主人公は二度死なない
指宿流水という男は……爽やかな優男ではあったが、決して冷淡ではなかった。
少なくとも二年前までは。
細身だが、武道の心得があり、見た目以上に頼り甲斐のある男だった(だから嫌いだったのだが)。クラウン達の襲撃を受けて『対抗勢力』に入り、彼の芯はさらに強くなったように感じられた。周囲の支持も厚かった。若年でありながらも傷ついた人々を鼓舞し、先頭に立ち、テキパキと指示を出していくその姿は、この俺でさえ素直にすごいと思えた。逆境に追いやられて、彼の指導者としての素養は、より一層飛躍したかに感じられた。
「殺そう」
だから、そう告げた流水の口ぶりにも、迷いや衒いの類は一切感じられなかった。憐れみや私情を排除し、如何に組織のために合理的な判断を下せるか。その一点だけを突き詰めたような、そんな眼をしていた。彼の一言で、急に食堂がシン……と静まり返った。俺は布の上に寝そべる蜥兵の子供と、それから流水の表情を見比べた。喉がカラカラに乾いていた。
「え……?」
最初に戸惑いを口にしたのは、俺ではなかった。子供の隣に跪いていた心が、訳が分からない、と言った顔で流水を見上げた。彼女は先ほどから物資を担ぎ込み、せっせと看病に励んでいた。
「どうして……?」
「さっきも言っただろう」
流水は少し苛立ったように舌打ちした。その顔は煤けて、所々血が滲んでいた。今日も何処かで戦闘に遭ったのだろうか。その喋り方も、表情も普段見せる彼とは程遠かったから、『対抗勢力』の面々に緊張が走った。普段はもっと冷静で、穏やかな男なのだ。手負いの敵の子を前に、流水は明らかに興奮していた。
「この子は、敵の子供だ。仮にここで助けたって、向こうに帰せばきっと親玉から『英才教育』を施されるさ。『彼奴らを一人残らず殺せ』ってね」
「でも……」
「で、その子はそれを信じる。そりゃそうだ。クラウン達と言えば、自分たち特権階級と、『理想郷』に住む者以外はみんな敵なんだから。『現地人憎し』の一点張りさ」
「だけど……いくら敵とは言え、まだ子供だぞ?」
周囲にいた誰かが、遠慮がちに呟いた。
「殺すってのはどうもなぁ……」
「この子の親は、心配してるんじゃないかしら」
「そもそもこの子は僕らの『拠点』の居場所を知っちゃった訳だろう。のこのこ親元に帰したんじゃ、今度は僕らの命が危うくなる。どの道帰す訳には行かないよ」
流水の視線が下に泳いだ。蜥兵の子供は、相変わらず熱に呻いている。彼の腰には、短剣がぶら下がっていた。
「戦争にだって、民間人や捕虜に対する扱いの規定はある……」
「これが戦争か!?」
誰かがボソッと呟いた一言に、流水は急に大声を出した。まるで堰を切ったかのように、彼の普段抑え込んでいた感情が溢れ出してくるような感じだった。食堂に彼の叫びが木霊した。
「ただ一方的な侵略、略奪じゃないか! のんびりスローライフだか『理想郷』だか知らないが、勝手に自分たちの理想を押し付けて、我が物顔でのさばってさ! これじゃイナゴの大群と大差ないよ。それを黙って見てろって言うのか!?」
「落ち着けよ」
「だから、だからこその『対抗勢力』じゃない」
心が唇を舐めた。その声は震えていた。その気持ちは俺にも分かった。
ここを見誤ると、『対抗勢力』は一気に瓦解する。
元は崇高な理想を掲げたはずの民衆が、いつの間にかただの扇動、略奪集団に身を落とすなんて話は、流石の俺でも知っていた。敵が憎くてしょうがなかったはずなのに、いつの間にか自分たちも同じことをやっている。良くある話だ。まぁ、主にゲームや漫画で知った話だが。まさかそれが実体験として目の前に現れるなんて、その時は思いもしなかった。
震える足で、心が立ち上がった。
「攻撃された分には反撃する、それは私も分かるわ。黙って殺られる訳にはいかないもの。でも子供は……」
皆黙って心の言葉を聞いていた。
「たとえ敵だとしても、弱ってる子供を殺すのは、私は違うと思う。うまく言えないけど。それをやったら、もう後戻りはできなくなる気がして……」
「後戻りだって?」
流水の目は血走っていた。
なんてことはない、きっと彼も、ずっと重荷に感じていたのだろう。その若さで、斥候班の班長という立場に。突然故郷を攻撃され、あっという間に周りは敵だらけ。立ち上がれるのが不思議な状況で、それでも彼は皆の為に大役を買って出た。そして結局、誰にも甘えられないまま、彼の心は孤独を上り詰めてしまった。ふと、流水の家族はどうなったのだろう、という考えが俺の頭をよぎった。
「どっちみち後戻りなんて出来やしないんだよ! 僕らが若いからって、彼奴らが攻撃の手を緩めたことあったか!? 関係ないんだ、そんなこと! その子だって、敵の罠かもしれないんだぞ!? 僕らの居場所を探る為に、わざと捕まって……!」
「待ってくれ」
俺も立ち上がり、流水と心の間に割って入った。流水は、何か異質なものでも見るような目で俺を眺めた。俺はたちまち緊張して、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「ずっと言えなかったんだけど……」
「なんだ?」
「その子は……いや、蜥兵たちは、実は」
俺は掻い摘んで話した。S市の市民が転生させられていること。蜥兵の正体は、元はその市民であること。俺たちが戦っているのは、元は自分の家族かもしれないということ。
「そ……」
「そんな……」
「なんてこと……!」
食堂に嗚咽が響いた。話し終えた俺は、恐る恐る流水を見上げた。流水は表情一つ変えず、じっと俺を見つめているだけだった。
「嘘だ」
「え?」
しばらくして、俺に声をかけたのは、流水ではなかった。農林課・食料自給係の林さん。いつかのあの日、一緒に食事しながら俺に『対抗勢力』について色々教えてくれた人だ。林さんが、強張った表情で俺を睨んでいた。その表情に俺はギョッとなった。薄汚れた歯茎を剥き出しにして唸り声を上げ、目が裏返るくらいに座っている。
「嘘だ、嘘だ……そんな」
「ちょっと、林さん……!」
「そんな、だったら私たちは……私たちが……」
周囲の制止を振り切って、林さんが蜥兵の子供に向かって突進した。
「私たちが今まで……何匹蜥兵を殺したと思っているんだ!!」
林さんの手には、いつの間にか護身用の小型銃が握られていた。林さんと、蜥兵の子供の間には心が立っていた。
そこからはスローモーションだ。
俺は咄嗟に心を突き飛ばした。
パン
、と乾いた音が食堂に響いた。それだけだ。その途端、俺の脇腹が一気に熱を帯びた。撃たれた。人一人の命を奪うには、実に呆気ない音だった。林さんの撃った弾丸は俺の体を貫き、それから寝ていた蜥兵の子供に命中した。
「……いやあああぁあああああぁぁああッ!?」
絶叫。血飛沫。怒号……地鳴り?
次の瞬間、両足の力がストン、と消えて無くなった。俺はそのままよろめいて、床に倒れこんだ。たちまち、薄汚れたタイルが赤黒く染まっていく。俺は恐る恐る流水を見上げた。彼の顔は返り血を浴びて、真っ赤に染まっていた。最早感情を失い、能面のようになっている。
「早くしろッ! 手当急げ!!」
意識が薄れていく中、誰かが叫んでいた。俺の耳には、とても遠くに感じられた。林さんがもみくちゃにされ、皆に抑え込まれているのが見えた。必死の手当も虚しく、数十分後、俺は大量出血で二度目の人生を終えた。子供は即死だった。