6-3 傷が癒えたのでそろそろ口を出す
夢のように安らかで、けれど退屈な日々が過ぎていった。
ふと我に返れば早くも半月が流れており、その平和に抱かれるあまり俺も戦いを忘れかけていた。
あのしみる薬のおかげかそれともユランの加護か、傷の方はと言うともうすっかり良い。
全ての傷口がただの生傷へと変わり、爪も少し足りないが元の状態に戻って、再び思うがままに我が身が動くようになってくれた。
ああ長い1月だった……。
今すぐスコップを返せとグフェンにかけ合って発掘作業の肩慣らしをしたい。
スコルピオ侯爵に家宝のスコップを奪われた点が困りどころだが、ならばそれだってこれから取り戻せば良い話だけのだ。
うかつにもヤツが俺に見せた切り札、敵軍が迷いの森を抜けるために使ったとされる、汚いお宝セイクリット・ベル。
……確か本国からの貰い物だったな。
なら仕返しに俺たちがアレを盗んでやればいい。
あのオカマ侯爵が奇声を上げて真っ青に染まる姿が見える。
ニブルヘルの連中もそれで多少は気が晴れるだろう。
何よりあの反則マジックアイテムさえなければ、俺たちは隠れ里を奪われることもなかった。逆に言えば再び取り戻すことも可能になるのだ。
……しかしそれを実行するにはグフェンたちの協力と、何より医者の許しがいるのだ、が。
「はい、だいたい完治ですね。では7日ほどだけ経過を見守りましょうか。外が治ったからといって、中がどうかはまだわかりませんから。それまで引き続き。安静にされていて下さい」
1月我慢したというのに、この医者がとんでもない分からず屋だった……。
しょうがないので今後のことをグフェンと打ち合わせしたり、あとはいつものようにあちこちをひたすらブラブラするだけの生活が続いた。
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「そこにいるのはアウサル様! やっと治ったそうですね、おめでとうございます!」
そんなある日、町を歩いているとふいに呼び止められた。
「そういうアンタは……え…………。あっアンタっ、アンタ無事だったのか! いやそれよりそっちこそ平気なのか? だってあのとき……背中にいくつもあんなに……あんなに矢を受けていたじゃないか……。俺のせいで……」
もはやアウサルはダークエルフの中で不吉な疫病神から安っぽい救世主へと変わっていたので、それもそう珍しいことではない。
だが振り返ればそこに戦友と呼べる人がいた。
「ええもうすっかり。今は開拓を手伝いながらゆっくり鋭気を養っていますよ」
半月前のあの夜、共に地下牢からの脱獄を果たし、最後は俺をかばい矢を受け倒れた――あの青年だ。
俺はてっきり彼を死なせてしまったものだと思い込んでいた。だがこうして生きていた。
これは声の明るさや病み上がりには見えない覇気からの推測となるが、歳は20そこらといったところだろうか。
実のところダークエルフの歳はよく判らないのだが……。
「あの時は本当にすまない……。もしあそこで矢を受けていたら、俺は今こうして立ってなどいない。アンタには感謝しているよ。何より生きてて良かった……」
「いいんです、どうせ牢獄で死んでいたはずの命ですから。あの地獄の底から、貴方はこんな美しい楽園に自分を導いてくれた。……あ、そこ人通りますよ」
ところでたった半月で入植者がなんと倍に増えた。
もう町部分は人でいっぱいで、屋根無しの生活をしてるヤツも珍しくないほどだ。
それでどうもここでは通行の邪魔みたいなので、俺たちは往来から裏手に抜けた。
「すごいですよね。自分も今度家造りを手伝うことになってます」
「アンタも病み上がりだろうに……。ま、人のこと言えんが」
さらに地上ではちょっとしたことになっている。
ダークエルフが忽然と消えてゆく。これは一体何が起きてるのだ、と。
「自分は丈夫なのが取り柄ですから。でもアウサル様はもう少し休んだ方良い、貴方はもうダークエルフにとっては……」
しかしそこはグフェンだ。
侯爵の私兵がエルフたちを一人一人抹殺して地に埋めて回っているのだと、根も葉もないが実にまことしやかな噂を立てておいたそうだ。
汚い。グフェン汚い、だが良い気味だ。
スコルピオ侯爵ならやりかねないと市民なら誰もが思う。それだけ元々の信用が無いに等しいのだ。
俺という飼い犬に傾けられたあの屋敷で、公爵は今もさぞや困り果て怒り狂っていることだろう。
「貴方はもうなくてはならない人なんですから」
「そんな大げさなこと、こんな路地裏で言ってくれるな……どうも居心地が悪い」
「あはは、すみません……。自分としたことがつい……」
それと朗報が1つある。
グフェン経由の最新情報なので彼にも教えてやろう。
「そうそう、敵本国からの援軍があっただろ。アレ、来月までに撤退する予定だそうだ」
「本当ですかっ?!」
彼もニブルヘルの兵士で当事者だ。
その特大の朗報に声を上げて興奮した。
「ああ、グフェンがそう言っていた。だが悪いニュースも1つある。王直属の正規軍がサウスに残るそうだ」
「正規軍……。数は……?」
それから軍人らしい真面目さと厳しさを見せる。
なかなか利発で賢そうだ、グフェンにでも彼を推薦してみるのも良い。
「少なくはないそうだ。よって直接対決はまだ無理だろうな。どちらにしろ今はここを育てるので手いっぱいといったところだが」
「……サウスを取り戻しても、次はエルキア本国を相手にすることになりますからね。自分もそれが正しい判断だと思います」
エルキア……?
ああ、ヤツらヒューマンの本国か。
攻めるだけならスコップで俺がどうにか道を造れば良いが、サウスを守るとなると厄介だ。現状どうあがいても、どうにもならん。相手が巨大過ぎる。
「なあ、アンタさ……。大工とか農民の真似事はしばらく止めてさ、良かったら幹部連中に力貸してやってくれないか?」
「え。……えっ、えぇぇぇぇーっ?!! じ、自分がですかっ?!!」
グフェンは後人を育てたがっている。
おかげで畑や開拓仕事ばかりして都市運営をあまりにも手伝わない。
そうなるとそれだけ負荷がエッダら幹部にのしかかるのだ。
……この大事なタイミングで半隠居を選ぶとは、人を育てるのが上手いのか、それとも実は無責任なのか……。
親しくなればなるほどグフェンの変わり者っぷりに驚かされる。
「アンタ頭良いよ。勇気もある、俺をかばってくれた恩もある。それに若い、性格もきっとグフェンやエッダの好みだろう」
「で、でも自分はただの一平卒……。農場から脱走した、ただの、元奴隷ですよ……?」
なんだ奴隷農場出身か。
あそこのダークエルフは奴隷の母親から生まれた者がその大半だ。
つまりその生い立ちからしてエッダとも気が合うだろう。
「関係ない。今じゃニブルヘルの残存戦力に、町の連中までここに加わってるんだ。上層部だってもう完璧に手が足りてないんだから新人に嫌な顔なんてしないさ。……ってそういえば、アンタの名前を聞いてなかったな」
彼は戸惑っていた。
黒い肌に青みがかった銀髪を長く端正に切りそろえ、生まれは不幸であるのに健康的な気質が顔に出ている。
あまり復讐の念で凝り固まっていない点も良い。……そこは俺の勝手な憶測だが。
サウスからヒューマンを追い出せば国力を落とすだけだ、悪しき者を粛正した後は共存を選ばなければ後がない。
「自分は……アベルハム。いえ大仰で似合わないのでアベルって名乗ってます」
「そうか。じゃあアベル、今からアンタをグフェンに紹介する。……まあそこは、大人しく屋敷で仕事してくれてるとは限らんが」
ヤツらが仮にゴネたらコイツが俺の恩人だと言えばいい。
アンタの出世はもう決まっているのだぞアベル。
「ま、待ってっ、自分なんかがグフェン様を煩わせるなんてそんなっ、待って下さいっ!」
「ああ大丈夫大丈夫、それはきっとすぐ逆になる。なにせグフェンは、この夢の新天地にすっかり舞い上がってるからな。何よりアンタみたいなヤツを喜ぶだろう」
そこで内心恐る恐るだが、あえて己の手を彼に差し伸べる。
アベルはアウサルの白い腕にビクリと震えたが、けれどけして悪い顔をしなかった。
こちらが笑ってしまうほど大粒のつばを飲み込み、頼もしい決心と眼差しと共にこの呪われた手を握り返してくれた。
「じゃ、じゃあがんばります! 自分が命をかけてかばった男の、その先をもっと近くで見れるのなら……。悪い気がしないです! またいくらでも盾になります自分っ!」
いや盾ってアンタ……。
ああこりゃ打算とか抜きの素で言ってるな……。
「……アベル、異界にこんな言葉がある。死亡フラグ。その発言は今すぐ撤回しておけ。縁起が悪い」
「はい! これからは盾を肌身離さず持ち歩くことにします!」
なるほど確かに盾さえあれば防げる生きられる。
だがそうじゃないだろ……いや、もうそれでいい気もしてきたな……。




