主人公はケチらない
気がつくと、俺は濁流の中にいた。
四肢の自由も効かず、ただ流されるままに身を運ばれて行く。視界は墨を零したように真っ暗で、何も見えなかった……俺は一度、これを経験した事がある。首を捥がれた後、連れてこられた白黒の世界。そう、死後の世界へと続く道だ。ついさっき俺は撃たれて死んだのだった。
俺は目を閉じた。
抗えない流れの中で、ぐるんぐるんと体を回転させる。二度目の死。心や、蜥兵の子を助けるため、咄嗟の行動ではあった。とはいえ、あまりにも簡単に命を投げ出してしまった事に、焦燥と後悔の念がどっと胸に押し寄せてきた。
最初の転生が終わった。
チャンスは後、二回。
逝きと還りで一回ずつ払うから、俺には後四つ、『通行料』が残っているはずである。その『通行料』が自分にとってどれくらい大事なものかはまだ分からないが……無駄撃ちはできない。世界を救うどころか、仲間割れのドサクサに紛れて死んでいたんじゃあ、そりゃ命がいくらあっても足りない。それに、『後二回死ねる』と言われたところで、別にわざわざ死にたいとも思えなかった。痛いし。
「なんだ……?」
流れの中で、ドン、と不意に俺の体が何か硬いものにぶつかった。視界は閉ざされたままだ。川の『出口』にはまだ程遠いだろう。手探りで手繰り寄せると、指の先に、ザラザラとした鱗のような感触があった。
俺はその正体に思い当たった。
トカゲの子だ。
あの子もまた、結局は俺の腹を貫いた弾に当たり、絶命していたのだった。トカゲの子は意識がなく、気絶しているみたいだった。無理もない。きっと死ぬのは初めてなんだろう。俺はトカゲの子を両手でしっかり抱いて……ビート板代わりにして……濁流の中を進んだ。
「……っぷはぁッ!!」
唐突に体を投げ出され、俺は黒い泥の中に頭から突っ込んだ。何とかして泥から這い出すと、何処までも広がる黒い景色が俺を待っていた。
「あれ……?」
俺は首を捻った。おかしい。確か前回死んだ時には、こうではなかった気がする。あの時は確か、広々とした荒野だった。
今目の前にあるのは、確かに黒い景色には違いないが……
「……家?」
……建物のような小さな掘っ立て小屋が、暗がりの中にぼんやりと浮かんでいた。見るからに古びているが、確かに家屋だ。まさかこんな辺境の地に、誰かが住んでいるのだろうか。
「いてて……」
「お前……!」
胸元から苦しそうな声がして、俺は我に返った。トカゲの子が目を覚ましたのだ。トカゲの子はゆっくりと目を開けると、不思議そうに辺りを見回し、それから俺の顔を見上げた。俺は安堵のため息を漏らした。
「気がついたのか!? 良かった……」
「おじちゃん……誰?」
「おじちゃんじゃねえよ。まだ中学生だぞ」
「ぼく……生きてるの?」
「いや、まぁ生きてはいない。残念だけど、俺もお前も、もう死んでる」
「えぇっ!?」
「だが安心しろ。俺なんて、二回めだぞ」
「はぁ??」
それからトカゲの子は苦しそうに口から泥を吐き出した。『川の旅』は長いし冷たいから、体が堪えるのも無理もない。まぁ、川から落ちる際、俺がクッション代わりに使ったせいかもしれないが。彼は自分の胸に空いた穴をしげしげと眺め、しばらく口をパクパクさせていた。驚きのあまり、言葉が出ないのだろう。
「お前、名前はなんて言うんだ? 『クッション』か?」
「違うよ!」
「じゃあ、『ビート板』?」
「そんなわけないでしょ! 人をモノみたいに言うなよ……ぼく、ぼくの名前はアルクだよ」
「アルク……」
弟の歩に名前が似ている。俺は少し胸が疼くのを感じた。
「ちょっと聞きたいんだけどさ」
「なに?」
「おま……アルクってさ、元は人間の生まれ変わりだったりする?」
「生まれ変わり?」
なにそれ、とアルクは小首を傾げた。
「ぼくは元からアルクだよ。兵隊のお父さんとお母さんから生まれたんだ。れっきとした兵士の子さ!」
「…………」
アルクが穴の空いた胸を張った。俺は複雑な気分になった。
もしかしたらこのトカゲの子は、弟の生まれ変わりかもしれない。そんな予感が胸をよぎったのだが、どうやら違うようだ。がっかりしたような、ホッとしたような。半々だった。彼が弟の生まれ変わりなら、もう弟は死んでいる事になる。歩はクラウン達に連れられて『空中庭園』にいるはずだから、まだ無事だと信じたいが……。
それよりも……アルクの話を信じるのなら……蜥兵たちは生まれ変わった後、自分たちで子作りもしている事になる。蜥兵の正体は、元はS市の市民だと狼男から聞いた。だが、仮に『転生』した後で子供が出来たら、その子はもう元の人間の子ではあるまい。彼の言った通り、れっきとした蜥兵の子だ。
「あ〜あ、なんでぼく、死んじゃったんだろう?」
「えぇ……?」
「早く生き返りたいよ! ぼくも早く戦場に行って、人間どもを倒したいんだ。お父さんみたいに!」
アルクが、尻尾で器用に全身に纏わり付いた泥を払いながら、無邪気に笑った。俺は言葉に詰まった。
最初、クラウン達は『転生』させたS市民同士で、仲間割れをさせているんだと思った。それはそれで卑劣な行為だ。しかし、その『転生兵士』に子供が出来て、その子供達が戦場に出て行くとなると……複雑な問題が、さらにややこしくなった気がして、俺は頭を抱えた。
とにかく、事態はどんどん悪化し続けている。早急に解決しなくては、本当に取り返しのつかない事になってしまう。それだけは確かだ。
「そういえばおじちゃん……ウロコがないね?」
「え……ぇえっ!?」
暗がりの中、不意にアルクがその爬虫類特有の視線を俺に向けて、口の中の牙をぬらりと光らせた。たちまち背筋に冷たいものを感じた。
「もしかしておじちゃんは……人間?」
「いや……その」
「おじちゃんは……ぼくの敵なの?」
「や、やめろよ! 敵じゃねえよ!」
俺は後ずさった。背丈は違うとはいえ、向こうには生まれつきの殺傷武器が備わっている。
「大体なんで、わざわざ死んだ後まで殺し合いしなきゃいけないんだよ。そう言うのは生き返ってからやろう? な?」
「そっか……そうだね」
アルクは納得したように頷いた。それで納得してしまう辺り、やはりまだ子供だ。俺は汗を拭った。危ないところだった。コイツの中の野生が目覚めるところだった。しかしこうなると、生き返った後が大変だ。向こうに戻ったら、ソッコーで『クッション』にして、俺の中の燃えるビートをコイツに板板しなくては。
「あれ……でもお前」
不意に思い当たって俺はアルクに尋ねた。
「何で自分の『名前』覚えてるんだ?」
「え?」
「俺が最初に此処に来た時は……」
『通行料』として自分の『名前』を払った。だけどアルクには、その様子はない。何か別のもので支払ったのか、それとも……。
「『支払い』をケチったね」
「え……!?」
突然目の前から声をかけられた。知らない声だった。
ギィィィ……イと、不気味な音を立てて、目の前の家屋の扉が開いた。
「な……!?」
「ちゃんと払わなかった。だから……こんなところに来ちまう」
「へ……??」
扉から片目を覗かせていたのは、全身毛むくじゃらの青い老婆だった。老婆は四つん這いだった。一目見て、俺は昔図書室にあった『妖怪大百科』に載っていた、『鬼蜘蛛』を思い出した。その醜い容姿に、俺は全身の毛が一気に逆立つのを感じた。アルクは気絶した。青い老婆は、四本の腕の一つに持っていた出刃包丁を、ゆっくりと俺たちに向けて掲げた。
「……んゲヘヘヘへへへへへへへェエエエエエッ!!」
「ぎゃああああああああああああああああああっ!?」
次の瞬間、毛むくじゃらの老婆が笑いながらこっちに這い出して来た。そう、此処はあっちの世界。地獄の一丁目には代わりなく、そこで出遭うモノも、決していいモノばかりとは限らなかった。




