人を黙らせる力について
旨い飯には、文句なく人を黙らせてしまう力がある。理屈ではなく、口に入れた瞬間に伝わるものがある。弾けるように旨い飯よりも、しみじみと染みてくる温かな旨味をわたしは求める。いつまでも忘れられない郷愁にも似たその味を、贈り物のように大切に感じる。きっと、それはその時の体調にもより、気分にもより異なるものだろうけれど、そもそも体調と気分に沿って飯は選ぶものである。つまり、食べる前から選んでいるのだから、口に運ぶときには既にかなりの決着はついている。その味の予想を超えてくる何かがそこにあり、もっと奥まで届く何かがそこにあるのだろう。そして、本当に旨い飯は料理人が自ら旨いと認めるものである。この料理は旨い。その自信が料理に静かに満ちている。佇まいが誘うようにそこにある。経験と本能の予測値を超えていく出会い。束の間、新たな世が開けたかのような驚きがそこにある。
わたしは、己の文章もそうでありたいと願う。そして思う。どんな名文も、いつも誰にとっても素晴らしいわけでは無いことを。誰かの気分がその文章を読みたいと思い、それに応じているようで、かつもっと遥かに予想を超えていくもの。新たな世との出会いを、目の前で、そして奥底より感じさせるもの。そんな喜びと驚きを静かに湛えた文章をわたしは求めている。