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主人公は回復する

 辺りに耳をつんざく咆哮が響き渡った。

 ディンゴの叫び声で、大気が震える。ディンゴの首元には銀色に光る刃が蝋燭のように突き立てられ、そこから吹き出た緑色の血液が、地面に濁った池を作っていた。滝が三つになった。普通は、それで終わりだ。


「ひぃぃい……ッ!?」

 しかしディンゴはまだ死ななかった。

 体に三つ穴が空いて、なお生きている。俺は悲鳴を上げた。驚異的な生命力だ。剥き出しの牙がすぐそばまで迫って来て、尻餅をついたまま必死に後ずさった。近くでその顔を拝むと、人間離れした表情に嫌でも気づかされる。ディンゴの方がよっぽど狼男だ。


「こいつ……!」

 ディンゴの背中に飛び乗ったパンダが、刀を握り、頭上で悪態をつく。首元に刺さった刀を抜こうとするが、抜けない。押し込もうとしても、それ以上進まなかった。どうやら骨の間に綺麗にハマり、動かせなくなっているようだった。喉を貫いている。その状態でまだ死なないのだから、まさに怪物と呼ぶに相応しい生物だった。


「この獣、恐らく他者の生命を吸収している……!」

「なんて!?」


 上でパンダが何か叫んだ。俺には意味が分からなかった。分かったとしても、ベタベタした涎や緑色の液体を全身に浴び、それどころではなかった。パンダが苦い顔をした。


「致命傷を負ってなお死なない……恐らく『転生』とやらを悪用しているのだろう。こいつは他人の『通行料』を無理やり奪い、それで生命を維持している」

「それって……」


 俺は息を飲んだ。

分かりにくいが、つまりディンゴはダメージを受けていない訳ではないようだ。

死んだ瞬間、『通行料』を払いその場に転生し、すぐさま生き返っている。

その際、ディンゴ自身の『通行料』ではなく、他の人の『通行料』で支払っているということだ。

俺もさっきアルクに同じようなことをしようとしたので、理論上、できないことはないのだろう。


「それって、かなり不味いんじゃ!?」

 事態に気づき、俺は慌てた。

「嗚呼。この怪物を攻撃するたび、どこかの世界の誰かが死ぬことになる」

 それは俺の世界の住人かもしれない。もしかしたら、自分の家族や友人かもしれなかった。


「これがチートか……」

「どうするんですか!? このままじゃ……!」

 倒しようがない。


 致命傷を与えるたびに瞬時に生き返るチート能力。

死なない生き物。

無限に戦える上に、傷を与えるとどこかの誰かが代わりに『通行料』を払い、最悪死に至る。

見えない人質を取られ続けているようなものだった。


 考えると複雑な能力だが、ディンゴ自身には知性のかけらも見えない。

恐らくはクラウンか誰かが、この獣に能力を与え仕込んだのだろう。そうしてディンゴを、チート能力者に仕立てたのだ。なるほど直線的な戦闘狂(バーサーカー)には、相性の良すぎる回復(チート)能力だ。

この怪物は何にも考えないで、ただ暴れ回っていればいい。相手が攻撃してくれば、その分誰かに傷が()()

攻防一体。

俺は途方に暮れた。能力が分かると、手の出しようがなかった。それに、仮にこっちから手を出さなくても、こいつ自身が自傷し続ければその分他の誰かが傷ついて行く。どうやって倒せばいいのだろう。


「ギャアァァァアッ!」

 そうこう話しているうちに、ディンゴが体を震わせる。

 俺に覆いかぶさったまま、再び手を伸ばして来た。

「うわっ、うわぁあぁっ!?」

「石動くん! クソッ!」


 パンダが残っていた脇差でディンゴの腕を切り裂く。丸太のような腕が宙を舞い、切り口から緑の鮮血が吹き出して来た。

 次の瞬間、奇妙なことが起こった。

「ゲッ……!」

 斬った断面が、うねうねと妖しく蠢く。

生々しい肉の塊が、ストーブの上の餅みたいに膨れ上がった。なんと、再び新しい手が生えて来たのである。俺はギョッとした。


「う、腕が……ッ!?」

「誰かの『通行料』で……再生しているッ!! こんなことが……ッ」


 さらによく見ると、さっき空けた三つの穴も徐々に塞がりつつあった。


「回復してる!?」

「卑劣な……!」

 パンダが激昂した。

 ディンゴの回復には、どこかの誰かの『通行料』が使われている。もしかしたら仲間の獣人族から……倒れた『山脈』から『通行料』が奪われているのかもしれなかった。このままではモタモタしているうちに、どんどん犠牲者が増えてしまう。


「どうするんですか!? こんなの、どう戦えば!?」

「こいつ自身を……」

 パンダが苦虫を噛み潰したような顔をした。

「一瞬で……回復する暇も与える隙もなく! 何か別のものに転生させてしまうしかあるまい」

「でも、どうやって!?」

「ついて来てくれ。私に考えがある。こいつを誘導しなければ」

 

 再び咆哮。

 見る見るうちにディンゴの傷は塞がり、元通りになってしまった。もう一刻の猶予もなかった。山々の間をすり抜け、階段を転がるように駆け降りて行く。


 幸いなことに、ディンゴは脇目も振らず俺たちを追いかけて来た。あの場に留まらられて、他の獣人族を攻撃されたり、自傷行為を繰り返されたらいよいよ危なかった。きっと、動くものを見ると反射的に追いかけずにはいられないのだろう。とことん野生的な奴だ。話し合いや人としての情が通じない分、ある意味クラウンより厄介な相手だとも言える。


 階段、灯篭、そして後はどこまでも続く闇。灯火は消えていた。(やしろ)の外は、墨を零したように漆黒に染まっていた。


「ハァ……ハァ……ッ!」

 どれくらい走っただろうか。息が荒い。汗が止まらない。酸素が脳に行き届かず、頭がガンガンに痛み始めた。辺りは真っ暗だから、今自分が前に進んでいるのかどうかすら危うい。ただぼんやりと暗がりに浮かぶ、パンダの背中だけが俺の頼りだった。


 ゆっくりと、だが確実に後ろから破壊音が近づいて来ていた。追跡者(ディンゴ)はほとんど直線的に、灯篭や『山』に体当たりし、己を阻むものを壊しながら追いかけて来る。図体が大きな分、小回りが聞かず足はそこまで早くない。俺たちに分があるとすれば、唯一その点だった。


「もうすぐだ!」

 パンダが向かっていたのは、蒼い溶岩(マグマ)のある崖だった。


 その道すがら、転生の行列に並んでいた列の人々が『山脈』になっているのを見た。『負傷者の山脈』の中には、あの蜥兵の姿もあった。ディンゴは敵味方関係なく、動くもの全て手当たり次第攻撃し続けて、(やしろ)まで来たのだろう。


 さらには対抗勢力(レジスタンス)内で見かけた顔も何人か見つけた。どうやら俺が死んだ後、ディンゴに襲撃を受けたらしい。


 流水の言っていた、アルクが自分たちの拠点(アジト)を探ろうとする敵の罠かもしれない、という話も真実味を帯びて来た。俺は走りながら、無意識のうちにその中に心や流水の姿がないか目を凝らしていた。


「う……!」

 今や足元はぬかるみ、水たまりのようになっていた。血だ。そこら中に溢れる生臭い血の匂いにあてられ、俺は再び吐き気を催した。足元はフラフラと覚束(おぼつか)なかった。体力はすでに限界に来ていた。汗と、涙と、返り血とで、全身がドロドロのアイスクリームになったかのようだった。

「彼らの悪行がまさかこんな形で役に立つとはな」

 パンダが皮肉った。

 蒼蓮の業火。

 最初に死んだ時にパンダと出会った、あの崖だ。転生者(クラウン)たちが亡くなった人々を突き落としていた溶岩(マグマ)である。彼らはそこで人々を無理やり蜥兵に転生させ、自分たちの駒にしていた。


 そこが、結果的にディンゴを倒す舞台になった。


「行くぞッ! 気を抜くなよ!」

「は、はいッ!」


 俺たちは速度を落とした。


 ディンゴにわざと距離を詰めさせる。そしてギリギリまで走り続け、それからあと一歩踏み出せば崖に落ちるというタイミングで、左右に散会した。辺りは闇に包まれていた。視界は悪い。ディンゴは慌てて急停止したが、勢い余って崖の端でよろめいた。

「破ァッ!!」

 向かい側にいたパンダが急旋回し、態勢を崩したディンゴに体当たりをかます。

そのまま『崖から突き落とす』。

原始的な方法だが、今は手段など選んでいる場合でもなかった。怪物は足元を掬われた形になり、狙い通り宙にその巨体を浮かせた。ディンゴが目を見開く。ゆっくりと、その体が崖の下に落ちて行こうとしていた。


「……危ない!」

 俺は叫んだ。ディンゴもただ黙ってやられはしなかった。落ち際、ぶつかって来たパンダに素早く手を伸ばす。毛むくじゃらの腕でパンダの足を掴み、握り潰すように力強く拘束した。道連れにしようとしているのだ。

「……!」

 パンダは驚いたように目を見開いた。怪物が下卑た嗤いを浮かべた。実際に落ちて行くのは数秒の出来事だったが、俺には、その一連の場面がスローモーションのコマ送りのように写った。


「そのチート能力とやらを……」

 その時、俺は確かに聞いた。パンダの声を。土俵際に追いやられ、だけど、パンダは笑っていた。

「私に見せたのが間違いだったな」

 パンダは脇差で自分の腕を切り落とし、俺の方に向かって放り投げた。


「石動くん! しっかり受け取ってくれ!」

「は!? え……!?」

 ぽーん、と放り出された片腕を、俺は訳も分からないまま慌ててキャッチした。


 そのままパンダとディンゴは、崖の下に落ちていった。大きな音を立て、蒼い水しぶきが上がる。

「な……!?」

 ほんの一瞬の出来事だった。俺はしばらくその場から動けなかった。一体何が起こったのか、何を感じればいいのかすら分からなかった。放心状態とはまさにこのことだ。

ディンゴは消えた。倒したのだ。だけど、パンダを道連れにして。俺の手元には、パンダが最後に投げた片腕だけが残された。


「一体……!?」


 その時だった。


 残された腕がブルブルと震えだした。俺はギョッとして腕を放り出した。千切れた腕は、断面図からボコボコと肉の泡が立ち、あっという間に()()()()


「ぎゃあああああッ!?」

「……人がせっかく『転生』して戻って来たのに、悲鳴はないだろう」

「あぁぁぁぁ、あ、あぇ……ッ!?」

 俺は目をひん剥いた。


 ()()()()()()()()()


 目の前にいたのは、パンダ本人だった。俺は泣き叫んだ。本体から腕が生えるならまだ分かる。でも、腕から本体が生えるだなんて。


「て……転生!?」

 生えたのは、正真正銘のパンダだ。彼は笑っていた。

「そうだ。彼奴の回復(チート)能力を見てふと思いついてね。『通行料』を払い、別の世界じゃなく今いる世界に再生する。この崖の転生装置を使えば、私にも同じことができるんじゃないか、と。上手くいって良かった」

「んな……!」 

 俺はぽかんと口を半開きにした。なるほど理屈は通っている。だけどそんなこと、思いついても普通実行するだろうか? 上手くいかなかったらどうするつもりだったんだろう?


「なぁに、その時はその時さ。彼奴を倒せれば良かったんだから」

「その時はその時って……」

 もはや二の句も継げない。俺は驚きつつ、半ば呆れた。とにかくパンダの、あまりにも捨て身過ぎる作戦によって、一応はディンゴを退けた。


 囚われていたS市の人々、獣人族、それから蜥兵に至るまで、今回負傷者の数は全体の六割を超えた。

「『通行料』を払えばある程度はみんなを治せるだろう。しかし……」

 パンダの顔は晴れなかった。

「……これで一つはっきりしたな。奴らは、一切手を緩める気はないと言うことだ」


 俺は黙って頷いた。空には暗い雲が立ち込めて、まだしばらく晴れ渡りそうにもなかった。


□□□


「一体何に転生させたんですか?」

 社への帰り道。

 落ち着いた後、俺は気になって聞いてみた。隣にはパンダがいる。俺はパンダの手を引いていた。パンダは自分とディンゴの『転生』に二人分『通行料』を払い、両目の視力を失っていた(「心配するな。犬は鼻の方が効く」)。


 まさに捨て身の作戦だった。遠目にはポツポツと、(やしろ)周辺(まわり)に赤い灯火が戻って来ているのが見えた。残った誰かが必死に、負傷者たちの手当をしているのだろう。怪物は倒された。だけど今はまだ、喜ぶ気にもなれない。勝利に浸るにはあまりにも、多大なる犠牲を払った戦いだった。


「建物だよ」

 視力を失ったパンダが、静かに呟いた。

「建物?」

「嗚呼。生物に転生させて、自傷行為を繰り返されても困るからね。かといって吟味している余裕もなかった。咄嗟に思いついたのが、建物だった」

「建物……」


 後にこんな話がある。

S県S市には、『呪われた家』がある。

その家は何十年も昔からあるが、いつも新築同然で、傷一つついていない。

入居者が誤ってその家を傷つけるようなことをすると、何故か毎回命を落とす。

工事をして撤去しようとすると、作業員が次々と死んでしまう。

だから『呪い』なのだと言う。

あるいは『神域』とも。


いずれにせよ、人々は畏怖を込めてその家を呼ぶ。

周りの建物が経年劣化でボロボロになっているのに、その家だけは、不思議なことにいつ見ても綺麗なままだったからだ。

もしかしたら、『家』が近づく者の生命力を奪っているのかもしれない……。


 その正体が、驚異的な回復(チート)能力を持った怪物の成れの果てだと、一体誰が信じるだろうか。俺も積極的には人に話さなかった。だからこの『蒼い崖の戦い』の結末を、パンダの献身を、記憶している者は今やほとんどいない。


 仕方ないかもしれない。

 何せその後ディンゴ以上に、残りの四人の転生者たちが、悪逆非道の限りを尽くしてS市を蹂躙したのだから。


 そう、転生者は後四人いた。


 壊滅的な被害を被った突然(ディンゴ)の襲撃、それはまだ、ほんの序章に過ぎなかったのだ。

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