プロローグ
幼い頃の記憶は、ほとんど無い。
母親の顔も、父親の顔も知らない。兄弟や姉妹がいたかどうかも分からない。
いちばん古い記憶は、誰かの腕の中。
(……つめたい)
強く強く抱き締められていて、その誰かの肌が妙にひんやりとしていて、気持ちが良かった。
『~~~、~~~~~』
何か、話しかけられている。けれど知らない異国の言葉で、ちっとも意味がわからない。
抱きしめる腕の力が弱くなっていく。その人の顔を見た、もう顔どころか男か女かも覚えてないけれど、酷く悲しそうな顔をしていて、
『―――――ヴェナ、レコグ』
その音だけは覚えていた。ハッキリと、聞こえた。それだけは忘れてはいけないと、幼心に強く響いた。音を忘れる前に、口の中で何度も繰り返した。
どさりと、その人が倒れる。冷たい腕に抱かれながら、ずっとずっと、その音を繰り返していた。
――物心着いた頃には、山の中で暮らしていた。何人も男がいて、でも全員、父や兄でないのは分かっていた。ただ食べ物や寝床を分けてもらえるので、必死について回っていた。
悪くない生活だった。木に登るのは得意だったし目も良かったから、重宝された。動物を追いかけ回して遊ぶのも楽しかった。
そして突然現れたのだ、金色の龍が。そいつは目の前で男たちと住処をめちゃくちゃにして、言った。
『私の龍が、見えるのかい?』
それから俺は、ずっとそいつと一緒にいる。金の龍を纏った、なんだか変わった奴だ。
◆◇◆◇
「――――で、あるからして、異能力犯罪者の捕縛に関しては当該能力者の生命を奪うことなく遂行されなくてはなりません」
白い壁、白い天井、白いテーブル。清潔感のある講堂で、黒衣の女性が淡々と話をしている。
「そのために、貴方たち研修生は厳しい訓練を耐え抜いているわけです。勿論私も、研修が終わってからも鍛錬を怠ることはありません」
女性の目の前には、数十名の、同じく黒衣の若者たち。誰もが顔を上げ、真剣な面持ちで女性の話を聞いている。
居眠りやよそ見をする者はいない。自分の命にも関わる内容だと分かっているからだ。
「能力者の捕縛、それが最優先です。全ての異能力者は我々の管理下で統治しなければなりません。殺処分に意味はありません、この通り、殺したって湧いて出てきますから」
女性の手元のレーザーポインターが、壁に映し出されたグラフを指し示す。異能力犯罪、また異能力犯罪者についての論文――その中でも近年のものである。
「あと10分……本日の講義はここまでですね。皆さん姿勢を楽に、残りの時間は耳だけ傾けていてください」
壁の映像が消え、部屋の照明が明るくなる。女性の言葉に応じて、若者たちの間に安堵のような空気が流れた。
「本日の講義では散々、捕縛捕縛と言ってきましたが……ひとつだけ例外があります。ひとり、と言うべきでしょうか」
女性の淡々とした声色が変わる。畏怖を孕んだ、緊張感のある面持ちに、若者たちも緩んだ背筋を伸ばし直す。
「“ムーン”という名前をご存知ですか?」
ざわり――と、それまで沈黙を保っていた若者たちが、困惑したような声を漏らす。
「どうやら皆さん、耳にしたことはあるようですね。彼はそう……史上最悪の、異能力犯罪者」
――ムーン。全ての異能力者の頂点に立つ者、その能力の保持数、威力、範囲など全てが未知数。なぜなら、現存する技術では計り知れないからである。
異能力と共に恐るべき発展を遂げた現代科学をもってして、観測しきれない存在。人智の外の生き物。
「生き物と、そう呼んでいいのかすら怪しいですが……とにかくそれと遭遇した時には」
女性が、若者たちを見た。その冷たい、無機物のような目線に、誰もがゾッと不気味なものを感じる。
「あなたたちの能力、技術、体力、生命。持てる全てを使い果たして――殺してください」
細く長く、書いていきたいです。完結目指してがんばります。