主人公は力持ち
「……きて」
「……ん」
「……るぎ君。起きなさい。起きて」
「んん!?」
「石動君!」
ゆさゆさと体を揺らされ、俺は目を覚ました。
……どれくらい眠っていただろうか。
何だか毒々しい色をした、悪い夢を見ていたような気がする。
気がつくと闇は晴れ、辺りには真っ白な霧が立ち込めていた。
久しぶりに見た眩しさに目が沁みる。俺は目を細めた。
「ここは……?」
起き上がろうとして……自分が縄で縛られていることに気がついた。
「……あれ!? 何だこれ!?」
隣にはアルクが、俺と同じように縄で縛られ、地べたに寝っ転がっていた。確か俺はさっきまで、怪しげな河童に連れられ三途の川を下っていたはずなのだが……よく見ると、船も無くなっていた。見知らぬ土地だ。周りは岩肌だらけで、川のせせらぎすら聞こえて来ない。ただ、雲の中にでも放り込まれたように、真っ白な霧が俺の周りを包んでいた。縛られている理由もよく分からなかった。さらに目の前には、見知らぬ女が一人……
「気がついた?」
白い着物を着たその女性が、ホッとしたように胸を撫で下ろした。
「あなたは……?」
俺は目を瞬いた。
二十代くらいだろうか?
優しそうな眼と、おっとりとした表情をした人だった。白い、修道僧のような服装をして、手には数珠を持っている。背中には羽衣がふわふわと浮いていた。まるで天女のように、地獄で逢うにはあまりにも場違いで、神々しく、後光でも指しているかのような……。
「だ……誰ですか?」
俺は訳も分からず、混乱する頭で尋ねた。声が掠れる。女の人が優しくほほ笑み、ふっくらとした唇を開いた。
「私は……神」
「神!!」
「……の使い」
「神の使い!!!」
「まぁ正確には、まだ修行中の身なんだけどね」
「まぁ正確にはまだ修行中の身なんだけどね!!!!」
俺はびっくりした。
三回くらいびっくりして、俺は改めてその女の人をマジマジと見た。女の人はいたずらがバレた子供みたいに、ぺろっと舌を出して笑った。
神の使い……。
俺は息を飲んだ。まぁ正確にはまだ修行中の身らしいが、そう言われると、なるほど身なりや話し方にも何処となく気品が感じられる。おでこにある丸いアレも何だか神聖なアレに見えた。舌の出し方も、見方によっては実に神々しい。神の使いだなんて、現実で言われたらまず信じないのだが、ここはこの世ではない。場所が場所だけに、妙な説得力があった。神聖な女性のそばには、荷物を背中に乗せた白いラマがいた。逆光を背に、ラマが鼻息荒く俺たちを見下ろしていた。
「そのラマも神聖なラマなんですか?」
「いいえ、これはただのラマよ」
「なんだ……ただのラマか」
着ている服も、連れている動物も、神聖な人のものだと何だか全部神聖に見える。
ただのラマを連れた神聖な女性は、ラーマと名乗った。えぇい、ややこしい。狼男のパンダといい子犬のゼブラといい、あの世の住人は、いつもややこしい名前をしている。
道すがらで出会った修行中の尼僧・ラーマが小首を傾げた。
「貴方達、どうしてこんなところで倒れてるの?」
「どうもこうも……」
俺は今までの経緯を話した。チート能力者たちに世界を襲撃されたこと。三途の川を渡る途中、蕃茄に唆されて寄り道をしていたこと。ここに来る間、何個か地獄の横を通り過ぎたこと……。
「なるほどね……」
やがて話し終わると、ラーマが納得したように頷いた。
「貴方達、その蕃茄って河童に騙されてるんじゃない?」
「やっぱりですか!?」
それを聞いた途端、急に頭がカーッと熱くなった。
あの×××!!
やっぱり、道理で怪しいと思った! じゃないと、こんなところで縛られて放り出されている意味が分からない。最初から裏切るつもりだったんだ。だからあの××は……×××やがって……俺は地獄でも憚られるような言葉で蕃茄を罵った。罵り続けた。ラマが不機嫌そうにぶるんッ! と鼻を鳴らした。ラーマがなだめるように俺に手を伸ばした。
「まず、そもそも此処は貴方達が来るような場所じゃないのよ」
「はぁ……」
「貴方のいた世界に戻るには、道はこっちじゃ無いわ。このまま進んだら……」
「進んだら?」
「……その子」
ラーマは質問には答えず、顔を横に向け、俺の隣で同じく縛られているアルクの方にじっと目を向けた。アルクはまだ目を覚ましていなかった。
「中に何かいるわね」
「え?」
ラーマはちょっと難しそうに眉をしかめ、そっとアルクに顔を寄せると、
「え!?」
そのまま寝ているアルクに接吻した。
「えっ!? ……えっ!?」
突然の出来事に、俺は呆気に取られた。何処からか、ズズズ……と不気味な音が響く。
「……!?」
俺は目を見張った。ラーマの口元が淡く光り輝いている。
まるでアルクの口元から、何かを吸い出しているようだ。
何を?
……もしかして、例のGPS装置だろうか?
「あ……あ……!?」
事態が飲み込めると、俺は急に顔が熱くなるのが分かった。唐突に神の使い的な美女とキッスだなんて。なんてこった。そんなことなら、俺が装置を仕込まれていれば良かった!
「はい。取れたよ」
「あ……」
ドキマギとしているうちに、ラーマが顔を上げた。ラーマがほほ笑んだ。
「間に合って良かったよ。これをあっちに運ばせるわけにはいかないからね」
これ?
あっち?
……彼女の言葉は、分からないことだらけだった。
とにかくアルクの体内にはやはり何かが仕掛けられていて、彼女はそれを取りに来たのだ。
マウストゥマウスで!
「じゃあ次、君も」
「え!?」
ラーマが事も無げに言った。彼女の顔が近づいてくる。俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
ま、まさか……まさか、俺の体内にも何かが仕掛けられているのか!?
やった!
いや喜んでいる場合じゃないが……むしろ、仕掛けられててくれ! 頼む!
「あれ? こっちには何もいないみたいだね」
ラーマがふと動きを止め、首をひねった。俺は焦った。そんなはずはない。
「そ、そんなことないです! もっとちゃんと調べてください!」
「大丈夫よ、安心して。縄解いたげる」
「そ、そんな……!」
なぜアルクにだけ……!! 俺は歯ぎしりした。
許さねえ……転生者め!!
この時、俺のクラウンへの憎悪が、確定的になったと言えるだろう。
歴史の転換点とは、斯くも単純なものである。
「ねえ……」
世界を救う覚悟を決めた俺に、ラーマがふと、憂いを帯びた瞳を投げかけた。
「助けてあげましょうか?」
「へ!?」
「困ってるんでしょう? 私が何とかしてあげましょうか?」
「はい? えっと……!?」
ラーマはぐいっと俺に顔を近づけて、妖しげな笑みを浮かべた。
「私が貴方たちの世界に住む困ったちゃんを何とかする。その代わり、貴方たちは私の下に付いて一生此処で暮らす。だったらどう?」
「えっと、その……」
突然の提案に、俺は又してもびっくりした。何とかする? 下に付いて暮らすってどういう意味だ? 大体、そんな事本当に可能なのか? だけどこの人は何だか後光も指していて、神々しい。顔も近いし。急に心臓の音が高鳴るのが分かった。
転生者の『チート』のような能力を、もしかしたらこのラーマも持っているのだろうか? それはあり得そうだ。もし、本当に世界を何とかできるなら……この人に頼んでも……だけど一生、此処で暮らすっていうのも何だか……
「……な〜んてね」
「……へ!?」
すると突然、ラーマがパッと表情を明るくさせた。
「冗談よ、冗談」
「じょ、冗談?」
「私にはまだそんな『力』無いし。”あんまり他所の世界に首突っ込むな”って、師匠からも言われてるんだよね〜」
「は、はぁ……?」
「だけど……」
ラーマが、俺の耳元に息を吹き掛けながら囁いた。柔らかな羽衣が頬を撫でる。俺はゾクッと体を震わせた。
「……本当に、そんな神にも悪魔にも匹敵する『力』があったら、どうする?」
「え……?」
一瞬、息が止まる。後ろから、暖かな風が
さあっ
、と通り抜けて行った。
「だからぁ、『もしあったら』って話」
「えっと……」
顔が近い。俺は耳の先まで真っ赤にして答えた。
「あの……此処に来る途中で、俺、色々な地獄を見たんですけど」
「うんうん」
「まずはそれを、どうにかします」
「へぇ?」
ラーマは不思議そうに首を傾げた。
「どうして?」
「だってあんな、安心して死ねないじゃないですか。あんなもの見せられたら……」
それに、その『力』とやらが本物かどうかも試したいし。見て来た地獄をどうにか出来ないようじゃ、チート能力者たちなんて、とても倒せそうにもない。『もしあったら』……そんな『力』がないからこそ、俺はこんな目に遭ってる訳だが。
「あはは!」
口をもごもごさせる俺を見て、ラーマが可笑しそうに笑った。
「珍しいね。自分が今生きてる世界より、死んだ後のことを心配してるんだ。ちょっとその歳で早すぎじゃない? ハゲるよ?」
「余計なお世話ですよ!」
「ごめんごめん。そうね、まずは自分たちの、目の前の地獄を何とかしなきゃね」
「はぁ……」
最後、そう言ったラーマの瞳には、先ほどとは違った使命感のようなものが帯びていた。それが一体何を意味するものなのか、俺には分からなかった。結局、何の話だったのだろう? 揶揄われたのか。とにかく、世界単位ではないにしろ、今この場では彼女に助けられたのは間違いなかった。
「はい。縄、解けたよ」
「あ、あの……」
ありがとうございます。そう言おうとしたその時、
「おぉい!」
「あ!」
霧の向こうから河童の声が聞こえて来た。蕃茄だ。
「おぉい……ッカシイな。此処らヘンに置いといたはずなンだけどな」
蕃茄はどうやら、俺たちを探しているようだった。小さな赤い影が、白い霧の向こうでゆらゆらと蠢いていた。
「オイ河童野郎」
「ひぃ!」
その後ろで、低いうなり声がした。蕃茄が悲鳴を上げた。山のように巨大な黒い影が……先ほどの闘技場で見たどんな怪物よりも巨大な影が……ひとつ、ふたつ。いや、五つはあった。俺は目を見開いた。ラーマがとっさに俺の口を塞いだ。
「また冗談抜かしやがったら、テメェ、その残った髪全部引っこ抜くぞ」
「ほ、ほほほほホントですよ! 食べ頃の若い肉が二匹、オイラちゃんと連れて来たンですって!」
「どうしていつもみたいに、巣まで連れて来なかったんだ?」
「二匹だと重くて……この辺だと思ったんですけど」
「いねえじゃねえかよ」
「だからちょっとこの霧で見失っちゃいまして……へへ」
「バッキャろう!」
ズ、ズン!
と大きな音がして、地面が揺れる。巨大な影がゆっくりと歩き出した。もう一度、蕃茄が俺たちを探す声がする。俺ははらわたが煮え返る思いだった。あの巨大な影が何者かは分からないが、およそ真面ではなさそうだった。やっぱりあの河童、俺たちを売る気満々だったのだ。何がツテだ、あの……「しっ」ラーマが人差し指を口の前で立て、俺に耳打ちした。
「どうやら君、お尋ね者みたいだね」
俺は激しく頭を上下させた。口元を押さえられているから、言葉が出せない。
「此処は、私に任せて。逃がしてあげるから、その子と先に行きなさい」
ラーマが、まだ寝ているアルクを顎で指した。俺は呆れた。美女のキッスでも目を覚まさないとは。全くこの蜥蜴は、豪胆というか無神経というか……。それからラーマは、音を立てないように、ゆっくりと俺たち二人をラマに乗せた。
「じゃ、元気でね」
「あ、ありがとうございます……」
「もうこんなところに迷い込まないように。ご縁があったら、また会いましょう」
羽衣が揺れる。ラーマは小さく手を振り、にっこりとほほ笑んだ。
それからラーマのラマは、俺たち二人を乗せ、ゆっくりと霧の中を歩き出した。全身を、あっという間に真っ白な霧に包まれていく。そこからは、元の世界まで一直線だった。
彼女は一体何者だったのだろう?
迷い込んだあそこは一体どんな場所だったのだろう?
ラーマの旅の目的は一体何だったのだろう?
それに……。
どうしてラーマは、俺の名前を知っていたのだろう?
結局、何も分からずじまいだった。不思議な女性だった。俺のそばには、ただ数多くの疑問と、ラーマ・ラマだけが残された。そうして、地獄の淵を彷徨いつつ……道中ラーマに助けられ……俺は何とかその場を離れることができた。




