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主人公は濡れてない

 しばらく、見慣れない故郷を当てもなくフラフラと彷徨い歩いた。


 先ほど天空に現れた謎の宮殿。

その影は、今や遥々空の彼方へ飛び去って、雲間に紛れて微かに見える程度になっていた。

それでも、


【皆々様のぉ、善意でぇ】

【悪は一つ残らず、徹底的に排除しなければなりません……】

【……是非投票を!】


 など、時々耳障りな雑音が風に乗って聞こえてくる。真夏の油蝉よろしく、大量発生してはいつの間にか消えていく選挙カーを思い出し、俺はうんざりと顔を曇らせた。


 再び訪れたS市は、想像以上に様変わりしていた。

 年季の入ったマンションも、古びた日本家屋も、洒落たカフェすら見当たらない。まぁ元々、S市には洒落たカフェなんてものは、見当たらないのが当たり前ではあったが。


 代わりに、薄気味悪い毒幼虫みたいな建物が、等間隔でところ狭しと並んでいた。その下の地面には、赤黒い線がびっしりと敷き詰まっていて、その線の集合体が道路代わりになっていた。ピンクや黄色と言った毒幼虫や、毛細血管ような(くだ)が脈打っている。


 大小様々な毒幼虫(建物)の間を、泣き出しそうになりながら、恐る恐る進む。中天に浮かぶ太陽だけが、場違いなほどに熱く、眩しく光を放っていた。宮殿の影を探したが、今は何処にも見当たらなかった。清々しいまでの空の青と、地上に蔓延(はびこ)る毒々しい色の対比(コントラスト)に、俺は軽く目眩を覚えた。先ほどパンダや蕃茄がいた場所よりも、今現在立っているS市の成れの果ての方が、よっぽど()()()()()と俺は思った。


「ママァ〜……」

「ひっ……!?」


 その時だった。

 突然、隣の毒幼虫(建物)の中から「にゅっ!」と小さな顔が生えてきて、俺は文字通り飛び上がった。心臓が止まるかと思った。どうやら毒幼虫(建物)の中は、人々の居住区になっていたらしい。表面がどろどろとゼリー状になった毒幼虫(建物)の壁から、突如幼子の顔が突き出て来たのだ。


「な……!? な、なな……!!」

「ママァ〜……!」

「…………!?」

「ママァアア〜!……ご飯どこォ? めぐ、お腹空いたぁ……」


 おさげの、五歳くらいの可愛らしい女の子だった。不思議なことに、その額にはバーコードのような線が何本も入っていた。壁から生えた幼子(めぐ)は、やがて小さな両手も奥から突き出し、穴にハマったクマのプーさんみたいにばたばたさせた。俺はあまりの出来事に、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。


「ネ〜ェエ、ご飯まだあ?」

「コラ、めぐ!」

 すると、今度は子供よりさらに大きな二つの白い手が生えてきて、めぐの顔を引っ掴んだ。


「ダメよ、勝手に外に出ちゃ! 転生者(ロードスター)様たちが、お叱りになるわよ!」

「でもぉ、めぐ、お腹空いたんだもん……」

「さっき朝ごはん食べたばかりでしょ! 私たちは、転生者様たちの、大切なヨウジンなんだから……勝手にインキュベーターの中から出ちゃダメ! くれぐれも体調には気をつけなさい!」

「うん……」

「めぐもパパみたいに、ヨウジンになったら、理想郷(ユートピア)にお招きいただけますからね」

「ゆーとぴあ?」

「そうよ。転生者様たちがお作りになった、天国みたいな所。一切の悪がない、”ゆるふわスローライフ”な理想郷(ユートピア)よ」

「ゆる、ふあ……?」

「よしよし。めぐも早くヨウジンになって、理想郷(ユートピア)でお腹いっぱい美味しいもの食べさせてもらいましょうね」

「……うん、分かった。めぐ、早くヨウジンになる!」


 それから大人の女性の手は、めぐを毒幼虫(建物)の中に引っ張り込んだ。それからは親子の会話も、何も聞こえなくなった。後に残った俺の耳に聞こえて来たのは、ドクン……ドクン……と脈打つ大地の鼓動だけだった。


 転生者様。理想郷。

 ヨウジン……要人?

 インキュベーターってなんだ……??


 ついさっき飛び込んで来た耳新しい言葉が、俺の頭の中をぐるぐると駆け巡った。

「なんだってんだよ……!?」

 気がつくと、息が荒くなっていた。どうにも嫌な予感がする。父さんや母さん、(あゆむ)……それに友人は果たしてまだ無事なのだろうか。目の前で、赤黒く鈍い光を放ちながら、毒幼虫が脈打っていた。いつのまにかじっとりと……暑さだけが原因ではない……嫌な感覚の汗が頬を伝った。俺は背筋に薄ら寒いものを感じて、転がるようにしてその場を後にした。


□□□


「そこのお前!」


 さらに不快な景色の中を、数十分歩いた頃だっただろうか。

今度は頭上からだった。突然降って来た鋭い声に、俺は思わず身をすくめた。

毒幼虫の天辺に、誰かが登っている。

顔を上げ、逆光の中で蠢く人影に必死で目を凝らす。二、三……合計五人。複数の影が、毒幼虫の上から俺を見下ろしていた。見るからに巨大な体躯で、その手には槍を持ち、股の間から生えた尻尾を鞭のように空中でしならせていた。

 

 蜥兵(せきへい)だ。

 

 俺は慌てて周囲を見渡した。気がつかないうちに、複数の兵士に囲まれてしまっていた。蜥兵の持つ、槍の鋭利な先端を見て、俺は息を詰まらせた。他の緑とは違い、一人赤色の鱗をした、一際大きな蜥兵が叫んだ。


「誰の許可を得て培養器(インキュベーター)の外に出ている!」

 何やら蜥兵が、毒幼虫(建物)の群れを指差して怒鳴っている。それで俺は、インキュベーターは培養器(毒幼虫)のことだと知った。

「バーコードを見せろ!」

「隊長、おかしいですよ。コイツ、バーコードが付いていません……」

 蜥兵たちが、その爬虫類特有の鋭い目つきで方々から俺を睨んだ。俺は急激に喉がカラカラになり、膝から下がガクガクと震えるのを感じた。


「何? 不良品(できそこない)にしちゃ、まだ十分()()()()()じゃないか」

「コイツ、もしかして噂のレジスタンスの一員なんじゃ……」

 俺は生唾を飲み込んだ。

「オイオイオイオイ! さっきから黙って聞いてりゃアよぉッ!」

「人のこと指差して()()()()()だとか()()()だとか、俺は売り物じゃねえよ! 人間だっての!」

「てめェらこそ、胡散くせえ鱗にクソだせぇ尻尾なんかァ生やしやがって! コスプレ変態野郎共が、一体全体俺に何の用だ!?」

 ……なんて啖呵を切れるほどの勇気は、もちろんない。実際の俺は、口の端から小さく泡を飛ばし、その場でへなへなと座り込んだだけであった。


「ひっ捕らえて、尋問しろ」

 赤い蜥兵が吐き捨てるように言った。

「場合によっては四肢を捥ぎ、栄養になる部分だけ養人(ようじん)保管庫にぶち込んでおけ」

了解(ラジャー)


 蜥兵たちが一斉に俺に向けて槍を構えた。その切っ先が陽の光を浴びてギラリ! と光る。俺は呻き声を上げた。何が了解(ラジャー)だ。こちらとしては、そんな命に関わる物騒なことを、テイクアウトの注文でも受けるみたいに気軽に「了解(ラジャー)」してもらっては困る。

 蜥兵たちが甲高い鳴き声を上げ、次々に毒幼虫の天辺から飛び降りて来た。頭に一気に血が駆け巡った。かと言って、腰から下が言うことを聞かない。逃げようにも、迫り来る恐怖(槍の先)に目は釘付けになり、体は麻痺したかのように小刻みに震え、痺れていた。瞬間、俺は人生で二度目の死を悟った。

 

 ……嫌だ。死にたくない。


 奥歯がカチカチと鳴った。

 折角『通行料』を二度も払って、やっと戻って来た世界だってのに、これじゃあまた()()()()じゃないか。

まだ家族の安否ですら確かめていないのに。

()()が【名前】だったとして、()()の通行料が何だったのかすら分かっていない。


 死ぬ。


 死ぬ……また、何も出来ないまま俺は死ぬのか? 

結局、生まれ変わってもこれが現実だ。

他所からやって来た、才能溢れる転生者(主人公)様だとか、化け物(チート)じみた蜥兵の前では、村人A(一般人の権化)みたいな俺は結局、何もできなかった。やっぱり持たざる弱者は、持っている強い者に、ただ為す術もなく蹂躙され……

「……グエェッ!?」

 突然、俺の目の前に迫っていた蜥兵の一人が、何かに足を取られたかのようにすっ転んで()()()()した。それが合図だったかのように、他の蜥兵たちも次々に崩れ落ちていった。

「な……!?」

「何が起きてる!? どうした!?」

「敵襲ッ! 隊長、敵襲です! 例の()()()()()()です!」 

 蜥兵の一人が俺の斜め後ろを指差しながら叫んだ。緑の鱗に覆われたその足には、弓道で使われるような、一本の矢が突き刺さっていた。


「撃て、撃ち返せッ! 原型は残さんでもいい! 奴らを串刺しにして、殲滅しろッ!!」

 赤い蜥兵が言い終わるか終わらないかのうちに、兵隊たちは背中に担いでいた筒状のものを構え、俺の斜め後ろに向けて一斉射撃した。恐らく銃のような代物だろう。だが雨のように降り注いだはずの弾は、何故か途中で軌道を変え、晴れ渡る空へと向かって飛んで行った。一人の蜥兵が泣きそうな顔で叫んだ。


「ダメです! 奴ら理想郷(ユートピア)から、我々の重力反転技術を……!」

「隊長、向こうの数が多すぎます!」

「こちらが劣勢です。一旦引かなければ……」

「ええぃ、下等な不良品共が……!」

 大柄な赤い蜥兵は、顔から火が吹き出そうなほどに怒りを爆発させていたが、部下たちに引きづられるようにして毒幼虫(建物)の影に消えて行った。


 その間、俺はへたり込んだまま、呆然と成り行きを見守るしかなかった。後ろから、蜥兵たちを追い払った者たちの歓声が聞こえて来た。


 助かった? 

 ……助けられたのだろうか?

 誰に?

 一体何故?


 何も考えられない。頭はまだ、寸前にあった死の恐怖に囚われて、真っ白なままだった。気がつくと、ズボンに情けないシミが出来ていた。口から乾いた笑いが漏れた。別に、こんなものどうってことない。その温もりが今は愛おしくさえある。とにかく、生き延びたのだ。本当に死ぬかと思った。生きているって素晴らしい。あのまま無理して失禁を我慢して、膀胱を破裂させて潔く死ぬくらいなら、俺は多少ズボンを濡らしてでも生きる方を選ぶ。

 

「大丈夫?」

 不意に後ろから声をかけられ、悟り切った笑みを浮かべていた俺は、我に返った。

「あれ? あなた……」

 振り返ると、そこに同い年くらいの少女が立っていた。俺は目を見開いた。

「進くん……?」

「……こころ!」


 そこにいたのは、姪浜心だった。かつての幼馴染が、両手に大きな弓を構えてそこに立っていた。その後ろには、少し背の伸びたあの指宿流水の姿も見えた。


「進くん、無事だったの!?」

「心! お前こそ……!」


 心の表情に、俺は思わず涙腺が緩んだ。心は感極まって俺に抱きつこうとし……俺のズボンをビショビショに濡らすシミをちらりと見て……それ以上、俺に近づくのをやめた。代わりに俺の鼻を、独特のアンモニア臭が襲った。

 

 ……前言撤回だ。俺は俺の膀胱を憎んだ。


 急に死にたくなった俺は、だけどどうにか九死に一生を得て、そこで初めて、生存者たちが結成した『対抗勢力(レジスタンス)』と出会ったのだった。

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