19 魔神戦2
アリスの体を抱きしめて、魂にダイブした俺は、気付くと、暗い闇の中に一人で立っていた。
辺りを見回す。
何もない、平面の世界。
遥か奥まで、延々と闇が続いている。
(ここが……アリスの魂の中?)
(そうだよー)
思考に、返事が返ってきた。
ノーテンキな、軽い声。
返事があるとは思わなかった。
驚き、身が竦む。
しかし、それも一瞬。
俺の脳内は、直後違う驚きに支配された。
(今の、声……――)
聞き覚えのある……いや、ありすぎる声。
数年前までは、毎日聞いていた、独特の間延びした、その喋り方。
忘れない。……忘れる筈がない。
だって――。
(ね、え……ちゃん?)
その声は俺の姉のそれに、間違いなくて。
(やっほ、久しぶり、レイ君)
三度、驚愕する。
真っ暗闇の中、白い光が人の像を結び……目の前に人が顕れた。
セミロングの、少しクセのある黒い髪。
少し垂れた、人の好さそうな黒い瞳。
鍔の随分と広い大きなとんがり帽子をかぶり、ファンタズマゴリアで良く見るタイプのローブをだぼだぼの裾を捲って纏っている。
手には、レイリィの持っていたようなボロボロの杖に布を巻いて、腰の後ろには長い直刀をさしている。
――恰好は大分こちらの物に依っているが、俺が見間違えるはずがない。
(なん、で……生きて……?)
(いやー、身体は死んでるよぅ? ばっちりしっかり。心臓ザクーってされて死んじゃった)
ノーテンキに、自分の死因を話す姉ちゃんは、俺の知っている姉ちゃんそのもので……。
(ははは……)
力が、抜けた。
目の前の姉ちゃんが、本物の姉ちゃんなんだって信じざるを得なくて。
(まぁ、レイ君もお姉ちゃんに思うところとか、言いたいこととか、沢山あるでしょう! ――……でも、ごめんね。急に、いなくなって。これだけは、ちゃんと伝えたかったの)
滅多にしない、真面目な表情で。
垂れ目の目尻をさらに下げて、姉ちゃんが泣き笑いみたいな表情で、頭を下げる。
懐かしい。
困った様な、笑い顔。
(そんな……の……)
いいよ、と言いたかった。
そんな事、気にしていないって。
でも、言葉が出てこない。
何かが喉の奥につっかえて、俺はそれを飲み込んだ。
(――もう、レイ君は無き虫さんだなあ)
にへへ、と姉ちゃんが笑って、俺の頭に手を伸ばす。
(わぁ……身長、伸びたねぇ。……こんなに筋肉もついて。……えへへ。弟の成長が嬉しい姉だあ)
(そん、な……のっ……いまっ、どうでも、いいだろぉ……)
嗚咽が、漏れる。
頬を温かいものが流れ落ちてゆく。
それを止めることも忘れて、俺は姉ちゃんを抱きしめた。
(わわ。いたいいたい。……まあ、魂だから痛くはないんだけどねえ。……へへ。レイ君は相変わらずの甘えんぼさんだ)
(むかしっ、から……ぁ、甘えん坊なのは……ねえちゃんっ、の、ほう、だろぉ……)
(そうだったっけなぁ……ん。……レイ君、アリスを……私の大切なお友達を、助けに来てくれてありがとう)
――優しく微笑んで、姉ちゃんがよしよし、と俺の頭を撫でる。
その一言で、その表情で。俺の迷いが、完璧に晴れる。
あぁ……姉ちゃんが、そう言っているのなら、俺は、アリスも。間違ったことは、一つもしていないのだと、心がすとんと、軽くなる。
(あたり、まえだろ……アリスは、俺の……俺は、アリスを……)
だから、俺は、つっかえながらも、姉ちゃんに伝えるのだ。
俺がアリスを助けに来た理由を。
ああ、でも。
(ふふふ。みなまで言わずともよいよい。……アリスはあっち。魔神が居るけど――……ごめんね、お姉ちゃんは、ちょっと助けてあげられない)
姉ちゃんは、全部わかった様な口ぶりで、俺を優しく抱きしめる。
ぐし、と目じりを拭って、姉ちゃんから離れる。
ん、と首をかしげてほほ笑む姉の瞳を、しっかりと見つめて俺は尋ねる。
(姉ちゃんは――どういう状況なんだ?)
(んー。説明すると長くなるし、今はそれを話してる時間がないから、詳しい話はアリスに聞いて。でもね、これは言っておくね。――私は、もう死んでるんだ。こうして、魂は残っているけれど、それも、結構ギリギリ。……魔神の動きを、身体の中から止めるので、かなり力を使っちゃった)
(じゃあ……あの時、魔神の動きがおかしかったのは……)
(うん。私が何とか抵抗してたから。だからね、お姉ちゃんのことを助けよう、って思わなくても大丈夫。これは仕方ないことだったんだよ。アリスを責めないで。むしろね、私はアリスに感謝してるの。……こうして、最期にレイ君とお話し出来るのも、アリスのおかげだから)
(……分かった)
言いたいことはたくさんある。
いくらでも、出てくる。
話したい事も、聞きたいことも、伝えたいことも、いくらでも、いくらでも出てくるんだ。
――でも、全てを飲み込んで、俺は頷く。
(……大丈夫だ、姉ちゃん。アリスは、俺が助ける)
(うんっ! ……強く、なったんだね、レイ君)
(……アリスの……皆のおかげだよ)
(そうだね。ずっと見てたから知ってるよ。――がんばれ、男の子!)
(――ああ!)
ぽん、と背中を押される。
優しい手だ。
俺の大好きな、姉ちゃんの手だ。
それに勢いをつけて、俺は姉の指し示した方向に駆けだした。
数歩走って――振り返る。
姉は、にこにこと、あの日、家を出て行った時と同じ笑みを浮かべて、優しく俺に手を振っていた。
(姉ちゃん!)
(なあにー?)
(――姉ちゃんは助けるな、なんて言ったけど……いつになるか分からない、でも、どれだけ時間がかかっても……っ、姉ちゃんのことも、きっと助ける! だから、待っててくれ!)
(――――……あはは。……もう、本当に……"オトコノコ"の顔するように、なっちゃって。……わかった! 待ってる!)
目に涙をたくさん溜めて、それでも笑って姉ちゃんが頷く。
走りよって、抱きしめたい。
涙を拭ってやりたい。
――でも俺は、それを振り払って、振り返り、駆けだす。
アリスを、助けるために。
姉は、いつまでも俺に手を振っていた。
俺は、ずっとその気配を、背中に感じていた。
――――――
暫く走っていると、景色が変わった。
暗い闇の中に、木々が現れ、赤い月が空に昇る。
いつか見た風景。
森の奥には黒い城――シュタインフェルト城。
(あそこ……だな)
黒いシュタインフェルト城に、尚昏いオーラが纏わりついている。
現実世界で感じたあの重圧。
――魔神の魔力の気配。
(……正面から行くしかないか)
森を駆け抜け、城に向かって走る。
城門を抜け、エントランスを抜け、階段を駆け上る。
そして……そこに、魔神は居た。
大広間。シュタインフェルト城に滞在していた時は、滅多にいかなかったが、確かに存在したその空間。
その中央。
高い柱に縫い付けられて、裸のアリスがうなだれている。
――意識はないようだ。眠っているのか。
そして、その前に、立ちはだかる様に魔神が立っていた。
迷宮で、森で見た、あの平べったい黒い影。
あれが、魔神の本当の姿なのか。
(――バグが……貴様、魂にダイブなど……)
魔神から、抑えきれぬ怒りを感じる。
同時に、驚愕も。
俺の【根源魔法】の才能のことは知らなかったようだ。
(……まあ、いい。その力も、まさしく世界のバグ。――ここで魂を砕けば、肉体も滅びる。ハ。勇者の邪魔が入らなくなった分、よっぽど簡単なことじゃないか)
(……魔神)
問答は、無用。
全身に魔力を回し、構える。
(――……)
違和感に、気付く。
自身から溢れる魔力が、金色なのだ。
まるで、アレックスと同じような、魔力――いや、聖力。
(もしかして……これが、本来俺の持っている、リィンから授かった聖力……なのか?)
(……)
応えるものは居ない。
しかし、漲る力を確かに感じる。
体は動く。戦い方も、覚えている。
倒す。魔神を。
そして、アリスを――……!
魔神も構える。――なぜなのか。俺と全く同じ構え。
しかし、疑問を黙殺する。
関係ない。俺のやるべきことはたった一つだ。
(――行くぞォ!!)
脚に魔力を回して、駆けだす。
同時に魔神も駆け出す。
振り上げるは双方右の拳。
交差する腕が、両者の頬を同時に捉える。
鏡写しのように、全く同じ。
踏ん張り、左腕を振り上げる。
魔神も同じく。
互いの腹に、同時に拳が突き刺さり、互いの体がくの字に折れる。
体を跳ね起こして、蹴りを見舞う。
両者の蹴りが交差して、勢いに弾かれる。
続いて掌底。激突する掌が、魔神の魔力と俺の聖力の反発で、弾かれる。
無言で拳を、脚を、肘を、膝を、叩きつけ合う俺と魔神。
肉を叩く音と骨の軋む音だけが辺りに響く。
声も上げず、ひたすらに同じ動きを続ける俺と魔神。
――ああきっと、これは心の戦いなんだ。
痛みが無い。
血も流れない。
怪我もしない。
ただただ、存在をぶつけ合う戦い。
ならば、負けない。
絶対に、負けない。
だって、俺の想いは。
テニアに指摘されて気がついて。
アレックスに殴られて確かめて。
姉ちゃんに背中を押されて燃え上がった。
アリスへのこの想いは、どんなものにも砕けはしないのだから。
びきり、と俺の拳にヒビが入った。
魔神の脚に、ヒビが入った。
幾度殴り合ったか。
――決着が近い。
(――……ッ!)
胸の奥が熱い。
何かが、ずっと俺の胸の中で叫び声を上げている。
拳を振りかぶる。
――一瞬、魔神が遅れた。
俺の拳が、先に魔神の頬に突き刺さる。
(――ぁあッッ!!)
胸の内に溢れる何かに、もう逆らえない。
声を上げる。
しかし、黒い空間に飲み込まれるように、音は響かない。
それでも、叫ぶ。
(ッぉおおおぁああ!!)
熱くて、胸の奥が締め付けられる様な、この感覚に、名前をつけるのだとしたら。
蹴りが、奔る。
魔神の腹に突き刺さる。
くの字に折れる魔神の体。
起き上がらせるように、顎にアッパーをかました。
(――――ッせ!)
ああきっと、これこそが恋なのだと、俺の想いが、叫びを上げている。
殴りつける。
大振りの拳。魔神は、遅れる。
(――ぇせ……ッ!)
だから、伝えるのだ。アリスに。この、狂おしいほどの想いを。ありったけの声をあげて。
殴りつける。蹴り上げる。
叫ぶ。
(――を、返せッ!!)
だから、邪魔をするな。
左フック。右フック。回し蹴り、肘撃ち。
(――アリスを……――!!)
俺の恋路の、邪魔をするんじゃねえ。
大きく拳を、振り上げる。
魔神は、反応しない。
ぼう、と自身に向けて振り抜かれる拳を、眺めているだけだ。
叫ぶ。
思いの丈を。
万感の思いを込めて。
届けとばかりに、アリスを、見つめて。
叫ぶ。
「俺の――アリスを、返し、やがれぇえええええええええええええ!!」
叫び声が、響き渡る。
音を吸い込む闇の中。俺の咆哮は、確かに音となって、大きく響き渡った。
魔神の顔面に、拳が突き刺さる。
――表情のない、暗い影。
ああ、でも。どうしてか。
魔神が、ふ、と笑みを浮かべた気がするのは。
(――しかた、あるまい)
聖力の光が拳から魔神に伝わり、その体を霧散させる。
音もなく、黒い魔力の残滓になって、魔神が消え失せた。
次回こそ明日の21時に投稿です。
勢いだけで書き切ったので、後で改稿するかも…。
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