかった。

「隠れ家の一つだ」

「川沿いだな」

「おっと、あまり詮索はせんでくれ」

 麻衣は目隠しをされていないはずなので、ここまでの道程を知ってしまったことになる。とはいえ、それだけで彼女をどうにかするつもりなら、ここへ案内などしないだろう。

 だが念のため、この場所について彼女に質問することはやめておいたほうがよさそうだ。

「ここにずっとこもっていろ、ということですか?」

「それは、あなたの自由だ」

 自由ではあるが、そうしていたほうがあなたのためだ──そのような言外の意をくみとっていた。

「携帯も使わないほうがいいでしょう」

 ここへ向かうまえに、世良と麻衣の携帯は電源を落としている。

「知り合いに、あるものを解析してもらってる」

「存じています。あなたの助手と、捜査一課の刑事さんが向かった場所ですね?」

 この男に知らないことはないのではないか……そんなことまで考えてしまう。

「いいでしょう。わしが様子をみてきましょう」

「……」

 よこしまなたくらみはないだろうが、裏社会の人間に託すのはリスクがともなう。まだ全貌はあきらかではないが、未知のウイルスのワクチンデータであった場合、人類の存亡にかかわってくることだ。

「大丈夫ですよ。あなたの助手さんも刑事さんも、わしのことを知っているでしょう」

 世良の懸念には気づけなかったのか、かかしは言った。いや、あえて論点をぼかしたのだと直感した。

「では、さっそく向かうとしようか」

 かかしは、そう言葉を残して遠ざかっていった。おそらく眼が見えていれば、突然姿が消えたように錯覚したはずだ。

 麻衣にもそう見えたはずだが、もうなれているのか驚くような素振りはなかった。

「きみを巻き込んでしまって、申し訳ないと思ってる」

「いえ、巻き込んのは世良さんじゃありません。あの人のほうです」

 麻衣は、困っているような……しかし、親愛の情ともとれる複雑なものを声にのせていた。

「やつを信頼してるみたいだけど……いや、やめておこう」

 これ以上《U》のことで忠告をするのは、よけいなおせっかいになる。彼女だって、若いからといって愚かではない。やつがどういう種類の人間かは、前回のことでよくわかっているはずだ。

「この部屋には、なにがあるかな?」

 世良は話題を変えた。

「ソファがあります。四角いテーブル。窓はありません。テレビもないです」

 手でさぐりあてて、ソファに腰をおろした。

「まえにあの人の隠れ家に行ったことがあるんですけど、そこと似ています。ここは地下室じゃありませんけど」

「ソファは一つだけ?」

 一応、となりのスペースをあけて座っていた。

「向かいにもあります」

 どうやら、彼女はそちらに座ったようだ。

「大学は、どう?」

「うーん、楽しいですよ」

 他愛のない会話に変化していった。場をもたせるためには、こういう内容にするしかなかった。

「世良さんのほうは、どうなんですか? いまはどんな依頼をうけてるんですか?」

「ドラマとかで観たことないかな? 探偵は、依頼人を明かせないんだ」

 クスッ、と笑いがもれていた。

「どうしたの?」

「同じようなセリフを、あの人も言ってました。プロは依頼人をあかせない、みたいな」

 結局、やつのことに話題がもどってしまった。

「……どこまで聞いてるの?」

「ユウさんからですか?」

 世良はうなずいた。

「アメリカで知り合った仲介人の女性が、裏で動いてることしか……」

 その話はすでに聞いている。

「こっちの事情は?」

「いえ、聞いていません。というより、世良さんを巻き込んだのは偶然なんですから。さっきも言いましたけど、わたしのアイディアなんです」

「じつはね……」

 世良は、伝えるか迷った。

「ある危険なウイルスを追ってるんだ」

 教えておくことを選択した。麻衣は公安の暗闘にも巻き込まれたし、誘拐事件の解決にも協力してもらった。もはや、ただの女子大生ではない。

「ウイルス? 病原菌みたいな?」

「はっきりとしたことは、おれにもわからない。もしかすると、非常に恐ろしい病気が蔓延するのかもしれない」

 いや、すでに世界のどこかで……。

「足を踏み入れると、危険だということですか?」

「それはわからない……でもたぶん、いま予想しているとおりの事態だとしたら、足を踏み入れようと、踏み入れまいと、どちらにしろ……」

 そのさきを世良は言わなかった。

 麻衣にも深刻さが理解できたようだ。唾を飲み込む音が、重く響いた。

 そこからの会話は、まるで弾まなかった。それでも《かかし》がもどってくるまでの時間を話すことでつないだ。

 一時間ほどして、かかしがもどってきた。

「どうでした?」

「品物はあずかってきた」

 テーブルの上に、プラスチックケースの音がした。例のCDだろう。

「わしがちゃんと持ってくるか案じておっただろう?」

 その言葉には、あえて返すことはしなかった。

「まあよい。つかいは果たしたぞ」

「礼を言います」

「安心しろ。彼らにも事情は話してきたから、おまえさんたちが消えたことも知っている」

 峰岸たちのことだろう。

「これについて、なにか言っていましたか?」

「おまえさんの言っていたとおりに暗号を解いたそうだ。いろいろ難しいことを口にしていたが、とにかくある数字に行き着いたらしい」

「解答は?」

「5051421」

 それが本当に意味のある数字になっているのだろうか?

「どうするつもりだ? なにか重要な暗号なのだろう?」

 これからのことは決めていなかった。

「どの勢力に売るつもりなのだ?」

「……」

「その選択を誤れば……」

 そのさきを、かかしは言わなかった。

 これまでに直接コンタクトをとってきたのは、中国国家安全部の女だけだ。公安の坂本も動いているようだが、ウイルスのデータを欲しているわけではないだろう。おそらく日本ではなく、アメリカの意向だ。

 誘拐事件では直接ではないが、CIAが絡んでいた。元公安の《店員》を通して、世良と《U》のことも彼らは把握していただろう。今回、Uも巻き込まれたなると、中央情報局がなにかしら背後にいることは念頭においておかなくてはならない。

「この世界では、だれも信用してはいけない……どの勢力が近づいてきても、データは渡さない」

「ほほほ」

 かかしが愉快そうに笑った。

「わかった。そのことはいいだろう。で、数字の意味はなんなのだ?」

「たぶん、場所をあらわしていると思います」

 世良は答えた。

「緯度と経度か……なるほどな」

 だが、さすがにどこの場所になるのか、調べてみなければわからない。

「すぐ調べられるんじゃないですか?」

 麻衣が言った。しかし、携帯は使えない。電源を入れたら、姿を消した意味がなくなる。

「わかった。それも、わしが調べておこう」

「いや……やはり携帯を使おう」

 世良は、考えを変えた。

「どうした? なぜリスクをおかす?」

「すでに人が殺されている……悠長に隠れていても、べつの人間に危険がおよぶかもしれない」

「おまえさんたちに依頼した女性のことは知っている。彼女については、お友達の刑事が守ってくれるだろう」

「もうひと勢力が、近づいてこない」

「? だれのことだ?」

「中国が動いているのなら、敵対する側がいるはずだ」

「なるほどな」

「今回の件で、殺人事件にでくわした」

「関係があるというのか?」

「おそらく」

 ダイニングバーの店員だった田所雅史は、ストーカーではなく、沢口茜をさぐっていたのだ。公安の下請けといったところだろう。

 その後ろには坂本がいて、さらにCIAがひかえている。

 殺害したのは普通に考えれば、国家安全部ということになる。

 まだ話していなかったことを《かかし》に伝えたら、考え込むようなため息がもれていた。

「ウイルスがもれた研究所のバックには、米国がいるのだろう?」

 世良はうなずいた。

「ならば、赤も青も、敵対している場合ではないのではないか?」

 かかしの言うとおりではあるが、ワクチンは莫大な利権を生む。それがかかわってくれば、協力関係など簡単にご破算になってしまうだろう。

「あの……」

 そこで麻衣が、申し訳なさそうに割って入った。

「赤が中国のことで、青がアメリカってことでいいんですよね?」

「そういうことになるね」

 若い世代は、共産主義がレッドチーム、というような分類には興味がないだろうが、麻衣は知っていたようだ。

「ユウさんは、アメリカで知り合った女性に導かれて、日本に帰ってきたそうです」

 実際には会ったことがないらしく、どんな女なのかわからないそうだが。

「でもユウさんは、《おおやけ》? そう思っているみたいでした」

 やつは、公安のことをそう呼んでいる。アメリカで知り合ったというのなら、実際には日本の機関ではないはずだ。外務省はべつにして、海外での活動機能をもっている組織は、この国にはない。

 それこそCIAやNSA──いや、米国には諜報機関がたくさん存在している。

 国防総省直轄のDIA。

 陸・海・空軍にもそれぞれ設置されている。

 国内工作が禁じられているCIAのかわりとなるべく、FBI内部にも国家公安部という部署がつくられたはずだ。世良が現役だったころにできたばかりで、そこのエージェントとアメリカ大使館主催の講習会で知り合ったことがある。

「それなんですけどぉ……」

 麻衣は、ふくみをもたせている。

「どうしたの?」

「やっぱり、おかしいんですよね……」

「どこが腑に落ちないの?」

 世良は、わざと軽い口調で問いかけた。

「だって……まわりくどすぎませんか? きっとユウさんにこれを言ったら、やつらはそういうものなんだ、って言い返されると思うんですけど……」

 じつは世良も、そう思ってしまった。諜報員は、どこの国でもまわりくどいものだ。考え方、言い回し、ヒントの出し方──そういう人種の習性といえるかもしれない。

 そして世良も、そういう組織の一人だった。

「まわりくどいにしても……もっとうまい導き方があると思うんですよね。なんだか、前回の鍵のときみたい」

「鍵?」

 彼女は、Uと《人工衛星》につながる別荘の鍵を掘り起こしたことがあるのだ。そのときの話をあるていど聞いているが、簡単に要約すると、Uに鍵を発見させたい勢力と、鍵を発見させたくない勢力が公安のなかにあった。浅田親子の権力闘争によるものだ。

 双方を天秤にかけていた《店員》は、どちらにも転べるように、たくみにUを導くヒントをあたえていたのだ。

 双方……。

 世良は、ドキリとさせられた。

「あのときは、どちらも《おおやけ》なんだ、って、ユウさんは言ってました」

「そうか……」

「世良さん?」

「どちらもじゃなくて……二つが一つなんだ」

 彼女のことを、見えない眼で見てしまった。

《U》が彼女を頼るのもわかるような気がした。あの事件のときも、こうやって彼女はやつに助言をしていたのだろう。

「どういうことなのだ?」

「国家安全部のエージェントです」

「その女が、どうした?」

 かかしと問答をしながら、考えを頭のなかで整理していく。

「同じなんですよ。CIAなのか、べつの組織かはわかりませんが……」

「なるほど……そういうことか」

「ん? まったくわからないんですけど」

 麻衣だけが、混乱したままだった。

 世良の推理が正しいのなら、Uを導いているのも──。


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