6-1 療養中、ルイゼとの穏やかな日常 1/2
前章のあらすじ
アウサルを待っていたのは拷問だった。
それでも彼はスコルピオ公爵に屈することなく、地下に眠る楽園の秘密を守り続けた。
ユランとの邂逅の世界がアウサルを慰め、その際に邪神ユランの真実を聞き出す。
かつてサマエルと呼ばれる創造主がいた。
その者は地上の種族たちを作り出しては失敗作扱いして滅ぼしていった。
それを庇護したのがユラン、騙し討ちにして天の牢獄にサマエルを封じたのもユラン。
だが1000年前にユランの都は天からの光により灰へと変えられてしまった。それがユランの語る世界の真相だった。
アウサルはその後も牢獄での日々を過ごしていった。
しかしある日、アウサルの前に黒髪の男サンダーバードというチャンスが現れる。
ルイゼの兄と思しき彼の救助により、アウサルは捕虜たちと有角種のゼファーと共に脱獄を果たした。
それからサウス南の荒野にて偽名の男サンダーバードと別れ、ニブルヘル砦の迷いの森へと帰り着く。
そこで追手の追撃を受けるも、フェンリエッダ率いる援軍が到着し敵を撃退した。
こうしてアウサルは楽園への凱旋を果たした。楽園の名はア・ジール、反逆の地下帝国。
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育ちゆく地下帝国、スコップ禁止の療養期間
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6-1 療養中、ルイゼとの穏やかな日常 1/2
あまりに平和過ぎて気が抜けた。
闇と苦しみにまみれた牢屋暮らしから、命がけの脱走劇を乗り越えて俺はこの地に帰ってきた。
その際ア・ジールの姿に、豊かな実りを結ぶ楽園に感動を覚えたものの……そこに根付いていざ暮らしてみればこれが退屈だったのだ。
……もう戦う必要など無いのではないか。
そう拍子抜けするほどに地下世界ア・ジールは美しかった。
……だがそうはいかないのだ。
俺たちはまだ奪われたものを取り戻していないのだから。
少なくともグフェンらダークエルフたちはサウスを、フィンブル王国を再び地上に打ち立てるまで戦い続けることだろう。
ならば俺もユランとの盟約に従うのみだ。虐げられし彼らを救い――たいところだったのだが……。
しかし医者には全治1ヶ月、その後も経過を見て自分が許すまで絶対安静にしろと言われてしまっていた……。
せっかくのスコップは誰かに隠されるし、散歩すらろくにさせてもらえない。
ああ、あまりに大げさ過ぎてため息が出る……。
よし。そのことは忘れて次はこの場所について話そう。
遺跡と大門の先にあったこの場所、楽園ア・ジールは地下だというのにこれが果てしなく広い。
どれくらい広いかというと、もしかしたら侯爵領サウス1つ分を超えてしまうかもしれないそうだ。
ああそんなのおかしいさ。
なぜそんなものが地下底に、落盤1つ落とさず存在していられるのか理屈がまるで通じない。
神が与えてくれた奇跡の地だと解釈する者もいたが……。
実際ここア・ジールは色々と都合が良過ぎるのでその解釈に落ち着くのも致し方ないところがあった。
だがここが完璧に管理されていたかといえば、必ずしもそうとも言えないようだ。
果てしなく広いと言ったが、実は奥の方に水が十分に届いていない。
奥へ奥へと進むたびに大地が乾き不毛の荒れ地となっていたのだ。
原因は単純だった。
水路がふさがってしまっていたせいだそうだ。
つまりそこに俺たちが手を入れていけば、ア・ジールがさらなる実りに包まれることが決まっていた。
首領グフェンも女豪傑ラジールも、今頃楽しく開拓と土いじりを進めていることだろう。
……そして負傷中の俺はそれに加わることも出来ないのだ。
これを退屈と言わずになんと呼べばいい。
空を見上げれば不可思議で美しい太陽が輝き、それは現実の世界と同じに日没と夜明けを繰り返す。
こんな面白おかしい楽園ア・ジールを前にして、なぜ俺は負傷しているのだと憤慨を覚えずにはいられなかったのだ。
……それと蛇足だがもう1つ解説したい。
1つ1つ言い出せばもう切りがないことくらい理解してもらえたと思う。
だがどうも不気味な事実があるのだ。
無人の楽園ア・ジールには捨てられた住居がいくつもいくつも点在していた。
いや、捨てられたと呼ぶのは正確ではないかもしれない。
人が暮らしていた形跡そのものが無いのだ。
傷1つ無い、そっくり新築そのままの住宅がそこに残されていたのだ。
まるで誰か暮らして下さいと言わんばかりに、花と小麦と果実の楽園そのものが俺たちを歓迎していた。
……そういえば、異界のホラーと称されるジャンルにこんな世界があった。
その楽園で暮らす者は代償として少しずつ世界の養分として溶かされてゆくそうだ。……あくまで物語の世界での話だが。
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指がまともに使えないというのがまた良くない。
焼き針を突っ込まれたのだから、治るというだけでもありがたいものだが……。
「アウサル様、続き、続きお願いしますっ」
「急かすな、身をよじるな、落ち着いてくれ……ルイゼ」
よって何につけても介護を要した。
生きがいの読書であってもそこに例外はない。
「ここの本すごいです! 面白いっ、こんな本があったなんて……アウサル様っ、早く続き……!」
なので致し方なかった。
代わりにルイゼが俺に代わって本を抱え、俺の願いでページをめくる。
最もお互いに読みやすい姿勢をアレコレ試してみたところ、まあご想像の範囲の収まる位置関係に収まった。
……ベッドのわきで、俺がそこに座ったルイゼを後ろから抱き込むという、本当に申し訳の立たない図だ。
誰かに見られたら小児性愛のレッテルを貼られることだろう……。
「やはり自分で持つ……本くらいならまあ問題はな――」
「いいえありますッ! 指に悪い風が入ったらどうするんですかっ、それにボクッ、今アウサル様の力になれててすごく嬉しいです! ……あ、それより続き、続き読んで下さいアウサル様ッ」
なるほどこれが彼女の素の部分なのだろうか。
こんな妹がいたらさぞやかわいいことだろう。
……地下牢の戦争犯罪人の元までわざわざ安否確認しに来る者の気持ちも、今ならわかるというものだ。
「なら落ち着いてくれ……」
「すみません……でも、だって、面白いんです。異界の本を読んでもらえる機会なんて今を逃したら……2度とないんじゃないかなって……」
……平和だ。
ルイゼは元囚われの逃亡者、その平和の大切さをその身でよく知っている。
今という時間がこの先そうそうあるものではないことも、きっと。
アウサルの傷が治ればもう誰も立ち止まれない。
「しょうがない。ではページをめくってくれ」
「はい!」
ちなみにこの住居、かなりの好立地とも言える。
あの大門はア・ジール北部に位置しており、最北の絶壁に近づけば近づくほど見晴らしが良くなった。
その高台周辺に空っぽの町が築かれていたのだ。
「絶望の彼の前に不思議な鍵が現れた。それからそれを与えた女神が言った。これは平行するもう1つの世界へと、貴方を橋渡す船にして鍵。もし貴方が望むなら、これを用いて全く別の、なぞるはずのなかった別の結末へと導くと良いでしょう」
しかし平行世界か。
ルイゼには馴染みのない言葉だろう。
実際飲み込みかねて悔しそうに、真面目に熱心にそのまゆをつり上げている。
「平行するもう1つの世界。可能性が枝分かれさせた可能性の世界。それが無数に存在すると、これを書いた異なる世界の人間たちは信じているのだ」
「もしも……お父様が死ななかったら……。とか……そういう世界もあったかもしれないってこと、ですか……?」
お家騒動で逃げてきたんだっけな。
そうか、ルイゼの親父さんは死んでたのか。
「そうだ」
「何だか夢みたいですね」
「どうだろうな。今より不幸な世界も無限にあるのだ、都合良く幸福な結果にたどり着けるとは限らない」
「そんなことないです。だって、誰にだってどうしても取り戻したいものってあるじゃないですか。それさえ取り戻せるなら……今の全てを捨てても良いって、人は考えると思います、ボク……」
この手の物語はルイゼのような者を惹き付けるのだろう。
どうやらこれは数ページ程度では解放してもらえなそうだ。
少女の甘ったるい匂いと蒸し暑さに、首筋がどうにもビリビリとして落ち着かない……。
しかし読めど読めどルイゼのお願いは終わらなかった。




