主人公は選べる
「あ……ぁ……ッ!?」
心臓が口から飛び出るかと思った。蛇に睨まれたカエルとは、まさにこのことだ。ロードスターとラパン、二人の転生者は、それぞれ左右から俺たちを挟み撃ちにし、ジリジリとにじり寄って来た。
「残念ねぇ〜! 私たち、クラウン様みたいに『大義』とか『平和』とか、どおぉぉォォォうでもッ、いぃいのッ!」
後方で、ラパンがニヤニヤと嗤った。
俺たちが見ている前で、彼女は兎機兵からぴょん、と飛び降り、そのまま空中に高く浮遊した。背中にジェット=パックのようなものを担ぎ、その足下には、火を吹く円盤のようなものが浮いている。あれもまた、誰かを改造した武器なのだろうか?
「ただエモノを嬲れればぁ……それでぇ」
「う……!」
武装少女が三日月型に目を細め、舌なめずりした。
宙に浮いたまま、ラパンが六角レンチのステッキを金属バットのように振り抜く。その動きに合わせて、俺たちを取り囲んでいた『生首』の一つが、一直線にこっちに飛んで来た。
「それいけ! 『生首ストライク』!」
「うわぁッ!?」
弾丸ライナーで瓦礫に突き刺さった『生首』は、潰れたケーキみたいにひしゃげ、眼球をゼリー状に撒き散らして絶命した。
「快・感♡」
「ひ……!?」
「さぁさぁ! もっと鳴き叫ぶ声を聞かせなさいよぉ! せっかくの『狩り』なんだからさぁッ!!」
そこからは悪趣味なドッヂボールの始まりだった。ラパンがステッキを振り抜くたびに、周囲の『生首』が、次々と突撃してくる。それにしたって数が多すぎる。集中豪雨だった。一体どれほどの……俺たちは避けるに避けきれず、身体中に痣を作り、されるがままに殴打されていた。どうやら相手を殺すための攻撃じゃない、ただ痛めつけるためだけの……いたぶるためだけの攻撃だった。
「アッハハハハ! どうしたの!? ねぇねぇ、助けは乞わないの? 『助けて〜!』って可愛らしく鳴き叫べば、助けてやらないこともないわよォ?」
巨大な蜂の大群に囲まれているような、そんな気分だった。みぞおちに、思いっきりおっさんの鷲鼻が突き刺さって、思わず吐いた。つばの中に赤黒いものが混じっていた。どうやら口の中を切ったらしい。骨が折れる音がした。皮膚が裂ける音がした。脇腹に思い切り噛み付かれ、肉ごと引き千切られた。もう、何も考えられなかった。『生首』に手足を跳ね飛ばされ、顎を突き上げられ、俺たちは為す術もなく踊った。
「ただし……どっちか一匹にしようかしら? 両方ともはダ〜メ。どっちか片方だけよ……さぁ、どうする?」
どこか遠くで、ケラケラと声だけが聞こえて来た。視界のほとんどは見知らぬ人間の『生首』か、その中身に覆われていた。
ふと『生首』が止んだ。
べちゃっ、と音を立てて、俺はフラフラと、勢い余って地べたに突っ伏した。水たまりが赤かった。辺りはもう、一面真っ赤だった。屠殺場みたいになった瓦礫の下で、視線の先で、アルクがピクピクと体を痙攣させ倒れているのが見えた。
ピンク色の髪をかきあげ、ラパンが近くに降り立った。瞼が腫れ上がっていて、顔色はよく見えない。彼女は俺の首元に六角ステッキを当てがった。愉快そうに鼻息を荒げる。
「ねぇ? 聞いてる?」
「アルクを……」
ひゅー、ひゅーと、喉から掠れた音が漏れ聞こえた。限界だ。俺は声を絞り出した。
「アルクを……助けてやってくれ……」
「は〜い☆」
ラパンはそのままアルクの元につかつかと歩み寄り、蜥兵の子を、ヒールのかかとで思いっきり顔面を踏みつけた。グシャッ、と骨が砕ける音がして、周囲にできたての血しぶきが舞う。俺は、
スローモーションのように、
ブツ切れになったそのシーンを、
見ていた。
「アラごめんなさ〜い!」
ラパンがけたたましい笑い声を上げた。
「現実はいつだって、思い通りにはならないものなのよォ〜!」
「アルク……!!」
「これで分かった? この世界の支配者は私たち! アンタらに選ぶ権利は無いんだよォッ! 下等種族はいつだって、私たちの自由に! わがままに! 気まぐれに! 命を弄ばれても、仕方がないの!!」
だって、その能力があるんだも〜ん。
ラパンがそう嗤いながら、かかとをグリグリと動かした。彼女の足元から血溜まりが広がっていく。その血が地面を伝って、透明な雨と一緒に、俺の目の前まで流れて来た。赤かった。てっきり蜥蜴の血は緑か紫かと思っていたが、同じように赤かった。
「アンタもすぐに向こうに送ってやるからねぇ! そっから先は、せいぜい命令を待つだけの一兵卒にでも転生して、ボロ雑巾になるまで私たちのために働きなァ!」
俺は拳を握った。激しい嫌悪も、嗚咽も慟哭も、たちまち雨に洗い流された。視界がぐにゃりと歪んでいく。これ以上はどうしようもなかった。あまりにも一方的過ぎた。圧倒的過ぎる能力差で、俺たちはただ蹂躙されるだけだった。死ぬ。そんな言葉が頭を過ぎった。転生……一生あいつらのいいなりになって、だけどそんなの……
「ねぇロードスター。何とか言いなよ」
ラパンが上の方に声をかけた。
「さっきからずっと黙って……どうしたのさ?」
「オ……」
俺の背後から、ロードスターの低い声が響いて来た。そうだ。敵はもう一人、いるのだ。最悪だ。絶望の、さらに下があった。俺はよろよろと顔を上げ、後ろのロードスターを見上げた。
「お兄、ちゃん……?」
だけどロードスターから出て来た言葉は、俺にも、ラパンにも意外なものだった。
「は……?」
「僕、あれ……?」
ロードスターは戸惑ったように俺を見下ろしていた。
その瞬間、俺は悟った。
「転生だ……」
「何? 何なのこれ?」
ラパンも混乱しているようだ。『全知』が、目の前の出来事を把握できず、ぽかんと口を開けてロードスターを見上げていた。そうか。やっと分かった。
「転生したんだ……自分以外の何者かに生まれ変わる……異世界転生……」
「は? だから何なのこれ?」
ラパンは声を上ずらせた。
「別に、今生きてる人間に転生しちゃいけない、ってこたぁ無いしな……むしろそっちが主流だ。だからアルクは、一度死んで、ロードスターに生まれ変わった」
「はぁ? 何なのよこれぇ!?」
「この世界の、支配者だぁ……?」
雨脚が強くなってきた。俺は最後の力を振り絞って、ラパンを挑発にかかった。
「この世界を自由にできる……だけどそれって……裏を返せばどっか別の世界からの攻撃には無防備に近いってことか……?」
無敵とも思えるチート能力。だけどそれは、この世界での話だ。
たとえばあの世。
この世とは違う法則や理で動いてる世界に、その能力は通用するのか?
たとえば指から炎を出す能力は、大気中に酸素のない世界じゃ、全くの無用の長物になってしまうんじゃないか?
「これで分かったぜ……テメーらは、干渉できない世界からの攻撃には、滅法弱い……!」
「な、ななな何言って……!?」
ラパンが喚いた。明らかに動揺している。まだ何が起こっているのか分からないようだ。
あった。勝機が。
微かな望みだが、賭けてみる価値は十分あった。
異世界転生。
それを逆に利用すれば。つまり……
あいにく向こうの世界には、まだラーマもパンダもいる。ついでに蕃茄も。
こっちにはまだ、協力者がいるのだ。
それで、アルクはロードスターに転生した。
「……だからあの青の泉を奪ったんだろう? 向こうの世界で、転生できる泉を。自分たちに都合のいい世界に転生できれば、そこで無双でも何でもして、弱い相手に勝ち誇れるもんなぁ! だけど」
「あ、あああアンタこそ、よくもヌケヌケと……!」
「だけどそんなの、究極の『井の中の蛙』ってこった! 井戸の外じゃご自慢の『能力』も通用しねぇー!」
「ぶっ」
「そうだ、お前をカエルに生まれ変わらせてやるよ、ラパン! 見た目そのまま、頭ん中だけトノサマガエルになァ。そんで地べたを這いつくばって、目ん玉ひん剥いて一生ゲコゲコ言ってな!」
「ぶっ殺す!!」
ラパンが血相を変えて吹っ飛んで来た。六角レンチが、迷うことなく俺の頭に振り下ろされる。かかった。三度目の最後の瞬間、俺は笑った。
異世界転生。
それを逆に利用してやればいい。
どんなに『知ってて』も避けられない、こちらからは干渉できない、異なる世界からの攻撃。
つまり、敵の幹部に転生し、能力ごとその体を乗っ取る。
全く、笑うしかない。
だって、これじゃどっちが悪党だか、ちっとも分かりゃしないじゃないか。




