12 奪われたアリス
貫手が槍で弾かれ、開いた体にアリスの拳が突き刺さる。
再び吹き飛ばされて、地面を転がる。
「く、ハハ……いいぞ、いいじゃないか……いい。この体、素晴らしいぞ! ハハハハハ! 手間なんぞかけんでも、最初から相性のいい器があったとは! これは随分と盲点だったなァ!」
上機嫌に槍を振り回すアリス。
紅い月の下、赤い髪が風に揺れて、歪んだ口元から、嗤いが漏れる。
「そん、な……」
ミリィが、呆然とその様子を見上げる。
アレックスも立ち上がり、油断なく剣を構えたまま、踏み込めないでいた。
それは、俺も同じく。
信じられない……否、信じたくないことが、目の前で起こっていた。
「アリス、が……乗っ取られた……?」
呟きが、口から零れる。
愉快そうに細められたアリスの金の瞳が、俺を見た。
「ハハ――そう、そうだ、そうだよ、そうだ! 素晴らしいぞ、この体! 魔力、強度、すべてが一級品だ! ハハハハハ!」
アリスの顔で、アリスの声で、決してアリスがしない表情を浮かべて、魔神が嗤う。
「――はッ!」
アレックスが動いた。
剣を構え、爆発的な踏み込みで突っ込んでくる。
振り上げられる剣を、こともなげに上体を逸らして躱す魔神。
「ハ、ハハハッ! 見える! 見えるぞ勇者! ハハハハッッ! 遅い、遅いなァ!?」
剣を振り上げたアレックスの腕を掴み、力任せにアレックスを振り回す魔神。
「ぐ、くっ!?」
そして、たっぷりと遠心力を乗せ――アレックスを力任せに放り投げた。
森の奥、深い闇に向かってアレックスが吹き飛ばされる。
木に体を叩きつけられて、そのままアレックスがぐったりと動かなくなる。
直後、銃声。
ガーネットの射撃だ。
一瞥すらせず、弾丸を躱すと、魔神が魔力を放った。
魔法ですらない。ただ、魔力を放っただけ。
魔力がガーネットにぶつかると、ただそれだけでガーネットが意識を失い、その場に崩れ落ちた。
「そん、な……」
絶望の呟きが、口をついて出た。
アレックスでも、歯が立たない。テニアの体を使っていた時は、終始アレックスが押していたのに。
……強すぎる。
――勝てない
地面に膝をつき、崩れ落ちる。
それに、なにより……アリスが。あの、アリスが……。
理不尽の体現のような、あのアリスが……。
目の前に立つ、魔神を見上げる。
槍を携え、口元に歪んだ笑みを浮かべ、魔神が俺を睥睨していた。
力が、抜ける。
「ク、ハハ――貴様、そんなにこの肉体が大事か? 先ほど迄の威勢は如何した」
アリスが、大事か、だと?
――ふざけるな。
「それとも貴様、この肉体に懸想でもしているのか? クハハ、それは済まないことをしたなァ? 心配するな。直ぐに同じところに送ってやる」
――ふざけるな。大事に、決まってる。
アリスの口で、アリスの体で、下種なお前の言葉を、発するな。
絶望に侵される胸の内に、仄かな火が灯る。
力の抜けた四肢に、活力が戻る。
「――……返せ」
その火は、瞬く間に燃え上がり、炎となって俺の体を突き動かす。
これは、そう。
――怒りだ。
「……アリスを……返せ!!」
激情に突き動かされるまま、立ちあがり、拳を振るう。
掌で受け止められた。
ぐしゃり、と拳が握りつぶされる。
「ッアァ!!」
反対の腕を振りかぶる。
槍が突き出され、振り下ろす前に肩を貫かれた。
構うものか。
足を振り上げる。
頭を捕まれ、膝を顔面に叩き込まれた。
鼻がへし折れ、歯が何本か砕かれた。
構うものか。
もう一度、治癒した拳を振りかぶる。
「ふん、馬鹿げた治癒能力だな。――魔力を通せば少しはおとなしくなるか?」
振り下ろした拳が、また受け止められる。
片腕で振り回され――魔力の籠った槍を引き絞る魔神。
「死ね」
心臓に向かって一直線に突き出される朱槍。
それを、どこか遠くの世界の出来事の様に眺める。
――以前、アリスが言っていた。
吸血鬼の治癒能力に対して、同族の魔力であれば、それを害することが出来る、と。
つまり、この槍が俺の心臓を貫けば、俺は死ぬ。
ゆっくりと、ゆっくりと槍が心臓目掛けて奔る。
――何度目だろうか、この感覚。
死を目前に、時間間隔が引き延ばされる感覚。
そう、アリスと初めて会った時も……あの時は、狼に噛みちぎられそうになってたんだっけ。
紅い月の下、こちらを振り返り、微笑んだアリスを思い出す。
そうして、槍が俺の胸に突き刺さる――
――寸前。穂先がブレ、俺の脇を抜けて行った。
「なに……?」
魔神の口から、怪訝そうな声が漏れた。
「――貴様」
もう一度槍を引き、俺の胸に突き立てようとし……穂先が逸れる。
「ひとつではないのか?」
「レイジ……!」
いつの間に意識を取り戻したのか。
口の端から血を垂らしながら、アレックスが走り寄ってくる。
剣を構え――目には強い意志を灯して。
左腕はあらぬ方に折れ曲がり、駆けてくるその速さも、いつものそれではない。
どうみても満身創痍。
それでもアレックスの目は死んでいない。
「レイジを――放せッ! 『聖身強化』ォ!!」
アレックスの体が、白銀の光に包まれる。
「小賢しいわ!」
赤黒いオーラが、魔神の体から吹き上がる。
地が爆ぜ、二人の距離が一瞬で詰まる。
紅い槍の軌跡と、白銀の軌跡が切り結ばれ、金属音がけたたましく響く。
一度、二度、三度。
ぶつかり合うごとに、アレックスが低く呻く。
「――ッ、おぉおおお!!」
自身のうちにある怒りを、吼えることで発露して、俺も地を駆ける。
いくらアリスが強くても、魔神が常識の外にある存在でも、アリスを、アリスの体を取り戻す。
どうして槍が逸れたのか。それに対して困惑していた魔神の様子。
そんなことは後でいい。
今は、今はアリスを――。
腕を振り上げ、暴風の様に吹き荒れる魔力の中に突っ込んでいく。
聖力と魔力の残滓が、肌を焦がす。
「ッ――! 何故――!!」
アレックスの剣を打ち払い、俺の拳をいなしながら、魔神が歯を噛む。
振るう槍が、発動する魔法が、全て俺を、アレックスを逸れて、明後日の方に流れていく。
まるで、俺たちを傷つけまいとするように。
「何者だ、貴様ァ!!」
苦しそうに呻き、頭を押さえ激昂する魔神。
怒りに任せ振るわれる魔法と槍が、周りの木をなぎ倒し、辺りを更地に変えてゆく。
「レイジ! 様子がおかしい! 今なら、きっと!」
「ああ! アリスを取り戻せる!」
「取り戻す!? く、ハハ! なにを言っているか知らんがなァ! 吸血鬼の魂は既に我が掌握したわ!」
ごう、と魔力風を伴って槍が横薙ぎに振るわれる。
しかし、俺には届かない。俺の体の大きく手前を通って、隣の木を薙ぎ倒した。
「ぐ、しか、し……吸血鬼の魂は掌握したというのに――なんだ貴様はァ!」
呻きながら、苦しそうに顔を歪め、魔神が困惑する。
いったい何が起きているのか理解は出来ないが、アレックスの言う通り、今が好機だ。
どうにかして、意識を刈りとることが出来れば……!
「チ――埒が明かんな……!」
舌を打ち、魔神が大きく飛びずさり、俺たちから距離を開ける。
「逃げるつもりか……! レイジ!」
「ああ――! 逃がすものか……!」
アレックスと共に、魔力を爆ぜさせ、追いすがる。
――が。
「図に乗るなよ下等生物がァ!!」
地面を踏み抜き、放出した魔神の魔力に体が押し戻される。
とんでもない圧力と魔力密度。
たたらを踏み、大きく後退する。
「――業腹だが、ここは預ける。この体を完全に掌握したら、貴様は殺す。勇者も殺す」
『収納空間』に槍を収め、魔神が呟き、再び魔力を放った。
重圧が体にのしかかり、一歩も動けない。
アレックスも同様のようだ。
ここで逃がすわけにはいかない。
魔神がアリスの体を上手く使えない今が、好機なのに――。
「く……そ……!」
体が、動かない。
上からかかる圧力に膝が折れる。
「逃がすわけには……いか、ない……!」
アレックスも吹き荒れる魔力の中、聖力を体に回し、何とかしようと踏ん張るが――。
「ふん」
そんな俺たちを一瞥し、片腕を振ると、上からかかっていた圧力が、今度は正面からぶつけられ、身体が大きく吹き飛ばされた。
「ぐぁッ!」
「ぐッ……!」
「――チ」
苛立たしげに舌打ちを残し、魔神が跳び上がり、木々の間を抜け、走り去っていく。
「く、そ、待て! 待ちやがれッ!!」
立ち上がろうとして、崩れ落ちる。
また立ち上がろうとして、失敗する。
そして、そのまま地面に倒れ込み、俺は意識を失った。
――――――
――『時にレイジ』
――『うん?』
――『お主は、その……元の世界に、そのぉ……』
――『なんだよ。珍しく歯切れ悪いな。……いや、珍しくもないか。アリス語彙力無いしな』
――『なんじゃと!?』
――『ぉお、どうどう。……それで?』
――『む。……いや、その。お主……元の世界に残してきたニンゲンとかはおらんのじゃ?』
――『どういう意味だ?』
――『う……その、つまりじゃな……こいびとというか、よめというか……』
――『……なんだ突然』
――『む……ぅ』
――『顔真っ赤だが』
――『そんなことないのじゃ! ……それで、どうなのじゃ』
――『ん。いないよ。ていうか恋人とかいたことも無いしな……』
――『……そっか』
――『……なんだよ。急に』
――『べ、別に! なんでもない!』
――――――
「ぅ……く……」
「お兄ちゃん!?」
ずきり、という頭の痛みに、意識が覚醒する。
……気を、失っていたらしい。
「っ、アリスッ!」
体を起こす。
……ミリィが心配そうに、俺を見下ろしていた。
どうやら、ミリィの膝の上で寝ていたらしい。
「……お兄ちゃん。よかったなの……目を、覚まして」
「ミリィ……」
ミリィの薄紫色の瞳いっぱいに、涙が溜まっている。
しかし、それを決してこぼすまいと、ミリィは唇を噛んで堪えていた。
「……アリス……いや、魔神、は……」
アリスの事を、魔神と呼ぶことに躊躇いを覚える。
「……すまない。僕もあの後気を失って……見失った」
アレックスが、森の奥から姿を現す。
周囲を見回すと、テントが立ち焚火が焚かれ、すっかり野営の準備が整っていた。
ミリィがやってくれたのだろうか。
「……そうか。いや、アレックスが謝る必要はないよ。……テニアは、どうだ?」
「ん。気は失っているけど、命に別状はなさそうだよ。ヒールもかけておいたから、そのうち目を覚ますと思う。今はテントで寝ているよ」
「そっか……よかった」
アリスに魔神が乗り移ったことで、直前まで魔神と化していたテニアのことをすっかりと忘れていたが、無事でよかった。……アレックスやアリスの攻撃に晒されていたし、身体の方が心配ではあるが。
「……マスター」
と、テントの中からガーネットが出て来た。
彼女も吹き飛ばされていたし、ダメージはあるはずだが……よかった、平気そうだ。
「ガーネットも、大丈夫か?」
「はい。問題ありません。……申し訳ありません。お役に立てず」
「いや、そんなことない。……あれが相手じゃ、仕方ないよ。俺も……何もできなかった」
「……お兄ちゃん、お姉ちゃん、ミリィを庇って……」
震える声でミリィが俺の服の裾を掴む。
「……大丈夫だ。絶対に助ける」
震えるミリィの手に、優しく手を重ねて、ミリィの頭を撫でる。
「でも、ミリィの、ミリィの所為で……」
それまで我慢していたものが決壊したのか。俺に頭を撫でられて安心したのか。
ミリィの大きな瞳から、ついに涙が零れた。
一度零れた涙は、抑えが効かず、とめどなく流れる。
「ミリィが……ミリィの中に、ま、魔神が、いたから……」
しゃくりあげながらミリィが言葉を紡ぐ。
「大丈夫だ。ミリィの所為じゃない。大丈夫。俺が、絶対にアリスを助ける。ミリィも、魔神になんかさせない。だから……大丈夫だ」
自分に言い聞かせるように、俺は言葉を重ねる。
……そうだ。何があっても、絶対にアリスは助ける。
――そのためには。
「……魔神について、知らなきゃいけない」
「なにか、アテがあるのかい」
「ああ。……詳しそうなやつを、一人知ってる」
頷きを返し、俺は天を仰ぐ。
そして、その名を呼んだ。
本日はここまでになります。
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