姉は妹に愛されたい
あなたは誰かを好きになったとき、どうやってそれが恋愛感情によるものだと認識しているだろうか。
そばにいるだけで胸がドキドキする? 心があったかくなる? 相手に触れたくなる? 抱き締めたくなる? キスしたくなる?
人によっては初めて見たときに直感で好きだと思うこともあるだろうし、相手の性格や人となりを知るにつれてふと好きだと気付く人もいるだろう。
恋愛に分かりやすい公式や法則なんてものはなく、何が正しくて何が間違っているのかは誰にも分からない。
だから悩む。芽生えた感情が友愛なのか親愛なのか恋愛なのか。
最終的にそれを決定するのは自分自身だ。勘違いだろうと思い過ごしだろうと自分がこうだと決めたことがその感情になる。
では果たして、私は妹の絢葉のことをどう思っているのだろうか。
好きなのは当たり前だ。可愛くて人懐っこくて姉想いな絢葉をなぜ嫌う必要があるのか。美味しそうなお菓子が新発売されていたら必ず私の分を買ってきてくれるし、親に言いづらいことは私が相談に乗るくらいには信頼し合って過ごしてきた。
でもそれはただの姉妹愛であって恋愛感情ではないのではないか。
そう思った私は実験をしてみることにした。
まず、絢葉の顔をじっと見つめてみた。つい好きな人を目で追ってしまう、というのはよくあることだからだ。
じーーーーー。
「ん? どうかしたの?」
「なんでもない。気にしないで」
「気にしないでってそんなに見られたら気になるよ~」
「本当になんでもないから」
「…………いや絶対なにかあるでしょー。私の顔に何かついてるの?」
「ついてないついてない。ほら、気にせずテレビ観てて」
「気になって集中できないよ~」
結果はあまりよく分からなかった。むしろ絢葉の邪魔をして申し訳なかったと思った。
次に私は絢葉に触れてみることにした。
「ねぇ絢葉」
「なぁに?」
「手、握ってもいい?」
「手? 今度はなに? 手相とか見るの?」
「うぅん、握るだけ」
「? よくわかんないけど、はい」
「ありがと」
差し出された絢葉の手を握る。私の手より小さくて柔らかくてあったかい。感触を確かめる為ににぎにぎと揉んでみたり絢葉の指を摘まんでみたりした。
「もー、そっちが気になってテレビ観れないんだって!」
怒られた。
仕方ないので次の行動に移ることにした。
絢葉がお風呂に入ってしばらくしてから、私は隣のトイレに潜んだ。浴室から聞こえてくる音に耳をすませる。ざば、しゃああ、きゅっ……水音が止まり、カチャ、と浴室のドアが開く音が聞こえてくるや否や私はトイレから出て、脱衣所に入り込んだ。
「わっ――おねえちゃんか……」
髪から滴をしたたらせた絢葉が一糸纏わぬ姿でバスタオルを手に私を見返してくる。
俗に言うラッキースケベというやつだ。狙ってやっているのでラッキーではないのだがそれはともかく、古来よりこういったアクシデントがきっかけで相手を意識するようになるのは珍しいことでない。上級者になるとここから『ご、ごめん!』と慌てたあげくに足を滑らせて相手に倒れ込み、胸等を揉むまでやってのけるらしいのだがさすがにそこまではしない。
ただ絢葉をまじまじと見る。濡れた髪、湯気を上らせている肩、タオルの横から覗く小さな胸、すらっとした太もも、足先に至るまでをあますところなく観察する。
「おねえちゃん、お風呂入るならもうちょっと待って。今拭くから」
「うん」
「……おねえちゃん、そこにいられると拭きにくいんだけど」
「え、あぁ、ごめん」
追い出された。
部屋に戻り今見た光景を思い出しながら考える。私はドキドキしただろうか。
……自分の胸に手を当ててみたがとくに変わりはないようだ。顔色にも変化はない。
もう少し実感できる形で絢葉への好意が恋愛感情だと分かると思ったのだが。
落胆と共に結論を出す。やっぱりこれはただの家族に対する親愛だったのかもしれない。そのうちこんな感情も忘れて普通に恋をするようになるのだろう。絢葉にだって彼氏がいたとしてもおかしくないのだし――。
絢葉に、彼氏……?
今まで考えたことがなかったその想像は、急激に私の胸を締め付けた。
嫌だ。認めたくない。私の脳が明確な負の感情を送り付けてくる。
もしも絢葉に彼氏を紹介されたら――その場面を思い浮かべただけで地面が崩れ落ちるような感覚に囚われる。
きっとお父さん以上にショックを受けて立ち直れなくなるだろうことを思い知り、私はようやく理解した。
絢葉のことを本当に女の子として好きなのだと。
「おねえちゃーん? お風呂もう入っていいよー?」
私の部屋にひょっこりと絢葉が顔を出してきた。頭にはバスタオルが巻かれている。
「わかった」
返事をした後、立ち去ろうとした絢葉を呼び止める。
「絢葉」
「はい?」
「彼氏っていたりするの?」
「彼氏ぃ!? 私が!?」
「うん。いてもおかしくないでしょう?」
「ないない! いないよ!」
「好きな子とか」
「それもいないって! もういいから早くお風呂入ってきたら?」
絢葉は顔を引っ込めて自分の部屋へ戻っていった。
遠ざかる足音を聞きながら私は小さくガッツポーズをした。絢葉に好きな人がいないのなら私にもまだチャンスはある。絢葉が誰かを好きになる前に、私のことを好きにさせてしまうのだ。そうすれば晴れて私達は恋人になれる。
お風呂へ向かいながら私は今後の作戦を練り始めた。
◆ ◆
おねえちゃんがおかしい。
急に私のことを見つめてきたかと思うと手を握ってくるし、私の裸を上から下まで見回すし、あげくの果てに『好きな子』まで聞いてくるとは。
もしかして、と私は不安になる。
私の気持ちに気付いたんじゃないだろうか。
いやまさか。どこからどう見ても姉を慕う妹を完璧に演じきってきた。おねえちゃんにバレるようなことはありえないはず。
どれだけ胸がドキドキしても笑ってごまかしてきたし、顔に出そうになったらすぐに離れて気付かれないようにした。
じゃあなんでおねえちゃんはあんなことをしてきたんだろう。
一番嬉しいのはおねえちゃんが私を好きになってくれた、だけどまさかそんなわけはない。いつも冷静で大人びているおねえちゃんはたまに思いつきで実験のようなことをすることがある。きっと今回もその延長のようなものだと思う。
でももし『好きな子』を聞かれたときに『おねえちゃん』と答えていたらなんて反応したのかは気になる。まぁ顔が赤くなりそうだったから逃げちゃったんだけど。
どうせ明日になったらまたいつも通りのおねえちゃんに戻っている。私もいつも通りの妹に戻る。それでいい。私は妹としておねえちゃんの近くにいられればそれでいいから。
…………。
翌日、おねえちゃんの奇行は止むどころかむしろエスカレートしていた。
まず家にいるとき距離が近い。
リビングにいるときもご飯のときも洗面所で歯を磨いているときも、気付いたらおねえちゃんがそばに寄ってきている。座っているときなんかくっつきすぎて太ももや肩が当たっていた。
「おねえちゃん、こっち来過ぎてない?」と私が聞くと、「あぁごめん。ちょっと眠かったから」と答えるだけで離れようとしない。
いやもう私はおねえちゃんを意識しないようにするのに精一杯だった。体温が伝わってくるくらい触れ合ってドキドキしないわけがない。けどここで私が変な態度を取っておねえちゃんに感づかれても困る。
だから私は「しょうがないなぁ。肩くらいだったら貸してあげる」となんでもない風に装って笑ってみせた。まぁ触れ合う面積が増えて余計にドキドキすることになるんだけどそれはそれ。仲の良い姉妹のスタンスは崩さずに応対できたと思う。
部屋に戻って一息ついたのも束の間。おねえちゃんが訪ねてきた。
「英和辞書貸してもらっていい? 忘れちゃったみたいで」
「うんいい――よ!?」
おねえちゃんの格好を見て度肝を抜かれた。
下着。下着姿。上はブラジャー下はショーツってな~んだ? とナゾナゾをやっている場合じゃない。下着しか身につけていないのだ。
上下はセットなのかどちらも白色で細かい刺繍がほどこされている。
「ど、どうしたの?」
私が聞くとおねえちゃんは自分の体を見下ろして「あぁ」と声をあげた。
「パジャマに着替えようと思って」
「……そ、そう」
パジャマに着替えるのに何故シャツを脱いだのか。そのまま上から着ればいいんじゃないのか。そもそも着替える途中でなんで私の部屋に来たのか。
疑問はたくさんあったがあまりにおねえちゃんが堂々としていたので質問することは出来なかった。
「……はい。英和辞書」
「ありがとう。また返しにくるね」
「そのときはパジャマ着てよ。風邪ひいちゃうよ」
「うん、わかってる」
おねえちゃんが部屋を出ていってから私はベッドに背中から倒れ込んだ。
白い下着が目に焼き付いて離れない。
一コ違いの姉妹なのでお互いの裸くらいは何回も見たことがあるし、お風呂上がりの姿もドキっとはするがまだ耐えられる程度には慣れている。でも下着姿はダメだった。何故下着というのはあんなにえっちぃのだろう。胸部や局部を守る為の布のはずなのに身につけるだけで途端に色っぽくなる。わずかに出来た谷間や三角形のラインなんかは本当にいやらしい。
それに比べて私は……。自分の胸に手を当てて溜息を吐く。せめておねえちゃんの半分くらいは胸があればよかったのに。
そうして再びブラジャーに包まれたおねえちゃんの胸を思い出し、ひとりでベッドの上をごろごろと転がった。
◆ ◆
絢葉に私を好きになってもらう為に素晴らしいヒントを得た。
『ボディタッチで相手をオトせ』
テレビで水商売のお姉さんが話をしていたのだが、曰く。相手の固まった心を解きほぐすにはボディタッチが非常に効果的らしい。
身体の一部に触るという行為は普通は赤の他人にはしない。家族、もしくは本当に仲の良い友達でないと気軽に触ったりしないだろう。触るにしても頻度はそう多くない。
その非日常的行為をなんの前触れもなく行うことで、警戒される前に心をこじ開けてしまうのだ。
簡単に言うと、『え? なんかめっちゃ触ってくるけどもしかして私に気があるの? そんなことされたら好きになっちゃう!』だ。
多数の客を相手にしてきた人の持論だけあってかなり信憑性があるものと思っていたのだが、絢葉は私にドキドキするどころか余裕綽々と受け流してみせた。
これではダメだと思った私は更にお姉さんの言葉を思い出した。
『触るときはなるべく肌を見せた方がいい。谷間はむしろ見せつけろ』
そうか。肉体的接触に加えて視覚からもアプローチすることで相手の心を完璧に捕まえるわけだ。
しかし肌を見せてかつ谷間を見せられるような服を持っていない。そもそも谷間を意図的に作ったこともない。じゃあどうすれば見せられるか。
私に天啓が走った。そうだ、下着姿でいいじゃないか、と。
可能な限り肌を露出させ、しかもブラをきつめに閉めれば谷間も作れて一石二鳥。
これで絢葉は私の魅力にメロメロになるに違いない。そう確信して適当な理由をでっちあげて絢葉の部屋に乗り込んだのだが――。
注意された。風邪をひくよって。
なるほど。それは盲点だった。常識に照らし合わせてみれば私の行動は確かにおかしかった。
反省はしっかりとする。そうでなければ次に活かすことはできない。
そこで私は考えた。つまるところこれらのアプローチの目的は絢葉に私への好意を芽生えさせることだ。家族愛以上の好きを生み出す為に何をするべきか。
そう。絢葉の脳に私を好きだと思い込ませるのだ。
オキシトシン、という脳内分泌ホルモンを聞いたことはあるだろうか。通称『愛情ホルモン』や『幸せホルモン』とも呼ばれるそれは、分泌されることで幸せを実感し、相手への愛を感じるという。
このオキシトシンを分泌させる方法としてはスキンシップが有効なのだが、とりわけ抱擁が有効なのだという。キスや性行為も効果はあるが、それは恋人にならないと難しいので考えないものとする。
さっそく私は実践することにした。
朝。起床した私はそのまま絢葉の部屋へ直行した。
部屋ではちょうど絢葉が着替えているところだった。入ってきた私を見て絢葉が目を丸くしたが、私は気にせずに声をかける。
「おはよう、絢葉」
そして固まっていた絢葉を両腕でぎゅっと抱き締めた。心の中で三秒数えてから体を離す。別に秒数に決まりはないが、三秒ルールと同じでそれくらい経たないと効果はないのではと考えたからだ。
抱擁後はすみやかに部屋をあとにする。必要なのはオキシトシンであってその他のことはどうでもいい。
この行為によって分泌されたオキシトシンを仮に1オキシトシンとする。
私を好きだと認識させるには何オキシトシン必要だろうか。100くらいはあった方がいいかもしれない。しかし一日に抱擁できる回数はそこまで多くできない。学校では抱擁できないし家でもやりすぎたら不審に思われるだろう。いけて一日に3オキシトシンくらいか。これは長い道程になりそうだ。
私はどのタイミングでなら抱擁が可能そうかを細かくシミュレートしながら制服に袖を通した。
◆ ◆
うぇぇぇぇぇええっ!?
おねえちゃんが抱き締めてくるんですけど!? しかも何も言わずに無表情でいきなり抱き締めにくるからちょっと怖い。
朝いきなり部屋に来て抱き締められてまったく意味がわからなかったんだけど、それが家にいるときも私がひとりになったタイミングで事あるごとに抱き締められてさらに意味がわからなくなった。
抱き締められる時間はいつも数秒だけ。それが終わるとおねえちゃんは何も言わずに去っていく。
何が目的なんだろう。おねちゃんがハグをする理由……ハグしたいから? だったらもっと長い間抱き締めるだろうし、ずっとだんまりなのもおかしい。
朝起きて一回。夕方帰宅して一回。お風呂の前後で一・二回。寝る前に一回。だいたい一日に四回か五回、ハグをされる。
それが三日も続いたころには私もハグをされるのに慣れ、あぁ来そうだな、と思ったときには体を小さくして待つようになった。抱き締められている間は私は顔を俯かせたまま身動きひとつしない。だって顔を見られたら真っ赤になっているのがバレるじゃないか。これだけ何度もおねえちゃんに抱き締められて嬉しいやら恥ずかしいやらで平静を保ってなんかいられない。私の背中に回った腕も、おねえちゃんの体から伝わってくる体温も、私の心を乱すには十分すぎる。
困惑とドキドキを抱えたままさらに数日過ぎたころ、ぎゅっと私を抱き締めたままおねえちゃんが呟いた。
「オキシトシン出てる?」
「おき……なに?」
「いや、なんでもない」
いつも通り数秒で離れていくおねえちゃんが小さく「おかしいなぁ」と呟くのが聞こえてきた。おかしいのはおねえちゃんの方だ。
ハグはそれ以降も続いたけどおねえちゃんが何かを話しかけてくることはなかった。
◆ ◆
抱擁は本当に効果があるのだろうか。私は疑心暗鬼になっていた。
100オキシトシンにはまだ遠いが三分の一は超えた。なのに絢葉の態度には変化がまったく見られない。まさかある一定の基準値を満たさないと効果は出ないとでもいうのか。
そんなわけはない。普通は徐々に効果が現れその心境の変化に絢葉がいつか気付く、という流れのはずだ。
もしかしたら体質的に絢葉の脳にはオキシトシンはあまり作用しないのかもしれない。とりあえず抱擁に関しては引き続き継続して様子を見るとして、新たな策を講じなければ。
オキシトシンが効かないのなら別の角度から脳に影響を与えていくべきだろう。
――催眠術しかない。私は結論づけた。
催眠術とは相手を深い眠り(催眠状態)にさせて忘れていた記憶や深層心理を明らかにしたり、逆に深層心理を埋め込むことで自信をつけさせたり心を癒したりすることが出来る、らしい。
つまり絢葉に催眠術を掛けることによってオキシトシンの効果が出ているのかを確かめることが出来てかつ、私への恋愛感情を埋め込むことも出来るというわけだ。
私は学校の帰りに催眠術に関する本を買ってから読み込んだ。
しかし内容を読み進めるうちに不安が湧きあがってきた。まず催眠術に掛けるためには絢葉自身の資質が重要になってくる。空想が好きで思い込みが激しく人の言葉に影響を受けやすい人ほど催眠術に掛かりやすいとのことだが、絢葉には当てはまらないのではないか。絢葉がこういった類いのことを信じない性格であれば私の目論みはすべて水泡に帰してしまう。
うーん、と唸りながら隅々まで熟読しているとノックの音が聞こえてきた。「なに?」と声だけ返す。カチャ、とドアの開く音のあとに控えめな絢葉の声がした。
「おねえちゃん、今勉強中?」
振り向くとどことなくそわそわした様子の絢葉がいた。何か私に用でもあるのだろうか。
「勉強じゃ……いや、やっぱり勉強中かな」
「そう……」
今度は元気がないように見える。私は本を閉じて椅子を絢葉の方に向けた。
「どうかしたの? 私に用事?」
「用事っていうか、その、帰ってくるなり部屋にずっとこもりっぱなしだったから何してるのかなーって」
「あ、もしかして晩ごはん出来た?」
「いやそうじゃないけど……」
やっぱり絢葉の態度が少しおかしい。なんというかバンジージャンプの飛び込み台を前に躊躇している人のような。
「絢葉、少しヘンじゃない? 体調でも悪い?」
「た、体調はいいよ! むしろ良すぎるくらい!」
「本当? 無理はしないようにね」
「それは大丈夫、うん」
…………。
会話が終わっても絢葉は出て行こうとしなかった。体調が悪いのではないとすると何か相談事でもあるのかもしれない。
「私に話したいことでもある?」
「話したいことっていうか、えぇっと、さ、最近おねえちゃんって帰ってきてから決まったことやってたから、ど、どうかしたのかなと心配になったというか……」
「?」
私は首を傾げた。帰宅して何か決まったことをしていただろうか。
「――あ」
思い出した。オキシトシンを稼いでいない。
私はすぐさま絢葉に近寄ると抱き締めた。そして三秒たってから離すと絢葉が「じゃあ私戻るね」と部屋から出て行った。
危ない危ない。ノルマを忘れるところだった。思い出させてくれた絢葉に感謝をしなくては。
「ん?」
何かがおかしい気がする。違和感というかちぐはぐというか。
「そっか。いつもは私が離れていくのに今日は絢葉がいなくなったからだ」
疑問も解決したので私は再び催眠術の本を読み始めた。一刻も早く絢葉に催眠術を掛けて私を好きにさせなければ。
◆ ◆
謎はすべて解けた。これまでのおねえちゃんの奇怪な行動とその意味が。
確信を持てたのはおねえちゃんが買ってきた本だった。
おねえちゃんがリビングに行った隙にどんな本なのかを盗み見たんだけど、あれはつまり私に催眠術を掛けるつもりなんだろう。ご丁寧にも『相手の気持ちを確かめる方法』のところに附箋が貼ってあった。
それを見つけたときの私の心境たるや『ペロ……これは青酸カリ!?』ばりの衝撃だった。同時になんてまどろっこしいやりかたをしようとしていたのかと呆れてしまった。
さて、これからどうしようか。
私としては今すぐ問いただしてもいいのだけどそれじゃあ面白くない。というかこれまで私が驚かされてばかりだったんだから不公平だ。おねえちゃんもそれ相応のむくいを受けてもらわないと。
私は一計を案じることにした。
翌日の夜。リビングにいたおねえちゃんに話しかける。
「最近さ、クラスで催眠術っていうのがはやっててさ~」
ぴくりとおねえちゃんの眉が動いたのを見逃さなかった。
「ああいうのって実際やるとどんな感じなんだろ。私もやってみたいんだけど相手がいないんだよね~」
さすがに露骨過ぎたかもと心配する私に、おねえちゃんが至極真面目な顔を向けてきた。
「偶然ね。実は私のクラスでもはやってて、催眠術の本をちょっと前に運よく手に入れられたの。絢葉さえ良かったらやってみる?」
よし、かかった。私は見えないようにぐっと拳を握ってからおねえちゃんの部屋へと場所を移した。
ベッドに腰掛けた私の目の前で、おねえちゃんは本を片手にペンダントを左右に揺らし始める。どうでもいいけどそのペンダント昔おままごとで遊んでたときに使ってたおもちゃじゃないか。まだ持ってたんだ。
懐かしい気持ちになりかけて、おっといけないと気を取り直す。今は催眠術に集中しないと。
左右に振れるペンダントを目で追いながらおねえちゃんの声を聞く。
「……私がみっつ数えたらあなたは深い眠りに落ちてしまいます。いいですか? 3、2、1、ゼロ」
私は目をつむり、かくんと頭を下げた。当然眠ったわけじゃない。催眠術に掛かったフリをしているだけだ。
「え、本当に寝た? 絢葉? おーい、起きてる?」
おねえちゃんはもっと私を疑った方がいい。これもそうだけど私の普段の態度とか。
もしかしたら私を信頼してるからこそ目に見える部分の所までしか読み取ろうとしなかったのかもしれない。その辺は私にも反省すべき点がある。しかし反省は反省。大事なのは次をどう行動していくかだ。
「えー、こほん、今からあなたに質問をします。あなたはそれに嘘偽りなく答えてください。わかったら頷いて」
こくん、と頭を動かす。
「よろしい。では質問します。あなたは姉のことを女性として愛していますか?」
あまりにど真ん中ストレートすぎて吹き出しそうになってしまった。私が起きていたらとか微塵も考えていないからこそだろう。だってこんな質問私が覚えていたら言い逃れが出来なくなってしまうじゃないか。まぁ今から言い逃れさせないようにするんだけど。
私は目を瞑ったままもにょもにょと口を動かす。
「……質問に答える前に、あなたが妹のことをどう思っているかを教えなさい。そうすれば答えてあげます……」
「え?」
ページがめくれる音がする。多分予想外の反応だったので本を参照しているのだろう。だけどこんなイレギュラーへの対策なんて書いているわけがない。おねえちゃんも諦めたのか躊躇いがちに返答をしてきた。
「そ、そりゃあ好きよ」
「……それはひとりの女性として……?」
「も、もちろん!」
私はここで目を開けた。
「うん、私も好きだよ。おねえちゃんのこと、ひとりの女性として」
「――――!?」
驚愕の表情で私と本とを見比べる。
「いや、催眠術はもういいから……」
「だってきちんと終わらせないと精神に悪影響が出るかもって……!」
「最初から催眠術なんてかかってないから」
「……え?」
「掛かったフリをしてただけ。おねえちゃんから『好き』って言わせたかったから」
散々私を振り回してくれたのだからそのくらいのワガママは許して欲しい。なおも呆然としているおねえちゃんを見て、私はベッドの縁から立ち上がった。
「オキシトシンが何なのか、私調べてみたよ」
愛情ホルモン、オキシトシン。それが分泌されると人は愛情や幸福を感じるという。その為に効果的なのがハグと――。
「おねえちゃんにもオキシトシン出させてあげる」
ぽかんと佇むおねえちゃんの唇にキスをした。
数秒経ってから唇を離し、一呼吸おいてからもう一度キスをする。今度は十秒くらいキスをしていた。
「……どう? おねえちゃんもオキシトシン感じた?」
「わ、わからないよ。急に色んなことが起こり過ぎて」
「そう? じゃあちゃんとオキシトシンが出てるのを実感できるまで、私が手伝ってあげるね」
おねえちゃんに抱き着きながらまたキスをした。宣言どおり分かるまで何回でも何十回でもキスをしてあげよう。
なんて、ただ私がキスをしたいだけなんだけど。オキシトシンがどうのなんて知ったことじゃない。そんなホルモンが出ていようがいなかろうが、私がおねえちゃんを好きな気持ちは変わらないのだから。
それを思い知らせる為にも、おねえちゃんがギブアップするまでキスをし続けることを決めた。
どんな思わせ振りな態度よりも、愛を語る言葉よりも、この行為が一番気持ちを伝えられると信じて。
◆ ◆
紆余曲折あれど、無事に私は絢葉から愛されることに成功したわけだ。
しかしこれで終わりではない。恋人になったからこそ私達の愛を不滅とする為に絶えず燃料を与えていくべきではないだろうか。
「ということで一日のノルマを10オキシトシンにしようか」
「10ってなに!? 1オキシトシンがどのくらいか知らないんだけど」
「一回の抱擁で1オキシトシン。……でもキスと抱擁が同価値ってことはないだろうし、キスなら3オキシトシンくらい?」
「キスで3なら10なんかあっと言う間だよ。四回で終わっちゃうよ?」
「確かに……じゃあ20、いや30」
「そんなノルマ決めるよりももっと簡単な方法教えてあげる」
「え? そんなのあるの?」
「キスしたいって思った回数だけキスをする、でどう?」
「そんな――んんっ」
言葉が絢葉の唇で遮られた。なんとか引きはがして続きを言う。
「曖昧な目標設定だと後々――んむぅっ」
また絢葉が私の口を塞ぐ。観念して絢葉の気の済むまでキスに付き合ってあげることにした。
唇を付けては離し、付けては離すを繰り返す。とうに十回は超えただろうか。息を弾ませながら絢葉が笑った。
「ほら、ノルマなんかあっと言う間でしょ? 私がそんなこと考えさせないくらい、い~っぱいキスしてあげるから」
「……絢葉ってそんな性格だったっけ?」
最初からこんなにラブラブオーラ全開だったなら私が色々と策を講じなくても良かったのに、と思わなくもない。
絢葉が私の鼻を指でつんとつついた。
「そうだよ。おねえちゃんが知らなかっただけで、私はずぅっとおねえちゃんのことが大好きだったんだから」
「絢葉……!」
たまらず私は絢葉を抱き締めた。気付いてあげられなかったことへの謝罪、想いを打ち明けてくれたことへの喜び、それら全てをこめて愛しい妹を抱き締めた。
「それで1オキシトシン?」
からかうように言った絢葉と目を合わせ互いに笑う。これがホルモンの影響かは分からないけれど、私は今確かに幸せを感じている。
だってそうでしょう?
妹から愛されて嬉しくない姉なんていないのだから。
終