22 迷宮探索Ⅷ
俺の前に立ちふさがる小柄な影を呆然と見上げる。
真紅の短剣を両手に構え、漆黒のマフラーがたなびく。
セシリアが、立っていた。
「セシ、リア……?」
「助太刀、します」
そう小さく呟いて、セシリアが駆ける。
「『影よ、汝は我が写し身、顕現せよ』――『影従者』」
詠唱、発動。
魔力が吹き荒れ、セシリアの影が伸びる。
3つに分裂した影が浮き上がり、それぞれ実体を持つ。
影が本体に追随するように走り、四方に分かれて、ドラゴンを囲い込んだ。
それぞれが両手に短剣を構え、同時に飛び掛る。
振るわれる短剣。
都合8回の連続攻撃が、ドラゴンの体に叩き込まれる。
突き刺し、斬りつけ、投げつける。
黒い軌跡が奔るたび、外皮と短剣の間に火花が散る。
その戦闘スタイルはまさに縦横無尽。
斬りつけ、その一瞬後には彼女はその場にいない。
一撃離脱。
影の攻撃も相まって、凄まじい手数だ。
絶えず剣戟が響く。
「有効打は、与えられません」
ひゅん、という風切音とともに、セシリアの声が届く。
「時間を、稼ぎます。その間に、治癒を」
空中で、くるりと身を翻し、軽やかに俺の横に着地するセシリア。
地を蹴って、再びドラゴンに肉薄する。
ドラゴンも、影を追い爪を振るう。
一撃でセシリアの影を引き裂き、霧散させるが、そのたびに彼女は魔法を発動し、影を補充する。
キリがない。
四方八方から攻めるセシリアに、ドラゴンも翻弄されている。
「レイジ」
アリスが俺の横に立つ。
吹き飛ばされていたが、直撃は避けたようだ、怪我は無いようだった。
「血を」
「血……?」
「レイジの血を飲む。そうすれば、一時的にだけど、魔力が取り戻せる」
「そう、なのか?」
痺れる体をおして、立ち上がる。
大分治癒が進んだようだ。
未だ鈍い痛みが体中を走っているが、何とか立ち上がることが出来た。
「そうすれば、ドラゴンを、倒せますか?」
とまらず動き続けるセシリアから、声が届く。
ドラゴンの背後に回り、首を切りつけ、注意を逸らし、また再び回り込む。
ひたすらに時間を稼ぐ動きだ。
遠くからは、ロックの援護射撃が、ひっきりなしに飛んできている。
「倒せる」
自信をもって、アリスが答えた。
「ゆだね、ます」
セシリアの影が、短剣を投擲する。
爪が振るわれ、短剣が弾かれて、そのまま影を引き裂いた。
すぐに詠唱を終え、影が補充される。
ドラゴンの意識を俺達から逸らすように、セシリアが大きく円を描いて回り込み、ひっきりなしに攻撃を加え、時間を稼ぐ。
「坊主! 生きてるかァ!?」
「ギリギリだった……! 生きてる!」
「そいつぁなによりだ! ミリアルドの譲ちゃん! レイジは大丈夫だってよぉ!」
岩陰から発砲しながら、さらに後方に向けて、ロックが叫んだ。
「よかった……」
安心したようなミリィの呟きが、激しく響き続ける剣戟の合間を縫って、耳に届いた。
「レイジ」
「……あぁ」
アリスが俺の正面に立ち、見上げてくる。
「飲んでくれ」
「ん」
しゃがみ込み、アリスに向かって首筋を晒した。
アリスが口を開き、俺の首筋に顔を近づける。
吐息を感じ、ぞぶり、俺の首筋に牙が突き立てられた。
「ん……」
甘い痛みが首筋から全身にかけて広がっていき、血が流れだしてゆくのを感じる。
魔力がアリスと繋がった部分から吸い上げられ、虚脱感が全身を苛む。
「ん、く、ん……っぅ」
アリスから苦しげなうめき声が漏れる。
俺の血中に含まれる聖力が原因だろう。
しかし、以前のように途中で吸血を止めることはしない。
しばらく血を吸われ――
「ん、は……っ」
吐息とともに、アリスが俺の首筋から顔を離した。
唾液と血の橋が、俺の首筋とアリスの唇を一瞬繋ぎ、糸を引いてぷつりと切れた。
「相変わらず、不味い血なのじゃ」
若干頬を上気させたアリスが呟き、俺に背を向ける。
未だセシリアに翻弄され続けるドラゴンをしっかりと見据え、槍を構えなおした。
「じゃが……。これで、魔力を使えるのじゃ」
ごう! と、アリスを中心に魔力が吹き荒れる。
「トカゲ風情が、わしのレイジをよくもやってくれたのじゃ」
ギ、と音を立てて空間が歪む。
凄まじい魔力の奔流。
辺りの石が魔力に飲まれ浮き上がり、その姿を、細かい塵へと変えていく。
魔力風が吹き荒れる。
まるで嵐。
周辺一帯を巻き込んで、黒い暴風が魔力を伴って暴れ狂う。
荒れ狂う魔力に巻き込まれ、セシリアの影従者がすべて霧散した。
ドラゴンが、異常を感じ取ったのか、セシリアの猛攻を無視して、アリスに視線を向ける。
――グゥウウウ!?
困惑か、恐怖か。はたまた焦りか。
竜の瞳に今までとは違う色が浮かぶ。
いまだちょこまかと動き回るセシリアを無視し、竜がその顎を開いた。
魔力が口内に収束する。
「ブレス……!」
ドラゴンの初撃。
その威力を思い出し、俺はあわててアリスの前に出ようとして――
「大丈夫なのじゃ」
アリスの腕に制された。
「そこで見ておるのじゃ、レイジ。わしの……おぬしの祖の力を」
荒れ狂うアリスの魔力と、ドラゴンの口内に収束してゆく魔力。
そのふたつがぶつかり合って、空間が悲鳴を上げる。
凄まじい魔力風に、まともに目も開けていられない。
アリスが、槍を構える。
切っ先を下に、重心を極端に前に置いたその姿勢。
ぞわりと、背筋に冷たいものが走った。
――ゴォオアアアアアア!!
咆哮、そして、閃光。
収束し、凝縮された魔力の塊が、ドラゴンの口からアリスに向かって放たれる。
初撃の何倍もの威力。
圧倒的死の気配を、その閃光から感じる。
――しかし、俺の目は、アリスに釘付けだった。
ドラゴンブレスよりも、遥かに濃密な、死の気配。
アリスの全身から放たれる、その気配に、怖気が走る。
「――『龍殺槍』」
耳に届いたアリスの小さな呟きを最後に、世界が、音を失った。
奔る、真紅。
白い閃光に真正面から突っ込み、その光を紅く染め上げる。
俺が認識できたのは、そこまでだ。
刹那の後。
そこに残ったのは、大きくまっすぐに抉れた地面だけだった。
その遥か先に、アリスが立っている。
抉れた地面が白熱し、ジュウジュウと音を立てる。
それはその光景を、ただ、眺めることしかできない。
「何が……起きた?」
「わかり、ません……」
その死体すら残さず、あれほどの猛威を振るったドラゴンはすっかり消失していた。
アリスが槍を納め、こちらを振り返る。
翻るドレス。
日光を受けて輝くその紅い髪。
呆然と、破壊の痕跡を眺める俺に、アリスが歩み寄ってきた。
「ドラゴン……は?」
「ん? 見てなかったのじゃ? 倒したのじゃ」
「いや、見てなかった、って言うか……」
何も見えなかった、んだけど。
「ふむ。スキルを使ったのじゃ。まあ、倒したのは間違いないのじゃ」
「そう、か……」
アリスの言葉に、安心からか、力が抜けて、その場に座り込んだ。
「助かったよ、アリス……」
「んむ。苦しゅうないのじゃ」
尊大にうなずくアリス。
いつもなら突込みを入れるところだが……今回ばかりは本当に助かった。
「セシリアも……ありがとうな」
「いえ。遅くなって、すみませんでした」
「いや、いいタイミングだったよ、ほんと……」
「おう、レイジ! 終わったのかぁ!?」
背後から、恐る恐るといった感じでロックが出てきた。
ダイモン、ミリィがそれに続く。
よかった。みんな無事のようだ。
「あぁ……アリスが、やってくれた」
「とんでもねえ魔力風で何も見えなかったんだが……そうか、賢王がやったか」
「ド、ドラゴンを、倒したのか……?」
ダイモンが信じられないものを見る目で、アリスを見る。
「ふん。あんなトカゲ、わしが魔力を使えれば物の数じゃないのじゃ」
鼻を鳴らして、アリスがそっぽを向いた。
「おにいちゃん……」
歩み寄ってきたミリィが、俺のマントのすそをつかむ。
その手が、小さく震えていた。
「大丈夫だよ。ごめん、心配かけたな」
「よか、よかった……。お兄ちゃんが、飛ばされて……ボロボロで……ミリィ、ミリィね……」
じわりと、ミリィの瞳に涙がにじむ。
相当心配させてしまったらしい。
ミリィの震える手を上から優しく握り、安心させるように頭を撫でた。
ぎゅ、と気遣わしげに俺に抱き着いて、ミリィが鼻を鳴らす。
俺は、その頭を優しく撫で続けた。
――――――
数分後。
落ち着いたミリィが俺から離れて、赤くなった目をぐしぐしと擦る。
俺は、アリスのスキルの破壊の跡をいまだ見続けていた。
大きくえぐれた地面。
俺の打撃も、セシリアの短剣の攻撃も、何も通じなかったドラゴンを、一撃で"消滅"させたアリスの『スキル』。
一体、何をしたらあんなことになるんだ。
「レイジ、もう大丈夫なのじゃ?」
「ん、あぁ。怪我は……平気だな。ただ、なんだろう。少し血を流しすぎたかな……頭がふらつく」
「ん、多分それは、わしがレイジの魔力をほとんど吸ったからなのじゃ」
「え……」
言われて、自分のの魔力を確かめる。
全身に魔力を行き渡らせようとし……失敗した。
「ほんとだ……魔力伝達が出来ない……」
「しばらく休めば大丈夫なのじゃ」
「うん、お兄ちゃん、休もう……?」
「そうだな……さすがに、少し疲れたな……」
「俺達も随分と神経使ったぜ、なぁ、ダイモン?」
「え、えぇ……ドラゴンが現れた時は、俺はここで死ぬものだと……」
「へっ、俺も覚悟しちまったぜ。ま、賢王サマサマだな」
べしべし、となぜか俺の肩を叩いてロックが言う。
「おぬしらを護ったわけじゃないのじゃ。わしはレイジを護っただけなのじゃ」
「おうおう。それでも結果的に護られたからな。礼は言っておくぜ」
「……まあ、苦しゅうないのじゃ」
「……しかし、レイジが吹き飛ばされた時はもうだめかと思ったぞ……。はたから見て完全に致命傷だったし、な……」
「はは……俺もぶっちゃけ覚悟したよ……でも」
そう言って、少し離れたところでぼーっと突っ立っているセシリアを見る。
「ありがとな、セシリア」
「いえ。任務、ですので」
こくり、と頷いてセシリア。
「……で、誰なんだあの嬢ちゃんは。急に現れたが」
「えぇっと……」
なんて説明したものか……。
流石にヘイムガルドの隠密、なんて言ったらまずいよなぁ……。
「おきに、なさらず。レイジ殿の、護衛、のような、ものです」
「……護衛、ねえ」
訝しげにセシリアを見るロック。
戦闘時のキリっとした表情とはうってかわって、ぼけーと、何を考えているのかわからないその瞳を暫く見つめていたロックだが。
「ま、詮索はしねえよ。助けられた恩もあるしな」
「そうして、頂けると、助かります」
こくり、と頷いてセシリアがマフラーを引っ張り上げて、口元を隠して俯いた。
「ここじゃ落ち着かないし……通路に戻って、今日は休もう」
「そうじゃな」
「あぁ、そうすっか」
皆が頷くのを確認して、俺は抉れた地面の上に現れた光球に触れた。
長くなってしまいましたが、今日はここまでになります。
明日も20時に一話更新です。
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