主人公はキミだ!
空はよく晴れていた。
カムリは急いでいた。友達とドラゴン狩りの約束があったからだ。カムリにとって、街の外での怪物駆除は、これが初めてだった。前日は興奮と緊張で、中々寝付けなかった。リュックサックに詰め込んだ食料や水、爆薬を取り出しては床に並べ、また元通りに詰め込んだりして、気がつくと明け方近くにまでなってしまっていた。
「こら、カムリ!」
空も白み始めてきた頃、勢いのまま家を飛び出そうとしたところを、運悪く母親に見つかった。
「ちゃんと朝ご飯食べないとダメよ!」
「ちぇっ……はぁい」
ぶつくさと文句を垂れながら、カムリはのろのろとテーブルについた。テーブルではパンの焼けた匂いや、グリフォンの卵焼きがじゅうじゅうと音を立てていた。椅子にはすでに妹や祖父母が座っている。父親はすでに、仕事に出かけているようだ。みんな目を閉じ、食事前の祈りを捧げていた。
「クラウン様に感謝を」
「クラウン様に感謝を」
お決まりの挨拶を済ませて、カムリはさっさと目の前の朝食に飛びついた。本当は食べないまま出かけるつもりだったけど、実は自分が思っている以上にお腹が空いていたのだ。
「あんまりがっつくもんじゃありませんよ」
カムリの母親が、その様子を見て息子を窘める。
「カムリ、あなたねぇ。夏休みだからって遊んでばかりいないで、勉強の方はどうなってるの?」
「遊びじゃないよ!」
母親に白い目を向けられ、カムリがパンを頰いっぱいに膨らませたまま反論する。
「ホラゴン狩りは遊びなんかじゃない。ファい物退治は街の安全にとっても大事なことだろ? ……僕、将来は狩人になるつもりだから。勉強なんかできなくたっていいんだよ」
「良いワケないでしょ。狩人だって、ちゃんと頭を使わなきゃ、勝てるものにも勝てませんよ」
「そんなん、やってりゃ覚えらあ」
「こら、カムリ!」
ろくに咀嚼もせず、口の中に残った固形物をミノタウロスの牛乳で流し込む。母親の小言を振り切って、カムリは勢いよく食卓を飛び出した。もう待ちきれなかった。背中からは、「お父さんがもっときつく叱らないから……」と、母がブツブツ言っているのが聞こえてきた。
「お兄ちゃん!」
玄関先でブーツを履いていると、妹のティーダがひょこっと顔を覗かせた。
「あたしも行く!」
「ダメだ」
カムリは首を振った。ティーダは、まだ小学校に上がったばかりである。
「そんなほっそい腕じゃ、どんな化け物も倒せやしないよ。狩人は腕っ節がなくちゃ」
「でもあたし、お兄ちゃんより学校の成績いいよ?」
ティーダが懇願するように兄を見つめた。
「えっとね、ドラゴンは湖の近くに住んでるんでしょ? あと、顎の下にある逆鱗が弱点だから……」
「だーかーらー、ダメなもんはダメなんだって。いくら頭が良かろうが、学校の成績が良かろうが、実戦じゃ何の役にも立たないんだよ。最後は、これさ」
そう言ってカムリは握りこぶしを妹の前に突き出した。本当はカムリもまだ狩りなどしたことがなかったが、大人たちの見よう見まねでそう言っただけだった。
「連れてってよぉ!」
「留守番してな。七色の鱗を持って帰ってきてやるよ!」
泣きながら追いすがるティーダを振り切り、カムリは家を飛び出した。夏とは言え、明け方の外はまだ少し肌寒かった。それでも、にやけるような笑いが止まらない。ワクワクやドキドキが風船のように膨らんで、胸の奥で、今にも張り裂けそうになっていた。反重力バイクにまたがり、カムリは一気にアクセルを踏み込んだ。
今思えば、それが間違いだった。
数分も経たないうちに、カムリは空行く人と正面衝突してしまい、危うく大怪我をさせてしまいそうになった。
「……大丈夫ですか!?」
慌ててカムリは通行人に駆け寄った。男はしかめっ面をしながら地面に横たわっていた。カムリは青ざめた。膨らみ切った風船が、たちまち萎んで行った。
「ごめんなさい……」
倒れた男は頭をさすっていた。幸い怪我はなさそうだ。
「坊主……竜人族か?」
すると彼は、何かに気がついたかのようにカムリをじっと見た。ここら辺では見かけない格好をした、見知らぬ男だった。
「え? あぁ……うん。人間と蜥人のハーフだよ。名前はカムリ=ロードスター」
カムリはかしこまって自己紹介した。袖を捲り、鱗を見せる。硬い鱗に覆われていたおかげで、カムリにも怪我はなかった。
「ロードスター……」
「おじさん、名前は?」
「名前……名前はもう、ない。『通行料』で売っ払っちまった」
通行料?
一体何のことを言っているのだろうか?
名前がなくなるなんて、そんなこと有り得るのだろうか? カムリは小首を傾げた。
「坊主、アルクんとこの息子さんか」
「お父さんを知ってるの? おじさん、もしかして知り合い?」
「まぁな。で? 竜人族の坊主がドラゴン狩りに行くって?」
男はカムリが背中に背負った刀剣をジロジロと眺めながら言った。
「世も末だねえ。同じ種族同士、仲良くできないのかよ」
「う〜ん……良く分かんないよ。人間だって、同じ種族同士、いつまで経っても戦争してたんだろ?」
彼はどうやら人間のようだ。そう思ってカムリは上目遣いに男を見遣った。男はカムリの反重力バイクを起こしながら苦笑いした。
「坊主、中々歴史に詳しいじゃねえか」
「うん。学校で習ったよ。大魔王が空からやってきて、それをクラウン様が退治したんだ」
カムリはちょっと得意げになって目を細めた。本当は教科書などうろ覚えだったが、数十年前、伝説の勇者・クラウンが6人の化け物を退治して世界を救った……くらいは、今じゃ誰でも知っていた。カムリが生まれる、何十年も前の話だ。
「……だけどその時、取り逃がしたドラゴンや魔物が、この世界に住み着いちゃったんだ。だから僕らは、クラウン様の意志を継いで、悪い魔物を退治しなくちゃいけないんだよ」
またいつの日か、とんでもない『能力』を持った大魔王が異世界からやって来ないように。
「そんなこと、誰が言ってた?」
「だってシルヴィア様……銀河連邦の一番偉い人がそう言ってたよ。それに、大人たちも、みんなも」
カムリは一気にまくし立てた。男は肩をすくめただけだった。
「あんときゃ色々呼び寄せちまったからなァ。確かにちょっと悪かったなって思ってる」
「何言ってるの?」
「それで坊主が、悪いドラゴンを退治するって?」
男が、自分の腰くらいの背丈しかないカムリをジロジロと眺めた。カムリはちょっと顔を赤くして叫んだ。
「そうだよ! 悪い!?」
「別に悪かないけど……蜥蜴にも、良い奴と悪い奴がいるのかね」
「そりゃそうだよ。人間だって同じだろ。良い竜人族だってたくさんいるし、悪いドラゴンは退治されて当然なんだ」
「そうかい」
男はそれ以上何も言わなかった。だけど、男の顔をを見て、カムリは少し首をひねった。
「何?」
「何も……」
「言ってよ。気になるから」
「……なんでその悪いドラゴンは、悪いドラゴンになっちまったのかねえ?」
「そんなこと知らないよ……僕が生まれた時から、悪い奴は悪い奴だったんだから」
「……もしかしたらそのドラゴンも、何らかの理由で住処を追われたのかも。もしかしたら食料がなくなったのかも。誰かが嗾けるような真似をして、それで悪いことをしているのかも」
男はちょっと遠い目をした。
「……僕らの方が悪いって言いたいの?」
「そういうことじゃないんだけどな」
……カムリには良く分からない話だった。正義は必ず勝つし、悪い奴は退治される。それじゃダメなんだろうか?
「まぁいいや」
「良くないよ。おじさん、さっきからずっと、何か言いたいことありそうな顔してる。そう言う風に都合が悪くなると誤魔化すの、大人の良くないところだよ」
参ったな、と言って男は苦笑いした。
「ちゃんと言いなよ」
「まぁ……アレだ。お前は、傷つけることを美談にすんなよ」
「え? 何?」
「ほら」
男はぽりぽりと頭を掻きながら、反重力バイクをカムリの前に持ってきた。カムリは目を丸くした。
「あ……ありがとう、ございま、す」
立ち話に夢中になって、さっき自分が轢いてしまったことなどすっかり忘れていた。カムリはちょっと恥ずかしくなった。
「じゃあな。頑張れよ」
「あ……おじさん!」
立ち去ろうとする男に向かって、カムリは思わず口走っていた。
「ん?」
「ど、ドラゴンを倒すと、勇者になれるんだって!」
「……そっか」
男が振り返って、じっとカムリを見ていた。カムリは少しどもりながらも、必死になって喋った。
「か、怪物をみんな倒したら、この世界の主人公に……クラウン様みたいに、人生の主役になれるんだって。だから僕らは……」
「心配しなくても、お前の人生の主役はお前だよ」
別に勇者じゃなくても。何族でも。たとえどんな異世界から、どんな『能力』を持った奴が割り込んできたとしても。そう言って男が笑った。
「あ……」
っという間に、男は姿が見えなくなってしまった。瞬きを数回、そんなほんのちょっとの間に、男はいなくなった。後に残されたカムリは、反重力バイクに跨り、しばらくその場でポカンと口を開けたままだった。
「いけね……」
ふと我に返り、カムリは慌ててアクセルを踏み込んだ。早いとこしないと、友達に置いていかれてしまう。
そういえば……。
どうしてあの男は、ただの人間なのに、空を飛んでいたんだろう?
そんな疑問がカムリの頭をかすめたが、それも、男と出会ったことも、その日の午後ドラゴンと相見える頃には、カムリはすっかり忘れてしまっていた。空はよく晴れていた。彼の物語は、ここから始まるのだ。
〜Fin〜




