34 ミリィの決意
魔神の影との接触から数時間。
俺は今、迷宮を全力で駆け抜けていた。
魔物を排除する時間すら惜しい。ジャンプし、正面に展開する魔物を踏みつけて、その勢いで更に高く跳び上がる。
頭上を越え、魔物の群れの背後に着地、即座に走り始める。
「――マスター、私、感激しております。ああ、愛しのマスターの腕に、このように熱く抱かれ、視界すら揺れているかのような錯覚が……」
「黙ってろ! 舌噛むぞ!」
流石のガーネットも、俺の魔力も膂力もフルに使った全力疾走には着いてこられない。
よって、今ガーネットは俺にお姫様抱っこされている。
こっちのほうが早いのだから仕方がない。
胸や腕に伝わる柔らかい感触とか、頬を擽るガーネットの綺麗な金髪だとか、妙に近い顔だとか、そういったことは気にしない。……気にしてない。本当だよ。
再度魔物の群れが現れる。……行きよりも多い気がする。気のせいだろうか。
再びスルーを決める。跳び、踏みつけ、跳ぶ。
「ああ、マスター……。くんかくんかすーはー。……汗臭いですね」
「仕方ないだろ!? もう何日も風呂なんて入れてないんだよ! 俺だって毎日お風呂入りたいよ!」
余談だが、この世界は湯舟につかる習慣がある。大衆浴場のようなものもあるので、旅の途中、そのような施設のある街に立ち寄った際は出来るだけ利用するようにしている。
「くそ、俺だって風呂も飯もゆっくりしたいよ……!」
だがしかし、仕方あるまい。
迷宮探索の間は、風呂なんて望むべくも無いし、食事も保存食一辺倒になってしまう。
ただでさえそれなのに、近頃は迷宮探索以外の時間も急いでいたり、そのような暇が与えられなかったり……とにかく一度ゆっくりしたい……。
「そのために、さっさとこの盛大なマッチポンプとやらを終わらせて、ゆっくりするぞ、ガーネット!」
「イエス。日常回ですね」
「そんなものはない!」
突如正面に躍り出てきた猿のような魔物を、正面から蹴り飛ばす。
吹き飛び壁に大きな亀裂を作りながらぶち当たって、魔物が爆散した。
ガーネットと軽口をたたきながら、俺はひたすら走る。
迷宮を抜ける。
「――くそ、こいつらまた……!」
迷宮の出口には、やはり、というか、黒装束の集団が俺たちの行く手を遮るように展開していた。
「このまま足を止めず走ってください、マスター。私がマスターの腕の中から狙撃します」
「頼んだ!」
疾駆を止めない。
体ごと俺を止めようと、黒装束達が俺の正面にまさに肉の壁を築く、が。
「死んでも恨まないでください――『装填』。『発射』」
――大口径の散弾銃のような長物が、俺の腕の中で大きな音を立てる。
ガァンッ! と、耳を塞ぎたくなるような音をたてマズルフラッシュと共に炸裂した。
血飛沫を撒き散らしながら、黒装束達が吹き飛ぶ。
……死んでも恨むな、っていうか、完全に殺しにいってないか。
その大きな隙に、俺は地を蹴り大きく跳ぶ。
"空"を蹴りつけ、方向転換。さらに跳ぶ。
頭上を越えられた黒装束達は為す術なく、まさしく弾丸のような速度で駆け抜けていく俺たちを見送った。
――迷宮から脱し、街道を避ける様に獣道を走ってゆく。
林を抜け、森を抜け、山を越え、谷を飛び越え。まさしく人外めいた本気の疾走。
この世界に来てから、こんな風に魔力も膂力も全力で使い走ったのは初めてのことだ。
遠くに、アリスとミリィの気配を感じる。
恐らく、魂のリンクだろう。それを目印に、俺は道なき道を走る。
風景がものすごい速度で移り変わり、風がごうごうと耳元で煩い。
――時速、どのくらいでているのだろうか。
時折、ガーネットが何事か呟くのだが、風の音に遮られ、言葉は聞こえない。
そのうち、ガーネットも喋るのを諦めたのか、俺の腕のなかで、じっとしているだけになった。
走り始めて丸一日。
見覚えのある街道に出た。
「――……? アリスの反応が、移動してる」
ここから北にひたすら進めばルグリアに着くが……アリスとミリィの反応が別の場所に移動している。
ルグリアの南……このまま真っ直ぐ進めば俺とかち合う進行方向だ。
このまま進もう。アリスと合流したほうがよさそうだ。
ぐい、と無理やり体を捻り、進行方向を変える。
「マスター?」
「いや、どうやらアリス達が、ルグリアから移動してるみたいだ。そっちに行先を変える」
手短にガーネットに伝えて、アリス達の反応を示す地点へと走り始めた。
――――――
それから数時間。
「レイジ!」
「アリス!」
俺は無事、アリスに合流できた。
……両腕にミリィとテニアを抱えて、背中にサテラを背負ったアリスと。
背後には大勢のヘイムガルドの兵士達が追随している。
「……何があった?」
「ん。アレフガルドが……」
――アリスから、ルグリア城で起きたことの説明を受ける。……どうやら、俺が魔神から聞いた事実に、アリスは自力でたどり着いたらしい。
すなわち――ルグリア宰相、アレフガルドという男が、ガザルド・ファランティス、そのオリジナルであると。
「――だから、多分向こうは私たちとヘイムガルド軍、その両方をルグリアの敵だとしているんだと思う。……つまり」
「ルグリア全土が、敵」
……宰相としての立場、それをフルに活用して、俺たちを潰しに来たってことか。
「……お兄ちゃん。爺やが……爺やが、その、ガザルドっていうのは……本当、なの?」
情報交換を終え、兵達が野営の敷設を始めて暫く。ミリィが俺の服の裾を掴みながら、不安そうに尋ねて来た。後ろには、難しい顔をしたテニアもいる。
「……ミリィ。いいか、よく聞くんだ」
「……うん」
ミリィには、きっちりと説明しなければならない。
ミリィが慕っていたあの男が、ミリィの爺やは……はるか昔から、ミリィを、魔族を裏切っていたのだと。
俺は、伝えなければならないのだ。
「……多分、今アリスが話した通りだ。アレフガルドさんは……ミリィの爺やが。恐らく、ミリィの父を陥れ、ミリィを魔人領からヘイムガルドに転移させ、迷宮で俺たちを襲い、あの森で魔神を俺たちにけしかけた……その本人だ。……恐らく、間違いない」
「……――どうして」
「……本人が言っていた通りなんだと思う。魔王に、なる為だ」
「魔王……? なんで、魔王なんて……だって、お父様は、ミリィも……だって、そんなこと、言ってくれたら! 爺やが魔王になりたいって言ってくれたなら……っ!」
「ミリアルド!」
ミリィの言葉を、怒気を孕んだテニアの声が遮る。
それは、その先を言わせまいとするテニアの気遣いと、怒りと、優しさが籠められた、短い言葉。
「駄目だよ、ミリィ。それは言っちゃダメ。あの時、ミリィはガザルドのコピーに『私が魔王になる』って言った。あの言葉は、そんなに軽いものなの? 魔族である私の前で『魔王になる』って言うって事は、そういう意味なのよ。分かってる?」
「で、でも、だって、ミリィ、ミリィは……っ」
「泣くんじゃない。貴女は魔王。そうなるべくしてこの世に生を受けた私の妹。だから……泣くんじゃない」
声を震わせ、肩を震わせ、俯くミリィの両肩に手を乗せて、テニアがその顔を覗き込む。
「――アタシは分からない。ミリィとアレフガルドが、どんな時間を過ごしたのか。アンタたちの間に、どんな信頼関係があるのか。どんな感情があるのか。……でもね、ミリィ。アタシは、あの時ガザルドに『私が魔王になる』って啖呵を切った貴女に、確かに感じたのよ。貴女の中の"魔王"の器を。……ねえミリィ。魔王が、魔族に認められて成るものだっていうのなら――アタシの魔王は、貴女なの。決して、人を騙して、陥れて、悲しませて、傷つけて、苦しめて、裏切って――そうやって手に入れるものじゃない」
「――……ミリィが」
「そう。ミリアルド・ファランティス。私の妹」
「テニアちゃんの、妹……?」
「うん。……アタシ、ずっと考えてた。アタシのコピーとして生まれたミリィは、アタシにとって、どんな存在なんだろうって。どう思ったらいいのか、分からなかったから、ずっと考えてた。アタシは家族を知らないから、少し結論を出すのに時間がかかっちゃったけど……うん、アタシは勝手にミリィを妹だと思うことにしたのよ。……だから、お姉ちゃんとして、ミリィが本当に望むことの手伝いをする」
「私が、本当に望むこと……」
「そう。ミリィ。……貴女はどうしたい?」
「ミリィは……私は……魔族に……ううん、世界が……『ヘイワ』になるといいって……お兄ちゃんたちと旅をしてきて、そう、思って。だから、その為に、ミリィが……魔王がお兄ちゃんたちの力になれるのなら、ミリィはそうなろうって。だから、私は……」
「うん。だから、ミリィは?」
「――ガザルドを……自分の感情だけで回りを巻き込むあの人を……魔王にするわけには、いかないの」
ミリィの瞳に、強い光が灯る。
それはこの旅の中、様々な人たちの中に見てきた光。
レイリィに、アレックスに、アリスに、姉ちゃんに、アラスターに、ローレンツォに、セシリアに……いろいろな人が、それと同じ瞳の色を、俺に見せて来た。
――そう、それは。決意の光。
「ミリィの気持ちは分かる。……っていうのもおこがましいかも知れないけど……親しい人に裏切られたと知って、平然としていられるわけがないのは分かってる。でも、ミリィ。やつの、ガザルドのしていることは……」
「――うん、お兄ちゃん。分かるよ。あの人は……間違ってる」
顔を上げたミリィに、真っ直ぐ見つめられる。
薄紫色の瞳を見つめ、俺は頷きを返す。
「レイジ」
「アレックスか」
アリス達がルグリアから撤退する際、殿を引き受けたというアレックス。
彼が今俺たちの居るこの林に現れたということは……。
「魔族軍の方は、なんとかなったのか?」
「ああ。追ってはこれない程度に……そうだね、なんとかしてきた」
……痛めつけて来た、とかぼこぼこにしてきた、と言わない辺りがアレックスがアレックスたる所以だろうか。表情に少し疲労の色が滲んでいるのは、手加減に気を使ったから、とかその辺だろう。
気持ちは分かる。少し力や魔力を過剰に入れてしまうと相手が死んでしまうというのは、実の所かなり神経を使うのだ。
「それで、アリシア。僕にも事情を説明してもらえるのかな」
「ん。レイジに聞いて。わたしは疲れた」
ひらひらと手を振って俺に全て丸投げするアリスが、俺の影に潜り込む。
その寸前、ミリィの頭をぽん、と一度だけ優しく撫でて。
『あとはお願いね、レイジ』
(ああ、ミリィたちを連れ出してくれてありがとう、アリス)
『ん。……えへへ。レイジに褒められた』
(いくらでも褒めるさ。本当に頼りになるよ)
『えへ』
笑みの気配を返して、アリスが沈黙する。……眠ったのだろう。
そして、俺は今までの事をアレックスに説明する為、もう一度同じ話を繰り返すことになったのだった。
――――――
「……なるほどね。つまり僕達は、魔人領全てを敵に回したうえで、ガザルド・ファランティス……ひいてはアレフガルド氏を倒さなければいけないと、そういうことだね」
気遣わしげな視線をミリィに送り、アレックスが俺の説明に頷く。
彼もミリィの境遇を慮っているのだろう。
その視線に、ミリィは微笑みを返した。
「大丈夫だよ、アレックスさん。私、決めたから」
「――……ミリアルド。僕は、レイジの剣であると、レイジに救われたあの日、自分自身にそう誓った。でも……今僕は……君の力になりたい。それは償いや、自分のしたことに対する贖罪ではなく……ただ、仲間の一人として、ミリアルド、君を……」
「うん。ありがとう、アレックスさん。……お願いします」
そして、頭を下げるミリィに、アレックスは一瞬だけ躊躇して……その頭を、優しく撫でた。
「誓おう。――僕、アレックス・エイリウスは、ミリアルド・ファランティス、貴女の剣で在ると」
「……それってプロポーズ?」
「……テニア。茶化さない」
「はーい」
テニアの一言で、俺たちの雰囲気がいつものそれに戻る。
弛緩した空気の中笑みをこぼすアレックスとミリィを見て、俺はことの推移を見守っていたサテラを振り返った。
「……事の次第は、そういうことになります。俺たちはこれからルグリアに戻って、ガザルドを何とかしようと思います。ヘイムガルド軍に関しては、全て終わるまでどこか安全なところに……」
「――いえ。レイジ殿。我々にもお手伝いさせてください」
「いや、でも」
「……レイジ殿たちの強さは知っているつもりです。ですが、敵はルグリア軍その全て。いくらレイジ殿たちがお強いのだとしても、その数の前では、恐らくガザルドにたどり着くことも出来ないでしょう。……我々が陽動を引き受けます。その隙に、レイジ殿はガザルドを討ってください」
「――でも、貴方たちだって、数は精々が1000……そんな数で魔人軍全てを相手にするなんて……それに、貴方たちは魔族達の為に、そこまでするほどの理由が……」
「理由ならあります。聖人殿。貴方が我ら人族に取り戻して下さった『平和』の心。それを認識した時、我々、魔人領駐屯軍に産まれた感情は一様に……深い後悔でした。罪もなく、理由も無い魔族達を殺し、その生活圏を切り取るという行為、それに対する後悔。我々は、返さねばならないのです。彼らの平穏を。彼らがそれを『平和』だと認識できずとも、我々はその手にそれを返さねばならないのです。……それが、奪ったものが奪われたものに対して出来る、唯一の贖罪なのですから」
「――わかり、ました。よろしく頼みます」
ああ、またその目だ。
決意の光。その光が、サテラの瞳にも灯っている。
そして、その光を瞳に湛えた誰かに、俺は否を唱える事はできないのだ。
「大丈夫だよ、レイジ。ヘイムガルド軍には僕がつこう。彼等は僕が護るよ」
アレックスがほほ笑みと共に請け負ってくれる。
……それなら安心だ。
「じゃあ、ルグリア城に突入するのは俺とアリス。それと……」
「私も行く」
「テニア……?」
「ちょっとね。ガザルドには文句言ってやらないと気が済まないのよ」
「……危ないぞ?」
「レイジが護ってくれるでしょ?」
「そりゃ、護るけどさ……」
――ああもう、言っても聞かなそうだ。仕方ない、テニアも連れていくしかなさそうだ。
「お兄ちゃん、ミリィは……アレックスさんたちと一緒にいるの」
「……でも、そこは戦場になるぞ。ミリィにだって危険が……」
「分かってるなの。でも、私は見ないといけない。魔王を巡って起きた戦いが、どういうものだったのか。どういうものになるのか。それが、私の……魔王になる者のするべきことだから」
「……分かった。アレックス、ミリィを頼む」
「任せて。僕は誓ったからね。彼女の剣になると。――すぐに鞍替えして、レイジには申し訳ない気持ちがあるけど――」
「いや、なんか浮気を責めてるみたいになってるから。別にいいから。ていうかアレックスが俺の剣になるとか言い始めた時俺断ったし」
「……そうだったね」
しゅんとするな気持ち悪い。
「では、明日、我々は反転し、再びルグリアに向けて進軍。ルグリア軍は、恐らく大橋の手前で我々を食い止めようとするはずです。大規模な戦闘を行いますので、その混乱に乗じてレイジ殿達突入部隊がルグリアに侵入、大将であるガザルドを討つ、と……作戦と呼べるものですらありませんが、それで構いませんか?」
「はい。シンプルだし……なんというか、俺達みたいな存在はそれくらいの方が分かりやすくてやりやすいですから」
下手な小細工を弄するよりは、正面突破の方がやりやすい。
なんせ、悲しいかな俺達には、それが出来てしまう力があるのだから。
そしてそれが、一番魔族にも人族にも被害が少なく済む方法だろうと思う。
「じゃあ今日は、お互い休みましょう。サテラさんも、アレックスが治したとはいえ、怪我してたんですから無理はしないでください」
「ええ。ありがとうございます。……では明朝」
「はい」
こうして俺たちは明朝の作戦の為、各々体を休ませることにした。
ヘイムガルド軍が設営してくれたテントに入る。
腰を下ろして、配られていた温かいスープを一口飲む。
丸二日ほど走りっぱなしだったせいで、流石に疲れた。温かいスープが喉を通り、胃に落ちると、じわりじわりと胃の中から疲れが全身に広がっていった。
そう言えば、食事もろくにとっていなかった。
……でも、ミリィとテニアが無事でよかった。
ふぅ、と息を吐き、少しでも横になっておこう、と毛布をかぶり、寝ようとしたとき。
「お兄ちゃん」
おずおずと、ミリィがテントの中に入ってきた。
「――ミリィか。どうした?」
「……眠れなくて」
「そっか。……こっちおいで」
「ん」
毛布を捲り、ミリィをこちらに招き寄せる。
素直に従い、胡坐をかいた俺の足の間に、ミリィがすとんと収まった。
毛布で俺の体ごとミリィを包む。
「……あったかいなの」
「スープもあるぞ。飲んだか?」
「うん。さっきテニアちゃんと一緒に食べたなの」
ぐい、とミリィが俺に体重をかける。甘えるような仕草に、それに応えるようにして、その肩を後ろから抱きしめた。
……ミリィは、小さく震えていた。
「……ミリィ」
「大丈夫。大丈夫だよ、お兄ちゃん」
大丈夫、そう繰り返し呟くミリィの声が、大丈夫なんかじゃないと如実に語っていて、俺はミリィを抱きしめる腕に少し力を籠める。
成長の早い魔族。ミリィの体はすっかり少女のそれではなくなっている。
だが……ミリィは11歳だ。11歳の女の子が背負うには、あまりにも大きいものをこの少女は抱えてしまっている。
魔王という立場と、それを巡る陰謀と――裏切り。
そんな少女に、俺は一体何がしてあげられるのだろう。
いつも天真爛漫で、元気で、でも、時折大人びたことを言って俺を驚かせるこの魔族の少女に、この旅で、俺は一体何がしてあげられたのだろう。
今ミリィは、何を感じ、何を見て、何を想っているのだろうか。
「――ミリィ」
言葉を伝えようと、ミリィを呼ぶ。
しかし、その言葉は、柔らかい何かに塞がれた。
振り向いたミリィの顔が、視界いっぱいに広がっている。
長い睫毛が揺れ、その髪が俺の頬を擽る。
「――……」
「み、りぃ?」
「……ごめんなさい。お姉ちゃんには、悪いと、思ってるなの。でも……ミリィは」
泣きそうなほどに震えたその声が、俺に二の句を継がせない。
今、キス、されたよな、俺。
「……きっと明日の戦いが終わったら、私は魔王になる。そして、お兄ちゃんたちは迷宮を踏破して……それでミリィとはお別れ。だから……これが最後のチャンスだったの」
「最後、って……」
「ミリィはね、お兄ちゃんがすき。たくさん守ってもらった。たくさん甘えさせてもらった。たくさん教えてもらった。初めてルグリアの外に出た。初めて冒険した。だからね、そんな世界を教えてくれたお兄ちゃんがすき。だから、おれいを言いたかったなの。……そのおれいを言える、最後のチャンス」
「そんな、最後なんてことないぞ。いつだってミリィに会いに来る。世界が平和になれば、きっといつでも会えるように……」
「ううん。その時に、お兄ちゃんが会うのは、魔王の私。今の、誰でもない、ただのミリィじゃないなの。お兄ちゃんと冒険をして、今ここにいるミリィとは違う存在」
「そんなこと……ない。ミリィは、俺にとってミリィは、いつまでたってもミリィだ」
「……えへへ。うん。そうだね。――でもね。そうじゃないなの。レイリィちゃんも人王になったでしょ? そうしたら、ミリィたちとは簡単には会えなくなった。きっとミリィもそうなっちゃう。ううん、そうならなくちゃいけない。……だから、ミリィが、ミリィとして、伝えられるおれいは……今が最後なの」
ぎゅ、と抱き着かれる。
頭をぐりぐりと俺の胸に押し当てて、ミリィが全身で俺に甘える。
「――だからね、ありがとう。お兄ちゃん。ミリィをここまで連れて来てくれて。『ヘイワ』を教えてくれて。この旅が無かったら、きっとミリィは魔王になるなんて、自分からは言わなかったの。だから……あの時、ミリィを助けてくれて、ありがとう。……だいすきだよ」
「あぁ。……俺も、ありがとう、ミリィ。俺の方こそ、いつもミリィに助けられてきた。キャンプや食事や……それに、守らなくちゃいけない人が居るっていうのは……それは、きっと俺を強くしてくれた。だから、俺がここまでこれたのは、ミリィのおかげでもあるんだ」
そうだ。
強くあらねば、強くならねば、とそう自分を奮い立たせる事ができたのは、守るべき存在、ミリィがいつもそばにいてくれたからだ。
今俺がこうして、何かを守ろうと、平和を取り戻そうという想いを拠り所に立っていられるのは、その想いを俺に与えてくれたミリィがいたからなんだ。
ミリィがいなければ、きっと俺は強く在れなかっただろう。
そして、強く在れない俺はきっとこの旅の途中、どこかで命を落とすか、心を折られていただろう。
ああだから……この少女が俺に与えてくれたものは、守るべき存在という、そんな大切な心の拠り所だったのだ。
そして、俺はそんなミリィに、何を返せるのだろうか。
「うん。ミリィも、お兄ちゃんの役に立ててた?」
「ああ。いつも助けられてた」
「そっか。……それは、うれしいなぁ」
えへへ、と俺を見上げてほほ笑むミリィの笑顔は、初めて会った日、あの日に見せた、幼げな、無邪気な、あの日のままのミリィの笑顔だった。
本日はここまでになります。
次回の更新も明日21時になります。
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