主人公は疑わない
「行ったわ! そっちよ!」
崖の上から、心が叫ぶ。待ってましたと言わんばかりに構えていた流水が、横一閃、白刃を薙ぎ払った。狩っているのは、一匹の蜥蜴である。
「おぉ〜!」
「流水くん、かっこいい!」
女子連中から黄色い声援が飛んだ。流石は剣道部である。切っ先が三日月型の弧を描く。蜥蜴の脇腹を切り裂き、鱗に覆われた皮膚が瞬く間に鮮血に染まった。避け損ねた蜥蜴が、もんどり打って地面に突っ伏し、二転三転する。乾いた砂場に、真新しい赤が、ボタボタと上塗りされていく。低い、咆哮のような悲鳴が辺りに轟いた。そこに、放たれた鉄の矢が、雨のようにバラバラと降り注いだ。
急に、静かになった。
俺は公園のベンチの陰から、そっと砂場を覗き込んだ。砂場には巨大な山が出来ていた。蜥蜴は地面に横たわったまま、ピクリとも動かない。絶命したのだ。相手からの反撃もない、あっという間の出来事だった。死んでいる。俺は息を飲んだ。
「やったぁ!」
静寂を破り、あちらこちらから、歓声が聞こえてくる。俺はまだ弓を構えたまま、その場から動けないでいた。一呼吸置いて、血の匂いがツン……と鼻をついた。
俺たちが狩っていた蜥蜴……いや、サイズ的には最早小型の恐竜と言っても差し支えないほどではあるが……は、山郷から降りて来て民間人を襲い、「人間の味を覚えた」とされた個体だった。市役所から駆除の依頼が来て、俺と心と流水、それからクラスメイトの後四、五人くらいがチームを組んで、蜥蜴駆除にあたった。
駆除行為は学生の、『善意のボランティア』である。もちろんプロの猟師もいるが、彼らは山奥に入り、もっとデカイ獲物を狙う。
動かなくなった淡い黄緑色の蜥蜴に、学生たちがわらわらと群がって来た。爪や、皮を剥いで持って帰るのだ。高く売れるし、武器の素材にもなる。『無償』とはいえ、市街地で武器を振り回す興奮や、危険を鑑みて余り有る魅力的な報酬が人気の秘訣だった。
俺はまだ、ベンチから動けないでいた。
「石動くん」
高いところで仲間に指示を出していた心(彼女はライフル銃のようなものを構えていた)が、いつの間にか俺のそばに来ていた。
「早くしないと、なくなっちゃうよ?」
「あぁ……」
俺は頭に手を当て、軽く首を振った。体調が悪い訳ではない。ただ、何かが喉の奥に引っかかって、ずっと気になっている。その何かが何か分からないから、困っているのだった。これでもう、三匹目だ。蜥蜴駆除に出向いたのは。いい加減、早く仲間の役に立たなくては。
「あれほど弓の名手だったのにな」
「え?」
帰り道。蜥蜴の肉を焼いて食べながら歩いた。流水が慰めるようにぽん、と俺の肩を叩いた。その瞳には、何やら哀れみのようなものすら浮かんでいる。俺は立ち止まり、ぼんやりと流水を見つめた。
「そうだっけ……?」
「そうだよ。百発百中。赤点の数より、蜥蜴を仕留めた数の方が多かっただろ。あんまり気にしないで、すぐに調子取り戻すさ」
「あぁ……」
……そうだな。そうだった。ような、気がする。俺は弓の名手だった。俺はこの手で、蜥蜴を何匹も仕留めて来たのだ。蜥蜴ってやつは、にっくき害獣で、俺の家族を殺した仇敵で、だから……。
「どうしたの?」
「いや……なんでも」
心が俺の顔を覗き込んだ。俺は不調を悟られまいと、とっさに顔を逸らした。何だろう? 最近ずっとこんな感じだ。何かを考えるたびに、頭に軽く痛みが、何か妙な雑念が走るような……さっきもそうだ。戻ってくるまでは、こんなに酷くはなかった。戻ってくる? 一体俺は、何処から戻って来たんだろう? いや、それよりも……。
家族を殺した? 蜥蜴が?
……果たして、本当にそうだっただろうか?
いや。
いやいや。
俺は何で、そんな当然のことにまで疑問を抱いているんだ?
忘れる訳ないじゃないか。家族を殺されたんだぞ。そんな大事なこと、例え一瞬だって忘れるはずはない。
「次は、さ」
流水が俺に、蜥蜴の胸肉を差し出した。指宿流水。俺の親友で、恋敵でもある。爽やかな白いシャツに、淡い水色のインナーが憎たらしいほどよく似合っていた。俺は苦笑いでそれを受け取った。駆除したばかりの、柔らかな蜥蜴の肉は、焼き立てで実に美味しかった。
「隣町に、赤い奴が騒いでるんだってさ。すばしっこくて、まだ誰も駆除できてないんだって。来週、行ってみない?」
「行く」
みんな、賛成だった。もちろん、俺もだ。断る理由もない。
「赤、ってでも、強いんじゃない? 私たちだけで大丈夫?」
心だけ、一人心配そうに眉をひそめた。姪浜心。今日は髪をくるくるとおさげにしていた。俺が片思いをしている幼馴染だ。さらに隣にいた道星が、高音で繋いだ。
「平気さ。赤って言っても、まだ子供なんだ。確か個体名は、アルクって言ったっけな……」
「アルク……?」
俺は立ち止まった。
また、だ。
またしても頭の奥に鈍い痛みが走った。全員が振り返って俺を見つめた。全員の影が、夕陽から逃げるように、細く長く俺の方へと手を伸ばしていた。
「どうした?」
「え? いや……」
道星が俺の顔を覗き込んでいた。道星勇気。彼は仲間内で一番背が低い。童顔で、怪我した頬に絆創膏なんか貼って、見た目にはまだ小学生みたいだった。笑った時に口元から覗く八重歯や、日焼けした浅黒い肌がまたそれを助長していた。道星勇気は、俺の……
俺の……
……あれ?
俺は途方に暮れた。何でだろう? 言葉に詰まった。得体も知れない不安。言葉にできない感情。代わりに頭を過ぎったのはそれだった。焦燥が俺の胸の内を覆い尽くす頃、ちょうど西日が薄い雲に隠れて途切れた。俺は暗く影を落としたみんなの顔を見回した。
俺と心、そして流水と道星。
四人は親友だった。中学校から同じクラスで、蜥蜴駆除に出かける時はいつも一緒で……。
……そう、俺たちは四人で……。
…………。
本当にそうだったっけ?
「大丈夫?」
「オイオイ、本当にどうしたんだよ?」
心と流水がそっと視線を合わせる。全員、戸惑っていた。俺は目を擦り、もう一度顔を見回した。心。流水。そして道星。やっぱり四人だ。微妙な沈黙が、俺たちの間に流れてしまった。参った。何とか話題を変えなくては。そう思い、俺は声を上ずらせた。
「あの、さ。蜥蜴って、死んだらどうなんのかな?」
「えぇ?」
「どうにもならないでしょ?」
だけどみんなの顔は、余計に不審がるばかりだった。
「そんなの、異世界転生するに決まってるじゃない」
「あ……あぁ」
俺は無理して笑った。俺の場違いな、くぐもった笑いが、路地に響き渡った。
そうだった。死んだら、人も蜥蜴も、みんな異世界に転生するんだ。
『普通』のことじゃないか。
小学生でも知ってることだ。だからこそ、俺たちは学生ながら市街地での戦闘が認められているし、武器の所持も自由に認められている。たとえ間違って市民に銃弾が当たっても、気にすることはない、異世界転生するだけだ。だからみんな笑っていられるのだ。なのに、何で俺は……。
「本当に大丈夫?」
「あぁ……最近何だか記憶がな。物忘れが酷くて……」
俺は頭を振った。記憶。今度は本当に、頭が痛かった。まさかそんな当然のことすら、忘れてしまっているなんて。
「ちゃんと病院行くか、『転生』して来世からやり直した方が良いよ?」
「そう……そうだな」
心が心配そうに駆け寄って来た。俺は頷いた。そうだな。その通りだ。道星が、俺を冷やかすように声をかけた。
「金、貸そうか?」
「いや、良いよ。それくらい持ってる……」
そこまで言って、思わず口を噤む。
金……通行料。
記憶。
アルク。転生。
今度は笑顔も引っ込んだ。なんてこった。思い出せない。だけど何かに気がついて、何かとんでもないことに気がついて、俺はその場に立ち尽くした。
耳に飛び込んで来た言葉一つ一つに、何かしら引っかかりは感じている。だけどそれが何だったのか分からない。
……この違和感は、一体何なんだ!?
「じゃ、進も疲れてるみたいだしさ」
流水が、放心状態の俺に気をつかって、もう帰ると言い出した。
「来週、隣町で『ボランティア』な」
「おう」
「またな」
「石動」
道星が近づいて来て、不意に俺の額をトン、と人差し指で弾いた。
「……あまり考えすぎは良くないぞ、勇者様!」
道星はニカッと笑い、熱い視線で、じぃいっ……と俺の目を覗き込んで来た。その視線に、俺は釘付けになった。
「あ……うん」
一瞬、頭がくらっと揺れて、立ちくらみがした。鼓膜の奥でキィィィン……と耳鳴りがする。俺は汗をぬぐった。まずい。本当に、帰って休んだ方が良さそうだ。
それで解散になった。それぞれ、散り散りになって家路に着く。来週、『アルク』という子供の蜥蜴を殺す計画を立てて。俺はフラフラと歩き出した。
血の気が引いて行く。泣き出したかった。今すぐ大声で叫びたかった。だけど、一体どうして?
分からない。
その理由が、俺はさっきから、さっぱり思い出せないままでいるのだった。




