On parade
空を覆っていた雲が流れ、陽の光が再び顔を見せた。
降り注ぐ木漏れ日がまだら模様に俺たちを照らす。風が戻って来た。頂上から吹き下ろす東風が、汗ばんだ肌を心地よく撫でる。野鳥の囀り。一面に広がる緑。だけどそれを楽しむ余裕は、今の俺にはなかった。
周りに群がる蜥兵たち。その円の中心で、俺は、今度はロードスターを馬乗りにしていた。
「はぁ、はぁっ……!」
待ってましたと言わんばかりに、全身から汗がどっと噴き出して来た。眼下では、件の能力少年が激痛に悶え悲鳴を上げている。その肩からは赤い血が流れ出ていた。両手で触られないように、手首のあたりを必死に抑え込む。心臓が耳の隣に引っ越して来たみたいに、血液の流れる音がやけに大きく聞こえた。
形勢逆転だ。
今度は俺が、ロードスターを人質に取る形になった。召喚主を盾に取られた蜥兵たちは、どうすることもできず、周りをウロウロするばかりだった。
今思い返してみると、我ながら危険なことをやったものだ。刃物を持った相手に飛び込んで行くなんて……一歩間違えれば、三度目の絶命を迎えてもおかしくなかった。後で流水に聞いた話によると、一応、刃物を突き出した相手に対し『前に避ける』という護身法はあるらしい。
つまり、後ろに避けると、伸びて来たリーチでやられる。
横に避けると今度は薙ぎ払われる。
そうではなく前、突き出された腕に水平になるように、斜め前に踏み込むことで、勢い余った相手の背中を取ることができる。そういう避け方だ。
まぁそんな護身法に長けた流水も、この後、あんなことになってしまうのだが。
それにしたって危険な行為だ。少しでもタイミングを間違っていたら……怒りに我を忘れていなかったら……そう思うと、後から後から恐怖心が込み上げて来た。
いつの間にか、服の前辺りが破れていた。避けたつもりが、かすっていたのだ、やはり。俺は生唾を飲み込んだ。
「クソッ……離せよ!」
ロードスターが叫んだ。
「はぁ……やっぱお前、ご大層な能力に頼るだけあって、腕っ節の方は全然だな……!」
もともと小柄だ。腕力はそれほど強くない。これなら何とか押さえ込めそうだ。怒りが恐怖に、そして勝利の余韻へと変わって行った。手負いの転生者が血相を変えて吠えたてた。血は流れているが、そこまで痛がる素振りも見せていない。浅かったのか、それともこれも何かの『能力』なのだろうか?
「俺に手を出して……タダで済むと思ってんのか!? クラウンが黙っちゃいねえぞ!」
「負け犬のセリフだぜ、そりゃ」
「クラウンはマジでヤベェんだぞ! アイツは……アイツの能力はほとんど神に近い……なんでもできるんだ! お前なんか……」
まだ声変わりも済んでいない、キャンキャン響く甲高い声だ。
「『何でもできる』? フン、そりゃ随分退屈そうな相手だな……」
「なに……!?」
ロードスターの顔が奇妙に歪んだ。喋ってるうちに、俺も徐々に平常心を取り戻して来た。呼吸を整える。改めて少年を見下ろした。ロードスターは使える。そう思った。コイツからクラウンの居場所を聞き出し、敵地に乗り込む。人質にもぴったりだった。
「どう言う意味だ……?」
「人間ってのは『できない』から工夫して、試行錯誤して……そうやって成長して行くもんだぜ。『何でもできる』から、退屈なんだろう。それで暇すぎて、他の世界の侵略なんて馬鹿な真似考えてんだろうな」
「へ、屁理屈言うな!」
ロードスターが歯ぎしりした。負けん気だけは強い奴だ。こうやっていると、弟と……歩と喧嘩したことを思い出す。歩は普段大人しかったが、アイツも怒ると手が付けられなかった。歩は、生きているだろうか……。
「なんだよその顔は!」
「なぁ……ロードスター? は何で、クラウンに従ってるわけ?」
「お、俺は……」
浅黒の少年は戸惑うような表情を見せたが、やがて吐き捨てるように言った。
「俺は……俺は元々奴隷だったんだよ」
「奴隷?」
「親もいねえ。試験管の中で生まれ、名前もなかった。あったのは、番号だけさ。商品として、宇宙の果てに売られる予定だったんだ。だけど、クラウンが俺を助けてくれた。クラウンが俺を03XX-52番から、ロードスターに変えてくれたんだ。アイツは俺の、命の恩人だ!」
「へぇ……」
「クラウンが教えてくれたんだ! 俺はその他大勢じゃ無いって。俺は、俺たちは主役の側なんだってな! 俺たちは自分の人生を生きていい、誰かの言いなりなんかならなくたっていいって」
「主役だから……その他大勢の命はどうでもいい、記憶を操作して言いなりにしても良いし、殺し合いさせても良いってか?」
「ッ……!」
ロードスターが目を逸らした。この世界に『主人公』として転生してきた少年を見下ろし、俺は口を真一文字に結んだ。
どっかの世界の命の恩人が、またどっかの世界では命を弄ぶ真似をしている訳か。
理想郷。
確かクラウンは、そう言っていた。腐れ切ったこの世界の膿を徹底的に洗い流して、自分たちの”理想郷”を作り上げるのだ、と。弟の歩は理想郷に”ふさわしい”人物として、彼に連れ去られてしまった。そして俺はその隣で……殺された。
命の選別を、あのクラウンがやっているのか。クラウンの謳う潔癖症過ぎる世界で、誰々は生きて良くて、誰々は死んだ方がいいとか、アイツが全部決めてるのか。
「……そうやって余裕かましていられるのも今のうちだ」
少年が歯を剥き出しにした。
「神に逆らったらどうなるか……地獄行きだぞ!」
「またかよ」
俺は思わず噴き出した。
「お前こそ神の言いなりになってないで、たまには地獄でも見てこいよ。河童には気をつけろよ……」
「何の話だ?」
「髪を失ったって、健気に生きている奴がたくさんいるって話さ」
蕃茄には、一応感謝しておかねばなるまい。アイツが裏切らなかったら……俺の記憶も戻ってなかったかもしれない。今頃アルクや他の蜥兵たちを、この手で殺していたかもしれないのだ。
「フン」
ロードスターが鼻息を荒くした。
すると、突然彼の体に異変が起こった。
「何だ……!?」
押さえつけていた腕が、沸騰した薬缶の蓋みたいにガタガタ揺れ始める。華奢な体が、どんどん膨れ上がって行く。ボコッ、ボコッと、肉の泡立つ奇妙な音が響く。ロードスターの体躯がたちまち俺を追い越し、大人と大差ない姿になった。俺は目を丸くした。
「何だこれ!? 一体……!?」
どうして!? コイツの能力は『記憶操作』だった。だとしたら今、俺は幻覚を見せられているのか? いや、手には触れられていないはずだが……。
なおも巨大化して行くロードスターが、不敵に笑った。
「言っただろ? 何も見せつけるだけが『力』じゃないって」
「何……?」
あの時か。
俺はハッとなった。数分前の会話。自分のこめかみを、トントンと叩いた時。
自己暗示。『記憶操作』を使って、自分自身に催眠術をかけていたのだ。
「『記憶操作』で自分の痛みと、肉体の限界を忘れた」
「ありかよ!? そんなの!?」
「奥の手は取っておくもんさ……これが勝ち馬のセリフって奴だ!」
「くッ……」
「覚えとけッ、勝つのは主役と決まってるッ!」
抑えきれなくなり、俺はロードスターの体から転げ落ちた。さらに大きくなり続け、ロードスターは、もはやディンゴと大差ない巨躯と化した。デカい。俺は見上げているだけで首が痛くなって来た。周りの木々が、ちょうど彼の膝くらいの高さである。まるで奈良の大仏だ。丸太のように膨れ上がった両手で、爪楊枝ほどの刀を構え、ロードスターがニヤリと嗤った。
「くたばりやがれぇェッッ!!」
「ぎゃあぁあああッ!?」
またしても形勢逆転。
あっという間に、今度は俺がロードスターから見下ろされる形になった。
「お兄ちゃん! 危ない!」
尻餅をつき、叫び声を上げる俺の体が、後ろからドンと突き飛ばされた。アルクだ。タッチダウンを決めるアメフト選手のように、そのまま二人で前につんのめる。間一髪、俺が先ほどまでいた地面には、空から丸太のような腕が振り下ろされていた。
……実はそこから先の記憶が、あまりない。
『記憶操作』とかではなく、ただただ目まぐるしく変わっていく展開に、場面が飛び飛びでしか思い出せなかった。確か最初、
「石動くん!」
「こころ!」
確か最初、心が近づいてきた。どうやらロードスターの巨大化で、洗脳が解けたようだった。そして向こうでは、流水が剣を構え、ロードスターの脛辺りに斬りかかっていた。
「しゃらくせえェッ!」
低い声が天から轟いた。脛を突き刺されたロードスターは、しかし蚊に刺された程度の痛みしか感じなかったようで、上唇を捲り、俺たちのいる地面を力任せに思いっきり蹴り上げた。それで俺たちは数メートル空を飛んだ。あたりはぐちゃぐちゃになった。そこら中にいた者が、地面ごと宙に吹き飛ばされた。山の斜面が削れ、クレーターができたかのようにえぐられていた。辺りには土埃が舞い、同時に吹き飛ばされた蜥兵たちが、そこらでひっくり返っていた。
「ゲホ、ゴホッ……!」
「大丈夫、石動くん……」
「あぁ……っ!」
近くに、心が倒れていた。
「とにかく、急いでここから逃げ」
心が俺に顔を寄せ、そう言った瞬間。
目の前で彼女が、破裂した。
「え……?」
後から爆音が鼓膜を貫き、真っ白な光に視界が包まれる。熱源が皮膚を焼き、まるで電子レンジの中にいるみたいだった。思わず目を閉じる。肉ミンチと化した心の返り血が、ぶち撒けたスープのように俺の顔に降り注いだ。細かい肉片が雹のように皮膚に当たって、痛かった。
……今でもその時の記憶が、あまりない。
腕が……千切れた心の右腕が見えた。丁度、パンダから受け取った時みたいに、肘の辺りから千切れて転がっていた。辛うじて識別できるのは、右腕くらいだった。
スイカ割りみたいだ、と思った。こんなに簡単に、あっけなく人は木っ端微塵になるんだ、と真っ赤になった視界の中で、そんなことを思っていた。
「え……? ……?」
「命厨〜!」
呆然としていると、上から声が降ってきた。
見ると、巨人と化したロードスターの隣に、少女が二人。空中に立っていた。
新手の転生者。
五人のうちの二人、ラパンとシルヴィアだった。銀髪の少女・シルヴィアにはなんとなく見覚えがあった。初めて俺が殺された時、クラウンの隣にいた少女だ。その隣、背の低い、淡いピンクの髪の少女が、ラパンだった。
せっかくロードスターを追い詰めたと思ったのに、追っ手二人に迫られ、あっという間に状況をひっくり返されてしまった。
「え……??」
「どう!? 私の『歩スペシャル』の異力は!?」
ラパンは両手で光線銃を構え、キャハハ、と楽しそうに笑った。ほっぺたに心の肉片を張り付かされた俺に、照準を合わせる。バズーカ砲みたいにバカでかい、人の頭蓋骨を銃口に施した、趣味の悪い光線銃……。
「あゆむ……?」
「あんまりガッカリさせないでよね! こっからはお楽しみ、『人間狩り』のお時間なんだから!」
唐突だった。あまりにも突然すぎて、頭が回らない。ただただ目まぐるしく変わっていく展開に、脳の処理が全然追いついていなかった。
『全知』と『全能』。
現れた二人の転生者が、間髪を容れず俺に襲いかかってきた。




