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20 アリスとカエデ


 深く沈む微睡みの中、私は夢を見ている。

 

 遠い過去の記憶。

 今はもう取り戻せない、どれだけ時間が経とうとも色褪せない、暖かな記憶。


 そう。取り戻せない。

 だからこれは夢なのだ。


 暖かい。けれど重い、深い、後悔の記憶。


 ――初めて飲んだ血は、涙と、後悔と、罪の味がした。



――――――



 吸血鬼は、ファンタズマゴリアという世界に於いて、こと戦闘能力に関して言えば、最強の種族の一つだ。

 もう一つは龍族。

 互いに共通していることは、共に永い時を生きること。

 そして、その不死身性だ。


 吸血鬼は桁外れの回復能力で。

 そして龍族は、そもそも滅多なことで傷を負わない硬すぎる外皮で不死身性を保っている。


 しかし、その種としての永続性は、拭い去れない諦観へと繋がる。


 昨日と同じ今日。今日と同じ明日。変わらぬ毎日が延々と続く。


 個として完成された吸血鬼という種族は、しかし、永遠の命を持つものとしての宿業も同時に背負っている。


 ――飽いてしまうのだ。生きることに。


 故に、生への執着が全くと言っていいほどない。


 だから、この種族が緩やかに滅びていくのは、ある種、当然の帰結だと言えた。


 私――アリシア・フォン・ブラッドシュタインフェルトが生まれた時、同族達はすでに片手で数えられる程に減っていた。


 父と母。そして城に住まう数人の同族。

 たった5人。それが吸血鬼族という種族の人口の全てだった。


 ――何故父と母が、滅びゆくこの種族に、新たな子を設けようとしたのかは分からない。


 賢王であった母が、世界のシステムに抗えず、後継として私を設けたのか、それとも単なる気まぐれか。

 ともかく、私は生まれた。


 今から、400年ほど前の話だ。


 ――私は心底望まれて生まれた子ではなかったのだろう。それは、父の冷たい態度から理解できたし、生きるのに飽きていた周りの同族達も、新しく生まれた同胞の子に、それほどの感慨を持っていたようにも思えない。


 しかし、そんな中でも、母は確かに私を愛してくれていた。

 それは生物全てに共通する、母性というものの現れだったのかもしれない。滅びゆく定めの種族の母にも、母性は目覚めるものらしかった。


 ともかく。私は母に愛され育った。

 吸血鬼の生息地は、イングランデの最北。常夜の森に限定されてはいたが、それでも不自由は無かった。

 食べ物は十分にあったし、命を脅かされることもなかった。

 私たちは森を出ず、森の外のニンゲンたちも、私たちを恐れ、森には入ってこなかったからだ。


 昨日と同じ今日、今日と同じ明日。


 何も変わらない、永劫に続く、平穏。


 ――平穏が破られたのは、100年が過ぎた頃だったろうか。


 まず、人族の討伐隊達が森にやってきた。

 当時の勇者と、人王。

 大勢の軍隊を伴って、私たちを滅ぼしにやってきた。

 何故突然討伐隊が組まれたのかは終ぞ分からなかったが……大方、不死身の化け物が自分たちの生活圏のすぐ側に存在している事に対する恐れが爆発した、程度の理由だろうか。


 ――結果から言えば、討伐は失敗だった。


 父一人に数千人からいた討伐隊達はほぼ全滅させられた。

 それでも、勇者の意地か、はたまた超常のなにかな介入があったのかーー多大な犠牲を払い、勇者がなんとか父を道連れにした。


 しかし、命への執着のない吸血鬼達は、その結果にすら無頓着であった。

 同族を殺された怒りも、悲しみも、特に覚えなかった。


 ――だからだろうか。間髪おかず、今度は魔族達がやってきた。

 やはり、魔族たちは多大な犠牲を払って、2人の同族を殺し、最後に、私と母だけが生き残った。


 ああ、それでも。私たちの胸中には、怒りも悲しみも無かったのだ。


 いずれくる滅び。それが、自分の胸に聖銀を突き立てる事によるものなのか、他種族に滅ぼされる事によるものなのか。

 その程度の違いしか、無いのだから。


 しかし、そんな中でも母は、私を生かそうとした。

 人族、魔族、と来たら、次は機人ドワーフ森人エルフか。はたまた獣人か。

 いずれにせよ、いつか誰かが、なにかが、私たちを滅ぼそうとやってくることは目に見えていた。


 母は、それをよしとしなかった。


 ある日、母は私になにも告げず、城に私一人を残して、森を出て行った。


 そうして、世界中で暴れた。


 吸血鬼の恐ろしさを、世界に示す為だったのだろう。お前達は、こんな化け物に手を出すのか、と。


 母は何年も世界中で暴れ回り、数え切れないほどの他種族達を殺して……そして、殺された。


 しかし、世界中に『ブラッドシュタインフェルトの吸血鬼』の恐ろしさを焼き付けるには、十分過ぎるほどの効果があった。


 否、効果があり過ぎた。


 この災厄を機に、あろう事か、争いばかりが跋扈するこのファンタズマゴリアの地に於いて、史上初めての同盟が結ばれた。


 吸血鬼を殲滅する為の同盟。曰く――聖軍。


 当時の機王と魔王、そして人王が協力して軍隊を組織。私だけが残るシュタインフェルト城に進軍。


 ああ、しかし。


 私は、同胞達よりも、父よりも、母よりも。

 まだ、若かった。生に飽きてはいなかった。

 戦いの果て、死してもそれはそれでよい、とそういう風に考えられない程度には。


 私は、死にたくなかったのだ。


 だから、死に物狂いで戦った。


 そして、私には吸血鬼としての肉体のスペックと、母や父よりも遥かに優れた戦闘の才能があった。


 数万の軍勢を退ける事三度。

 同盟軍達は、私を殺すことを遂に諦めた。


 そして、和平を結ぶのだと、謝罪と共に現れた。


 ――世間知らずの私は、その甘言に乗り……当時の同盟軍達が技術の最を集めた封印術式に封印された。


 それが、今から300年前のこと。


 ――眠りと覚醒を長いスパンで繰り返す封印術式の中、私は怒りに燃え、絶望に呑まれ、悲しみに暮れ、憎悪を募らせ、再び悲しみに暮れて……そして……最後に――生に憧れた。


 あぁ、矮小なニンゲン達。

 限られた命しか持たぬ弱い者達。

 私はお前達が羨ましい。


 生きることに一生懸命な、お前達が羨ましい。


 生きている事が素晴らしいと謳歌出来る、その命の輝きが眩しい。


 そうして、微睡みの中、私は決意した。


 ――生きよう。

 

 もし、万が一、幾星霜の時の果て、ここから出られたのなら、私は生きよう。


 昨日と違う今日。今日と違う明日。そんな色鮮やかな世界が見たい。


 ――そう決めて、私は眠った。


 長い、長い眠りだった。

 

 280年という、途方もない時間を、微睡みのなか、過ごし――


 ――そうして、私は出会ったのだ。彼女に。


 私に生を謳歌するチャンスをくれた彼女に。

 異端の勇者、異世界から招ばれた者。


 桐葉楓という、少女に。



――――――



 変化は、突然だった。

 永劫に続く静寂の中、弱々しいけれど、確かに聞こえる、能天気な声が、私を覚醒に誘った。


「ねえ、君、生きてる?」


「……だれ?」


 声なんて、どのくらいの間発していなかっただろうか。響く音が自分の声だと気づくのに、暫くかかった。

 しかし、声の主は、そんな事お構いなしに言葉を続ける。


「おぉ、生きてた。……待ってて、助けてあげる」


 ……助ける? 私を?

 世界中に忌み嫌われ、封印された、この『ブラッドシュタインフェルトの吸血鬼』を?

 なぜ?

 いや、それもそうだし……。


「どうやって……」


 各国の頭脳が困難の果て作り上げた封印術式だ。

 そう簡単にはどうにか出来るはずがない。

 だから私は時間経過による劣化を待っているのだ。永劫に続く術式なんて無いと信じて。


 私の疑問をよそに、声の主は、外でゴソゴソと何か言っている。


「んー。解除出来なくはないけど……めんどくさいや! こう、やってえ!」


「!?」


 ばきん! だか、ばこん! だか。

 とにかくなんらかの破壊音が響き渡る。

 高く響いたその破壊音は断続的に何度か続いて、その音が響く度に、私の体に重ねてかけられていた封印が一つ一つ破壊されてゆく。


 そして、最後の封印が壊された時――


「ほら、でれた! えへへー。私ってば流石!」


 懐かしい、城の匂い。懐かしい、日の光。

 懐かしい、木々のざわめき。


 そして、初めて見る、人族の少女が一人。


 つばの広い、頭に比べて随分と大きなとんがり帽子。クセのある黒い髪。目尻の下がった、優しそうな目は、キラキラと輝いて。


「いま、どうやって……」


 それに、お前は誰なのか。なんなのか。

 どうしてここにいるのか。どうして私を解き放ったのか。

 疑問が次から次へと浮かぶ。


 そして、その疑問を、私が口にする前に、目の前の少女が遮るように口を開いた。


「まぁまぁ、そんなことはどうでもいいのさ! 私、カエデ! んー、君可愛いねぇ! お名前は?」


 ――面食らった。

 どうでもいい? この複雑な術式を、力技で破壊した事が?

 信じ難い事だったが、信じるしかなかった。

 だって、目の前の少女の瞳は、あまりにも純真に、キラキラとかがやいていて。


 まるで……そう、まるで、初めて見るものが、初めて感じる事が、初めて知る事が、未知が、その全てが、楽しくて、楽しくて、楽しくて仕方がないんだといった様なーーそんな、好奇心に満ちた目をしていたから。


 だから、そんな……全身で、生きている事が楽しくて仕方がないんだ、と言っているような彼女に、私は胸が締め付けられるほどの憧憬を感じてーー


「アリシア……。アリシア・フォン・ブラットシュタインフェルト」


 素直に。

 自分でも驚くほどすんなりと、名前を告げていたのだ。


「な、長い……えぇっと……アリシア、アリシア……じゃあアリスだ!」


 アリシア、アリシア、と何度か呟いて、最後、覚えることを諦めて、彼女が「アリス」と私を呼んだ。


 むっ、と顔を顰め、応える。


「ちがう、アリシア……アリスじゃない……」


「いいじゃんアリス! かわいいでしょ? ここは不思議な国だからねー。まさに不思議の国のアリスだねぇ!」


 そんな私のしかめつらは目に入らないのか。あっけらかんと少女ーーカエデがころころと笑う。

 笑うと随分と魅力的な女の子だ。地味な顔つきなのに、笑うと凄く……可愛らしい。


 ……なんて、妙に場違いな感想を覚えてしまう程、彼女の態度はあっけらかんとしていた。


「あなた、なんなの。どうして私を助けたの。……ここが、何処だかわかっているの」


「んー? 知ってるよ? 君はアリスで、ここは吸血鬼のお城。ってことは、君は封印されていた吸血鬼のお姫様だ」


「アリスじゃない! ……って、そうじゃなくて……! なんで、それがわかってて、あなたは私を助けたの」


「えー? だって吸血鬼とお友達になりたかったんだもん。それに、ここが最後なんだよね」


「おとも……っ!? あなた、私がどういう存在か知ってるんでしょ!?」


「んー、確か、大昔に暴れた吸血鬼の最後の生き残り? 殺せないから封印したんだっけ」


「そう! だから、私を解き放ったら、世界がどうなるのかーー」


「んー、なんかさ、その辺の話聞いたんだけどさー、妙にしっくりこなくて。だって、アリスは攻め込まれたから応戦しただけだよね? その後も和平に応じようとして、騙し討ちみたいに封印されたって聞いたし……アリス悪くなくない??」


 ――絶句した。

 臆面もなく、そんなことを言ってのけることもそうだが、私の事情を、しっかりと認識していることに。

 事実は、時間と共にねじ曲げられるものだ。特に、都合の悪い事実は都合の悪い人間によってねじ曲げられ、伝えられるものだ。私は世間知らずだが、そのくらいは分かる。


 なのに、彼女は、事実を正しく認識している。

 誰から聞いたのか、どう聞いたのか。それは分からないが……。


「ま、だからアリスを助けても誰も困らないかなーって。……あ、それともアリスって今すぐ復讐とか始めちゃうかんじ……? うぁー……それはまずいなあ」


「――復讐する、って言ったら、どうするの」


 興味本位で、尋ねてみた。

 試しに魔力もぶつけてみる。

 並の人間なら、昏倒し最悪死にすら至る密度の魔力。

 そんな魔力風のなか、なんでも無いことのように、えー? とカエデは少し考え、そしてにこりと笑い、


「君には復讐は似合わないさ、可憐なお嬢さん。そんな事より、私とダンスでもいかがですかな?」


 そう、おどけてみせた。


 ――毒気が抜かれた。

 

「――大丈夫。復讐なんて、考えてないから」


「えへへ。そっかそっか。よかったあ」


 そうだ、私は長い時の中で決めたのだ。

 外に出られたら、生きると。

 だから、復讐なんて、そんなことに使う時間はーー勿体無い。


 ふ、と自嘲が漏れる。

 『勿体無い』? 永遠の命を持つ吸血鬼が、無限にある時間を、勿体ないだなんて、馬鹿馬鹿しい。

 


「ん! じゃあ、はいっ」


 そんな私の思考をよそに。

 にっこり笑って、カエデが手を差し出した。


「?」


 意図が読めず、首を傾げてカエデの差し出した手を見つめた。


「お友達になろう! 握手だよ、アリス!」


「――……だから、アリスじゃない……って、もういい。好きに呼べば。……お友達になる気は無いけど、助けてくれたことにはお礼を言う。……だから、これは、義理として」


 カエデの手を握る。

 暖かい感触。

 ポカポカと熱いくらいの熱が、カエデの手から伝わって――って……!


「熱い熱い熱いっ!?」


 本当に熱かった。

 私の手が焼ける。


「あ、そっか。吸血鬼って聖力が弱点なんだっけ? あははー、ごめんごめん。私勇者だから聖属性なんだった」


 ――これが、私と、キリバカエデとの、出会いだった。

本日も2話投稿です。

次回は1時間後に。

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