01 月下の出会い
――影。
疾駆する、影、四つ。
声は無い。
三が追うもの、そして一が追われるもの。
その双方が――影である。
「――……ッ!」
小さく声を漏らし、追われる影が速度を上げる。
追随して、追う影達も、速度を上げた。
「しつ、こい……!」
苛立ちを多分に含んだ声。
当然、追われる側から漏れた声である。
声は――少女のものであった。
目深にかぶった笠から、鋭い視線を背後に向けて、何かを放る。
三つの影が散る。
そのまま駆けていれば影が通り過ぎたであろう箇所が――爆ぜる。
魔法か、暗器か。
散った影が、再び集結する。
音もなく、ただ、追う。
「矢張り、手練れ、でござるか……!」
声の主――少女が、木を蹴って宙を舞う。
木々の隙間から覗いた紅い月が、宙に浮いた少女を一瞬だけ照らし、その手に握られた何かに反射して、キラリと輝いた。
――しゃん。
小さな音。
鞘から刀を引き抜いた音。
白銀が闇夜に閃き、弧状の軌跡を描く。
宙を返り、着地した影――少女が地を蹴って追い縋る影に向かって跳んだ。
一閃。
――しゃん、しゃん、しゃん。
小さな音が、三つ。
白銀が、交錯する。
――キンッ、キンッ、キンッ!
高い音が、三つ。
「――っ……ふッ!」
翻る銀閃が、影の首元を狙い――逸れた。
「っ……!」
代わりに狙うは手首。
返される刃が、迫る白刃を受け、逸らした。
「――この期に及んで、拙は……っ!」
苛立たし気に少女が呟き、地面を蹴り上げて大量の土煙を上げる。
視界を奪われ、たたらを踏む影達が、手にした武器を振り払う。
魔力の残光が土煙を払い、背を向けて走り去る少女を影達が視止める。
「――――」
短い手信号。
声を発さず、影達が意思の疎通を図ると、三者がバラけてそれぞれ少女を追い始める。
距離が縮まる。
追うものは手練れで、追われる少女はたった一人。
三方から代わる代わる振るわれる凶刃を、手にした白刃で打ち払い、逸らし、いなして、少女はひたすらに逃げ続ける。
響き渡る金属のぶつかり合う音。
打ち付け合う鋼が、火花を散らして、暗い闇を時折照らす。
暗い森の中を、影達が時折交錯しながら駆け抜けてゆく。
「っ……!」
笠の下から、鋭い視線が影達を睨む。
何故、と少女の唇が小さく動く。
答えるものは居ない。
返答は、凶刃を以って返された。
そして。ついに刃が少女を捉えた。
肩を浅く切り裂かれ、走る体制が崩される。
痛みが走るが、少女は声を上げない。
慣れっこだ、この程度の痛みには。
続く刃が頬を裂く。
血が流れ、それを拭うこともせず、少女は疾駆を続ける。
あとすこし、もうすこし。
もうすこしで、森を抜けて、平野に出る。
平野に出れば、仲間が待っている。
そうすれば――。
――そんな甘い考えは、遥か視線の先に見える光に打ち砕かれた。
「――火? っ、こんなところに、なんで……っ!」
焚火の光。
敵か、味方か。
――敵だろう。
逡巡の後、希望的観測を頭から振り払い、少女はそう断じた。
待ち伏せされていたのか。
自分はまんまとここに追い込まれたというわけだ。
少女の胸中に諦念が広がる。
だが、その感情に屈することは出来ない。
諦め、足を止めて、我が首を影達に渡すわけにはいかない。
「死ね、ない……っ! 拙は、死ねないのでござる……っ!」
――ならば、追手の打倒を以ってこの場を切り抜けるしかない。
そう決めた瞬間、跳躍、木を蹴りつけて方向転換。
影達に向かって跳ぶ。
大きく前傾し、身を低くして走りながら、鞘に収めた刀を抜き放つ。
狙いは――やはり、手首。
この行動は影達にも予想外だったのか、先頭の一人が武器を構えるのが一瞬遅れた。
そして、その一瞬の隙は、少女にとっての僥倖――の筈だったのだが。
「――ッ!?」
そのまま振り抜けば、影の手首を断ち、胴まで届いたであろうその刃を、少女が留める。
停止した白刃を、振り上げられる凶刃が強かに叩き――少女の手から刀が弾き飛ばされた。
「あ、くっ……!」
手に伝わる重い痺れに、少女が声を上げた。
体制を崩し、たたらを踏む少女に――凶刃が迫る。
「はっ、ぅっ……!」
その場に倒れ込み、何とか刃を躱す。
やはり肩を切り裂かれて、血が噴き出す。
続けて振るわれる刃が、脚に突き立てられた。
焼けるような痛みが全身を貫き――それでも少女は声を上げない。
ただ無言でやはり笠の下から、赤い瞳で影を睨むだけだ。
「……」
無言のまま、影が刃を振りかぶる。
振り下ろされる凶刃が――金属音を響かせて、何かに打ち払われた。
「――ッ!?」
驚愕の声を上げる影が、咄嗟に飛びのく。
――が、
飛びのいたその先に――
「――ああ、もう、また厄介ごとだ……」
――鈍色の化け物が立っていた。
「ひッ……!」
それを見た瞬間、少女の喉から掠れた悲鳴が上がった。
肩を裂かれ、脚を貫かれ、それでも声を上げなかった少女が上げたのは――恐怖の叫び。
化け物の周囲に漂うおぞましく黒い魔力の気配が、身を竦ませる。
「この場合、どう考えても追ってる方が悪者だよな……? どう思う、アリス。……だよなぁ。……いや、そういうわけじゃないけどな……。いや、だから、違うって!」
その化け物は、少年の形をしていた。
黒い髪、黒い瞳。
鈍色のローブを纏って、両腕には禍々しい形をした籠手を嵌めている。
自然に立っているように見えるが――隙がまるで無い。
「――ぁ、あ……」
少女は確信する。
殺される。
ここにいるもの、全て殺される。
それは、原始的恐怖。
生物であれば、誰しもが抱くであろう、死という概念そのものに対する、根源的な恐怖であった。
そう。その少年は、その身一つで"死"という概念そのものを体現していた。
「――何者」
口を開いたのは、影。
今まで一切の言葉を発さなかった影が、少年の圧力に耐えきれず、言葉を発した――瞬間、少女は理解する。
――ああ、あの男、死んだ。
あの存在の前で口を開くという行為、それそのものが、死への挑戦に他ならない。
そして、死に挑戦して生き残った者は――いる筈もない。
そんな少女の予想に反して、少年は影に対して言葉を返す。
「名乗るほどのものでもないけどな。あんたたちこそ、何者だ? どうしてその子を追っかけまわしてた」
「――」
返答は、無い。
刃を構える影。
――なんて、無為無謀。
無駄だ。
アレはそんなものでなんとかなる存在ではない。
斬りかかる?
冗談じゃない。
実力の差が、理解できないのか。
「はあ……ったく、この世界のやつらは喧嘩っ早すぎる……」
呆れたようにつぶやいた少年が――消える。
小さな風切り音。
少年が動いたのだと少女が認識した瞬間には――影達は地に倒れ伏していた。
しかして、再び少女の予想は裏切られる。
――倒れ伏した三人の影。……その全員が全員生きている。死んではいない。
「やれやれだ……。――ええと、それで……」
少年の瞳が少女を射抜く。
身が竦む。全身に鳥肌が立ち、体が震える。
しかし、そんな濃密な死の気配とは裏腹に、少年の瞳は、随分と優し気で――。
「俺はレイジ。キリバ・レイジだ。……君、なんで追われてたんだ? あと……ここ、どこ?」
こちらに手を差し出しながら、そう、困ったような声で言うのだった。
――これが、拙と主殿の、出会いだった。
本日はここまでになります。
本日より四章の始まりです。
次回更新は明日21時、一話の更新になります。
気に入っていただけましたら評価やブックマーク、よろしくお願いいたします!




