主人公は助けに来る
ゴトン、と何か重い物が、床に落ちる音がした。
後から、それは自分が落とした、テレビのリモコンだと気がついた。
だけど俺の目は揺れ動く映像の方に釘付けになっていて、最早それどころではなかった。
立ち上る黒煙、泣き叫ぶ人々の声、そして宙に浮かんだ、謎の少年少女達……。
「ねえ……」
歩の声で、俺はようやく我に返った。途端に心臓の音が喧しく耳の奥に響いてきて、頭にドッと血が昇るのを感じた。
「あれ、お父さんの県庁じゃない?」
「……!」
歩がぺしゃんこになった建物を指差して、不思議そうに首を傾げた。俺は答えられなかった。代わりに、意味をなさない嗚咽が喉の奥から転がり落ちた。
『繰り返します、住民の皆さんは直ちに避難を、現場非常に危険な状きょ……ぎゃあ!!』
突然アナウンサーの叫び声が聞こえた。乱れた画面の向こうに、砂嵐が混じり始め、グルグルと回転しながら落ちて行く。大きな爆発音がして、撮影中のヘリが墜落したのだと気づいた時には、映像はすでに真っ暗に染まっていた。俺たちは固唾を飲んで動かなくなったテレビ画面を見つめた。
すると。
黒かった画面が、いきなり見知らぬ少年の顔のどアップに切り替わり、俺は今度こそ悲鳴を上げた。これには歩もギョッとして、尻をついたまま、立ち尽くす俺の足元まで後ずさりしてきた。
『あ、あ〜……みなさ〜ん? 聞こえてますかあ〜?』
「何なんだよ……!?」
『みなさん、もう大丈夫ですよ! あなた方を苦しめてきた諸悪の根源、悪の巣窟は破壊しましたから!』
映し出された少年が、屈託のない笑顔をこちらに向けた。
年齢は、恐らく十六歳くらいだろうか。金髪の、鼻筋の通った、綺麗な少年……俺はコイツの顔を、一生忘れないだろう……転生者・クラウンが、持ち前の『チート能力』で電波をジャックしたのだ。
映像はS県だけでなく、日本全国に放映された。この放送を受け、日本政府は直ちに航空自衛隊をスクランブル発進、約二日後にはクラウン達転生者を『テロリスト』と断定し、ありったけの兵力をS県に投入することとなる。結果的にはその所為で、後に事態は最悪の方向へと転がってしまったのだが。
『もう学校に行かなくていいんです! もう働かなくていいんです! もう二度と、苦しまなくていいんですよ! 僕が……』
クラウンが、カメラを自分の顔から、街の方へと向けた。
映し出された逆側で。
近くのコンビニやスーパーマーケットが突然白く輝き出し、コンクリートの地面ごと、まるで紐で吊られたかのように軽々と空中へと浮き上がった。持ち上げられた店は、そのままぐにゃりと捻じ曲がり、自らを破壊しつつ、やがて粉々に砕け散った。
『……全部壊しますから!』
再び映像がぐるりと回り、クラウンの笑顔に戻った。
恐らく全国民が、呆気に取られた瞬間に違いない。
俺も歩も、何と反応していいか分からず、しばらくポカンと口を開けていた。その現実離れした映像を見せられて、俺は『雑巾絞りみたいだな』などと、場違いなことを考えていた。
それから俺は急いで父さんに電話してみた。だが、圏外……。それは母さんも同じだった。後から知ったところによると、クラウンの部下・シルビアが、『チート』で連絡手段の諸々を遮断していたのだという。その日から、S市では電話もネットも通じなくなった。遠くの方からサイレンが聞こえてきて、俺は歩の肩を力強く握り締めた。
「オイ、逃げよう」
「ねえ? これ、本当なのかな……?」
歩が訝しげに俺を見上げた。その表情が、俺の心境の全てを物語っていた。
「さぁ……」
……正直言って、俺もその時点では半信半疑だった。
ドッキリ映像か、映画のワンシーンでも見せられているかのように、あまりにも現実感がなかったのだ。心に振られたせいで、幻覚を見ているのかとも思った。だが家の外は次第に騒がしくなり、窓を覗き込むと、大勢の逃げ惑う人々が見えた。
「……とにかく、ここにいたらマズイだろ」
「でも、お母さんがまだ帰ってないよ!」
歩がようやく起き上がり、俺の顎の下から叫んだ。
『みなさんの悩みの種、不安の元、怒りの正体……』
クラウンは、まだ喋り続けていた。窓の向こうで、いつもおつかいに行っていた八百屋が突如発光し始め、ゆっくりと空中に持ち上がった。斜めになった店先で、買い物していたおばちゃんと、白髪の店主が地面に落ちないよう必死で柱にしがみついていた。
俺は咄嗟に歩の目を覆った。
次の瞬間、持ち上げられた八百屋が空中で弾け飛んだ。
「ひっ……!?」
べちゃべちゃと、赤だか緑だか分からない液体が、四方に飛び散って近隣の屋根に降り注いだ。それからラーメン屋だったり酒屋だったり、街中の至るところで、店の数々が空へと持ち上げられて行った。
「……逃げよう!」
「でも……!」
「いいから! 早く!」
俺は歩の腕を引っ張って、急いで家を飛び出した。歩の投げ出した携帯ゲーム機に、ドット絵のクラウンが浮かび上がって、気味の悪い笑顔を浮かべていた。
『……僕はみなさんを、助けに来たんです。苦しむ必要はない、全部壊しましょう。そして全てを無に返してから、僕らが新たな理想郷を作って見せますよ……』
陽の落ちた外は薄暗く、すでに人で車でごった返していた。皆左から右へ、県庁の逆側に向かって走って行く。一体S市のどこに、これほどの人が住んでいたかというくらいだ。全員、あの電波ジャックを見て逃げ出して来たのだろう。出た途端、近くで悲鳴が起こった。見ると、今度は寂れた本屋が宙吊りにされているところだった。本屋は溶けたアイスみたいにドロドロの液状になり、泣き叫ぶ人々の頭の上に降って来た。
「歩」
歩は、俺の手を痛いほど握り返して来た。この地区の緊急避難場所は、俺が数ヶ月前通っていた小学校になる。地震や何か災害が起きた際は、そこに集まるよう指示されていた。
「お前は小学校に行け。母さんを探すんだ」
「兄ちゃんは?」
「俺は、父さんを探しに行く」
自分でも、何でそんなことを言い出したのか分からない。
此の期に及んで勇者にでもなったつもりか、それとも単に気が動転していたのか。とにかく頭の中は妙にフワフワとしていて、今しがた見聞きした映像が、目の前で起こっている惨状が、まだしっかりと現実として受け止められていなかったのだろう。
「やだ! 僕も兄ちゃんと一緒に行く!!」
「わがまま言うな! お前じゃ足手まといだ!」
「わがままじゃないもん! ヤダよ兄ちゃん、置いてかないでよ……」
「ッ……がねぇな」
歩は俺の服を引っ張り、目を赤くして、涙を浮かべ始めた。どうやら泣いたり怒ったりすると目が充血するのは、家系らしい。俺は口を噤んだ。考えてみれば、こんな状況でわざわざ別行動というのも変な話だ。はぐれたら二度と、会えないかもしれないのだ。俺は弟の小さな手を、離さないよう強く握り返し、顔を上げた。大きな道はすでに満員で、まともに通れそうもない。
「……付いてこい。はぐれんなよ」
「うん!」
俺たちは壊れたブロック塀の隙間から隣の敷地に入り、それから家と家の間の塀に登って、小川が流れるあぜ道を飛び越えて、県庁へとひた走った。普段は煌々と辺りを照らす街灯も、今日はやけにひっそりと静まり返っていた。発電所がやられたのかもしれない。闇の中を、俺と歩の影だけが蠢く。遥か遠くの空で果物屋が一つ、ひゅるひゅると発光しながら浮かび上がり、激しく燃え盛りながら弾けて消し飛んだ。




