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主人公は諦めない

 それからしばらくして、ようやく俺は”向こう岸”に辿り着いた。時間にしたら約三十分程度、だろうか。道中、川幅四〇〇キロもあると脅されたが、元いた世界とは時間の進み具合が違うのか、案外あっという間に着いた感じだった。最もそれは、俺が緊張していたせいかもしれない。


 それよりも問題なのは……辿り着いたはずの”向こう岸”が、全く代わり映えしない景色なことだった。


 ゆらゆらと揺れ動く木造の船から降りて、ようやく固い地面の上に降り立ったと言うのに、やはり辺りは真っ暗闇のままだった。とても元いた世界とは思えない。崩壊していたはずの街並みも、闊歩していた蜥兵たちの姿も見当たらない。相変わらず自分の足元さえ覚束ない、墨をこぼしたような黒い世界が、俺を包んでいた。


「……オイ。本当にここであってるのか?」


 俺は黄色い灯火のそばにいる、河童もどきを振り返った。

 赤い珍獣……蕃茄(ばんか)は目を細めながら、しばらく何も言わなかった。


「……オイってば!」

「アンタさァ……」


 嗄れた声が闇の中で響く。蕃茄の表情が、妖しげに揺らめいた。


「……んだよ?」

「本当に、あの白黒(パンダ)野郎を信じてるのかい?」

 蕃茄が鋭い目つきで、ジッと俺の瞳を見つめてきた。俺は思わずたじろいだ。


「アイツに騙されてるって思わないか?」

「何……?」

「だってそうだろう。『通行料』を払って、元いた世界に戻る? 初めてやってきた世界なのに、何でそれが本当だって分かるんだ? 嘘かもしれないじゃねェか。それなのに、よくおいそれと信じられるもんだナァ」

「それは……」


 その通りだった。俺は()()でくっついたばかりの(こうべ)を垂れた。


「アンタを騙くらかして、アンタから『通行料』とやらを奪ってるだけかもしれねェぜ? 本当はどこにも”渡す”気なんてねえとしたら? 悪いこた言わねえ。今からでも、思い直す気はねえか?」

「お前は、何か知ってるのか?」

 パンダについて。

「そりゃあアンタよりもナァ! アンタも見ただろ? あの動物の数!」

 蕃茄は嬉しそうに声を張り上げた。


「分かってんのかァ? ありゃあ全部、()()()なんだぜェ? 可哀想に、折角『通行料』を差し出したのに、自分の世界を救えずにサァ! 負けて帰ってきたんだよ。そんで結局、あんな堅っ苦しい社の中に閉じ込められて。アンタも()()なりたくなかったら……」

「いや待てよ。そんじゃ結局、『元いた世界に戻る』って話、嘘じゃないじゃん」

「ァ……」


 蕃茄がぽかんと口を開き、慌ててヒレのある両手をバタバタさせた。俺は思わず吹き出した。この河童もどき、かなりそそっかしい奴っぽかった。蕃茄が舌打ちした。


「ッとに、いいのかァ!? 白黒(パンダ)野郎の口車に乗せられて、『大事なもん』取られてヨォ! それで上手く行くって保証もないんだゼ!?」

「……まぁでも、何もしなかったよりマシだろ」

 戦わなかったよりは。ちょっと自分に言い聞かせるように呟いた。


「……もっと悪いことになるかもしれないゾォ!? 世界を救うつもりが、下手にいじくり回したせいで、もっと悪い方向に……」

「……もしかしたら、お前もそうなのか?」

「……エ?」

「いや、その……蕃茄も昔、自分の世界を救いに行ったのか? それでその」


 俺は顔を上げた。


「……姿に」

「……お前、今俺の()を見ただろ?」

「見てねェよ」

「嘘つけ。見ただろ?」

「見てねェって」

「……いいか!? これは()なんだよ! こりゃア()()()こうなんだよ!!」

「わかった、わかった」


 蕃茄がブルブルと嘴を尖らせた。どうやら結構気にしていたらしい。身の危険を感じて、俺は後ずさった。


「だったら、なおさら良かったよ」

「アァン!?」

「いや、あの……」

 頭の()のことは、ひとまず置いておくとして。

「……蕃茄は、世界を救いに行ったんじゃなかったんだとしたら、さ」

「は? 何が言いてぇんだ?」

「だってさ……」

 蕃茄が俺を睨んでいた。


「誰も助けなくて良かったんなら、アンタの世界は平和だったってことだろ? だったらそれが一番じゃないか」


 俺の声は、若干震えていた。

 自分がこれからどこに向かうのか、どんな目に遭うのか。それを思うと、わざわざ世界なんて救いに行かなくて済むのが何よりだと、心底思った。


 蕃茄が黙って船から降りた。暗闇に溶かすその人間離れした身体が、後ろで燃える黄色い灯に照らされて、不気味に揺れ動いた。俺はさらに一歩後ずさった。


「……いや、その」

「…………」

「あの……え?」

「……一片殴らせろ。それで今回は勘弁してやラァ」

「はい?」

「皿の件だ」

「あぁ……」


 蕃茄が振り返り、(オール)を両手で握りしめた。


「……え? それで殴るの?」

「ダメかァ?」

 蕃茄がニヤリと嗤った。(オール)は思ったより長くて、俺の身長くらいある。高々と掲げられた木製の鈍器に、思わずゴクリと唾を飲み込んだ。ダメというより……無事にすむのだろうか? こんな状況で、無事と言うのも変な話だが。


「う……」

「覚悟しやがれェェッ!! このド腐れがァァアッ!!」

「うわああああああっ!?」


 およそ勇者(ヒーロー)にかけるとは思えない、口汚い言葉で罵られながら、俺は(オール)の先端でしこたま頭をぶん殴られた。そこで記憶が途切れた。


 そして次に目が覚めた時、俺は大の字になって寝っ転がり、青い空を見上げていた。  


□□□


「ここは……」


 ……どこだろうか?


 俺はゆっくりと上半身を起こし、辺りを見渡し目を細めた。真上に昇っている太陽が眩しい。さっきまで暗闇にいたせいか、余計そう感じられた。時々さらさらと風が吹き、目新しい草木の匂いが鼻をくすぐる。俺は思わず感極まって息を飲んだ。あの黒い世界は何だったのだろうか? 本当に、夢でも見てたみたいだ。だったら酷い悪夢だ。首元をさする。千切れてはいなかった。


 その瞬間、頭にカアッと血が昇るのを感じた。もしかして、最初から千切れてなどいなかったのかもしれない。そう思うと、胸の奥から何かがこみ上げてきて止まらなかった。まるで()()()()()()()かのように、別世界に来たかのように感じられた。 


 これで元の世界に、帰って来たのだ。


 俺は、どこかの雑草林のような場所で横になっていた。見知らぬ場所だった。それから慌てて俺は自分の体を調べた。もしかしたら蹄が生えているとか、尻尾や耳が長くなっているとか、何が『通行料』になっているか、確かめたかったのだ。


 ……ジロジロと眺め回したが、どこも変わっている箇所はない。恐る恐る立ち上がり、それからフラフラと街道へと歩を進めた。数分歩くだけで、汗が滴り落ちる。久しぶりの日差しがヒリヒリと暑かった。それでも、外部からの刺激が、自分の輪郭を取り戻したみたいで悪い気はしなかった。



 だがその感動も長続きしなかった。数分歩いただけで、俺は様変わりしてしまった街の様子に、愕然とすることになる。



 街に出た。目が覚める前に見た、崩壊した建物。

 それらは全て、嘘みたいに綺麗さっぱり片付けられていた。代わりに地面から()()()()()のは、何だか『お菓子の家』を思い出す、ピンクや黄色といった、毒々しい色合いの建造物であった。カラフルな建造物は、まるで脈があるみたいにドクン……ドクン……と時々小刻みに震えた。

 生き物のような、建物。

 近づいたら、何だか急に口を開けてペロリと食べられるんじゃないかと言う恐怖に駆られて、俺は思わず建物から距離を取った。


 二階建ての家ほどの大きさの、刺激的な色のブロックは、数キロ先までズラッと立ち並んでいた。

 

 不意に、影ができた。


 ちょうど太陽が雲に隠れるかのように、上から何か大きなものが迫っているような感じがした。俺は視線を上に向けた。


「何だ、こりゃ……!?」

 俺は愕然とした。


 そこに浮いていたのは、巨大な宮殿だった。

 俺が目覚める前……暗い霧の中で垣間見た、あの空飛ぶ宮殿。

 

 街を半分は覆ってしまいそうな、未確認飛行物体から、


【みなさん!】

「……ッ!」


 急に空から大きな声が降ってきて、俺はビクッと体を跳ねさせた。どうやら宮殿から、スピーカーのようなもので放送しているらしい。場違いなほど大きく拡声された声が、鼓膜を震えさせ骨まで痺れさせた。


【理想郷にお住いのみなさん、おはようございます!】

【今日も元気に、明るく楽しい”ゆるふわスローライフ”を満喫しましょう!】

 声の主は、クラウンに違いない。あまりの雑音に、俺は顔をしかめた。

【もしぃ、それでもぉ】

【理想郷にふさわしくないなぁって人がいたらぁ、みなさんでぜひ”投票”してください!】


【こいつは悪だと思ったら!】

【こいつは気に食わないと感じたら!】

【こいつは嫌な奴だと思ったら!】


 陰影、雑音(ノイズ)、入道雲。


【そんな奴は、この理想郷にはふさわしくない! ぜひ皆さんの正義で、にっくきその追放者を指差してくださいねぇぇぇえ!】


 建物の下部に取り付けられた、大量のモニターに、クラウンのにっこりとした笑顔がアップで映し出された。俺は急激に吐き気を催した。


【直ちに蜥兵(せきへい)が駆けつけます! 兵士たちは二十四時間体制で街を警備し、みなさんの安全を守っています】

【みなさんの善意で、僕らだけの理想郷を、作り上げましょう!!】 


 空飛ぶ宮殿はゆっくりと上空を漂い、俺が目覚めた川沿いの方へと流れていった。

 巨大な影が端から端まで通過するまで、実に数十分はかかった。


「何だよ……?」


 いつの間にか、歯がガチガチと鳴っていた。日差しが再び差し込んできても、寒気が止まらなかった。両の手で腕を抱き、必死で震える体を押さえつけた。


「何だよこれ……!?」


 俺は悪夢から覚めた訳ではなかった。


 悪夢はまだ、これから始まったばかりだったのだ。

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