主人公は危険を顧みない
半壊した社は、しばらく騒然としていた。
次々と病床へと運び込まれてくる負傷者は、まだまだ減りそうにもない。シカの医師、ウサギの看護師、サルの隊員……などが、崩れた建物の周りを、忙しなく駆け回っていた。その喧騒は、ディンゴに襲撃された時と同じくらい騒がしかった。
「何か手伝えることありますか?」
「こっちは気にするな。それよりも……」
狼男はやんわりと断った。
パンダと話し合い、俺は先を急ぐことにした。理由は二つある。一つ目は、獣人族と言う、体格も種族も千差万別の患者を治療するのに、中学生の俺にできることなど大してなかったからだ。せいぜい辺りを片付けたり、医者の使いっ走りになることだが、それよりも俺には早急にやるべきことがあった。それは……。
「お兄ちゃん」
遠くの方でアルクが俺を呼んだ。
「早く行こうよ」
「あぁ……」
俺は頷いた。出来ればパンダにこっちの世界に着いて来てもらいたかったが、彼が視力を失った今、さすがにそれは酷と言うものだった。足取りは重かった。別に、先を急いでいるからと言って、早く先に行きたい訳ではないのだ。
なんてったって、ディンゴでさえこれほど苦労したのだ。
こんな奴らがあと四人……。
俺は身震いした。
未だ倒し方すら思いつかない超能力者たちもそうだが、それより何より不安なのは……万が一、万が一家族や友人が、すでに死んでいた場合。彼らが転生した蜥兵と、敵として対峙してしまった場合だ。その時、果たして俺は弓を引けるだろうか? 兵士のまま敵に操られて生きていくのが、果たして彼らにとって幸せかどうかは疑問だが……。
「お兄ちゃんってば!」
アルクが急かした。モヤモヤとした思考を断ち、俺は歩き出した。どっちにしろ、いつまでもここにいる訳にはいかない。
アルクも、結局俺と一緒に元の世界に戻ることになった。
実はこのアルクこそ、もう一つの理由に他ならなかった。
パンダとも内密に話し合ったが、(アルク本人には口が裂けても言えないが)突然の襲撃の原因は、このアルクかも知れないからだ。パンダはこう言った。もしもアルクに位置情報発信機のようなものが取り付けられていた場合……社の中に留めておくのはあまりに危険すぎる。俺は頷いた。事実、ディンゴはアルクの後を追うように流水たちの拠点を襲ったし、社にたどり着いた。
アルクは敵の送り込んだ罠かもしれない。
ここまでは、あの時の流水の不安が、図らずも現実をなぞる形になっている。
俺は歩きながら、おそらく何も知らされていないであろう蜥兵の子供を、じっと見つめた。
「どうしたの?」
「いや何も……行こうぜ」
アルクが俺の視線に気づき、不思議そうに小首を傾げた。まだあどけない表情は純粋で、スレた大人のような打算や計算が見られない。だからこそ余計に怖かったし、クラウンがそれを利用しているのなら、これほど怒りを感じるものもなかった。
俺は視線を切り、黙って階段を降り始めた。できる限り、アルクをここから遠ざける。調べるのはそれからだ。変に疑いをかけて、ここで無駄に争いたくもない。闇の中を、トボトボと歩いていく。向かっているのは河童の棲む三途の川のほとりだった。アルクも後から付いてくる。これまでの疲れか、それともこれからへの不安からか、帰り道は二人とも言葉少なだった。
この蜥兵の子が、果たして俺たちにとって吉と出るか凶と出るか。
その時にはまだ、判断がつかなかった。
□□□
「よぉ、ハゲ」
「誰がハゲだ!」
ほとりに着くと、例の赤い河童・蕃茄が待っていた。俺たちはハゲを笑った。ここが現代日本だったら、下手すりゃ裁判沙汰だ。ハゲではなく……現代ではAGAのナントカ型、と呼ばなければならないのだ。しかしここはあの世だった。それに河童のおかげで、重たい空気が少しだけ和んだ気がした。船が出た。三途の川は相変わらず無窮の闇だった。黄色い灯火が黒の中で揺れる。途中、蕃茄が俺たちを振り返り、嘴の端をひん曲げてきた。その表情は好奇心に満ち満ちている。
「それより聞いたゼェ。アンタら、支払いをケチって戻ってきたんだって?」
「何だよ……誰に聞いたんだ? あの老婆か?」
俺は唇を尖らせた。
「いや……イヤイヤ! 別に責めてる訳じゃねェよ! 俺ァな、アンタらを見直したんだよ!」
「はぁ……?」
蕃茄は目をひん剥いた。どうやら笑っているらしい。俺たちがハゲを笑っている時、ハゲもまた、俺たちを笑っていたのだ。
「まさかアンタらに不法入国やる勇気があったとはナ……。どうも最近はあの世に来たってのに品行方正な奴ばっかりでナァ。地獄じゃ仏も肩身が狭いってんだよ……ったく」
蕃茄はキラキラと目を輝かせ、今時の地獄の者は……と悪態を付いた。目を輝かせ、やることが悪態を付くとは、日頃からよっぽど悪態を付きたかったに違いない。
俺は唸った。良く分からないが、郷に入っては郷に従えと言うことか。確かにあの世で、死んだ人に「死ぬな!」と呼びかけても、きっと話が通じないだろう。地獄では、悪さをする方が皆に尊敬されるらしい。あの時は『未払い』のために思わぬ危険に晒されたが、おかげで河童から、要らぬ歓心を買ってしまった。
そして新たな悪夢は、ここから始まった。
「どうだい? アンタら……ここだけの秘密なんだけどネ……」
蕃茄が如何にも怪しそうな目つきをして、俺たちに顔を寄せて来た。生臭い川の匂いに、俺は思わず顔をしかめた。
「実はいいィ話があって……」
「何? なに?」
隣でアルクがその気になって身を乗り出している。俺はいや〜な予感がした。
「いやね、ちょっとしたツテがあんのよ。この川には秘密の通路があってナ。そこを通れば、『通行料』を少なめに向こうに渡れるのサ。上手くいけば、払わなくて済む」
「ほんと!? すごい!」
「いや怪しすぎんだろそんなの。払うよ。ちゃんと払って、真っ当な通路を通った方がよっぽどいい」
俺は肩をすくめた。もうあんな老婆はこりごりだ。ツテ? 秘密の通路? 何だそりゃ。真偽のほどは分からないが、地獄で語られる良い話なんて、ロクなもんじゃないことは確かだ。
「ところがどっこい……櫂を握ってんのは、おいらの方だ」
「はぁ!?」
赤い河童がニィィ……と笑った。すると突然、船が大きく揺れ始めた。
荒れ狂う濁流の中、蕃茄が櫂を掲げ、船の方向を強引に変えたのだ。俺は慌てた。
「いや、ちゃんと進めよ! 何勝手に寄り道しようとしてんの!?」
「ちょいと危険だけど、この水位なら大丈夫だろう」
「ちょいと危険って……こっちは三途の川でわざわざ危険なんか冒したくねえんだよ!」
「ちょうどヒマしてたからサ。何なら、おいらが今から案内してあげようか?」
「いいの!?」
「あぁ……もちろんサ」
「オイ! オイって……! 話聞けよ!」
「ありがとう! AGA−ⅡVertex型さん!」
「やめろ! おいらをR2−D2みたいに呼ぶな! 蕃茄で良いッ」
「どっちかって言うと、C−3POだろ!」
俺の銀河は無視された。苦難はいつ終わるのだろう?
「しっかりつかまってナ。ハゲるなよ」
蕃茄は目を細め、俺たちに意味不明の注意をした。
荒波と頭皮の後退に、何の因果関係があると言うのか。ちくしょう、そんなフザけた理由でハゲてたまるか。俺は必死になって船の端にしがみついた。
船は本流を外れ、さらに闇の深い方、狭い支流のその奥へ奥へと進んで行った。
こうして俺たちは蕃茄の連れられ、三途の川の秘密の通路とやらを進む羽目になった。