決戦の舞台は掌の上 2
二話です
お楽しみください
賢者は碧い右目を片手でこすりながら、あくびまじりにいつもの仕草で呟く。
「……それにしても、本格的にまずい状況ね。今日はゆっくり眠れるかしら」
「おいおい、そんな呑気なこと言ってて大丈夫なのかよ賢者様よう。二人分の飛翔術を並列起動なんてしたらそれこそ、お得意の大魔法に割ける魔力が足りなくなるんじゃねえのか?」
この状況で、蒼い髪を弄びながらあまりにも呑気なことを言いやがる賢者の方に振り返って俺はついつい悪態をつく。
まあ、こいつは別に何を言われても気にするタチじゃないしな。ただ、忠告くらいは真面目に聞いて気にして欲しいんだが。
「アインと呼びなさいっていつも言ってるでしょ。……魔王への有効だになる可能性があるのはあんたの聖剣だけよ。私は支援に回らせてもらう。期待してるわよ、勇者様?」
一人じゃなくなったことについ気を緩めかけた俺に、鈴を転がしたような、そして鈴の如く打てば響く軽口が賢者の唇から紡がれる。
そっちが名前で呼ばないんならこっちも名前で呼ぶわけないだろ。
なんにせよ、こんな時まで怖いもの知らずというか、呑気というか。とにかく、ここにきたってことは四天王を一人倒してからきたってことか。相変わらず作戦を聞いてないやつだ。
ただ、それは四天王だけじゃ我慢できずに魔王の根城まで突っ込んでしまった俺も同じだろうか。
「ああ。生憎、期待に応えるのが仕事みたいなもんだからな」
とにかく、賢者がやることやってんなら勇者も負けてられないな。
人々の期待とか仲間の信頼とか重苦しいものは好きじゃないが、いつも隣で張り合ってくるこいつには絶対に負けたくない。
こいつとの小競り合いで、俺は世界を救うと決めたのだから。
「羽虫ガ一匹増エタトコロデ、我ガ威力ニ敵ウトデモ思ウタカ!」
「……まずいっ! 魔力が膨張してる! 離れて!」
ふと、異様なほどに魔王の魔力が膨れ上がり、それは滞空している瓦礫のうちいくつかに向かって放出される。
……外したのか?
てんで俺たちとは見当違いな方向に向かっていく魔力に、ついそんな考えがよぎる。しかし魔王には、そして、俺たちを見守っているはずの神にそんな慈悲は無いようだった。
「う、うおぉ!」
俺は賢者に引っ張られるようにその場から離れると、次の瞬間。周囲の瓦礫と瓦礫の間を縫うように、雷かみなりのような形状の魔力が周囲の瓦礫一つ一つを伝っていく。
触れただけで消し飛んでしまいそうなほど濃密な魔力だが、伝っていく瓦礫には傷一つついた気配がない。代わりに。
「……おいおいマジかよ」
魔力に当てられた瓦礫一つ一つから蝙蝠みたいな翼が生え始める。それは繭のように瓦礫を覆い隠したと思いきや、数瞬の後に羽の下に隠されていた全貌が明らかになり、元の瓦礫とは似ても似つかない姿へと変貌を遂げる。
「「ガーゴイル……っ!」」
魔力に打たれた瓦礫の全てにクチバシの付いた頭が生え、手足が生え、蝙蝠の翼が生え始める。灰色の肌で宙空を漂うその姿は正真正銘、魔王の眷属として語られる石像の悪魔だった。
「雑魚は私に任せなさい。あんたは魔王を」
「ああ、任せた。頼りにしてるぜ」
「……」
返る言葉はない。いつもなら軽口の一つ二つ繰り返すところだが、状況が状況だ。
魔王と互角を演じるのが精一杯だったところに、何百もの増援。戦局的には絶体絶命に見える。
「……最終決戦にふさわしい眺めだな」
ガーゴイルも下級とはいえ、悪魔は悪魔。そこらの魔物とは格が違う。
一体でも十分脅威になりうるそれを数百体も目の前にして雑魚と言い切るあたり、さすがは俺のライバルといったところだが、この量はどうしようもないんじゃないか?
依然として衰えた様子のない魔王。そして、辺りを埋めつくさんばかりに広がって飛び始めた下級悪魔。対するこちらはたったの二人。多勢に無勢なんて言葉で説明しきれるはずがない。
「死んだら燃やしてあげるから、覚悟しておくことね」
「お前こそ、死んだら帰って笑い物にしてやるよ」
だが、ふたりだ。俺たちは一人じゃない。それだけで、信じる神なんか必要ない。
交わした言葉と視線と不敵な笑みとを合図に、賢者は幾百のガーゴイルの方へと向かって行った。
幸い魔王は召喚の影響かその場で沈黙し、取り巻きも出現したばかりで動き始める様子はない。賢者お得意の大魔術で一気に数を減らすなら今しかないと見える。
「……」
賢者は両手を目標にかざし、俯いて何事か呟き始める。
それはいくつもの術式を自分で編み出してきた賢者だからこその詠唱方法。杖も触媒も陣も使わずに術を行使するあいつもまた、魔族同様に、人の括りを大きく外れた大魔術師の一人だった。
「……」
思わず聞き惚れてしまいそうなほど滑らかな詠唱が進んでいくと同時に賢者の周りに淡く白い燐光が漂い始め、それは両の掌に収束していく。
光が全て両手に集まったのと同時。賢者は両目を見開いて顔を上げ、術名を叫ぶ。
「アトラクトライト!」
次の瞬間、両の手に宿る光が強まり、魔王とその周りを漂うガーゴイルを包み込む。
アトラクトライト。相手を引きつける光魔術か。確かにここで大魔術を打ち込めば雑魚の数は一気に減らせるだろうが、大魔術は後隙が大きく、相手は小回りの利くガーゴイル。少しでも討ち漏らそうものなら賢者であっても、いや、賢者だからこそ太刀打ちはできないだろう。そもそも剣を使わないからな。
光が霧散した頃にはガーゴイルたちは両目を真っ赤に染め、その目には賢者しか写っていないかのように真っ直ぐ、一斉に雪崩れ込む。
「それじゃ、武運を祈ってるわ」
賢者は詠唱を終えると、そう一言残してガーゴイルたちから距離を取り始める。
なるほど。相手の注意を引きつけて距離を取り、移動の早い敵から倒していけば擬似的に一対一の魔術戦闘に持ち込める。そうすれば小回りの利く下級魔術で、一体ずつ撃ち漏らしなく殲滅できるってわけか。
「俺も負けてらんねえな」
賢者の魔力弾に撃たれて奈落へと落ちていくガーゴイル達を尻目に、俺は唯一アトラクトライトの影響を受けないデカブツをまっすぐに見据える。
いくら賢者とは言え、流石に魔王を上回る魔力量を持っているわけはない。そして、そんな膨大な魔力量を誇る魔王が賢者の妨害の影響を受けるわけもないだろう。
それが賢者の狙いだとしても、魔王の化け物具合に改めて俺は身震いをする。まったく、賢者だってその辺の高位魔術師の十倍以上の魔力を扱えるってのに。
「これはいよいよ、いい自慢話ができそうだ」
有史以来最強の魔術師である賢者を遥かに凌駕する魔力量を誇る魔王。その首を故郷に持ち帰ったとすれば、自慢話なんてするまでもなく英雄扱いだろう。実際に英雄なんだが、その割に俺の扱いがぞんざいな気がしてならない。仲間といい、故郷の奴らといい。とりあえず、この機にもっと敬えっての。曲がりなりにも勇者だぞこちとら。
俺は身震いを、いや、武者震いを抑えるように両手で頬を叩き、気を引き締める。
眷属を召喚した反動で動きを止めたデカブツに一発打ち込めるチャンスは一度きり。渾身の一撃をお見舞いするほかない。
再び聖剣を抜き放ち、握った両の手に魔力を集中させる。聖剣がその光を増し、まるで太陽のように燦々とした輝きを放ち始める。
その光が強くなるほどに、今まで感じたことがないくらいの力が身体中から溢れだす。
だが、まだ足りない。これじゃああのデカブツを一撃で仕留めるにはまだまだ足りない。
もっと、もっとだ。俺に、もっと力があれば。
「……まったく、情けないんだから。そんなんじゃ魔王どころか四天王も倒せないわよ」
心の中で頭が割れんばかりに叫んだ直後。聖剣を握る両手に暖かな感触が重なり、込められた力が何倍にもなっていくのを感じる。
「うっせえな。だったら手え貸しやがれ、アイン!」
「しょうがないわね。一緒に止めを刺すわよ、レイト!」
そしてその力は聖剣に染み込むように流れ込み、切っ先から光となって溢れだした。
強まった光はそのまま聖剣の一部となり、その刀身は魔王の大剣を凌ぐほどの大きさにまで達し、俺たちを連れて天高く昇り始める。
「……寝ぼけた木偶でくを叩き起こすには、十分すぎるな」
「叩き起こすんじゃなく、叩き殺すのよ。そこのとこわかってる?」
「あいかわらず物騒なやつだな」
「あんたも相変わらず呑気ね」
「お互い様だ」
最後の軽口を叩いている間に俺たちの想いが全て魔力となり、曖昧だった輪郭はいつの間にかいつもの聖剣の形を保っていた。
「これで、最後だな」
「そうね。そして、これが自由へ踏み出すはじめの一歩よ」
聖剣を天に向かって掲げ、お互いの安心したような、泣きそうな間抜け面を見ながら笑い合う。まったく、最後の最後まで締まらねえな。
「あばよ、魔王。おねむの時間はもう終わりだぜ」
「もう二度と、人族の前に姿を現すんじゃないわよ」
黒雲を破りながら、天を裂きながら。上空に掲げられた聖剣の切っ先が俺たちを中心に弧を描きつつ、ゆっくりと魔王に向かって振り下ろされる。
対する魔王には動き出す気配が一切感じられない。あれだけ手こずらせやがったのに随分と拍子抜けだ。
切っ先はどんどん魔王に近づいていき、魔王を両断するべく脳天に触れようとし……。
「ちょっと待って! あいつは眠ってなんか……」
突如、賢者が慌てふためいたような声を上げる。
同時、ピタリと聖剣が動きを止める。大岩をぶん殴ったような強烈な手応え。魔王はどうなって……。
「そんな……今までの時間は、全部詠唱時間だったなんて……」
やけに遠くから聞こえてくるかのような、賢者の絶望に満ちた声。しかし、俺はその意味を全く理解できずにいた。
俺は魔王の様子を確認するために目を凝らし、
「……」
その真っ赤に見開いた魔王の両目に吸い込まれていくように視界が赤く染まる。そして、体がピタリと動かなくなり、
「な……これは、封印……!?」
「……勇者ヨ。眠リニ着クノハ貴様ノ方ダッタヨウダナ」
これが最後だとでも言いたげな魔王の声が、俺の意識を絶望の黒に染め上げて消えた。
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この作品は戦闘シーンが多くなる予定です。他の作品書いてる時に、戦闘シーンが苦手だと気づいたので、練習がわりに。