36 決着
豪雨の中、剣戟が響く。
腕は鉛のように重く、足はがくがくということを聞かない。
幾度目の会敵、幾日目の斬り合いか。
僕は、あれから何度か撤退し、そして何度か進軍した。
そしてこうして今、幾度目かわからない斬り合いを演じている。
対するは吸血鬼の王、アリシア・フォン・ブラッドシュタインフェルト。
紅く鋭い軌跡が空をなぞる度、僕は吹き飛ばされ、地面にたたきつけられる。
しかし、決して彼女は追撃してこない。
後方の兵達に対してもそうだ。
手加減した魔法で地面に転がし、ただそれだけだ。
決してとどめを刺そうとはしないし、僕たちが退けば追撃もしない。
今日も退屈そうに僕たちをやさしく殺さないように追い払うだけだ。
剣を地面に突き刺して、ぜぇぜぇと息を付きながら、血と汗と雨で滑る柄を握りこむ。
「どうじゃ。そろそろ諦める気になったのじゃ?」
息一つ上げずこちらを睥睨する吸血鬼が問う。
雨粒が彼女の魔力に当たっては弾け、蒸発していく。
「まだ……ッまだ……!」
余裕のその表情を睨みつけて、剣を構えた。
聖力を体内で回す。
魔力も聖力も尽きかけているのを如実に感じる。
傷の治りが遅い。聖剣が重い。
「ふん。何度やろうが、何をしようが、おぬしらはここから先には進めぬ」
つまらなそうに目を細め、あちらも構える。
魔力が噴出し、僕の体が竦む。
枯渇しかけている魔力では、彼女の放つプレッシャーすらはじき返すことが出来ない。
だが、奥歯をかみ締め、強く剣を握り、気合だけでそれを誤魔化す。
「はっ……は……――ふぅ……」
息を整える。
地を蹴って、肉薄した。
袈裟懸けに斬りつける。
ことここに及び、何故だか僕の剣はどんどん冴えていく。
戦いの中で経験が成長に繋がったのか。
それとも……。
ふわり、と紅いドレスが翻る。
僕の剣が空を切り、お返しに腹に強烈な蹴りが叩き込まれた。
「が、はッ……!」
血を吐く。
踏ん張って、吹き飛ばされることは堪え、もう一歩踏み込む。
逆袈裟。振り上げる斬撃が、彼女のわき腹に伸びる。
タイミング、間合い共に完璧だ。
しかし、その剣が彼女に届くことはない。
気づけば、僕の振り上げた剣、その内側に彼女が居た。
腕をつかまれる。
「そろそろ飽いて来たのじゃ」
ゴギリ、と嫌な音。
つかまれた利き腕がへし折られた。
「ぐッ、ぅぁああああ!!」
叫び、僕の腕をつかんでいる彼女の腕を掴む。
「っ!?」
「つか、まえた……!」
聖力を流す。
「ッ……!」
じゅ、と僕の聖力が彼女の肌を焼いた。
紅いドレスの裾が、少し焦げる。
「『光、よ』……!」
「貴様――」
聖魔法を発動しようとした刹那。
僕の懐に居た彼女の気配が、変わった。
「――レイジが選んでくれた服に」
魔力風が、僕の体を正面から強かに叩く。
吹き飛ばされた。
「――ゆるさない」
「――ぁ……」
怒気。
理解する。
僕は、彼女を、怒らせた。
「『影よ、汝は我が写し身、顕現せよ』――『影従者』」
彼女の影が伸びる。
5つの影分身。
それが四方から知覚出来ない速度で肉薄する。
「がっ!? ごっ!! ぐぁっッ!?」
左右、上下、正面背後。
全方向から拳が、足が、膝が、肘が。
全身にありとあらゆる打撃が叩き込まれる。
「ころしてやる」
耳元に届く静かな声。
衝撃が、痛みが、続く。延々と。
意識が、飛ぶ――。
「気絶して、逃げられると、思うな」
「ぁ――」
終わらない打撃。
体が宙を舞う。
そして、5体の分身、そして彼女の本体がそれぞれこちらに槍の切っ先を向けた。
魔力の奔流が、吹き荒れる。
死んだ。
本能的に、そう理解した。
雰囲気が、まるで違う。
本気だ。
本気で、僕を、殺す……つもり、だ。
もう、意識を、保てない。
「『龍殺……』」
「ちょおおおっとまったあああああああああ!!」
そのとき、薄れ行く意識の中で、僕は彼の声を聞いた。
どさり、と中空から地面に叩きつけられて、僕の意識はそこで途絶えた。
――――――
土砂降りの中を走る。
エノールを出て3日。
全速力で3日走り続けて俺は、山脈を見上げるところまで帰ってくることが出来ていた。
「ずいぶん時間がかかっちまった……!」
アイゼンガルドを出て、そろそろ一週間以上経つはずだ。
如何にアリスとは言え、一万人近い人間を一人で押し留め続けられるものなのだろうか。
不安が胸を焦がす。
「いや、アリスならやってくれる……はずだ!」
はやる気持ちに喝を入れて、アイゼンガルドへの最短距離を走り続ける。
数時間をかけ、俺は洞窟を抜けた。
渓谷には所狭しと覇気を失った兵士達がうなだれ座っている。
数は……1500くらいだろうか。
残りは今も尚平原でアリスと戦っているのだろうか。
さらに東進して、平原に出る。
そこには……
「なんだこれ」
黒い影の波に追い立てられて逃げ惑う兵士達が居た。
隊列も作れず、武器も構えず、ひたすら逃げるだけ。
アリスの魔法なのだろうか。
黒い波が過ぎ去った後は、倒れ付す兵士が居るのみだ。
「……死んでないよな……?」
近くで倒れている兵士に近づき、首筋に手を当てる。
脈はあるし、呼吸もしている。
少しほっとした。
鎧はボロボロで、この数日の戦闘の苛烈さを物語っていた。
「アリス……は、あそこだな」
『遠見』を放つまでもない。
主戦場から遠く離れた、小高い丘。
そこで、アレックスの白銀の聖力と、アリスの漆黒の魔力がぶつかり合っていた。
弱弱しく輝くアレックスの白銀に対し、それを呑み込まんと吹き荒れる漆黒の魔力。
「よかった。アリスもアレックスも無事か……」
ほ、と息を吐いて、そちらの方向に足を向けた、瞬間。
「なっ!?」
アリスの魔力の反応が膨れ上がる。
そして、直後、小さな影が空に打ちあがった。
それに追いすがるようにして、黒い5つの影が、凄まじい勢いで代わる代わる打撃を加えていく。
四方八方から飛び掛る影に、何も出来ず空中に浮き続けるアレックスらしき影。
怒涛の攻撃に、まさに手も脚も出ていない。
「……おいおい! あれ、殺しちまうぞ!?」
あわてて魔力を通す。
その暴威の中心に跳んだ。
「『龍殺……』」
かすかに届く、底冷えするようなアリスの低い声に背筋が凍る。
『スキル』を発動しようとしてる……!
迷宮で見た、ドラゴンを吹き飛ばしたあのスキル。
あんなもの喰らったら、いくらアレックスでも影も形も残らない。
しかもそれが、槍を構える影従者5体からも同時に放たれようとしていた。
とんでもないオーバーキルだ。
「ちょおおおっとまったあああああああああ!!」
慌ててアリスの目の前に割ってはいる。
背後でどさりとアレックスが地に落ちた音がした。
「む……レイジ……」
「なにやってるんだ、アリス!? アレックスを殺す気か!?」
「……すまぬ。すこし熱くなってしまったのじゃ」
「どうした、何があった?」
「……なんでもないのじゃ。それより、そっちはうまくいったのじゃ?」
「あ、あぁ。こっちはうまくいった。……アリスの方も」
「うむ。まぁ、手加減は結構難しかったのじゃ。……この貸しは高くつくのじゃ」
「あぁ……本当に、助かったよ。ありがとう」
「ふむ。……まぁ、苦しゅうないのじゃ」
そう言いながらアリスが腕を振るうと5体居た影従者と、遠くで兵士たちを蹂躙していた黒い波が霧散した。
「で、アレックスは……」
振り返って、地面に倒れるアレックスを見る。
白銀の鎧はぼろぼろで、右腕と左足はあらぬ方向に折れ曲がり、傷ついていない箇所なんてないんじゃないかと思うほどに血だらけだ。
……本当に生きてるか、これ?
「ぅ……ぐ……」
苦しげに呻くアレックス。
よかった、ほぼ死に体に見えるが、生きてはいるようだ。
はぁ、とため息をついて、気絶しているアレックスを、担ぎ上げた。
「どうするのじゃ?」
「ん。どこかに運んで、目を覚ますまで待つよ。……あとは」
振り替えり、急に消えた黒い波に困惑し、あたりを見回す兵達に向き直る。
そして、魔力を込めて叫ぶ。
「聞けェええ!!!」
魔力が空気を伝播し、兵達の耳を叩く。
ガラハドがエノームでやっていたことの猿真似だが、うまく言ったようだ。
兵達の注目を集めることに成功した。
「お前たちの大将は預かる!! だが、けして危害は加えないと約束する!! だから、ここは一度退いてくれ!! 追撃もしない!!」
ざわざわと、兵達に動揺が広がる。
一瞬の静寂の後、了解の意が伝えられ、兵達が退いていった。
「……妙に素直だな」
「ここ数日、わしに追い返されてばかりじゃったからの。もう戦う気力なぞ残っておらぬ」
「……そうなのか」
「うむ。……わしは疲れたのじゃ。さっさと街に戻るのじゃー」
「あぁ……ありがとう、アリス。お疲れ様」
「……ん」
そう言ってこちらを見上げ、アリスが少し微笑んだ。
俺の影に飛び込む。
『この中も久々なのじゃ』
「あぁ、そうだな」
俺も笑みを返して、アルトロックに向かって歩き始めた。
ここに、勇者軍とアイゼンガルドの戦闘は決着を見た。
たった一人の少女に蹂躙されるという、その結果だけを残して。
本日はここまでになります。
続きはまた明日、20時に投稿いたします。
よろしければ、評価やブックマークなど、おまちしております!




