16 魔神戦1
翌日。
その日のうちに、魔神の襲撃はなかった。
アリスの抵抗が、まだ続いているのか、それとも、別の理由か。
とにかく俺たちは全員、しっかり体を休めることが出来ていた。
「アレックス」
「ん、なんだい?」
翌日の昼。
ミリィとアレックスが用意した食事をとって、アレックスと向かい合う。
抜き身の剣を点検しながら、アレックスが視線を寄越した。
「……正直なところ、魔神は抑えられそうか?」
「ははは……うん。そうだね。今のままなら、きっと無理だね」
困ったように笑って、アレックスが剣を鞘に納める。
……ついこの間買ったばかりだというのに、アレックスの剣はそこら中に刃こぼれや、ヒビが入っていた。
「今のままなら、って、何か考えがあるのか?」
「ん、まぁね。奥の手……というやつは、一応あるには、ある」
「……ちなみに、その奥の手、使うと死んだりするか?」
「ん? いや、死なないよ?」
「そうか、よかった。レイリィのやつは、使うと最悪死ぬ、って言ってたからさ」
「ああ、彼女の『スキル』は……そうだね、確かに。でも僕のはそういうのではないから、大丈夫だよ」
まあ、それなりに制約はあるけどね。と続けてアレックスが剣を置く。
「剣は大丈夫か?」
「ん。そうだね……もう一戦くらいなら、きっと持ってくれる、かな。……こんなに酷使してしまって、コイツには申し訳ないけど」
「そうだな。こっちに着いてから、ずっとトラブルだらけだったもんな……」
「ははは。うん、そうだね。まあ、それでも……こうして無事に言葉を交わしていられることを喜ぼう。……そして、アリシアも一緒に、迷宮探索を」
「ああ。……アレックスが居てくれて、本当に心強いよ」
「そう言ってもらえると僕も嬉しいよ」
にっこりとアレックスが笑って立ち上がり、マントを羽織る。
俺も同時に立ち上がって、籠手を嵌めた。
「ガーネット、ミリィとテニアを頼む」
「命令、確かに承りました。……マスター、ご武運を」
「お兄ちゃん……」
「レイジ……アレックスも……死ぬんじゃないわよ」
「ああ」
頷く。
ガーネット達が森の奥に去っていくのを見守って、振り返る。
――赤い髪を靡かせて、金色の瞳を妖しく輝かせ、魔神が立っていた。
「ハ――。逃げずにいたことは褒めておいてやろう。死ぬ覚悟は出来たか、バグよ」
「死ぬ覚悟も、殺す覚悟もしてねぇよ。……俺が固めた覚悟は――」
拳を握りしめ、足を開いて構える。
「――お前をアリスから引っぺがして、アリスを救う覚悟だけだ」
「――出来るか? 貴様に」
「出来るさ。レイジなら」
言って、アレックスが一歩前に出る。
そして、ゆっくりと、金属の擦れる音を立てて、ボロボロの剣を引き抜いた。
魔神が『収納空間』から、見慣れた朱槍を引き抜く。
穂先を下に、前傾姿勢を取る魔神。
アリスが槍を使うときと、同じ構え。
アレックスも剣を正眼に構える。
一切の無駄がない、お手本のような、その構え。
静かに、白銀の聖力がアレックスから立ち昇る。
「――『聖身強化・限界突破』」
小さく呟くと、アレックスの体からあふれ出る聖力の密度が、段違いに増した。
「――行くぞ、魔神……ッ!」
アレックスの足元で、聖力が爆ぜる。
同時に俺も魔力を回し、地を蹴った。
初手はアレックスの神速の突き。
軽く槍の穂先を合わせられ、逸らされる。
すかさず飛び込む俺の蹴りを、首を傾けるだけで躱し、魔力を込めた回し蹴りが振るわれる。
「――ッ!」
命中すれば、胸をぶち抜き、即座に俺を絶命させる威力のその蹴りを、走る悪寒に従うまま、無様に転がって何とか躱す。
カバーに入ったアレックスが、俺に突き立てられようとしていた槍を剣で弾く。
顔面スレスレを通って、槍が地面に突き刺さった。
起き上がりざま、ハネ上げるような前蹴りをかます。
バックステップを踏んで、距離を置いて躱す魔神。
アレックスが追いすがる。
「――『六極・閃』ッ!」
詠唱と共に、アレックスのスキルが解放される。
銀光が六つ奔り、魔神の急所を狙う。
「は、知っているぞ、勇者! その攻撃はなァ!」
魔神の足元から黒槍が突き出て、六つの剣閃の内、五つを受け止める。
そして、最後の一撃は、魔神が手ずから槍で弾いた。
高い金属音が響き、聖力の残滓が宙に舞う。
走り、魔神の背後に回り込む俺を、一瞥すらせずに、魔神の黒槍が迎撃する。
詠唱すらなく、致死の槍が次々と地面から生え、俺を貫かんとする。
さながら槍の道。
ジグザグに走り、籠手の甲で黒槍の軌道を逸らして、何とか急所に刺さることは回避するが、幾つかは浅く俺の体を抉り、痛みが俺の走行を鈍らせる。
このままでは串刺しだ。
背後に跳んで距離を置く。
すかさず切り込んだアレックスが、魔法をけん制に使いながら魔神に肉薄する。
跳んで大上段に振りかぶった剣を、慣性をつけて振り下ろし、魔神の頭を狙う。
「遅い、遅い、遅いッ!」
踊るように身を翻し、剣を避け、同時に槍を横薙ぎに振るう。
アレックスもそんな単調な攻撃はもらわない、地を蹴り跳んで槍を避ける。
大きく開いた魔神の懐に飛び込む。
伸び切った腕を捕らえようとして、強烈な肘打ちを胸に喰らった。
アバラ纏めて何本かへし折れる。
激痛に顔を顰めるが、それだけだ。引くのが遅れた魔神の腕を、しっかりと掴んだ。
「腕の一、二本なら、アリスは許してくれる、だろォ!!」
魔力を回し、体重をかけ、肩から倒れ込む。
腕がらみ投げ。
物理法則に従い、魔神の体が大きく前に沈み込む。
「くっ、貴様、ァ!!」
地面を蹴り、勢いに抗わず前に倒れる魔神。
それによって極まった関節技を外し、力ずくで俺を吹き飛ばした。
大きく飛ばされ、背中から木に叩きつけられる。
だが、それだけだ。
魔力の籠った攻撃を貰ったことで、へし折れたアバラの治りはすこぶる遅いが、それだけだ。
こんなもの、ただ痛いだけだ。
死にはしない。
そして、死ななければ、アリスを助け出せる。
「貴様、何故だ! 痛みも恐怖も感じぬのか!?」
「お前はもう喋るな。アリスの体で、好き勝手、するんじゃねぇ!!」
血を吐きながら吠える。
痛みも恐怖なんてものは、とっくに麻痺している。
あるのは、魔神への怒りだけだ。
「はぁあぁッ!!」
次々と生える黒槍を切り裂きながら、アレックスが疾る。銀光が残像を伴って魔神に追いすがり、剣が振るわれるたびに剣戟が高く響き渡る。
「ちょろちょろと鬱陶しいわァ!!『影よ、汝は我が写し身、顕現せよ、影従者』ォ!』」
詠唱。
魔法が発動する。
生まれるのは黒い影。その数、3。
それぞれが槍を構え、アレックスに躍りかかる、
「『光よ、天照す暁光、裂くは影ーー』」
突き出され、振われ、叩きつけられる槍を、器用にステップを踏みながらかわし、同時に詠唱するアレックス。絶えず動き、影を三体引きつけてくれている間に、俺が魔神へと走る。
「ふっ……!」
短く息を吐きながら、モーションの小さな掌打を放つ。振り抜かれる槍を叩き、軌道を逸らしながら絶え間なく攻撃を続ける事で、大きく動かさないように立ち回る。
「『聖光、満ちよ、裁きの時』――!」
アレックスが大きく跳びずさったのを視界の端で確認した瞬間、中段蹴りを魔神の持つ槍に叩き込み、反動を利用して俺も後ろに跳んだ。
――これで、射線は通った!
「絶技――『聖光覇斬』!」
抜刀術の構えから、アレックスが剣を横薙ぎに振るう。白銀の斬撃が、その射線上にあるものを白く塗り潰しながら、魔神に迫る。
影従者が蒸発し、黒槍が寸断され、地面を抉り、木々を薙ぎ倒すその斬光。
いかなアリスとはいえ、このタイミング、この威力、防げる道理がない。
そうして、迫る聖なる斬撃を、魔神は槍を構え――
「『龍殺槍』ッ!」
――『スキル』を以って、真っ向から突っ込んできた。
白銀と赤黒が真正面からぶつかり、白銀がその威力を減じる。
「くっ……ぐ……! ぉおおおおおお!!!」
アレックスが吠える。
魔力を振り絞り、聖力を振り絞り、足りなければさらに身体能力を『強化』して。
全身全霊を込めたそのアレックスの斬撃はしかし……
――パキィン!!
という、あっけない音と共に、魔神のスキルによって、破られた。
聖光を抜け、槍を構えた魔神の突撃が、アレックスを捉える。
剣で受けようとし、そして気づく。
先程の金属音、手に握るその剣の砕ける音だったのだと。
黒い閃光が奔り、アレックスを通り抜けた。
トラックにでも撥ねられたかのようにアレックスの体が吹き飛ばされ、地面を何メートルも転がって、その先で動かなくなる。
「アレックス!!」
倒れ伏したアレックスに駆け寄ろうとし……魔神に阻まれた。
「まずは、一人ッ!」
横薙ぎに振るわれる槍を、懐に飛び込んで躱す。
籠手で槍の穂先を跳ね上げ、開いた体に掌底を振るう。
「――ハッ……!」
魔神が嗤う。
横合いから二体の影従者。
いつの間に――いや、最初から、五体展開していたのか……!
身を捻る。
左右から突き出される槍を、なんとか躱し、無理な態勢から回し蹴りを放った。
軽々と槍で受け止められて、そのまま魔力をぶつけられる。
「ぐっゥ……! ぁあああ!」
暴力的な魔力風を、脚に力を入れて堪える。
同じように魔力を放出して、何とか拮抗した。
黒い魔力同士がぶつかり合って、その衝突面から火花が散る。
なんて圧力だ。ただの魔力風。本来であれば、何の物理的影響力も及ぼさないそのエネルギーが、これほどまでに、重い。
弾かれ、地面を転がる。
立ち上がり、構えを取り直す。
見ると、魔神は少し離れた位置から、俺を興味深そうに眺めていた。
「――……何故抗う?」
「……何故も何もない。アリスを救う為だ」
「無理だ。この体の魂は、既に眠りに落ちた。もう、起きることは無い。――もう一つの方も、同じだ」
「……もう一つ?」
「ン……知らんのか? ハ――そうか、貴様は知らんのか」
「……なにをだ」
魔神が、面白そうに嗤う。
口の端を歪め、構えを解いて、槍を地面に突き刺した。
「……何のつもりだ」
「いやな。何も知らぬまま死ぬのも忍びない。――少し、話をしてやろう。貴様にとっても、興味深い話だと思うぞ? なァ、キリバレイジ」
「……なんで俺の名前を」
こいつに名乗ったことは……ない筈だ。
「当然知っている。キリバレイジ。17歳。地球……という惑星からこの世界に来た。その際、女神……ハ、これは本物だな。成程。……本物の女神の加護を受け、シュタインフェルト城の傍に召喚され……狼に食い殺されそうになっているところをアリシア・フォン・ブラッドシュタインフェルトに救われ……眷属にされた。……ふむ、これは事故、か」
頭に手を当てて、何かを思い出すような仕草を時折挟みながら、魔神が語る。
それは、間違いなく俺の話。
アリスの知っている、俺の話だ。
「なん、で……」
「分からんか? すでにこの体は、魂ごと我の物だということだ。記憶くらい、持っていて当然だろう」
「――……」
歯を噛む。ギリ、と奥歯を噛みしめて、激発しそうになる感情を抑える。
……俺を揺さぶるのが面白いのか、魔神はニヤニヤと笑みを浮かべている。
いいさ、いくらでも俺を挑発すればいい。そんなことに、どんな意味があるのかは分からないが、こちらとしては願ったりだ。
……遠方に吹き飛ばされたアレックスは死んでいない。戦闘開始からずっと放ち続けている『遠見』が、アレックスの反応を微弱ながら返してきている。
死んでいなければ、アレックスは自分を治癒できる。時間を稼げるのなら、それに越したことは無い。
「……それで、何が言いたいんだ」
「貴様、姉が居たそうだな」
「……それがどうした」
「そして、その姉もこの世界に来ていた」
「だから何だっていうんだ」
視界の端で、ピクリ、とアレックスが動く。
……このまま時間を稼ぐ。
「――黒髪、黒目、髪の長さは肩にかかるくらい。身長は……この体より少し大きいくらいか。地味だが……なかなか愛らしい見た目をしているな」
……姉の話。
俺は、アリスに自分の姉の容姿を語っただろうか。
「能天気で、あまり物事を深く考えない性質のようだな。……なるほど、この吸血鬼が貴様に自分をアリスと呼ばせる理由……貴様は知っているか?」
「……知らない」
アリスが自分のことをアリスと呼ばせる理由……? 気にしたことは無かったが、彼女は俺以外にはそう呼ばせたくはなさそうだった。
「――貴様の姉が、この吸血鬼にそうあだなを付けたからだ」
……姉ちゃんが。
ぴくり、と、身体が反応した。……いや、だから何だというんだ。
リィンと姉ちゃんの話をした時のアリスの反応から、二人が知り合いだったという可能性はしっかりと認識していたはずだ。……それが可能性ではなく事実だったと確定しただけだ。
「貴様はこの吸血鬼を救う、というがな。――本当にそんな価値がこいつにあるのか?」
「……どういう意味だ」
「貴様の姉、なぜ死んだか、気にならないか?」
魔神の嗤いが深く、昏くなる。
……気にするな。そんなことは、どうでもいいことだ。
――本当か。
たとえアリスが、姉ちゃんを殺したんだとしても……。
――なぜそんなことを考える?
あの夜。泣きそうな表情で、俺を見上げていたアリス。
何か言いたそうに……。
そして、魔神に乗っ取られる前のアリスの言葉。
『ごめんね』。……なぜ、アリスは謝ったんだ。
――薄々は、その可能性に気が付いていたんだろう?
アリスが、姉ちゃんを――
「――この吸血鬼……アリシア・フォン・ブラッドシュタインフェルトこそが、貴様の姉を殺した、張本人だ」
――だから、どうした。
拳を握りしめる。
アリスの事だ。きっとなにか理由があったんだ。
――本当か。
アリスは、あの森で、死にかけの俺を、わけもなく吸血して殺そうとしなかったか。
そして、お前が助かったのは……偶々じゃないか。
たまたまアリスがミスをして、俺を眷属にしてしまったから、生き残っただけじゃないのか。
――気を逸らした。
いつの間にか、魔神が目の前に立っている。
なんて、間抜け。
戦闘の最中に、気を抜くなんて。
「――ぁ」
間抜けな声が、口から洩れる。
俺の漏らした声は……なぜか、ひどく乾ききって……かすれたような音しか、立たなかった。
「クク……レイジ。本当に、この吸血鬼を、助けるのか? 貴様の姉の、仇を」
魔神の腕が伸び、俺の胸に触れる。
「俺……は……」
こんなやつの言う事を信じるのか? いや、それが本当だったとして、何故アリスを助けないなんていう選択肢が出てくるんだ。
そんなこと、そんなこと関係なく、俺はアリスを……アリスと……。
本当か。
本当に、関係ないのか?
お前は既に、認めてしまっているじゃないか。
アリスが姉を殺したのが、事実だと。
混乱する。
でも、だけど、それは、きっと事情があったのだ。
理由が、意味が!
でないと、アリスがそんな事……。
いや、でないと、俺は、アリスを……。
「――助けるさ、レイジは」
思考が乱れ、視界が霞む中。背後から、声がした。
魔神の眉が顰められる。心底不愉快そうに。
「……だろう、レイジ」
穏やかな声。
俺を、信頼しきった。その声。
振り返ると、砕けた剣を握りしめ、肩口から大量に血を流し、左腕をだらりと下げ脚をひきずりながら……アレックスが、微笑んでいた。




