主人公は向いている
「世界を救う……?」
しばらく俺はぽかんと口を半開きにしたまま、それ以上言葉を発せなかった。
『橋渡し』? 通行料? 世界を救うって?
……この俺が?
さっきから耳新しい言葉が、俺の頭の中をぐるぐるかき回している。絶命してから、本当に色々なことがいっぺんに起こりすぎだ。
「まんざらでもなさそうだね」
「……へ!?」
そんな俺の様子を見て、パンダがくすりと笑みをこぼした。
「そ、そんなことは……!」
「はっきり言おうか。君に、勇者になって欲しいんだよ」
「勇者?」
膝の上にある自分の首が、ほんのりと頬を赤らんでいるのに気がついた。
正直、勇者と言われて悪い気は、しない。急に勇者だとか、世界を救うだなんて持ち上げられて、まるで物語の主人公にでもなった気分だった。照れる俺に、パンダがにこやかに続けた。
「進くんは、世界を救う勇者になったことは?」
「いやっ……ある訳ないでしょそんなの!」
俺は慌てて首を振った。首は千切れているので、両手で掴んで横に動かして、だ。もちろん悪い気はしないが……そんなのはゲームとか漫画とか、おとぎ話の世界だ。流石に俺もそこは分別がついていた。
「俺そんな……全然俺そんなんじゃないです。勇者とか全くそんなタイプじゃ……!」
「しかし勇者になりたいと思ったことは、一度くらいはあるだろう?」
「いや! ほら俺、別に喧嘩とかちっとも強くないし! 頭も悪いし、顔だってパッとしないし。得意なものもないって言うか……」
「だけど進くん」
「なんつーの、『チート』? 才能とか、特殊能力とか何も持ってねーし。もっと、もっと勇者に向いてるヤツ他にいますよ! 俺じゃなくて、ホラ剣道部の強いヤツとかさ……」
俺はふと、姪浜心と指宿流水のことが頭に浮かんだ。
家族のことで頭がいっぱいだったが、彼らは無事だろうか? まぁ二人は頭が良いから、自分のように簡単に敵に見つかるようなヘマはしないだろう。それに彼らなら気立てもいいし、弟と一緒で、クラウンたちの言っていた『理想郷』とやらに招待される側だろう。
どう考えても俺なんかより、ああ言う美男美女の方が勇者に向いていると思った。パンダにそう教えようとすると、
「進くん」
だがパンダは、歯切れの悪い俺を遮って、低く喉を鳴らした。
「君が勇者に向いていようがいまいが、世界は今、危機に瀕している」
「……!」
「生憎だが、『災厄』の方は勇者の出番なんか一々待っちゃくれない。いつだって突然やってくるんだ。要は君次第なんだよ、進くん。君はさっき『助けたい』と言った。あとは君が、やるかやらないかだ」
パンダはもう、笑っていなかった。俺も膝の上で表情を引き締めた。
「や……やります!」
それから俺はパンダと握手を交わした。遠くの方で、獣人族の子供たちが笑いながら駆けていくのが見えた。
今思い返しても、この選択は間違いだったような気がしてならない。一体どこの世界に、絶命して首をちょん切られてからスタートする勇者がいるだろうか。ともかく、俺が勇者であろうがなかろうが、救う力があろうがなかろうが、世界は待った無しで破滅へと向かっていた。要するに、きっかけなんてそんなものだったのだ。
□□□
「君の『大事なもの』を、大まかに七つに分けた」
「はぁ……?」
のりで俺の首を胴体にくっつけながら、パンダはそう言った。
「その七つの『大事なもの』を、『通行料』にするんだよ。行きに一回、帰りに一回……七つだから、合計三回、君は向こうの世界に渡れる」
「三回……」
俺は唸った。要するに……考えたくもないが……『後三回までは死ねる』と言うわけだ。だけど最後の四回目は、文字通りゲームオーバー、元いた世界で死ねば、もう転生することもできない。しかも死ねば死ぬほど、俺は自分の『大事なもの』を失っていくことになる。
「……その『七つ』って」
「知らない方がいい」
パンダはそれ以上、『大事なもの』の中身について教えようとしなかった。だけど俺は食い下がった。自分にとって『大事なもの』が七つと言うのは、果たして多いのか少ないのか分からないが……例えばその中に『家族』や『友人』は入っているのだろうか? これから助けに行こうと言うのに、『通行料』にされてしまっては意味がない。
「そうだね……」
俺がそう指摘すると、パンダは小さく息を吐き出した。
「確かに君が失うものの中には、【関係性】もある」
「関係性……?」
「そう。【関係性】を払うことで、君は向こうの世界に渡れる。その代償として、君は家族とも、友人とも繋がりが切れてしまうと言うわけだ。つまり誰とも関係が無くなってしまうわけだね」
俺は押し黙った。
「家族や友人それ自体は『通行料』にはならない。その代わり、赤の他人になる。どうだい。君はそれでも助けに行くかい?」
「…………」
俺は、腹の中に鉛を落とされたような気分だった。しばらく口を開けなかった。重たい空気がその場を包み、呼吸が止まりそうになりながらも、俺はなんとか言葉を吐き出した。
「あの……【関係性】を払うのは……最後の最後にしてくれませんか?」
「……良いだろう」
パンダはまだ何か付け足したそうだったが、俺はもうそれ以上、『通行料』について詳しく聞く気になれなかった。
……少し甘く見過ぎていたかもしれない。最初が『名前』だったから、油断していた。大事なもの。死してなお、世界を渡るほどの代償。それは決して、軽いものではないと思い知らされた。
これでよし、と言ってパンダは俺の背中をポンと叩いた。簡易処置だが、ようやくこれで俺の首が胴体にくっついた。俺はまだ、何だか首が座らない感じだったが、贅沢も言っていられないだろう。パンダが白い歯を見せた。
「そう不安になるな。もちろん、七つ全部使う必要もない。途中で成功することだってあるし、やめることもできる」
「…………」
「ここにいる獣人族はね」
そう言って社の上から、広がる白い砂場を見渡す。砂場ではゾウやキリンなど、服を着た動物たちが楽しそうに笑っていた。パンダが目を細めた。
「みんな君と同じ……『通行料』を払って、世界を救おうとした者たちだ」
「それって……」
「世界を行き来する途中、己の【肉体】で払ったんだね。だからみんな、異形に変えられてしまった。元いた世界を救って、その代償に【関係性】を失い、この社で暮らすと決めた者たちもいる……」
「…………」
俺はそっとパンダを横目で見上げた。
もしかしたら彼もまた、『大事なもの』を支払って、自分の住んでいた世界を救おうとしていたのかもしれない。例えば世界を危機から救っても、家族や友人にも気づいてもらえず、全くの赤の他人だけになるというのは一体どんな気分なのだろうか。俺は身震いした。俺の胸の内を知ってか知らずか、目の前の動物たちは、白い砂の上で無邪気に戯れあっていた。
「……だからあんまり暗い顔をしないでくれ。ここでの暮らしも、案外悪くないよ。要するに君にだって、ちゃんとここに還る場所があるってことだ」
パンダは俺の視線に気づいたのか、フッと優しい笑みを浮かべた。その優しさの奥にある、深い悲しみに触れた気がして、俺はそれ以上何も言えなかった。
「……幸運を」
社の夜は明けなかった。永遠の太陽に包まれた、赤い淡い夜。俺は『通行料』を払い、元居た世界へと戻って行った。