07 戻れぬ道を
宿に戻り、分かれて部屋に戻る俺達。
アリスとミリィが部屋に入っていくのを見送って、俺も自分の部屋に入った。
俺は一人、自室のベッドに座って物思いに耽る。
(ミリィ……俺達と旅をしながら、あんなことを考えていたんだな……)
アレックスの目の前に立ち、一度も目を背けずに彼と……自分と向き合ったミリィを思う。
ミリィに根源魔法の才能はない。
つまり、彼女に『平和』の意味は理解できていないはずだ。
でも……それでも、彼女には確かに伝わっていた。
俺は、それが嬉しかった。
迷宮の最奥で、レイリィの笑顔に、報われたと感じたのと同じくらい、俺はまた、報われたのだと、そう感じていた。
(……でも)
憔悴したアレックスの様子を思い出す。
彼は……苦しんでいた。
と、そう思う。
きっと原因は、彼の心に『平和』が戻ったことだろう。
つまり……。
(自分が今までしてきたことに……疑問が生まれてしまったから……か)
『平和』という感情が排除されていた間は、指示に従って敵を斬る。
それで構わなかった。
なにせ、この世界の闘争に理由はない。
で、あるのならば……彼らは、もしくは彼女らは、疑問を持たずに人を殺せる。
それは作業のようなものだ。
日常であれば、そこに疑問を差し挟む余地はない。
だが……もし、その日常が異常なのだと、ある日突然気付かされたのなら。
心は、耐えられるのだろうか。
特に、アレックスは、優しい男だ。
大した関わりは無いし、俺の勝手な印象でしかないのだろう。
でも、シュタインフェルト城での会話。エノールでの再会……そして、別れるときに見た、孤児院での様子。
……彼が元来優しい人間なのだと、俺に気付かせるには十分だった。
そんな優しい彼に、俺は現実を突きつけたのだ。
――お前のやってきたことは、何の意味もない、ただの殺戮なのだ、と。
(なんて……酷な……)
両手で顔を覆う。
考えなかった。
そんな可能性。
俺のしたことが、裏目に出る、なんて。
でも、心に干渉するというのは、そういうことなのだ。
想いも、感情も、捻じ曲げてしまえる。
本人の望む望まぬにかかわらず。
俺の匙加減一つで。
大きく息を吐く。
――でも、それでも……俺のしたことは……。
「無駄じゃ……ない、よな……?」
思わず、弱音が口から漏れた。
「無駄じゃないのじゃ」
「……アリス」
いつの間にか、部屋の入り口にアリスが立っていた。
そのまま部屋に入ってきて、俺の正面に屈む。
そして、見上げるようにして、しっかりと俺の目を見つめて
「……お主が折れては駄目なのじゃ」
そう言った。
「……あぁ、わかってる」
「いいや、わかってないのじゃ。……お主にはもう、進んでしまった責任がある」
「……分かってるよ」
「人々の魂に触れて、それを書き換えるというのは、本来あり得ない現象なのじゃ。じゃが、お主にはそれが出来る。人の意思を捻じ曲げて……ともすれば、自分の思い通りにすることもできるのじゃ」
「分かってるったら!! この力は……あぁ、そうだよ。いくらでも悪用出来るし、しようと思えば洗脳だって、支配だって出来る! でも、だからこそ、正しく使わなくちゃいけないんだ!」
「その通りじゃ」
「だから……だから、俺は折れちゃいけない。間違った方向に、心を染めちゃいけない」
「うむ」
「後悔も、反省も……」
「お主にはもう許されない」
「……」
「勝手にこの世界に召喚されて、世界を救えと言われて……そこに責任を持てと言われる。……お主の困惑も、理不尽への怒りもわかるのじゃ。……でも、レイジ」
「ん……」
「決めたのじゃろ? 自分の意思で、自分がそうすると。この道を征くのだと」
「……あぁ」
「そうして、進み始めたのじゃろ。もう戻れぬ道を」
「あぁ」
アリスの言葉で、心に力が戻る。
拳を握りしめ、そして開く。
――あなたの、あなたにしかできない方法で。あなただけのその力で。
リィンの言葉を思い出す。
迷宮の最奥で感じた、強烈な悪意を思い出す。
あんなものは駄目だと。そう思ったのだ。
その思いは、絶対に間違ってなんていない。
たとえ、俺の行動の結果、誰かが傷つくことになっても。
そう。
そうだ。
俺は、自分で決めた。
俺が、俺の意思で。
誰かに言われたからじゃない。誰かに強制されたからじゃない。
決めたのだ。
――この世界に平和を取り戻すと。
「……ごめん、アリス」
「ん。謝る必要はないのじゃ」
「……じゃあ、ありがとう」
「……ふん。……別に、わしは元からあの勇者が気にくわないのじゃ。じゃから……あの勇者のことでお主が気を揉むのがイヤなだけなのじゃ」
そっぽを向いてそう言うアリス。
誤魔化したみたいだけど、結局それって俺の為ってことじゃないか……?
「はは……」
そう思うと、自然と笑みが漏れた。
「な、なんなのじゃー!? なんで笑うのじゃ!?」
「いや、何でもないよ。ありがとな、アリス」
ぽんぽんと、頭を撫でる。
「な、撫でるでないー! なんで撫でるのじゃー!?」
口ではそう言いながらも、アリスは、俺の手を払いのけるようなことはしない。
されるがままに撫でられている。
「ん、むぅ……」
唇を尖らせて、アリスが俯く。
なでなで、と髪の毛を撫で続ける俺。
触り心地がいいから、ついつい触ってしまう。
「……レイジ」
「ん?」
「……忘れるでない。ミリアルドのあの言葉を」
「……うん」
「レイシアの感謝の言葉を」
「うん」
「大丈夫。お主は間違っておらぬよ。……しっかりと、お主の想いは伝わっておるのじゃ」
「……アリスにもか?」
「……はぇ?」
素っ頓狂な声を上げ、驚いたような表情でアリスが俺を見た。
「アリスにも、伝わってるか?」
不安だった。
アリスはなぜ俺に着いてきてくれるのか。
眷属だから、という理由だけでは説明がつかないほど、アリスは俺によくしてくれている。
アリスがいなければ……きっと迷宮の攻略も出来なかっただろう。
それは、今もそう。
アリスが今ここにきてくれて、厳しくも優しい言葉をかけてくれた。
だから、俺は折れずに歩いていける。
そのくらい、俺にとってアリスは大きな存在になっている。
だから、不安なのだ。
アリスは、どうしてこんなに俺に肩入れするんだ。
もしかしたら、俺の知らない何かがあって、そのせいで――
「……伝わっておるのじゃ」
アリスはそっぽを向いて、そう言う。
「ちゃんとこっち向いて言ってくれよ……」
「むぅ……」
唸って、こちらを見る。
目が合った。
「大丈夫じゃ。ちゃんと、わしにも伝わっておる」
「……なあ、アリス」
「んん?」
「なんで、アリスはそんなに俺に良くしてくれるんだ?」
「……別にそんなことは……」
「いや、あるだろ」
「……秘密なのじゃ」
「……秘密か」
「うむ」
有無を言わせぬアリスの物言い。
俺は深く突っ込まないことにした。
……でなければ、アリスがどこかに行ってしまう気がして――
――怖かったから。
「……もうわしは、部屋にもどるのじゃ」
「ん。わかった。ミリィの様子は?」
「疲れたのじゃろ。ぐっすり寝ておるのじゃ」
「そっか。……ありがとな、アリス」
「別に、なんでもないのじゃ」
そう言って、アリスがベッドから立ち上がる。
「おやすみ、レイジ」
「あぁ、おやすみ、アリス」
返して、アリスの小さな背を、見送った。
――――――
後ろ手に扉を閉める。
ふぅ、とため息をついた。
――「なんで、アリスはそんなに俺に良くしてくれるんだ?」
なんで……か。
(それを言ったら……レイジは……あなたは、わたしを……)
きっと、赦さない。
嫌だ。
そんなのは嫌だ。
レイジに嫌われるのは、嫌だ。
どうしてそんなことを思うのだろう。
いつから、わたしはこんなに憶病になったのだろう。
レイジのことを考えると、胸が苦しくなる。
頭を撫でてもらえると、ほっとする。
微笑みかけられると、ドキドキする。
レイジが苦しいと、わたしも苦しい。
レイジが嬉しいと、わたしも嬉しい。
ミリアルドに近づきすぎると、なんかもやっとするけど……。
……ずっと、ひとりで生きて来たはずなのに。
気付けば、こんなにレイジを必要としている自分がいる。
いつから、わたしはこんなに弱くなってしまったんだろう。
答えは、わかっていた。
――きっと、あの時から。
あの時、あの人に救われた時から。
「……カエデ」
震える声でその名前を呼ぶ。
温かい思いでと、とても悲しい思いでが、同時にわたしの胸に去来する。
――「ねえ、君、生きてる?」
――『……だれ?』
――「おぉ、生きてた。……待ってて、助けてあげる」
――『どうやって……』
――「こう、やってぇ!」
――『!?』
――「ほら、出れた! えへへー。私ってば流石!」
――「いま、どうやって……」
――「まぁまぁ、そんなことはどうでもいいのさ! 私、カエデ! んー、君可愛いねぇ! お名前は?」
――「アリシア……。アリシア・フォン・ブラッドシュタインフェルト」
――「な、長い……えぇっと……アリシア、アリシア……じゃあアリスだ!」
――「ちがう、アリシア……アリスじゃない……」
――「いいじゃんアリス! かわいいでしょ? ここは不思議な国だからねー。まさに不思議の国のアリスだねぇ!」
目を開いた。
いつの間にか目じりに滲んでいた涙をぐしぐしと拭う。
そして、胸に手を当てて、ひとつ、頷いた。
(大丈夫だよ、カエデ。……あなたの弟は、レイジは、わたしが絶対に守るから)
たとえ、この命に代えても。
それが――わたしの贖罪。
だから、わたしがレイジに持っているこの感情は、間違いだ。
間違いなのだと、言い聞かせる。
――裏腹に、彼を想って高鳴る鼓動は、いつまでも、収まってはくれなかった。
――――――
翌朝。
早朝。
アリスとミリィが起き出す前に、俺は起きて、銀の鹿亭に一人向かっていた。
アレックスと話をするためだ。
早朝のエノムは、妙に浮足立っているような雰囲気が流れていた。
特に、鎧を着こんだ兵士が多い。
確かに城塞都市で、一応の敵対国であるアイゼンガルドとの国境、だ……けど。
(前来た時、こんなに兵士が多かったっけな……?)
ひとり、首をかしげる。
だがまあ、こんなものなのかもしれない、と思い直し、俺は歩みを速めた。
「え、出立した……?」
「あぁ、昨日遅くになあ。なんやら、火急みたいだったぜ。慌てて兵士たちと出ていったから」
銀の鹿亭に着き、昨日取り次いでもらったおやじにアレックスのことを尋ねると、そんな返事が返ってきた。
「そうですか……」
「なんか用事だったか? 戻ってくるようなことを言ってたから、なにかあるなら伝えとくぜ?」
「ああ……いや、大丈夫です。どうも」
頭を下げて踵を返す。
「おう! 今度は兄ちゃんもうちに泊まってくれよなぁ! ハハハ!」
陽気な声を背に、宿を出た。
(昨日の今日で……なんか、妙な胸騒ぎがする。……アレックスの様子も気になるし……心配だな……)
憔悴した様子のアレックスを思い返す。
だが、きっと俺に出来ることは無い。
後悔は、アレックスが自分で乗り越えるべきものだ。
そして、アレックスには、きっとそれが出来る。
……そう、信じよう。
そして、宿に戻った俺は、ふたりと合流して、足早にエノムを出立した。
――――――
エノムを出て、東進する。
馬車を探したが、流石に出ていないようだ。
ここからは徒歩になる。
自分たちの足で山脈を超えて、アイゼンガルド領に入る必要がある。
今歩いているところは穀倉地帯だろうか。
小麦のようなものがそよそよと風に吹かれて揺れている風景が見渡す限り広がっている。
近くには大きな川も流れており、なかなかに風情のある風景だ。
「おー……なんか、いい景色だな」
「ねー。風が気持ちいいなの」
「この辺りは人里も少ないし、わしも外に出られて最高なのじゃ」
歩きながら、俺たちは話す。
他愛のない会話を、風景を眺めながら。
道中珍しいものを見つけると――
「お、アリス、あれはなんだ?」
「魔物じゃの。グレーターロックという、でかい亀の魔物なのじゃ」
「え……ちょっとした山じゃないか……」
「おおきいなの……」
「何を食べておるのかしらぬが、穀物も荒らさぬし、人間も襲わぬから、ああやってその辺にぽつんと居ても誰も気にしないのじゃ」
「へぇ……食えるかな?」
「食えんのじゃ……。どうしてレイジはやたらと魔物を食べたがるのじゃ?」
「いや、食ってみたら美味いかもしれないだろ!? なあ、ミリィも気になるよな?」
「み、ミリィも遠慮しておくなの……」
「しゅん……」
――アリスに尋ねて教えてもらう。
夜になれば――
「はーい、ごはんだよー」
「おぉ……干し肉じゃないご飯だ……」
「お兄ちゃんが川でおさかな取ってくれたから、焼いたのとー、お姉ちゃんが食べられる野草を教えてくれたからスープにいれたのとー……」
にこにこと指折り説明してくれるミリィ。
「いやぁ……ミリィは料理が上手だな……。いいお嫁さんになるぞ……」
「え? お兄ちゃんの?」
「ぶぅッ!?」
スープを噴き出した。
「わぁ、きちゃない……」
「……わしだって、料理くらい出来るのじゃ」
「いや、アリスのそれは獣肉焼いただけだろ……」
「……カエデだって似たようなものしか作ってなかったもん……」
滅茶苦茶小声で何か言うアリス。
「なんだ? 聞き取れなかった」
「なーんーでーもーなーいーのーじゃー!!」
俺の手からものすごい勢いで焼き魚を奪い、ばくばくと食べるアリス。
「あぁ!? おい! それ俺の……」
「うーるーさーいー!」
――そんな楽し騒がしなひと時を過ごす。
こうして旅を続ける俺たちは、エノムを出て1週間ほど、国境の山脈を見上げるところまでたどり着いた。
最近暗めの話が続いていて、申し訳ない気分になってきました。
いよいよアイゼンガルド領に入ります。
明日も20時に1話投稿になります。
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