29 迷宮探索Ⅶ
――人の迷宮第??階層――
「っ……」
平衡感覚を失ったのは一瞬のことだった。
光の明滅が終わると、俺の足は、しっかりと柔らかい感触を伝えてきていた。
(ん……? やわらかい……?)
目を開ける。
いつの間にか閉じていたらしい。
「なん、だ、ここ……」
そこは、だだっ広い草原だった。
「レイリィ! ミリィ!」
「え、えぇ、ここにいるわ!」
「ここにいるのー!」
遠くから二人の声が聞こえる。
ぴょんぴょんと跳ねながらこちらに手を振るミリィの姿を確認して一息つく。
二人がこちらに歩いてきた。
「……どうなってると思う?」
「ん。レイジがあの光の球に触ったときに感じたのは、転送魔法の反応だったわ。つまり私たちはどこかに飛ばされたってこと」
「どこか……って、ここどこだ……」
そよそよと心地の良い風が吹く見渡す限りの草原。
……草原以外は何も見えないほどに広がっている。
「まさか、迷宮の外に放り出された……?」
「可能性は……あるわね」
あの光は触っちゃいけない即死トラップだった……?
いや、優斗のやつ、そんなもの設置するなよ……。
「いや、ここはまだ迷宮の中なのじゃ」
ひょい、と俺の影からアリスが現れてそう言う。
「なんでわかるんだ?めっちゃ草原だけど、ここ」
「わしの魔力がまだ制限されてるからじゃ」
額に手を当て、周囲を眺めるアリス。
遠くが見たいのかちょっと背伸びしてるのが可愛い。
「なるほど……」
レイリィが指で円を作って目に当てる。
『遠見』を使っているようだ。彼女の左目に魔力の色が浮かぶ。
「んー……でも、ずいぶんと先まで……何もないわね……」
「ずーっと原っぱなのー!」
俺も『遠見』を放つ。
周囲1キロメートルの範囲には何の反応もない。
「……いや、ちがう……何もなさすぎる」
「ん……? どういうこと?」
レイリィが『遠見』を解き、こちらに視線をよこした。
「木の一本すら生えてないなんてことあるか?」
「そういえば、そうね」
延々と同じ景色が続いている。
……少なくとも俺たちの目にはそう見えている。
「ここが迷宮の中だっていうのが間違いないなら」
「間違いないのじゃ」
「……ここから出る……いや、先に進む方法は絶対にあるはずだ」
少なくとも、触って一発で詰むような仕掛けを優斗がする理由が無い。
最奥にあるという『情報端末』。
そこに誰かがアクセスしてくれるのを彼は望んでこの迷宮を造ったはずなのだから。
「そう、ね。確かに、飛ばすなら迷宮の外に飛ばせば解決するものね」
「ぽかぽかなのー……」
ミリィが船をこぎ始めた。呑気か。
「とりあえず、進んでみよう。何かがあるかも……」
そういって、歩き始めようとした時だった。
――ドォン――
どこか遠くで、何か……太鼓をたたくような音が聞こえた。
「……ん?」
「なにか……聞こえた、わよね?」
「太鼓?」
ミリィが首をかしげる。
そして、その音は、
――ドォン、ドォン、ドンッ!――
規則正しく、リズムを伴って聞こえてくる。
『遠見』を飛ばす。
周囲1キロメートルに何も反応は……。
「いや、おい、嘘だろ……」
――ドォン、ドォン、ドンッ!ドォン、ドォン、ドンッ!――
放った『遠見』が、俺たちの正面1キロ先に夥しい数の魔物が近づいてきていることを俺に報せていた。
「待て待て! 急に現れたぞ! 凄い数だ! レイリィ、見えるか!?」
「んっ、ちょっと待って!」
レイリィも慌てて『遠見』を使う。
俺のソナーのような『遠見』と違い、レイリィのそれは目に見える範囲でしか魔力の反応を探れないが、双眼鏡のような機能もあるらしく、俺よりも範囲は劣るが距離は俺の何倍も探れるらしい。
「……なにあれ……旗……?」
鳴らされる太鼓の音が近づく。
そして、多くの足音。
俺もレイリィが探っている方向に視線を走らせる。
草原の遥か向こう、影の塊がこちらに行進してくる。
旗を振り、戦太鼓を叩いて。
「軍隊、じゃな」
アリスが呟く。
それはまさしく軍隊だった。
総数、凡そ300程。
兵は規則正しく整列し、槍を、剣を、斧を、それぞれの武器を手にしている。
その後ろには神輿のようなものに担がれた司令官……だろうか。
見るからに格の違う魔力反応をこちらに寄越す姿が見える。
反応だけで見たら、ミノタウロスよりも格上だろう。
「……あれ、もしかして……」
「――ゴブリン、じゃな。おそらく、ゴブリンキングが居るじゃろな」
「なんだ、ゴブリンキングって!?」
「その名の通り、ゴブリンの王じゃ。時々魔物の中にも知性を持ち、その種の中で王のように振る舞う……そうじゃな、突然変異のような個体が生まれることがあるのじゃ」
「嘘……なんだってこんな迷宮の中にそんなものが発生するのよ!?」
「分からぬ、が……おそらくは、試練を超えてみせよ、とそういうところじゃろな」
やれやれ、と呟いて、アリスが中空に腕を突っ込み、『収納空間』から、身の丈の1,5倍ほどはある紅い槍を引き抜いた。
慌ててミリィが盾を構える。
ドンッ! とひときわ大きく戦太鼓が叩かれ、行軍が止まった。
担がれたゴブリン――ゴブリンキングがその右腕を、ス、と掲げる。
部隊後方、弓隊が矢をつがえ――。
「いきなりかよ!? レイリィ!ミリィを!」
「え、ええっ! 『土よ、護れ、硬く、強く』――」
ゴブリンキングが掲げた腕を振り下ろす、と同時、無数の矢が俺たちに飛来した。
「『土障壁』!」
地面が盛り上がり、レイリィとミリィを覆い隠した。
「つまり、アレを! 討ち取れッ! ってことっ!か!?」
「そうじゃろな。今回はわしも手伝ってやるのじゃ」
俺は籠手で、アリスは手にした槍で、飛来した矢を弾き落とす。
金属がぶつかり合う硬質な音が鳴り響き、俺たちの周りに弾いた矢が散らばる。
「くっそ! やるっきゃない!」
弾き落とした矢を踏みつけ、折れる感触を感じながら俺は駆け出した。
アリスも俺に並走する。
「レイジ、やつらは軍隊なのじゃ。普通の魔物とは違うのじゃ」
「どういうことだ!?」
第二射が斉射された。
ヒュンヒュンと風を切る音を響かせ、矢が飛来する。
「突撃して全滅させる、それだけで簡単には終わらぬ、ということなのじゃ!」
ひゅ、とアリスの手から槍が投擲された。
紅い残像を残し、矢の雨をかき分け、槍が奔る。
狙いは当然大将――ゴブリンキング、だが――
――ギィィ!――
耳障りなゴブリンの叫び声が聞こえると、地面が盛り上がり、壁を成してアリスの投げた槍を弾いた。
弾かれた槍を跳躍してキャッチすると、俺の隣にアリスが着地した。
「ま、魔法も使うのか!?」
「何を言っておるのじゃ。迷宮で戦ったゴブリンだって魔法は使ってたのじゃ。ただ使い方が稚拙過ぎてお主の暴力の前には何の役にも立たなかっただけじゃ」
「え、そうなのか!?」
全然気づかなかったぞ!?
「ごり押しでどうにかなってしまう程度には、魔物は連携も戦術も稚拙。じゃが、それを統率できる存在が現れた時……」
ゴブリンの集団が近づく。
正面からぶつかり、道をこじ開けて大将を狙えば……。
「魔物は何倍も強く、厄介な存在になるのじゃ」
正面には盾の壁。
その隙間からこちらに真っ直ぐ、斜め上方に槍が突き出される。
「槍衾!?」
慌ててブレーキをかける。
ねじ込む隙間が無い……!
「くっそ……!」
足を止めた俺に矢が殺到する。
矢でも槍でも、食らったって死にはしない。
暫く動けなくなるだろうが、体に攻撃を受けながら、力わざで盾隊を吹き飛ばして道をこじ開けることも可能だろう。
だが、俺が動けなくなったときに、300ものゴブリンに狙われるのは……。
ちら、と背後を見る。レイリィが発生させた石の壁が今もなお、殺到する矢を受け止め、弾いている。
「ちっ……!」
舌打ちをして、ゴブリンたちから距離をとる。
「戦術と戦略の違いじゃな。言っておくがわしは魔法は使えぬのじゃ。頼りにされても何もできぬぞ」
そう言いながら矢を叩き落し、盾の隙間から槍を刺し込んで何匹かのゴブリンを殺害せしめるアリス。
何もできないとはなんなのか。
「俺が突撃かましてボロクソにやられてる間ゴブリンキングを討ち取るとか、そういうことは……?」
「やってやれぬことは無いじゃろうが……」
ひゅ、とアリスの腕がブレる。
「その間後ろの守りがおろそかになるのじゃ」
隊から離れ、俺たちの背後を狙っていた何匹かのゴブリンの首が飛んだ。
絶え間なく飛来する矢と、突き出される槍を何とか受け流しながら俺は思案する。
「くそ、一回下がる!」
「うむ。懸命なのじゃ」
そういってアリスが地面に槍を深く突き刺し、真正面に掬い上げるように振り上げた。
土砂が舞い上がり、一瞬だが、ゴブリンたちの視界を遮る。
その間に俺たちはレイリィとミリィのもとに戻る。
「レイリィ! 詠唱の間、俺とアリスが飛んでくる矢をどうにかする!その間に高火力で正面の盾隊に風穴を開けられないか!?」
「出来る、けど……!」
視界が戻り、再び矢が殺到する。
レイリィとミリィに当たりそうな矢を選別し、弾く。
幾本かは防ぎきれずに俺の肩や脚に突き刺さった。
「ぐっ……!」
「レイジ!」
「お兄ちゃん!」
「大丈夫だ! すぐ治る! っていうか治った!」
矢を引き抜いて言う。傷が塞がり、血が止まる。
痛いのは我慢だ。
「ふぅ――……わかった、信じるわよ、レイジ!」
「任せろ!」
「わしも守ってやるのじゃ。安心して詠唱するのじゃ」
「もう……。『炎よ、猛り、狂え――』」
詠唱が始まる。
レイリィが単語を重ねるたびに、彼女から発せられる魔力が、奔流となって辺りを吹き荒らす。
「『――滅ぼせ、火炎』――行くわよッ!」
言うか言わぬか、その瞬間に俺は駆け出していた。
「『紅炎爆塵』ッ!」
爆炎が奔る。
まるでレーザーのように照射されたその火炎は、盾を構え、土魔法で強化し、魔法で土壁を発生させたゴブリンのガード隊を、その幾重もの防壁ごと吹き飛ばした。
隊列に大穴が空く。
地面が焼けてブスブスと燻った音を立てている。
俺は焼けた道に沿って一直線に駆ける。
隊列に空いた穴に、突き刺すように体を捻じ込んで、弓を構えたゴブリンに突撃を仕掛けた。
目につくゴブリンに手当たり次第攻撃を加える。
敵陣のど真ん中に突っ込んだ俺を包囲するように展開したゴブリン達は、弓隊を守るようにして隊列を組み直してゆく。
「させるかよ!」
四方八方から槍が突き出される。
躱しきれず、肩口に槍が突き刺さり、痛みに顔をしかめるが、それだけだ。
「おおぉォッッ!」
魔力を纏い、裂帛の気合と共に周囲を薙ぎ払うように蹴りを放つ。
盾を持たないゴブリンが何体か吹き飛ばされて隊列が乱れる。
突き刺さった槍や矢をそのままに、俺はゴブリンの群れをかき分けるように拳を、脚を繰り出しながら進む。
一撃一撃叩き込むごとにゴブリンが吹き飛び、爆ぜる。
肉が、血が、ハラワタが、俺の攻撃の軌跡をなぞるように辺りにぶちまけられてゆく。
「ぐぁッ!?」
弓を持ったゴブリンの頭を蹴りで砕いた直後、脇腹に凄まじい衝撃を感じ、吹き飛ばされた。
ごろごろと転がって、手をつき立ち上がる。
「魔法か!」
衝撃を感じた箇所の服が焼け焦げている。
治癒したのか、損傷はない。
ドンッ! ドンッ! と爆発音を立てて俺の足元が爆ぜる。
遠くで杖のようなものを構えているゴブリンにたちに視線を向ける、とそのゴブリンの頭が何かに貫かれた。
「全く、無茶するのじゃ」
ゴブリンの頭を貫通して地面に突き刺さった槍の柄に、アリスが音もなく降り立つ。
「ほっ」
飛び降りて、槍で周囲を薙ぎ払うアリス。
槍の半径に居たゴブリン達がまとめて両断された。
「向こうの二人は障壁を作り直したからもう大丈夫じゃ。ミリアルドも無事なのじゃ」
俺に背中を合わせ、槍を構えながらアリスが言う。
「よかった」
俺たちを囲むようにゴブリン達が展開してゆく。
「初めての共闘なのじゃ、レイジ」
どこか嬉しそうにアリスが言う。
「そういえば……そうだな」
俺も構え直し、数十メートル先に居るゴブリンキングを視界に納め
「それじゃぁいっちょ……」
「うむ! 大暴れなのじゃ!」
俺とアリスは同時に地を蹴った。
キリのいい部分が無かったので大分長くなってしまいました……。申し訳ありません。
明日20時にまた一話更新します。
体調が戻るまでは一日一話の投稿になりますが、よろしくお願いいたします。