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On the bridge

 墨を零したような、どこまでも続く闇の中。

 青く淡い灯りが、徐々に後ろの方に遠ざかって行く。トカゲ兵の怒鳴り声も、次第に小さくなって行った。


 もう何十分……いや何時間と歩き続けただろうか。


 道のりは決して険しくはないが、四方を黒に包まれた代わり映えしない景色に、俺はだんだん時間の感覚を失い、意識が朦朧とし始めていた。先ほどから俺の手を取って先を歩く、謎の人物の横顔をそっと見上げる。闇で顔色がよく見えない。


 彼は……この男は何者なんだろう?

 そもそもここはどこなんだ?

 さっきの行列は……あの崖の下は、マグマだとか言ってたっけか? 


 セキヘイにされるとは、どう言う意味なんだろう? セキヘイ……石兵?


「失礼」

 思いあぐねているうちに、男がフッと笑みを零し俺に笑いかけて来た。その顔をようやくはっきりと見て、俺は「あっ」と声をあげそうになった。



 男の顔は、まるで獣のように毛むくじゃらだったのである。



 それはまるで犬……あるいは狼のような顔つきだった。

 ピンと三角にトンがった獣耳、鋭く光る白い牙……肌を覆う毛並みは、周りの闇にも負けないくらい黒々としていた。一瞬お面を被っているのかと思い、俺は目をこすった。よく見ると彼の手の周りにも、柔らかそうな黒い毛がフサフサと生えている。てっきり人間かと思っていたその男は、明らかに妖怪か、化け物かに違いなかった。狼男は震え上がる俺を見て、楽しそうに目を細めた。


「ここまでくれば、もう大丈夫だ。さぁ、もう少しだよ」

 そう言って彼は掴んでいた手を離し、今度は闇の中を上に登り始めた。


 俺はしばらくぽかんと口を開き、上へ上へと登って行く狼男を見つめていた。二メートルくらい浮き上がった彼は、下で呆気に取られている俺を振り返った。


「どうしたんだ。来ないのか?」

「え……あっ」


 そこでようやく、目の前に階段があることに気がついた。それほど闇が深かったのだ。見えない階段を、足を踏み外さないように、慎重に一段一段、硬い感触を確かめながら進む。やがて空の(空なんてものが、この場所にあればの話だが)方から、今度は赤い灯りが仄かに見え始めた。


 近づくと、赤い灯りは階段を挟んで等間隔に、まるで神社で見かける灯篭のように浮かんでいた。不思議なことに、その赤い炎に照らされるのは男の輪郭だけで、階段や周りの景色は相変わらず闇に包まれていた。幻想的な光景だった。宙に浮かぶ赤い光の道を歩く、本当に空を飛んでいるような気分だった。俺は自分の首を抱え、おずおずと男に話しかけた。


「あの、あなたは……」

「助けてくれてありがとう」

「は?」


 いやいや。助けてもらったのはこっちの方なのに、何で逆にお礼を言われているのだろう? 

 腕の中で首をひねる俺を見て、男は笑った。


「ゼブラを、助けてくれただろう」

「ゼブラって??」

「私の息子だよ。向こうの世界で、君たちが白黒模様の子犬を拾ってくれた」

「あぁ……」

 そこでようやく俺は合点がいった。あの道端で弟が拾った不細工な犬は、縞馬(ゼブラ)って名前だったのか。ただ、俺はすでにウシと命名してしまったのだが……何だかややこしくなって来たので、俺は種族と言うものについて考えることをやめた。


「私の名は、パンダだ」

「またややこしい名前を……」

 などとは、思っても口には出せない。もう何とでも勝手に名乗ってくれ。俺はもう面倒になって、心の中で全員『ウシ』で統一することにした。


「助かったよ。ゼブラは大切な、我々の一人息子なんだ」

 男が笑みを浮かべた。その大切な一人息子が、どういう経緯か異世界で檻に入れられペットショップで売られていたんだから、心中察するに余り有るというものである。


「着いたよ」


 赤い光が終わった。ビル十階分は登っただろうか。長い階段を登り終えると、これまた幻想的な空間が広がっていて、今度こそ俺は「おぉっ」と声をあげた。それはまるで、夜空に浮かんだ太陽みたいだった。さっきまでの暗闇が嘘みたいに、目に前の空間を、淡い赤の光が包んでいる。


 生成色(きなりいろ)の塀にぐるりと囲まれたそこは、軽く運動場くらいの広さがあった。空は赤い。足場には白い砂のようなものが敷き詰められていて、ちょうど小学校の修学旅行で観た、京都のナントカと言う日本庭園に似ている。塀の内側にはこれまた白っぽい色をした木々が植えられていて、その中央には、大きな木造の(やしろ)が建っていた。


「ここは……」

「ここが私たち獣人族の住処だ」


 よく見ると、柱の影に、数匹の幼い獣人たちがたむろしているのが見えた。犬の他にも、猫だったり兎だったり鳥だったり、大小様々な動物たちが闊歩している。俺は抱えていた首を落っことしそうになった。そもそも動物が二本脚で立っているだけで衝撃なのに、服を来たり、喋ったりしているのである。何だか妙な夢を見ているような、どうにも信じられない気分で、俺は自分の腕の中で何度も目を瞬いた。


「石動進くん」


 狼男(パンダ)が改めて俺を振り返った。

 階段を登っている時は気づかなかったが、パンダは雛祭りに出てくる人形のような仰々しい紫の着物に身を包み、腰には二本、長短の刀を携えている。他の獣人たちの質素な身なりに比べると、このパンダと言う男は、かなり身分の高い人物なのかもしれない。


「どうして俺の名を……」

「こちらに渡ってくる時、君の名前で払った」

「払っ……?」


 意味が分からなくて、俺は眉をひそめた。パンダは笑って切り株に腰掛けるよう促し、

「一から説明しよう。もう分かっているかもしれないが、ここは君が元いた世界ではない」

「…………」

「かといって君たち人間が言っているような、あの世だとか黄泉の国だとかとも、またちょっと違う。ある世界から、またとある世界へと魂を繋ぐ、『橋』のような場所だと思ってくれればいい」とほほ笑んだ。


 『橋』……要するに死んだ後、転生する前の、待合室みたいなところだろうか。


 つまり、どうやら俺はもう生きてもいないし、かと言ってまだ死んでもいなかったらしい。輪廻転生などどうにも眉唾ものだと思っていたが、しかし現にクラウンたちは、俺たちの世界に堂々と転生してきた。それなら、こんな待合室みたいな空間があるのも、まぁ理解できなくはない。


「『橋』を渡る……つまり転生するのにも、何も無しというわけにはいかない。『通行料』が必要なんだ」

「『通行料』?」


 黒い毛並みの狼男が頷いた。

「お金とは限らない。肉体、記憶、時間……その人が大事にしているものだ。魂というのは、渡ってきた世界によって、価値観も全く違う。君たちの世界にもなかったかい? 霊魂を世界から世界へと渡す、そんな風習みたいなものが」

「あぁ……うん」


 俺は、お盆に胡瓜やら茄子やらに爪楊枝をぶっ刺して遊んでいたのを思い浮かべていた。あれが、こちらの世界で言う『通行料』なのだろうか。


「じゃあ俺は、転生するために、『通行料』を払った……?」

「そういうことだ」

 目の前を小さな兎の子供たちが駆けて行った。おしゃべりをして、服を着た二足歩行の動物だなんて、本当にメルヘンの世界に迷い込んだみたいだった。


「俺の名前が、ここへ来る『代金』?」

「あぁ。だから君の名前はもう()()()()()()異世(ことよ)の果てに、永遠に失われてしまった」

「待て。待て、待って……じゃあさ」


 俺は腕の中で髪を掻きむしった。

「もし俺が元いた世界に戻ったら……どうなる?」

「当然君の名前は、誰も覚えちゃいないだろうな」

 黒いパンダがあっけらかんと言った。


「『通行料』とは、つまりそんなものだ。自分にとって大切なものを差し出し、そして次の世界への『切符』を得る」

「んな……!?」


 そんなこと言われても、全てが唐突すぎて、開いた口が塞がらない。それに『野菜』と『自分の名前』じゃあ、いくら何でも『重み』が違いすぎないだろうか。こんなことになるなら冷蔵庫から胡瓜の一本でも持って来れば良かったと、俺は激しく後悔した。 


「本来なら、この『橋』に集い、世界から世界へと渡り歩く者はごく少数に限られているんだが……」

 首を取り落としそうになっている俺に、パンダが重々しく口を開いた。


「君のいた世界に渡った、クラウンという少年。彼がその(ことわり)を壊そうとしている」


 ここに来る時に逢った、大勢の人々にあっただろう、とパンダは言った。

「大抵の者は、この『橋』ではなく『黄泉の国』だとか、元いた世界で信じられる死後の世界へと送られる。しかし彼は強大な力で人々の運命を捻じ曲げ……どうした?」

「いえ、ちょっと……」

 俺の様子に気づいて、パンダが顔を覗き込んできた。俺が首を抱え込んでいるものだから、パンダは随分と腰を屈めなくてはならなかった。


「名前が無くなったとしたら……俺は俺のことを、何と呼べば良いんでしょう?」

「そうだな。こちらにいる間は『石動進』のままで構わないよ。ここはどの世界でも無いからね。ただ、もう一度世界を渡るとなると、その度に呼び名が無いと不便だし……」

「待ってください。世界を渡るって??」


 俺は顔を両手で持ち上げた。パンダが穏やかな眼差しで俺を見つめていた。


「君は、弟を助けたいかい?」

「え?」

「君の家族や、友人、恋慕しているあの子……大切な人たちを助けたいのかい?」

「そりゃあ……まぁ」


 ……助けられるものなら。


 パンダはしばらく黙って、じっと俺を見つめて来た。その瞳の奥に吸い寄せれるように、俺は彼から目が離せなくなった。


「……たとえ君の、何が犠牲になっても?」

「ちょっ……待ってください。さっきから、一体何の話なんですか?」


「つまり、こういう話さ。取引をしないか。我々が『橋渡し』をするから、君は元いた世界へと戻り、世界を救ってもらえないだろうか?」

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