愚かさが呼び寄せるもの
なぜここに、こんなことを書いているのか、自分でも分からない。きっと、ここが自分の原点であると感じているのかも知れない。そもそも「物書き」などと大上段に言ってしまっているくせに、ただの素人でしかなく、投稿歴ももっと古い方々など数えきれない程にいるだろう。謙虚であろうとすれば、安くみられてしまい、はっきりと物を言えば、剣呑に思われてしまう。丁度良いところという、最も難解なポイントが分からない。しかし、表現者であろうとするならば、そうでなければ面白くないと思っている。尖った何か。突き抜けてしまった何か。もしかして治療を必要とするかもしれない暗さ。そのような余人にないエキセントリックさ。それはホラーであって、コメディーではないもの。微笑ましくは見送れない抗えなさ。どうしようもない愚かさとして、繰り返してしまう失敗の日々。特に対人関係の破綻。分かり合えないという当たり前を呑み込んでしまった上目遣いの沈黙。しかし、不思議に書の中に仲間たちがいる。絵の中に同じ視線がある。音楽に親しい狂気が潜んでいる。分かたれた我らという矛盾を、言葉と言う一つを目指す膨張体が押し包む。多面的な気紛れな意味の総合体である我らを、表現たちが呼んでいる。まだ誰も知らないことがある。今、この瞬間にも呼んでいる。明日を、今が呼んでいる。